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http://2chb.net/r/wres/1592383893/ 敢えて誤爆にレスしちゃうけど、具体的にはこれでしょ
去年一部のtwitter〜FF内外のDMを賑わせてたやーつ!(笑)
ジャスト日本が著名人と繋がって妬み深いヲタに色々言われた原因ってこれ?
https://twitter.com/jumpwith44/status/1176433267806834688 ↓これに嫉妬した精神的にダサいヲタ(全日本系ヲタ含む)がジャストを女々しくネチネチと揶揄(笑)
こりゃ恥ずかしいし姑息でみっともない・・・
※FF間のDMでパクツイ指摘されまくりのパクリ成りすまし常習ヲタ含む(笑)
https://twitter.com/Masked_Takakura/status/1193232091015606272 あの野村克也氏とも同じ書籍ラインナップに並んでるし、何言われても結果的にこの版元からちゃんと本出したジャストの秒殺全面勝利!!!てかもはやステージが違うね
https://www.saiz.co.jp/saizhtml/genre.php?k=h 869 お前名無しだろ (オッペケ Sra3-R7st) 2020/06/27 09:20:56
>>855 あー、それ確かにあるな
スレ違いにも関わらず偶然とは思えない番号被りしてるけど(笑)
ご指摘のあったこの必死全日本ヲタとか…
愛する、とか女子プロ専属ヲタはあんまり言わないよね
何か人生余裕ないってか、それより差別するわけじゃないけど、指摘されてる全日本ヲタの狂信的な書き込みって粘着質でヌメヌメしててどことなくホモっぽいよね(笑)
↓
855 お前名無しだろ (ワッチョイW 8f24-R7st) 2020/06/26 17:27:04
http://hissi.org/read.php/wres/20181120/QmFaYUJMVC9kSEFQUFk.html ↑
こういう全日本ヲタって何なんだろ
「既にプロレスを愛する他団体ファンを全日ファン…」とか書いてるけど
プロレスを愛してるんだね(笑)
プロレスを愛してこういう姑息て精神的にダサい人間になるとはね
普通に生きてたらこんな奴、絶対に身辺には出てこないはずだけど、何かプロレスマニアの集いとかにいるのかな?
絶対に知り合いになりたくないな(笑)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
>>4 ホッジにデストにループにバックランドに強そうな人が夏に集結しているね。
ホッジ対高千穂、渋そう。決まり手はオクラホマヘイライドでホッジの勝ちかな?
>>4 凄いな屋久島まで渡って試合しているんだ。
今年ならこの時期は中止になっていたかもしれない地域もあるね。夏に九州サーキットはリスクあるね。
>>4 ダニー・ホッジ、少し若くなるとこんな顔してたんだ!
Uインターの立合人の頃に来日してる時期しか知らんから
渋さが備わったイケメンで俳優みたいな顔立ち、これは女泣かせだっただろう…
>>7 初来日からバックランドは向こうっ気が強かったよ
それにしても見事なブリッジの人間風車
梅雨時期に離島はリスクあるな、前日夜までスケジュールビッシリなのに
>>11 これは凄い!ドロップキックの高さも凄いし大型新人だったんだな、他の日本人のメンツ見ると特にそう思うw
>>12 一番凄いのは日本デビュー戦、ドリーに決めたフロントスープレックスだと思う
あんなタメを効かせながら真上から高角度で決めるレスラーって現在まで他にいる?
それも大型のドリーにだよ…
全盛時の馳がジュニア体重の相手になら何とか…ぐらいしか思いつかない。
サマーアクションは70年代後半からのファンクスと凶悪コンビの一連の因縁ブックだな。
77年オープンタッグから始まり、その後に夏と暮れの「2本立て」で人気を博した。
若手三羽ガラスや越中は鶴田以下だよな、小さいのに
三沢が来るまではこれという新人が来なかったか来ても逃げ出したのか
>>13 あの試合のフロントスープレックスは凄かったね(国内デビューはモロウスキー戦)
この技は大概が横に流れるんだけど、鶴田は真後ろに弧を描くように決める
UN王座決定戦のブリスコに決めた時も見事だった。
あと、レイスとのNWA戦での高角度ジャーマンは
危険すぎて試合後にクレームが付いたんだっけ?
>>16 > 若手三羽ガラスや越中は鶴田以下だよな、小さいのに
そいつらに限らず鶴田以上なんかいなかっただろ。
鶴田、ヘーシンク
大仁田、渕、薗田
天龍、石川、トンガ
越中、三沢、川田、後藤
冬木、菅原、高杉
小川
輪島、テンタ、高木、田上
小橋、菊地、北原
やはり鶴田は突出しているよね。デカさだけならデビューできなかったけどラジャライオンなら馬場よりデカいよw
前スレのか続きだけど
武道館のセミで馬場輪島テンタvsシン木村鶴見
セミ前でタイガー仲野高木vsブロディムーンドッグス1,2
のカードは無いよなwww
馬場輪島テンタvsブロディゴディニキタ
タイガーカブキvsシン木村
せめて、この位のカード組まないと
>>17 >レイスとのNWA戦での高角度ジャーマン
そっかデビュー戦ではなかったか…
蔵前のフロントスープレックスは投げられたドリーが「ドスン!」と垂直に跳ね上がるよね
横に投げられたらあんな反動にはならないと思う、いかに最上段から投げてるかって事だよね。
レイスのは何かで読んだ記憶があるけど詳細は覚えてないな
ずっと後年だけど、本田多聞の「デッドエンド」なるジャーマン系の技を見る度に
鶴田のジャーマンを連想してた、あの弧の描く投げ方が。
ある意味鶴田以上なら三沢がいるしそれ以降は動ける選手も出てきたが、三沢入団までは鶴田と他はレベルが違いすぎ
>>20 俺の前スレの七夕さまの短冊には...
ハンセンブロディ対ゴディニキタ
と書いた。
しかし、1000レス獲られてしまったw
試合結果はブロディとニキタがチェーンぐるぐる巻き合戦の中央にジョー樋口が割って入って悶絶でノーコンテスト。
大乱闘の末
ハンセン、ユース!
ブロディ、ウォウ!ウォウ
!
当時の不透明決着排除の全日ファンもつられてウォウ!ウォウ!
ニキタはただただ棒立ち
試合を作っていたゴディは安堵の表情
プロレス版バックトゥーザフューチャーだね。
>>17 あのベアハッグから、真後ろに投げ捨てる
フロントスープレックスは、当時の猪木を
初め今日に至るまで、誰も真似が出来ない
芸術品だな。でも見る分には素晴らしいが、
必殺技としては、相手(ドリーとか)は、一回転して
腰から落ちていたので、
そう破壊力があるとも思えなかった。
しかし、鶴田もブリスコとのUN決定戦(’76年)では
腰の貯めが効かなくなり、ブリスコは頭から落ちた。
それでフォールに結びついたので皮肉なものだ。
中途半端な真後ろフロントスープレックスは危険だよ。
諏訪魔が2005,6年、雷神明に掛けて頭からマットに
めり込みひやっとした。
オープン選手権の時に馬場に決めたサイドスープレックスとドロップキックもスゴかったよね。
フロント、サイド、ダブルアーム、ジャーマンと今見ても写真だけでも凄さが伝わってくるのだから、
当時リアルタイムで見ていた人は衝撃だったのだろうね。
前スレの998
>セミの馬場、輪島、テンタVSシン、木村、鶴見って誰トクだよ?
ゴディとコロフの豪華タッグを石川、大熊に当てるセンスのなさ。
プロレスをわかってないな。
頑丈で負け役の相手と試合組んだ方が、
ゴディとニキタの持ち味が出るやないか。
どうせニキタなんて頻繁に来れないんだから、
本格的にゴディと組ませるわけにもいかんし。
そもそもニキタのことを、コロフと書くこと自体センス無し。
>>26 いや、どちらにしても凄いよ
鶴田の後頭部と自身の足がくっつきそうw
それも普通の体操ではなく、100キロ以上の相手を持ち上げてだからね…
佐山タイガーのデビュー戦のキッドに決めたフィニッシュのブリッジが近いかな?
ただヘビーとジュニアの大きな違いはあるけど。
くっつきそう、というのは大げさだけど
高く上げればあげるほど、落として固める時のブリッジをその分だけ鋭角にしないと、
自分の首が危ないからね、高く持ち上げれるというのは自身のブリッジ(背筋や腰)の強さに自信がないとできないと思う。
逆の例でいえば腰が悪い新日の坂口、反る事ができないから持ち上げても前方に落とすか(アトミックドロップ)
投げたとしても空中で相手の体を離してしまう(投げっぱなしブレーンバスター)
真後ろに投げるタイプのフロントスープレックスはあんまり好きじゃない
二キタコロフが新日本の常連だったら
ハシミコフやザンギエフの教育係という役割が
与えられていたのかな。
鶴田の場合に問題なのは
あれだけ凄い技を持ちながら
試合全体が凡庸になってしまうこと
ラシアンシックルやラシアンスイープを教えるのか?w
>>33 今見たら鶴田の試合、めちゃめちゃ面白いぞ。
不完全燃焼試合が多かったから、
つまらないイメージがあるけど。
それは鶴田のせいじゃない。
>>35 そうそう
鶴田対ドクとか凄いよね。
セオリーとか型とかは大事なんだと思うよね。
佐山は173cm
鶴田は194cm
ジャーマンを比較したら、何をどう見ればいいのか。
ニキタなんて当時は筋肉だけの浅いレスラーなイメージしかなかった。ウォーロードとかと同じ
体格的に格下で使うわけにいかないから中堅相手に圧勝させるしか使いどころがない、猪木藤波みたいな真逆タイプなら頭の悪いパワーファイターを頭を使って勝つ的な試合も出来るが
>>25 衝撃だが、ホームビデオが普及してないから、記憶に頼るしかなかった。
今見るとまさに驚愕。
>>24 でも鶴田のフロントは相手を選ぶよな
受け身の下手な選手だったら大けがしかねない
その点仕掛けたのはドリー、ブリスコ、レイス。
あの危険な投げを受けきるって、やっぱり世界王者はすごいわ。
>>37 同じムーブこなすにしても、身長いほうが体の負荷が遥かに大きい
ジャーマンは腰を中心に回転する円運動のムーブだけど、
鶴田と佐山の身長差じゃ半径10センチ以上違うから
腰や手足にかかる負担が全然違う
>>37 佐山より身長高いけど20代の俺ならタイガーマスクのジャーマンなら俺でも出来た。鶴田のは出来ない。
>>39 はじめて見てからそれを超えた投げなど見たことはないよ。
>>28 当時アメリカでトップのニキタ・コロフをテリー・ゴディと組ませて、武道館で前座レスラーと戦わせてどうすんのさ。
新日なら両国のセミで坂口、木村組ぐらいマッチメイクするわ。
>>42 新日本て両国のセミにそんなカード組むんか
>>16 有望な新人が入ってくると俺らの居場所が無くなるからって
小鹿が大熊と羽田を巻き込んで新人イジメで若手を片っ端から追い出したのは
昭和全日の一番有名な恥部だよ、若手時代の三沢も小鹿にチャンコの煮汁をぶっかけられた
だから三沢存命時にノアと大日本の交流は一切行われなかった
>>28 ゴディニキタvs石川大熊は後楽園などで組むカードであり
武道館等の大会場で組むカードでは無い!
これこそゴディとニキタの無駄遣い!
確か、このシリーズの開幕戦は大田区体育館だったと思ったから
大田区体育館でのセミ前辺りでゴディニキタvs石川大熊を組むのがベストだと思う!
>>28 ゴディニキタvs石川大熊は後楽園などで組むカードであり
武道館等の大会場で組むカードでは無い!
これこそゴディとニキタの無駄遣い!
確か、このシリーズの開幕戦は大田区体育館だったと思ったから
大田区体育館でのセミ前辺りでゴディニキタvs石川大熊を組むのがベストだと思う!
コロフは置いといてゴディがテンタと両リンにされて気の毒だった
>>44 小鹿は今でもオルカ宇藤を退団に
追い込んだりコロナ禍でも強引に
大会組んで非難を浴びていたからね。
カブキがカブキのまま逆輸入も佐藤昭雄の提案らしいし、馬場社長体制の時は英才教育したレスラー以外の日本人レスラーはあまり眼中になかったんだろう
馬場はイジメとかは嫌いっぽいが新人がイジメで辞めることにあまり興味なさそうだし
>>43 85年9月19日東京体育館
セミ・坂口木村vsジャイアントマシンスーパーマシン(アンドレ、マスクドスーパースター』
>>44 >有望な新人が入ってくると俺らの居場所が無くなるからって
>小鹿が大熊と羽田を巻き込んで新人イジメで若手を片っ端から追い出した
それなら、天龍、石川、トンガらの相撲上がりの強者をイジメてみろってな感じだなw
そもそもが最初の頃の鶴龍対決は何故ノンタイトルマッチなのか?
これでは普段何のためにベルトが存在してたのか意味がわからない
>>51 トンガはガチ最強、天龍石川は関取なので関取になれなかった小鹿からしたら雲の上の人
>>52 鶴田に負けてもらうからノンタイトルにしたのでしょ。
PWFルールだからリングアウト、反則負けでもタイトルは移動する。
鶴田を天龍相手に丸腰にするには時期尚早だった。
>>52 それは平成史観かな、鶴田対三沢の初戦まではそんな感じだったよね。
>>52 それはわかるだろ、鶴田が三沢に負けた数日前に王座陥落したのと同じ
>>54 むしろ
ベルトを移動するくらいの
思い切ったブックの方が
インパクトはもっと大きかったと思うから
それが残念なんだよ
>>57 よし!超世代軍か決起軍か極道コンビのどれかを結成しよう!
三沢が鶴田に勝った数ヶ月前にタイガーマスクはブレットハートと引き分けてたから鶴田はブレットハートより弱いなんて揶揄した人もいた
天龍も半年前にリキラリアットで長州にフォール負けしてるし鶴田に完璧に勝ったりインター王者になるわけにいかなかった
大日本時代同じ地方の仲悪い893両方とビジネスしてて
それがバレて片方の893に財布に入ってる名刺見せてみろって言われ
見せたらもう一方の名刺が出てきた時の小鹿は顔面蒼白だったってね
>>36 凄かった。
この二人は特に手が合うよね。
>>42 だから、ニキタなんか次いつ来るかわからないのに、主要ストーリーに組み込むわけにはいかんでしょうよ。
石川以上のクラスとなると、勝たせるわけにも負けさせるわけにもいかんからねえ。
これでもわからんか?
>>44 ガスコンロでぶん殴られたとも言ってたね。
小鹿はホントにバカ。
有望な選手が入ってきてスターになったら、
団体が潤って、首つながるかも知れんのに。
スター不在でジリ貧になった方が、
首切られる可能性高くなるのに。
これは鶴田の身体能力とは別の話で、単なる見栄えの話なんだけど
1985年か86年あたりかな?
鶴田が両ヒザにサポーターをつけ始めたよね
あれは何か脚がヒョロっと見えて、腰高のスタイルになって残念だった
鶴田は程よい脚の太さで脚が長くスタイル良いんだから
ノーサポーターの方が絶対にバランスよい体形だったのにと思う。
鶴田だけでなく、馬場や天龍も最初はサポーター無しだったが途中で片ヒザ使用になり
結局は両ヒザも使用するようになってしまった。
三人とも体格が大きいからヒザへの負担など職業病みたいなもんなのかな?
でも猪木や長州・藤波、あと中西や渕など、晩年までサポーター無しで通すレスラーも多い…
一番有名なのはテーズかな?
テーズは脚が長くてガッシリしてるから、サポーター無しだとバランス良くカッコいいよね。
まあ個人的な主観だけど…、だけど実用性と見栄えの落としどころが難しいのかもしれない。
オカダカズチカみたいな爽やかな若者がテリーやマスカラスに憧れて合宿所に入ったら
合宿所は大熊小鹿みたいなヤクザと羽田林の酒臭い奴らの吹きだまりじゃ幻滅して辞めてくわな、根性とかじやなく
>>58 ちょっと前までタイガーマスク被ってたのに、たった1ヶ月ほどでベルト取って全日の頂点では無理があり過ぎるし、ファンがついてこんわ
>>66 全日って、中堅やベテランでも合宿所住みなの?
まぁ、新日もライガーが福岡に引っ越して
シリーズの度に上京してシリーズ中は合宿所住みという例があったけどね
>>67 すまん、鶴田と三沢の例につられて間違えた
でもさすがにいきなり天龍に完璧に勝たせる、インターのベルトを持たせるのは時期尚早だったよ
>>66 そんな中で、ぶっちゃけ、ほら、三沢が生まれたわけじゃん!w
そんな三沢の寝ゲロを掃除することからはじまったのが川田の俺だけの王道じゃん!w
>>68 小鹿大熊は知らんが羽田と林は合宿所の主みたいなもんだった。合宿所で一晩中酒を飲んで若手の食料を奪ってたとか
>>58 昭和から平成のあの時期にそれはなかっただろうね。
その数年後に三冠王者になっても三沢はガラスのエースと揶揄される時代があった。
鶴田にも善戦マンと言われる不甲斐なく見えた時期があったから三沢の壁になれたわけで。
その点は馬場の采配に狂いはなかったのかなぁとね。
合宿所に住んでいなくても古参レスラーのイジメは起きるからね…道場とか
平成に入っても全日の陰湿なイジメの連鎖は小川良成に受け継がれていった
昭和57年初夏。全日砧道場にて小鹿の指導のもと合同練習する選手達。
そこに高杉がウルトラセブンなるレスラーを引き連れ、道場を急襲。
小鹿、「オイ、なんだコイツ。やっちまえ!」とセブンをリングに上げるが、
越中、三沢といった若手がセブンに撃沈される。
そしてタイトルマッチを行う、大仁田とセブンが睨み合ってる写真が掲載される。
写真下の題字に、「フフフ アイアム ウルトラセブン」とwww
こんな失笑物の三流茶番劇が週刊ファイトに載ってたwww
>>74 そんなウルトラセブン誕生秘話があったとは知らなんだ。しかもあっち系のファイトなんだ。
特撮好きの三沢はノリノリだったのかなw。
ずっと高杉が連れてきたセブンが後のワイルドセブンだと思ってたんだけど
違うんだねセブンは三人いた
けど、セブンは大仁田と対戦する前に越中にフォール負けした。
まぁ、それはレフリーのミスター林が間違って3カウント入れちゃったんだけどwww
その週刊ファイトの記事欄に、
「ウルトラセブンの正体は高杉ということが記者の間で定説だったが、
その高杉がセブンを引き連れてきたということは、セブンは
高杉とは別人で、とんでもない実力者かもしれない」
とチト失礼なこと書かれてたw
駒が生きていれば違う全日になったかもしれないな、少なくとも残党合流組の小鹿が増長しなかったと思う。
初めて父親にプロレス観戦に連れて行ってもらった時、当日券2枚買う手持ちが無くてなんとかならないか父親が交渉
当日券売場に何故か小鹿が来て話を聞いた小鹿は1枚分の金額で2枚売ってくれた
ウルトラセブンはサインを頼んだら無視したので亡くなった父親は小鹿はいい人、ウルトラセブンは悪い人と言っていた
>>48 遅レスだが、小鹿は会長という名のフリーだから今の大日の経営にはノータッチだぞ。
>>63 ほぼ同時期の新日の両国大会。
ダブルメインは藤波VS長州のシングルと猪木のIWGPにスティーブ・ウィリアムスが挑戦のタイトルマッチ。
セミは木村健吾、武藤敬司VSコンガ・ザ・バーバリアン、マニー・ヘルナンデス。
全日のマッチメイクと比較してみ、石川、大熊組推しのおじさん。
>>63 同時期の新日両国大会と比較してみた。
ダブルメインで藤波と長州のシングル&猪木とスティーブ・ウィリアムスのIWGP戦。
セミは木村、武藤とコンガ・ザ・バーバリアン、マニー・ヘルナンデスのタッグマッチ。
石川、大熊推しのおじさんはどう思う?
>>86 ごめん、電波状態が悪くて同様の文を書いちゃった。テヘヘ。
>>85 でもその大会は観客動員が一万人を割ったんだよね。
内容も猪木VSウィリアムズは凡戦、藤波VS長州は超凡戦。
87年の新日本は両国を何回も使用して、初の二連戦では動員記録を樹立したが、闘魂シリーズでは世代闘争が空中分解してファンはシラケてしまい両国大会にソッポを向いた。
そして年末のイヤーエンドイン国技館で猪木VS長州が散々になり暴動が起きた。
やはりメインが締めることは大事なのだ。
>>63 主力級とシングル又はタッグて当てて両リンか反則決着でいいじゃん
実際に過去の来日で鶴田天龍とタッグ長州とシングルで対決した時も不透明決着だったしね。
それに、この時の全日は完全決着ルール導入前だし、主力級と当てるにしても
試合順はセミかセミ前なので不完全決着でも問題無し!
>>88 そのシリーズの開幕戦(後楽園)で長州vs藤波(一応前田w)を組んでしまったのも影響あったかもね。
開幕戦は藤波木村vs長州マシン辺りのカードで最終戦の両国でのシングルに向けて
ストーリーを作って行けば、もう少し動員出来たかもね?
>>88 発表は1万人を超えてた。
同月上旬の全日武道館よりは多かったと思う。
新日はテレビの曜日が変わって危機感があったのか、マッチメイクでは攻めてる印象。
新日のマッチメーカーならセミに馬場組とシンと国際血盟軍なんて組まんわ。
川田なんてマイティー井上に前座で負けさせられてるが、新日は橋本の海外遠征の壮行試合組んでもらっているからな。
日プロ残党なんてのは要らない存在だったんだよね。
新日本は得だけした。
欲しかった大物・坂口がTV(NET)を持って来てくれたし、
新日は人数が少なかったから、坂口以外にも あと何人かは欲しかったけど
坂口は若手を数人連れて来ただけで、アクの強いベテランや中堅は連れて来なかったのが良かった。
で、日プロに残った廃棄物みたいな連中が日本テレビから全日に押し付けられた。
馬場はホント迷惑だったろうな。
サンダー杉山・鶴田友美を獲得していて、デストロイヤーを日本陣営に入れれば
あとはコーチ役のマシオ駒と若手だければ良かったのにね。
猪木・馬場が抜けた後の日プロにバレンタインやエリックが出てたけど、
日プロが潰れたら潰れたで彼らは新日や全日に呼ばれる訳だから
日プロ残党なんてやっぱり要らない存在なんだよね。
>>94 ちょっと意味がわからない
フリッツと残党が何の関係があるのか。
>>93 新日は坂口他3名でTVをゲットしてしかも「金曜夜8時のプロレス」の枠だったからね
全日側の方が貧乏クジだった
・成り行きで「金曜夜8時のプロレス」を失った
・産廃みたいな日本プロレスの残党を引き取った(日本テレビの依頼だから断れなかった)
そいつらが「対等合併だ」「日本テレビに頼まれてきてやった」
「芳の里から「馬場を助けてやってくれ」と頼まれた」とか言っていた
身の程知らずの勘違い野郎集団
・指導者のマシオ駒が若くして亡くなって小鹿が増長した
>>88 88年は前田x長州の抗争にしたかったのかね?87年の両国は前田は元気なのに?全然主要カードに入っていない。
干されてるのかと思うほど。ファンは前田を見たがっていたのに。でもそれは新日サイドは望んでいないんだよな〜
>>86 石川大熊推しおじさんなんか相手にしなくていいよ!バカなんだから。
こんなバカな奴らの要望を聞いちゃうからダメなんだよ。
昔はメインのカード一本で勝負だから良かったの!
>>5 そろそろ無能自演なりすまし&荒らしが生き甲斐な全日本ヲタがネット彼女のポエムを呟く妄想恋愛をする季節がやって参りました(笑)
去年は大いに笑わせてもらいました
ツイート削除してないので、あのザマを某団体の◯●選手に是非とも後追いヲチするように進言したら関係者の皆さん一同大ウケしていましたと(笑)
これも貼っとかなきゃ
↓
検索したらジャスト日本の陰口でもっと酷いの見つけた
https://mobile.twitter.com/masked_takakura/status/538883588800794626 ジャストに根拠不明な勝手な言いがかり付けてるけど、根底には嫉妬がありそう
>>876でも主犯の姑息で恥ずかしい恋愛妄想傾向のあるダサヲタが煽ってる
これ、6年前のツイだけど6年経って…まず第一にこいつら致命的に文才はないが(笑)
それより何より全日本とかこいつら雑魚の推し団体が悉く選手が逃げたり経営的に窮地に陥ってて貧乏神度・雑魚度がさらにアップ(笑)
片やジャスト日本はディック東郷、ロッシー小川、元週プロ小島記者、野村克也氏らのだけど著書と同じ出版社からプロレス論で処女作デビューを飾ったと
https://www.saiz.co.jp/saizhtml/genre.php?k=h あと6年経ったらこいつら、ジャストとは更に格差が広がる事は確実
ネットでも何でも選手や関係者に構ってもらえるだけで嬉しがるようなレベル低いのと関わってお仲間になるとナアナアに無益な承認欲求なんか満たすだけで最期はこのザマだな(笑)
ジャストのブログに下ネタや悪口書いてる奴がいるらしいけど、嫉妬に駆られたこの手の無能ヲタかも知れないな
次作も期待してるからジャスト頑張れ!
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
>>93 馬場が抜けた日プロからドラフト会議をするとして
全日1位坂口、新日1位坂口、国際1位坂口でくじ引きになるよね。
外れた団体は、もう選択終了で帰る。
国際が大木か高千穂を指名するかどうかだろ。
>>88 猪木vs長州は翌月大阪のメインで
ぶつかって真っ向勝負であったけど、
イヤーエンドと違って全く語られない。
結局猪木からするといい試合したって記憶に残らないとダメだってあるのかも。
>>68 新人があまりに居着かないので元子夫人が「かわいがりの徹底禁止と若手は多摩川の
沿いにアパートを借りて道場へはそこからの通い」にすると言う強健発動して若手選手
が居着き出したがやっと先輩になり自分がされてきた事ができなくなった小川は不満
タラタラだった。
新日では若手へのかわいがりが橋本・船木と並ぶ三悪人の一人だったライガーは今では
さすがに若手選手が息子と同じ世代になりかわいがりも卒業して休日は自室で怪獣造形
に耽り食事は自分で手配して若手の役目である風呂掃除までして一番風呂を
浴びて新人に休日まで気をつかわせないようにしているらしい。
>>101 若くて大きい戸口、羽田、桜田、小沢あたりは指名されるんじゃね
特に戸口はもう海外遠征に行ってたくらいのエリートだし
>>104 キラー・カーンは同郷の馬場の所に行きたかったって言ってるね。
坂口に無理やり新日に連れて行かれたとか。
>>102 大阪の猪木x長州ってあったっけ?たぶん見てるんだろうけど記憶にない・・
新日の87年10月の両国、藤波vs長州の時は
長州vs前田(疑惑のコイントス)が実現しなかったのもあるけど
同時期に猪木がマサと巌流島でやる話題が大きかったからなあ…
友達との会話でも「いまさら長州vs藤波かよ…」って感じだったし
後楽園でやったのに、また大きな器でというのも無理がある
さらに三本勝負というのも…悪い意味で1本目と2本目に緊張感がもてないし…
そりゃ、テレビ局の意向が一番だろうけど(そもそもUWFで視聴率が×だったから長州復帰)
前年から猪木と前田の戦いをスカされて(東京体育館のシングル→イルミネーション、あとIWGPが二大会)
そのうえ長州との対決(これは出し惜しみでいずれ…だろうけど)までスカされたらソッポを向くよね…
チケットを買うお客にとっては86年〜87年はとにかく前田と長州と猪木
この三人が激突しなければ食指は動かない、まあファンの総意だったと決めつけるのは偉そうだけど、でも皆もそうじゃない?
>>102 猪木が卍でレフェリーストップの試合かな?
あれは確かに緊張感あるいい試合だったと思うけど
猪木が勝っても会場がシーンとして異様な感じだった
猪木がヒール的な感じもしたし、長州勝利を期待してたムードだったのかも
前田に顔面蹴られて欠場してたのもあるし、判官びいきもあったのかもしれない。
ネタが新日オンリーですまん…
>>108 年末じゃなくて87年内に行われた両国大会のこと。3~4回やったでしょ?
>>107 88年2月に実現
週プロには両国の落とし前をつけたと書かれてたね。
>>109 その卍のレフリーストップの大阪って翌88年じゃなかった?
ガリガリの猪木がレフリーストップ勝ちか。説得力無かったけど、
半年後、いきなり挑戦者リーグから長州が完勝しだすんだよね。納得は行くけど
おじいちゃん猪木が可哀相に見えてきた。
>>112 そうだったかな?
とにかくイヤーエンドの再戦みたいな記憶しかないもんで…
88年の猪木vs長州はその大阪の時と
静岡で猪木が錯乱して反則負け
札幌で猪木がフォール負け
この三試合しか覚えてないな
そういえばこの時期の札幌といえば、天龍革命一周年+インタータッグ戦で
天龍原が負けたんだけど控室で同盟と笑顔で記念写真してたね「この1年共に頑張ったな!」って感じで。
スレ住人を汚い言葉で罵倒し新日本プロレスの話題しかない奴が駐留してるからしばらく全日本の会話は無理だな
87年の前田は大会場で全然メインはってないんだよな。
前年、格闘王の称号が与えられたのに87年はほぼアンダーカード。
これじゃくさるよな。
>>114 88年はその3回だけじゃない?シングル。
だけど猪木はいいシフト変換できたよね。議員転身。あのまま89~90以降もレギュラーで
闘っている画が想像できない。
>>98 東京の大会場で全日がメインカード1本で勝負したのって、後にも先にも87年10月の武道館だけでは?
新日本は、
84年蔵前IWGP決勝の猪木vsホーガン(セミは長州M斉藤谷津vsマードックスーパースターパテラ)
85年東京体育館の猪木vs藤波(セミは坂口木村vsジャイアントマシンスーパーマシン)
86年両国IWGP決勝の猪木vsマードック(セミは坂口木村上田vsアンドレスーパースターアサシン)
87年両国IWGP決勝の猪木vsM斉藤(セミは長州マシン小林?vs藤原木戸高田?)
という様に定期的にメイン1本で勝負という興行があったけどね
今はG1の決勝がメインカード1本で勝負かな?
>>117 そうだね、第1回ドームで橋本がアピールできたのが地味に大きい
あそこで決勝まで進んだし、89年からの興行のコマとして大きな存在になった
蝶野はG1まではサブ的な位置だけど、その間に武藤も帰ってきたし、いいタイミングだったと思う。
ただ88年頃のネタを語ると、前年末の園田、夏のブロディ、原の解雇、輪島と石川の引退
88年は初頭から年末まで暗い思い出が残ってる、全日が興行的に息を吹き返すのが翌年のからだから
結果的に新陳代謝をできたんだろうけど、天龍革命が花を咲かせるまでの原石川輪島の功績は大きいよ…
>>110 ごめん勘違いしてた。m(__)m
2月→セミで前田藤原vs藤波武藤
4年→セミ前で前田木戸vs木村越中
6月→怪我で欠場
8月2日?→セミかセミ前で前田高田vsマシン小林(タッグタイトル)
8月18日?→メインでイルミネーションマッチに出場
8月19日?→セミで前田vsマシン
10月→???出場してたとしてもセミ前以下
12月→謹慎欠場
確かに主要カードから外される事多いよね。
87年10月武道館は鶴龍への期待の表れだから一本で納得。
復帰したてのブロディはあえてアンダーカードにして「いきなり上では使わないぞ。大会場だが主要カードには入れん!」と馬場さんの意味がある。
ゴディ・コルフ組が若手コンビを秒殺する試合も納得。
意味をくみ取れないバカなファンがいるから大変だよな。。
そういえば天龍革命が始まった87年6月に
新日でもIWGP決勝後、世代間抗争が勃発して
当時の雑誌の評論でも「新日のスケールの大きいテーマに比べ、天龍革命はコップの中の嵐」
そんな言われ方だったけど、半年後には両団体のムードや評論は真逆になったね。
>>120 いえいえこちらの書き方が悪かったので<m(__)m>
しかし年間8回両国って凄いね。イケイケだったんだよね、今思うと。
全て猪木がメインってこれまた凄い(笑)
カブキって首の動きが不自由そうだけど、何か大病を患ったの?
>>122 いや、本当。(株)じゃないけど世の中何が起こるか分からんよ。
ユッキーナが1年後に引退って誰が思った?(笑)
>>121 ゴディニキタが格下チームを秒殺するのは後楽園や他の地方会場での役割
武道館みたいな大箱で格下チームとの対戦を組むのはナンセンス!
>>120 >>123 両国を年間8回も凄いけど
8月の三週間で三回というのが特に凄いな
長州のリング復帰を見込んで会場を押さえたんだろうけど…
イケイケ、というより会場予約の時点では「イケイケになるだろう」だったんじゃない?
世代抗争の頓挫や対藤波の反響の薄さ、前田の事件なんかで目算が狂っただろうけど…
でも新日の87年は暴動になったけど、ギリギリ大きな種を蒔くことができたよね、ビッグバンベイダーで。
>>83 正義の味方のウルトラセブンに拒否られたらトラウマだよね。逆に小鹿はずっといい人のままだっあろうね。
しかし馬場からしたら高倉健を知らないくらいだから『ウルトラセブン』が何だかわかってなかったんだろうね。
>>20 こういうバカの相手はしたくないが・・暇だからしてやるよ。
全試合両リンって面白いかもな。前代未聞で(笑)お前はセンスあるよ(笑)
ブロディを甘やかさない為に主要カードから外すなら
セミ→馬場輪島vsゴディニキタ
セミ前→タイガーカブキテンタvsシン木村鶴見
セミセミ前→石川大熊vsブロディと余ってる外国人
こんなカードでも良かったと思うよ。
>>126 あ、バカだ!両リン=両者リングアウトっていう意味だからね。
全試合、両リンの興行観に行って楽しいか?
あ、相手にしてしまった・・・自己嫌悪
>>129 馬場輪島テンタvsブロディゴディニキタは
当時の格的にも、ブロディがテンタをフォールだろ?
大会場の主要カードで不完全決着が複数あるのは当時の全日のお約束w
なんでそこまでニキタコルフにこだわるか分からん。
ゴディコルフ組って即席だし、そもそもコルフは馬場さんから信頼されてないだろうよ。
筋肉マンってだけでレスリングできないし、扱いづらいだけ。
テレビマッチにも組まない。組めない。アンダーで十分!
>>132 鶴田テンタxブロディブバで両リンだから、そのカードなら両リンだな。
メインが不透明で決まってるんだから、セミ以下はフォール決着のカードにするのが定義なの!
メインの鶴龍対決が不透明(反則決着)なんだから、セミ以下は秒殺なり、完全決着のカードを
あえて組むの!!ブロディが表紙なり、見開きページにならないカードにあえてしたの!
頼むからわかってくれ。
それで思い出したけど
ブロディが復帰した試合、高木に決めたジャンピングパイルドライバー
説得力があったよね、ブロディはパイルドライバーは何気に名手だと思う
テリー引退の日に組まれた鶴田とのインター戦、あのパイルがブロディので一番好き
下手するとニードロップよりパイルをフィニッシヤーにした方が説得力があったんでは?と思うw
猪木とやってた時にも猪木が痛々しくて…ちゃんとうまくやってるんだろうけど。
鶴田が浜口にやった四方に見せつけてからのパイルは良かったね。
ブロディや鶴田といった怪物レスラーがやるのがあのパイルは似合う。
>>133 いやさ。俺もこのスレの流れはおかしいと思ってたクチ。
ゴディ・コロフの価値を勘違いしてる。そもそも当時ニキタコロフを楽しみだとか強豪だとか思われてないよ。イワンコロフと同じだろ、くらいだよ。
だから、ゴディはトップグループだけど、コロフと組むんならこの試合順で正解だし、勝たせるんならこれくらいの相手で十分。
>>96 > 日本テレビの依頼だから断れなかった
全日本プロレス中継の視聴率が悪かったからね
確か馬場離脱後の日プロ中継にも負けてたはず
イワンコルフと同じくらい。分かりやすい例えだね!多分長州のPWFに挑戦したから格が高いと勘違いしてるようだが、
確かその試合もノーテレビ?長州xコルフ間違いなく凡戦だと思う。そのレベルだよニキタは。
鶴龍ともシングル組まれてないし(タイガーとも?)そもそも主要選手と当たっていない。
組まされたゴディが可哀相なくらいだ
イワン・コロフとでは年齢と体格が違い過ぎだろ、ザ・ラシアンズの
構成員同士ではあるけど、コロフの甥って設定だったし。
ボルコフにくらべると肉体的に見劣りしてたけどマスクがクラッシャー
・クルスチェフよりも良かったな。
>>139 >確か馬場離脱後の日プロ中継にも負けてたはず
そんなに苦戦してたの?…
史実だと「初期全日はメンバーも豪華でテレビもゴールデン、順風満帆」
こういうイメージだったけど、日プロが存在してる時期って初期も初期だよね?
旗揚げ当初は良くて、だんだん苦戦してたんじゃなくて
旗揚げからずっと苦境だったという事なのかな?
まあ視聴率は互いの放送時間の裏番組とかで、ひとえに比較しにくい部分もあるだろうけど
興行的にはどうだったんだろう…興行人気は視聴率と違って言い訳抜きの人気度だよね?
>>120 >(前田は)確かに主要カードから外される事多いよね。
というけれど、この時期、
猪木(エース)>長州(復帰した年)≧藤波(長州のライバル)>前田
だから順当じゃないかな?
()内はメイン
2月→セミで前田藤原vs藤波武藤 (猪木対ビガロ)
4年→セミ前で前田木戸vs木村越中(猪木対斎藤)
6月→怪我で欠場(猪木対斎藤)
8月2日→セミで前田高田vsマシン小林(タッグタイトル)
(猪木対ビガロ)、長州、藤波はセミ前に6人タッグ
8月19日?→メインで長州、藤波とともにイルミネーションマッチに出場
8月20日→セミで前田vsマシン.(猪木&武藤対長州&藤波)
10月→???出場してたとしてもセミ前以下(長州対藤波)
12月→謹慎欠場(猪木対長州→変更、対ベイダー)
こう見ると、やはり猪木中心だし、藤波でさえ、そう主要カードに
顔を出していない。長州復帰が大ニュースで、まずその相手に
ライバルの藤波が起用された。前田は、その次のポジションだね。
88年は、またベイダーが売り出されただろうから、ますます隅に
追いやられた(ベイダーの噛ませ犬)と思われる。
前田の10月のカードが思い出せないくらい影が薄くなってる・・
こりゃ話題作りに襲撃事件起こしたくなるわな
88年は隅っこか。。ベイダーのかませやらされたかもね。
たらればで申し訳ないけど長州が復帰しなかったら
猪木x前田は87年には実現してただろうね。カードが無いから。
猪木は長州が来て助かったし、前田はいやだったろうなー
昭和の全日の大会場でメインが不透明決着の興行でも
セミ以下のタイトルマッチや特別試合も不透明決勝という興行は多々あるぞ
85年3月の両国国技館こけら落とし興行でも
・鶴田天龍vsウォーリアーズ (メイン)
・長州谷津vsブロディブルックス
・タイガーvs小林
長州谷津vsブロディブルックスのみ完全決着
85年10月20日両国国技館
・フレアーvsマーテル(メイン)
・鶴田天龍vsウォーリアーズ
・長州谷津vsマスカラス、クルーズ
長州谷津vsマスカラスクルーズのみ完全決着
実際に鶴田vs天龍のメイン一本で勝負して
アンダーカードに最初から結果が分かるカードを持って来た興行の客入りは悲惨そのもの
87年の武道館興行で1番の不入興行だったんだよ。
だから、それ以降の大会場興行はメイン以外にもタイトルマッチや特別試合を組むようになった。
>>147 全試合不透明の興行があったら教えてー(笑)
>>148 85年12月武道館最強タッグ最終戦
メイン・公式戦長州谷津vsハンセンデビアス→時間切れ引き分け
セミ・公式戦馬場ドリーvs鶴田天龍→時間切れ引き分け
セミ前・レイスジェシーバーvs キッドスミス→両者リングアウト
主要カード3試合全て完全決着無し
なんか当時のニキタがどれだけ大物だったかも知らん知ったかがいるようだな
前年のアメリカンバッシュツアーではフレアーとニキタの抗争が目玉だった
でも日本で売れたかどうは別の話で期待しすぎの奴は確かにキモいw
ニキタほどのでくの坊もいないだろ。主要カード0。鶴龍と後楽園でやったくらいで、あと全て
アンダーカード。すなわち週プロにも登場してこないわけで。もちろんTVにも。
PWF戦がノーテレビってある意味快挙だけどね。
ニキタはここでよく出てくるマグナムTA級の格は向こうではあったな
おそらくギャラも高かったはずだからマッチメイクに苦慮するなら呼ばなければ良かったんだよ
ニキタはここでよく出てくるマグナムTA級の格は向こうではあったな
おそらくギャラも高かったはずだからマッチメイクに苦慮するなら呼ばなければ良かったんだよ
マグナムTAとライバルだったのが
TAが大怪我したんで急遽ベビーターンさせて売り出した
どっちも両国だけど、
長州、谷津xブロディ、ブルックス
長州、谷津xマスカラス、クルーズ
ブルックスとクルーズだから試合が成り立ってる。パートナー次第ではヤバい展開になる。とても両国クラスでは組めん。
ニキタに関しては
呼ぶなら例え全日本のスタイルと合わなくても上のポジションで使え
過去の来日で全日本のスタイルに合わないと判断したなら呼ぶな
>>142 クラッシャー・クルスチェフといえば、後にデモリッションのスマッシュとして馬場と絡んでるね。
ニキタ・コロフよりは器用なタイプやね。
もし長州、谷津xマスカラス、ロビンソンなんてファンは見たいが、
信頼してない4人が大箱でやらかしたら・・・って考えるのが普通だと思う。見たいのは見たいが。
>>156 確かに両国でやるカードではないよな。
後楽園でこのカードを組んで両国では
長州vsブロディ、長州vsマスカラスのシングルを組むのが理想的
>>159 長州浜口vsマスカラスロビンソンなら
浜口が上手く立ち回って何とか試合を成立させたかな?
勿論最後は浜口が寝るwww
あっ、けどこの頃って浜口怪我で長期欠場してた頃だっけ?
>>157 それはラリー・ズビスコにも当てはまるなw
造反アングルでブレイクした後にジュニアの大仁田や格下げ中の羽田に負けるって
本人はそんな扱いでも試合だけしてればいいから気楽でギャラのいい全日招聘は歓迎
だったんだろうけど
>>162 格下げ中の羽田に負けるって、どんだけポジション落とされたんだよw
>>160 馬場さんはタッグ温めてから・っていう発想だからいきなりシングルは無いな〜
天龍ロビンソン組のあった後楽園で石川がズビスコに完勝したね。
そのズビスコが数年後にAWA王者に。何が起こるか分からん。
>>163 落ちたんじゃなくてブルーノの弟子という以外売りのなかった時代から
トップヒールにのし上がった後も全日マットでのポジションが変わらなかったってこと
81年のサマーアクションで羽田の勝ちだったが
翌年のジャイアントシリーズではズビスコが勝った
羽田の地盤沈下が止まらないw
ラリー・ズビスコかあ…末期のAWA王者にもなったよね
日本遠征での最大の舞台はマサとのドームでのAWA戦かな…
カート・へニングも新日のタッグリーグでかませだったけど、最後はAWA王者で来日したよね
確か正月興行で挑戦者がタイガーだったな…
その挑戦者の大義が「鶴田・天龍クラスには挑戦させるな」だったっけ?
あ、それはリッキーが王者の時か?
どちらにしてもNWAとAWAの王者がそのクラスでは全米興行合戦の苦労がうかがえるな…
前にもあったが
ズビスコと比べれば扱いはよかったがワフー、ブラックウェルあたりもアメリカでの
格からすれば全日での扱いはいいとは言えない
ワフーは馬場・鶴田と引き分け、ブラックウェルも毎回インターやPWFに挑戦する
くらいが「アメリカでの格と比べれば」妥当
ブラックウェルは81年でプロモーションが閉鎖されたサンフランシスコに新団体を
作ってプロモーターになろうという目論見があって
そのバックアップを馬場に求めていたという話もある
そしてその計画を当時AWAが主戦場だったからボスのガニアにも話したら、まんま
とサンフランシスコをAWAに横取りされたというオチw
>>167 リッキーに関してはアメリカでは普通に一流だろ
ただWWFでは世界王座より一段下のインターコンチの王者だったから
それから何年もしないうちに出戻ってNWA世界王者というのはどうかという見方
はあったな
リッキーを生涯最高のライバルと褒めたたえるフレアーすらその点に不満だった
バックランドは黄色いタイツ穿いて弱そうだった若手時代
鶴田に見舞った失敗危険スープレックスでこいつはダメ・・の烙印押された感じ。
>>166 羽田は84年初頭には、ケリーキニースキーにも取られたしね。
>>171 その頃の羽田はもう外人に勝つ方が珍しいような
>>170 その失敗スープレックスや、鶴田が報復か意地かわからんが珍しく見せた
ハイスビードのダブルアームで試合が終わらず
鶴田のいつものゆったりダブルアームで3カウントが入ったのが素晴らしいw
>>158 ニキタよりどころかあの当時のマッチョレスラーの中ではダントツの万能タイプだぞ。
ニキタ・コロフにはこのスレの方々ほど、思い入れも知識も乏しいけど
ただ、ラシアンズとして来日した新春シリーズ、会場人気は高かった思い出はあるな
あの時代はマッチョでペイントの疑似ウォリアーズが人気を博してたのもあるけど
対戦相手のクラスが大体が中堅どころで、あのファイトスタイルだから決着がつけばスカッとする
マッチョで見栄えもいいしね、ポスト・キッドスミスみたいになれればいいな、と思ってたくらい。
あと同時期に新日に来てたマッド・マックスやコンガ・ザ・バーバリアンとか、
これまた疑似ウォリアーズがひどかったので、相対的に優良タッグに見えたのもある。
自分は新日より全日の方が好きだったので、ラシアンズが常連チームになって最強タッグとかに出てほしかった。
本家のウォリアーズが単発来日ばかりだったから、同タイプのラシアンズのファイトは見続けたかった。
日本限定リングネーム疑惑もあるマッドマックスはともかく
バーバリアンは好評だったと思うが
連続レスごめん。
ラシアンズの事を書いてたら色々と思い出してきた…
あの1986年新春シリーズは、ウインダムとロトンドのチームも来ていて華やかさもあったね
マスカラスもいたし、長州は異種格闘技?もやるし
カブキとタイガーが抗争し始めるし、冬木が帰ってきて小型長州みたいな期待感も持たせたし。
なんか色々と焦点が定まらないシリーズだったけど、会場に行きたいと思わせる期待感はけっこうあった。
三つぐらいの会場でシリーズ観戦したけど、どの試合も個性的なメンツで会場の温度は高かった記憶がある。
もちろん東京&札幌のインタータッグ連戦でビシッと締めたのも良かった、自分的には優良シリーズな思い出…。
>>176 いやまあ、確かにファイトは悪くないけど
ガキ目線ではあまりにもウォリアーズのパチ物感がね…
それならわかる
むしろパチモンやらせるのはもったいないって感じだね
後にパワーズ・オブ・ペインとして本家と抗争するけど
しかも先勝してリベンジされる前にWWFに移籍
ちょっとプロレス界の仁義に反してたな
>>175 新春シリーズの前半にラシアンズ、後半にUSAエキスプレスとクロケット王国からトップところが来て嬉しかったよ。
ラシアンズの最強タッグ参戦やウォリアーズ戦も日本で見られたらなあとは思ったよ。
今から回想して後出し後付けの知識やらを抜きにして、当時はラシアンズにあれこれ期待したよ。
両膝にサポーターをするようになった天龍
黄色い紐のリングシューズを履くようになった天龍
パーマが似合う天龍
>>181 パーマだとしたらパンチじゃなくてロッドパーマだよwww
>>105 パンクラスでも人殺し疑惑あるの知らんのか?
>>172 最晩年の羽田はスタイガーあたりにも負けてヒロ斉藤や鶴見にも負けてるね。
そのスタイガーにリングアウト勝ちした以外はたぶん対外人全敗の百田兄
>>176 さすがにパチモン丸出しで超ド塩なのに“ワールド・ウォリアーズ”は怖くて名乗らせれないだろ。
78年愛知県体育館での鶴田対ドク
観客動員が弱いと言われている愛知だが、この試合はよく入っているね。
6500人くらい入ってる?
ウォーリアーズは肉体派の割にはやや小柄だったからな、あんまり説得力
なかったな。アニマルにもう1インチ身長あればなと思う。
Road Warriors vs Powers of Pain



@YouTube >>170 あの童顔に黄色は絶対失敗だったねwww
新日初期の水色の印象強いけど
猪木とタッグで優勝した
キン赤じゃなくって若干渋めの赤時代が
好きだった。
>>187 愛知と大阪は動員苦戦してたよね。
愛知県体育館で馬場ドリーvs長州谷津(馬場長州初対決)
大阪城ホール(主催はJAPAN)で鶴田vs長州(シングル初対決)
このカードを組んでも超満員どころか満員マークすら付かなかったんだよな。
因みに新日本では札止め超満員満員マークはケロが付けてたらしい。
ケロ曰く、チケット完売で札止め、全体的に埋まれば超満員、8割程度埋まれば満員マークを付けたとか
土曜トップスペシャルで放送された愛知県体育館はよく入ってたな
珍しい写真を見つけた
80年 新年用スナップ
>>192 馬場カッコいい。
西部警察みたい。
3列目まで馬場、鶴田、戸口、天龍、羽田、小鹿と全日史上一番デカいのが揃っていたんじゃないかな。
後に馬場鶴田天龍谷津輪島テンタ高野田上高木なんて時代もあったけど。
>>192 羽田か真ん中で天龍が横だから、80年だと羽田>天龍か?
1980年だからオールスター戦の後、引き抜き戦争前夜だね。
戸口、ブッチャー、マードック、マクダニエルは全日。
シン、上田、ハンセン、チャボは新日。
>>192 「1980年の全日本はバラ色ですよ」
うーん…史実では旗揚げ以来、興行的には一番苦しい年になるわけでしょ?
ゴールデンも降格した前年、苦境だったろうにね。
しかしこの10年後から、この写真の時点では未入団の連中を中心に超世代ブームを起こすんだから歴史は読めない。
>>196 三沢川田田上小橋菊地はまだこれからだもんね。
夕方5時半の全日中継を見てファンになった一人としては、薔薇色で良いかも。
後の超世代から四天王の武道館超満員を牽引したのは、その時にファンになった世代だからね。
>>194 しかし4年後の84年は
天龍→本格的無い格上げが行われUNヘビーインタータッグを獲得暮の最強タッグ優勝
羽田→員数外国人にも完敗して前座のお笑い要員にまで格下げ
>>185 百田義がスタイガーに勝った試合と
ミスター林と両リンだったタンクパットンの試合が興味深い。
プロレス誌には載ったのかな?
>>198 訂正
本格的無い格上げ×
本格的な格上げ○
>>199 晩年の羽田は、ミスター林的なポジション(前座のお笑い要員&若手の壁)だったのかな?
前座になった頃の羽田は体もゲッソリしてて明らかに健康に見えなかった
「燃える!お兄さん」のキャラの名前に使われた事が救いか
>>199 林の凱旋第一試合だな。
ゴングはモノクロ3ページを割いての特集だった。
82年昭和最後のチャンカン。そっぽを向くロッキー羽田がレスラー人生を表しているような
>>199 百田義vs外国人レスラーで思い出すのは
84年12月12日 最強タッグ最終戦横浜文化体育館
第一試合・百田義浩vsマイクショー
>>205 百田義、85年1月激突オールスターウォーズでヘイスタックと対戦してるね。
なんで全日の幹部役員だったはずの百田兄がこんなひどい扱いなのか?
闇があるなあ
百田兄は意外と胸が分厚くてそれなりに
レスラーらしい体型なんだけど
ファイト内容は一切記憶には残っていないな。
7、8回位は試合を見ているんだけど。
>>207 本人の申し出じゃないの?
結構な年齢になってリングアナからの転身だし、
慶応のアメフト出身だけど格闘技歴ないし、
転身の理由も含めて負い目がいろいろあったっぽい
>>209 レスラーになるきっかけは、リングアナ時代にブッチャーに襲われたので復讐するためと昔のプロレス大百科で読んだ。
晴れてレスラーになったがブッチャーと対戦できたのかな?
百田義浩も仲田龍も50代前半で亡くなられたんだよな、原軍司は今でも元気なんだろうか?
>>196 80年頃のほうが四天王末期より客が
入ってるような気がするが(東京除く)。
両国国技館で1番最初に試合をした百田兄
85年3月9日 両国国技館
第一試合・百田兄弟vs仲野笹崎
>>192 所属選手、これだけだったんだな!?
大熊がいないけれど、海外にでもいっていたの?
最後列は、左から高千穂、伊藤正男、ミスター林、
次の長身は消去法で、サムソン轡田なのだが?
右端はジョー樋口
その前の列は、左2人は、スタッフ?大仁田、越中。
>>215 轡田は77年か78年に表面上は健康的な問題で引退
実際はクーデター未遂でクビ!
>>192 これ本当に80年???あ、80年用だから
79年撮影か。越中のジャケットは
明らかに誰かのお下がりだろww
一人だけ60年代みたいな仕立てじゃね?
>>199 76年8月14日ブラックパワーシリーズ越谷市体育館の凱旋試合 対タンクパットン戦
馬場の査定試合だったようで、外国人選手との対戦はこの1試合のみ
>>204 この写真デラプロで見て覚えてる!鶴田は格下・天龍に足引っ張られて優勝逃したのに
よく笑顔でいられるな、、と子供心に感じた。相当心の広い人だと鶴田を思ったよ。
轡田には新日行くとかアメリカ行くとかの選択肢はなかったの?
>>204 みんな喜びの笑顔なのに天龍だけ違う。天龍の腹黒さが伺える一枚。
羽田はそっぽ向いてるが、よく見れば笑顔
猪木原理主義者天龍はこの頃が謀反を考えていたんだろう
>>204 テーズ、ドリー、馬場、テリーと歴代NWA世界チャンピオンが揃い踏んでいるのは凄いな。
後のAWA世界三冠ヘビーの鶴田、三冠ヘビーの天龍もいる。
まさにチャンピオンカーニバルだね。
>>225 ドリーとテリーはチャンピオンカーニバル公式戦には出場せず
同日開催のグランドチャンピオンシリーズから出場だった
>>226 そりゃそうだ。兄弟対決再びになってしまうもんね。
もちろんレフェリーのテーズもね。すると馬場だけか。
>>222 ・副業が好調だった
・馬場が轡田を使うなと海外マットに圧力掛けた
・新日本からしたらクーデターを起こす奴は要らない
>>225 デビアスもミズーリ、UN,WWFタッグ王者だね。
別冊ゴングが全盛期(週プロがない頃)紙面の半分はアメリカプロレスだったけど、当時は海外特派員が沢山いたの?それとも現地人をフリーで雇ってたのかね?
いずれにしろ潤ってた時代なんだろうな
ジョージ・ナポリターノ、ビル・アプター、フミ斎藤・・
>>229 カーニバルに参加したブロディ、スミルノフ、ストンパー、ロブレイ、ハワードは別として、
ベビーだけどロビンソンは馬場の勝利の乾杯写真に写るわけにはいかなかったのかな?
膝の負傷で既にいなかったんだっけな?
76年か?
百田義浩とミスター林とロッキー羽田と伊藤正男の試合
激闘の記憶かクラシックで見たいんだよ
どうってこともないんだろうけれど
>>233 たしかロビンソンとスミルノフは最終戦を待たずに帰っちゃったろ?
控室の乾杯写真は綺麗に揃わないことも多いよ
試合後控室に選手が戻ってきてすぐに写真撮影。客がまだ帰りきってない時にやるからリング周辺に一部若手がいたりするし、カメラマンも沢山いるから方向もバラバラだし掛け声もせーのがないから手のあげかたも違うし
昔テレビカメラが試合後から乾杯までのやり取りを流してて、あまりの事務的さとセッティングまでの慌ただしさに驚いた記憶がある。その中で満天の笑顔が出来る鶴田を凄いと思った
>>235 そもそも録画してないのでは
期待もされた羽田はあるかもしれんけど
>>235 羽田はマードック戦は最近YouTubeで見たよ。
確かに百田兄、林、伊藤の試合は見たことないな。
肥後やヒライ、クツワダ、駒もないな。
>>236 あー、そんな感じだったかな。当時スミルノフを見た記憶がないんだよな。ストンパーの印象のほうが強かった。
>>237 鶴田のリング上でのトロフィーを持ちながらの笑顔もそうだけど、試合後の笑顔は確かに凄いよね。
>>204 テーズも、寄る年の波で縮んだなぁ。
全盛期は、少なくともドリーくらいは
あっただろうに。
>>242 なのに、チアガールを根こそぎ
テリーに持っていかれたw
>>224 では、
>>192の写真
最後列は左から高千穂、伊藤正男、?、?、ジョー樋口
三番目、四番目が分からない。
誰か教えて。
>>242 CC初優勝やインターおよびAWA奪取時のうそ泣き顔は
馬鹿っぽくて大根なんだけどね。
>>244 あのボンボン女子たちはトミーからテリーにくら替えしたの?
鶴田の笑顔は女子向けではなく老若男女を幸せにする笑顔なのさw
>>240 一通り所属選手の試合は見たいよね。
ヒライは猪木&大木組んだ6人タッグ(BI特集の日プロ映像)
駒は杉山と組んでのブッチャー&ネグロ戦
クツワダはザ・スピリット戦
羽田は天竜と組んでのファンクス戦と、シングルのデビアス戦
それ以外の選手は見たことないな〜
YouTube のバトルロイヤル映像に伊藤正男が出てたかも…?
1982年チャンピオン・カーニバルでのロビンソンは4月13日が最後の出場だな。
最終戦は16日。
この写真はいつのだ?
話を変えてスマン、時期的には同じだから許して
最近のスレの流れに触発され、1979~1980年頃の馬場vsレイスを見ようと思って
「プロレスクラシック」を見たら、1979年8月のブッチャーvsマスカラスも入ってた
驚いたのはその札幌の観客の入り具合の凄い事、消防法なんてない時代だから掛け値なしのスシ詰め状態
この時期はゴールデンから外れて苦しい時代と聞いてたけど、とても信じられない…
もしや苦しいといっても、今の苦しいと概念やレベルが違うのかな…?
仮に今の新日が札幌中島が現存したとして、あの頃の全日ほど動員できるかといえば絶対に無理だとさえ思える。
>>252 元日だとしたらメンバー的には1984年ではないかな?
1985年だとすると原がいるから違うし
前列左端にいるのがM・ドラゴンだとすると凱旋したての頃かな?
1983年だとするとまだ不在なわけで、やはり1984年ではなかろうか…?
伊藤正男の試合動画は観たがパワーファイト主体で結構面白かった
思ったほど塩ではないぞ
この動画主のチャンネルBANされてしまったのが残念やねw
>>249 仕事終わったら見てみます。後追いの知識で駒は気になってました。
>>250 子供の頃のプロレス百科のレスラー名鑑くらいでしか見ていない選手もいるんだよね。
既に亡くなっていたり引退していたり退団していたりレフェリーになっていたり消息不明になっていたりね。
伊藤正男はレアだよなあ、全く動いてい画像を見たことがない。
>>251 ロビンソンは途中帰国でしたか。
>>252 川田も居て三沢が素顔だから昭和59年正月かな?
恒例の日枝神社での全体写真だね。
しかし越中はひとりだけ何で笑っているんだ?w
>>255 遠軽大会の石川伊藤対エリック兄弟が中継されてたね。裸足で怪力、いいファイトだったよ
>>255 塩ではない、というより上手いよね。
テクニック的な意味ではなく、
上手く日本人ヒールの不気味さを出してる。
パンチ、チョップも見映えがする。
アメリカであまり名を馳せてはないが、重宝されてたと思う。
>>252 84年新春ジャイアントシリーズのパンフレットの表紙に使われてたから
撮影は83年12月だと思う
>>254 開幕戦が1月2日昼開催の新春シリーズのパンフレットの表紙に使われてたから
元日に撮影するのは不可能
前年の83年12月に撮影だよ。
>>253 札幌は数少ない全日優位のテリトリーだった。
83年12月という事は最強タッグで超獣コンビが鶴龍を破って初優勝した後か…
スッキリした、ありがとう。
>>247 テリーとのNWA戦はまだトミー側。
オープンタッグでファンクス大ブレイクして
78年と80年の決勝は馬場・鶴田への声援が
少なかった….
都市伝説かもしれないけど、トミーは
一時期ふて腐れてサインに「どうせオレのサインなんかいらんのやろ」
って言って“テリー鶴田”って書いたとか….
余談だがボンボン女子の一人が今の
ハンセンの奥様。長々スマン。
>>263 あ、そうなの?
新日の大阪や愛知みたいなもんか
なんでこの頃ですら札幌は全日が優位なんだろう…新潟ならわかるが
>>252 左の最後尾は菅原とあと2人誰?
石川が居ない。
越中はお屠蘇気分か?
人一倍プライドの高いロビンソンが82年CCでは天龍よりも下位って、どうやって納得させたんだろうな。
その場での白星黒星なんてのは気にするかもしれないけど
星取りで何点だからどうこう、なんかは気にしてないだろ。
PWFをカマタから獲った時もタイトル名を知らなかったし、
両リンはゼロ点みたいな特殊なケースなんだし。
>>265 そんな目立つ格好をした同じ女子たちに乗り替えられたら凹むだろうな。
テリーさよならシリーズの後楽園ホールにボンボンチアガールがいたなあ。当時女性ファンの存在は大事だとちびっこの俺も思った。
テリー鶴田か。ファンクファミリーなんだからトミーファンクで良いじゃないかw
へえ、あの気さくな日本人のご夫人がボンボン女子出身だったとは。
トミー→テリー→スタンだとしたらご夫人も根っからのファンクファミリーだねw
あのテリー応援団ガールに対しては
「たのきん」「シブがき隊」とかにキャーキャーいう年頃なのに
30代後半のテリーに黄色い声を上げてる姿は子供心には
「渋いセンス」という言葉は知らなかったけど、それに似た感情は抱いてたな
要は「イカしてるお姉さん達だなあ」ってガキなりに一目は置いてたよw
鶴田さんの遺伝子なんてものすごく優良だよな、お兄さんも長身なんだから
子供は恐らく身長高そうだし知性も標準以上だろ。
ネットやってられる息子さんはどれくらい身長あるんだろう。
>>272 最初にボンボンを持って応援をはじめた女子は勇気いっただろうね。
ビューティーペアを応援するノリなのかな。
当時は「女がプロレスかよ」的な風潮もあっただろうしね。
年齢に関しては鶴田にしろテリーにしろマスカラスにしろ気にならなかったけど、
確かにテリーは中年だもんね。
>>248 最後列四番目は渕か!?
横の人達より一段高い階段に
立っていたんじゃないかな?
こんな背の高い男がいたか?と思った。
190cm以上に見える。
>>268 ああ、言われてみりゃ確かにそうだね。
マジで分からんかった。
ありがとう。
冬木はプエルトリコに行ってるのかと
思ったww
>>274 当時は母と娘で等身大のテリーのぬいぐるみ
作ってた親子も居たよ(別冊ゴング掲載)
さすがに子どもながら引いたけどww
>>274 テリーが引退してしばらく経ってから
テレビドラマで「スチュワーデス物語」が始まって
主役の堀ちえみが「応援団のお姉さま達」とたぶん同世代で
惚れられる教官の風間杜夫がテリーと同世代であろうから
ドラマを見て感情移入していくにつけ、お姉さま達の心情や感覚がガキなりに理解できたよw
今、大日本好きなプ女子いるんでしょ?
テリーはほぼ流血戦だったし、
実は女子は血を見るのが好きなのかwww?
>>277 一瞬、テリーの着ぐるみかと勘違いしたw
今ではない応援スタイルだけど、母娘でお裁縫をして楽しかっただろうね。
今でも押し入れの奥にあったらスゴいねw
>>278 ドジでノロまな亀が堀ちえみの決め台詞だっけな。
教官と落ちこぼれな教え子ね。
義手の片平渚が怖かったw
昭和はスチュワーデス物語
今ならキャビンアテンダント物語
スチュワーデスと言ったら鶴田夫人の保子さんのイメージで、スチュワーデスは憧れの職業のお姉さんだったね。
>>234 とにもかくにも、お前が前面に出るなミスター林
ベイシティローラーズ追っ掛け続けてボーカルと結婚した日本人いたなぁ
>>234 日大講堂で大木ドクからインタータッグ奪取した時かな。
>>281 先輩だから、馬場も呼び捨てにしてたってホント?
面と向かっては無さそうだが。
>>252 右側、ターザン後藤と越中の間は北原か?
と思ったら、83,4年はまだ全日にいないよね。
誰だろ?石川?
またG・馬場と天龍の間は菅原だと思ったら、
左側、大熊と鶴田の間が菅原だって?
>>285 前者佐藤昭雄
後者ロッキー羽田
一枚の写真クイズ面白いなw
>>281 小さい写真だけど、林だけピースサインしてないw
>>288 林だけ、CM前にサイパンから稲妻!の間違いでは?
レイスを差し置いてボス気分で煙草を吸う林さん
ところでレイスの前はラリー・レーン?後ろは誰なの?
煙草は買う物では無く貰う物
by.ミスター林
実際に記者達が煙草を吸おうとしてポケットから煙草の箱を出すと
林が「おい」と言って人差し指と中指を立てて
その指の間に煙草を挟ませたらしい。
>>291 立ってるのがピエール・マーチンで林の後ろがマイク・シャープJr.じゃないか?
>>280 片平渚ではなく、片平なぎさ。
この間違いは大島渚監督に失礼。
>>293 ありがとう
ピエール・マーチンかスミルノフか区別がつかなかったよ
パンフレットの選手紹介欄で
サブタイトルが猛牛ファイターと付けられてたミスター林
>>296 元のリングネーム林牛之助の名残だろうな。
>>294 じゃあ聞いてくる、涅槃で待つ
>>297 悪かった。蛹に謝ってくる。
>>204 トンガ、デビアスの身長が高いことはわかってたけどテリーも大きいんだな。
テーズがずいぶんちっちゃく見える。
>>273 鶴田、保子夫人、実母に祐士くん(86年のお宮参り)
オカダカズチカくらいの身長ありそうな気がするなぁ…
藤波ジュニアよりデカいだろう
>>302 保子さん綺麗だな。鶴田との身長差を考えても160
センチちょいか。
息子は...その写真だとオカダさんよりは低いと思うよ。
>>300 短い間だったけど所属してたんじゃないの?
全日のジャージ着てセコンドに就いてたりしたし。
>>298 しかし猛牛とは正反対のファイトスタイルwww
84年から参加したマッハ隼人は所属出来なかったんだね。
セブン比べたら動けたし上手かったのにね
>>269 >>270 ちらっと思ったが、外人レスラーにとって本番リーグの星取りってどういう感覚なんだろ。
単にその日その日の勝敗をケツ決めしてこなしてるだけの話なんだろうか。
それか例えば白星配給係とかにはあらかじめその役割の旨を伝えてるのか。。
マッチメイクする側は、外国人も含めてリーグ戦の点数は気にしているだろ?
ブッチャー、ブロディと同点で終了させるために、ブリスコがウェインファリスと時間切れとかあったし。
週プロ市瀬が90年代のチャンピオンカーニバルでファンサービスとして
会場に星取表を掲示するアイデアを出して一旦通ったけど
数回実施されすぐ撤回されたエピソードを四天王本で書いてた。
「黒星ばかりの選手のことを考えてやれ」って馬場の意見らしいけど
そういう役割(白星配給係)が決まってるといっても、当のレスラーからすると簡単に割り切れない部分もあるんだろうな。
新日本と好対照な長州軍が来る前の1月2日3日の後楽園の厳かな雰囲気が好きだった。
例えば84年三ヶ日の後楽園
元日の新日本のカード
猪木vsローデス・藤波前田vs長州谷津・坂口vsブッチャー・キッドスミスvs小林寺西・コブラvs黒虎
元日から好カードを組みローデスブッチャーらの目玉外国人も参戦
翌日2日の全日本のカード
・バトルロイヤル・馬場鶴田天龍vs上田鶴見ジョー・カブキvsキニースキー・原vsオルソノスキー・セブンvsリスマルク
しかも新春シリーズ目玉外国人のフリーバーズ(ゴディヘイズ)は、翌週から参加の為後楽園は不参加
取り敢えず、メインにバトルロイヤルやるからその他はジョボカードでもカンベンよね的な興行だよね。
>>310 上田&鶴見&ジョー組とか国際色豊かだよな。国際は国際でも、国際プロレスの方だけど。
>>309 でも馬場からのあらかじめの
通知表だよね。
>>310 外国人は正月よりクリスマスを重視することを
新日はわかってるね。相当な全日ファンしかいかないだろう…...
>>307 1986年の最強タッグ最終戦
ファンクスがリングサイドに現れて椅子にどっかと座り
自分達の優勝の有無を左右する試合の動向を、そばで観戦し確認していた
まあそれが演出やポーズだとしても、少なくとも得点状況を把握してなきゃとれない行動だし…
ファンクスは白星配給係とは真逆の優勝争いのチームだけどね。
それと、ブロディが新日のタッグリーグをボイコットした理由が有名だよね
自分らの優勝へのステップとして要求した「坂口の欠場による猪木組のポイント下落」
その要求が通らずに坂口が出場予定だという事を聞いて、その場で離脱ボイコット、とか。
優勝にしても配給係にしても、ひとつの役割を果たすための必然的なルール(リーグ戦なら点数)は把握してるでしょ。
>>310 >厳かな雰囲気
厳かというより単に「正月の御祝儀でたいしたカード組まなくても、お客さん来るだろう」
そういう雰囲気を感じたけどね、自分的には。
新日は「正月から勢いをつけて、1年間ファンを引っ張っていこう」みたいな気概を感じたのは否めない。
ただ、新日は正月に生中継スぺシャルがあったりしたから視聴率を取れるカードが必要なのもあったかも。
全日も1986年はあったけど、基本は例年とも通常放送だったし。
>>312 けど2日3日の後楽園は満員になってるんだよな。
>>313 よく、トップがいて同率2組での3すくみで決定戦が行われる時とかリングサイドに陣取って
行方をうかがう姿はリーグ戦で見るな。この辺の優勝圏内にいるレスラー達ならともかく、
そこまでも行かない、かといって白星配給でもないレスラーの扱いだな。
新日の例でアレだが、第2回IWGPのアドニスやマードック、マスクドあたりのポジション。
まあ裏でその辺の采配は各々伝えられてるのかな。。
83年の正月後楽園は新日が元日夜2日夜、全日は2日昼3日昼の興行
2日に昼全日夜新日の時は、午前中に全日の立見の待機列が出来る傍ら
既に夜の新日の立見の待機列が出来てたらしい。
>>316 うーん…そのへんはどうだろう?
それでもリーグ戦の行方に左右される試合はあるわけだから、
その試合だけは役割的にポイント押さえて伝えられるんだろうけど…
例えば1982最強タッグ、ハンセンブロディに反則勝ちした天龍原とか。
他の試合や中堅ポジションは試合結果をも守りつつ、良いファイトを心がけて、
次のシリーズに向けてボス(馬場や猪木)への心証を良くしようと頑張るんじゃない?
要は中堅チームはポイントになる試合以外は通常シリーズと同じ感覚かもね。
>>315 マジで?
どんだけ全日好きなんだよって人達www
最強タッグとかもそうだし正月の後楽園ホール連戦を毎年の恒例行事にしたことで固定客がいたんじゃない?
こういうのは新日本はなかった、タックリーグ戦をいじくったり。坂口体制になってG1や1.4を固定化したり集客力あげたけど。
プロレスでシリーズ通してリーグ戦を行うとかって、日本独自にしかない方式なんだろうな。
一番最初に考えたのは力道山?でもワールドリーグ戦は日本人同士、外国人同士の対戦がないルール。
新日がやった2回ワールド大リーグの、猪木、坂口、小林、大木、マサなどの総当たりの実現が
かなり画期的だったんだろうね。全日もオープンタッグ以降は総当たりを大切にしていた。
>>321 シングルのオープン選手権を総当たりにして欲しかった!
かなりの混戦になるね。
>>321 ドイツのワンツが主催してるやつ(CWAだっけ?)
あれなんてもっと前からあったんじゃない?よく知らないから自信ないけど
シリーズみたいに各地を回る、というのとは違うけど
年に数回のシーズン時、1か所で連日1か月ぐらいかけて、リーグ戦なりトーナメントやったりするやつ
どちらかといえば大相撲に形式が似てるかな…
>>321 ワールドリーグ戦は外国人同士の対戦あったよ
途中からなくなったけど
>>322 日程的にも無理だし、最初から一週間契約のレスラーたくさんいたみたいだから無理だね。
>>320 新春ジャイアントシリーズは年末の最強タッグで完全燃焼した後に
特に開幕の後楽園に関しては
ブッチャーじゃなくてカマタ
ブロディじゃなくてイヤウケア
レイスやマスカラスじゃなくてルーインやミラノ
このくらいで観る側も初詣や新年の挨拶回り初売りセールとかの
帰りに寄るくらいのかんじがちょうどよかったんだよね
寄席好きがとりあえず演者や演目に係わらず鈴本や末廣に顔出す感覚で
>>325 参加者多かったけど、じゃあ途中で帰国してたん?
>>326 奥さんか親戚が日本人で新春参加が多かったのって
ルーインだった?
>>326 なるほどw
正月を1日に例えると、朝になるわけだから
朝からステーキ(ブロディ・ブッチャー)よりも
卵や海苔(カマタ・イヤウケア)の方が気軽に食えるな
>>309 >でも馬場からのあらかじめの
>通知表だよね
CCや最強タッグの星取りの原案は、
90年代には市瀬が作っていたと、
ターザンが告白している。
>>327 途中帰国は多かったみたいよ
もちろんリング上でのケガや故障という理由で
1984MSGタッグのホーガンが開幕で帰国とか
シークがドリーに凶器を奪われてメッタ突きで帰国とか
そういうパターンというか、途中帰国する大義は一応あったんじゃない?
リアルタイムでは知らないから、文献から知っただけだけど。
>>330 ああ、そういやオープン選手権も
ローデス怪我(レイス戦で?)で帰国だったね。
いかに開幕の入場が貴重か分かるね。
この頃のドリーはホント好きだ。
>>330 シーク怪我で途中帰国で入れ替わる形でカマタが参加したよね。
ガチ怪我帰国なら、カマタ来ない(来れない)しな。
急遽来れる外国人なんて、カールフォンスタイガー位だよね。
>>253 中島の実キャパは5千人もない。
去年のG1は中島だと2千人以上おつりがくるくらい入っている。
シークはプロモーターとして忙しいのかもしれないけどけっこうスカスカ
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=943&page=4&s=300
カマタは暇そうだな。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=1423&page=4&s=300
>>310 よく元日からバックランド、ローデスなんかを呼べたよなと思う
逆にアメリカの興業がないから呼びやすかったのかな
全日本はリスマルクで盛り上げたんだから上手いよな
カマタって海外試合のグラビア記憶ないんだけど….
Wikiによると、1980年ボブ・バックランドのWWFヘビー級王座に挑戦
4月にはMSGにてブルドッグ・ブラワーと組み、
リッキー・スティムボート&ジェイ・ヤングブラッドのMSGデビュー戦の相手だって。
リッキーとジェイのMSG登場も知らんかった。定着しなかったんだね。
幻に終わった91年10月東京ドーム大会
五大シングルマッチ
三沢vs橋本
鶴田vsビガロ
ゴディvsウィリアムス
ハンセンvsノートン
川田vs小橋
>>327 奥さんの里帰りについて来るから上がって貰ってたって馬場が書いてた。
>>337 ニューヨーク時代は結構グラビア掲載されてた。
サンマルチノ戦やローデス戦が載ってた記憶がある。
>>331 ローデスは武道館のオコーナー&レスリング戦で負傷したという設定。
>>320 サッカーファンも、元日は国立競技場付近の神社(明治神宮や東郷神社等)で初詣の後に
国立競技場で天皇杯決勝を観戦を恒例にしてる人多かったしね。
なので天皇杯決勝はカード関係無く例え人気チームが出な買ったり
関東地区以外の地方都市チーム同士の対戦でも満員になった。
>>306 ええ?
マッハもどっこいどっこいやったやろ。
>>338 馬場鶴田天龍vsシン木村鶴見
長州谷津浜口vsゴディカーン原
小鹿大熊羽田vs剛高杉菅原
>>337 カマタはWWFではスモウレスラーで紹介されたけど
別に相撲ギミックをやったわけではないw
>>332 カマタはシークが負傷した翌々日には
ツアーに参加してたな。
オープン選手権はリーグ戦でなく大相撲方式だったが、全戦参加があまりにも少ない。
途中帰国も多く、最初から全戦の契約をしていない可能性が高いんだろうね。
http://www.showapuroresu.com/league/open.htm >>347 好きな食べ物は、タクアンらしい。
そんな日本人おらんわ。
カマタやジョーは親日家で
特にカマタは日本語も話せるとか
日系なんだっけ?
ホントかウソかは知らないが
カマタが国際に初来日の頃に乱暴な運転をするクルマに対して
バカターレと言ってた、なんてエピソードが載っていた。
嘘くさいと思った。
>>352 カマタの本名はカマカで、完全なハワイ民族でなんちゃって日系ギミック。もちろん日本語なんか話せない。
サッカーのカメルーン代表のエトーなんて先祖が江藤平八郎って日系人ってことになっていた
カマタはひと月前のジャイアントシリーズにも来てたしハワイでたまに試合
するくらいで全日専従みたいなもんだな。
ルーインはこの女性と夫婦歴長いんだから日本人妻とは大分昔に離婚か死別
してんだろ。
83年1月2日、馬場鶴田vsヘルナンデスカマタ(馬場組反則勝ち)
3日、馬場vsカマタ(馬場の反則勝ち)
この頃は、まだカマタは威厳を保ってたんだね。
>>338 もし当時の全日が本当にドーム興業を開催したら、情勢を考えて妄想してみた。
三冠ヘビー級戦
鶴田VS三沢
世界タッグ戦
ゴディ、ウィリアムスVSベイダー、ビガロ
川田、小橋VS橋本、蝶野
ハンセンVSノートン
田上、渕VS武藤、馳
馬場、木村、井上VS大熊、永源、寺西
弟ジェリーのインパクトが弱いのか
最強タッグに限らず、ブリスコ兄弟を売り出す気はなかったな
インタータッグやファンクス・マスカラス兄弟との絡みも見てみたかった。
>>361 ファイトでは武道館で鶴田vsベイダー実現かとかシッドジャスティス全日本参戦かといった
妄想記事が多々あった気がする。
派手さや華やかさに欠けるから兄弟の売りとしてはちょっと弱さはあった。>ブリスコ兄弟
オーツ兄弟やコザック兄弟のような中堅のほうがバイプレイヤー的に使いやすさはあったのかも。
ファンクスVSブリスコズはジョージア・カロライナやフロリダの鉄板カードで
ファンクスがヒールなんだけどYoutubeで観てもやっぱり一回り小さいからちょっと厳しい感じ。
確かにマスカラス兄弟との対戦は良さそう!兄同士が意地張りそうでw
NWA王座は何故かシニアがドリーからブリスコへのバトンタッチを頑に拒否したんだよね。
馬場がブリスコからNWA穫ったのもちょっと体格的に気の毒な感じだった。
野暮で申し訳ないけど、ドリー→ブリスコ→レイス→馬場の方がいい感じな気がする。
馬場はレイスやドリーほどブリスコを重宝しなかったね。UNトーナメントも。
キッドスミスvsマレンコ兄弟がファンに大絶賛だったのを見て
初めて馬場は「自分のセンスが現代ファンと違うんだ」という事を認めたという話があったよね?
ハンク・ジェームスがインタータッグに挑戦したんだから
ブリスコ兄弟にもチャンスを与えて欲しかったw
>>366 あーはいはい、そうでしたね。
解説でも「小さい」を連発してたような??
アメリカではブルドッグス VS R&Rエキスプレスも実現してますよね。
R&Rは塩っぱいかも知れないけど、ブルドッグスが引っ張ってくれそう。
んで、ブラジル兄弟は2回挑戦でしたかね?兄ジルはインター2回穫ってるし
ブリスコに対しては一回新日に行ったの根に持ってそうww
>>368 NWA王座料として大金ふんだくられたのを根にもってそうww
NWA王座料として大金ふんだくられて「防衛戦」という名の延滞金取られたうえの
新日に行って償金マッチに負けて、猪木が札ばらまいたのを根にもってそう
ってもうええわww !
83年12月の最強タッグ最終戦の蔵前国技館で凱旋帰国の挨拶をしたマジックドラゴン
翌月の新春シリーズから参加
・新年最初のテレビマッチではバトルロイヤルではリスマルクの引き立て役
・次のテレビマッチではカブキとオリエンタルコンビを結成して勝利
ここから本格的に売り出すのかと思ったけど、新春シリーズのテレビマッチは
これ以降登場せず。
そして忘れた頃にテレビマッチに登場した3月の
マイティ井上のJr.タイトル挑戦試合は、伝説のオースイスープレックスでフォール負け
全日本は、ドラゴンをどうしたかったんだ?
挙げ句に小林邦明戦でマスク脱がされてるし…..
薗田夫妻の事故のニュースは、小学生の時だったけど
事件事故のニュースで始めて泣いたなぁ新婚旅行も兼ねてっていうのが...
最初っからカブキが…いや、何でもない……..
>>359 これ10年前くらい?だいぶ若いパーt−ナーだね。年取ってもやっぱり色男だなあ。
84年10月に
原石川vs佐藤ドラゴンのアジアタッグが決まったけど(原の失踪で実現せず)
実現してたら、○原(ラリアットからフォール)ドラゴン× みたいな結果だろうね。
そもそも王者組のアクシデントで試合キャンセルなら本来のタイトルマッチの日に
佐藤ドラゴンvs石川大熊や石川渕辺りで決定戦して良かったよね。
大仁田渕ドラゴン組って一度も実現してないんだよね。
大仁田渕ドラゴン対越中三沢川田
大仁田渕ドラゴン対セブン菅原冬木
なんてカードを見たかったな。
>>361 >三冠ヘビー級戦鶴田VS三沢
91年10月は鶴田の全盛期だから
防衛か?三沢が勝ったら、大いに盛り上がるだろうが
(実際の三沢、初戴冠は92年8月)
あと、90年2月の新日ドームと同じく
お客さんに寝てもらうわけにはいかない。
>世界タッグ戦
ゴディ、ウィリアムスVSベイダー、ビガロ
まぁ防衛するが、フォール勝ちは飲まんだろ?
(ビガロが寝るかな?)
もうなくなった頃だが、両リンか、
ベイダーが荒れ狂って反則負け。
>川田、小橋VS橋本、蝶野
このころはまだ小橋が発展途上だから、
素直にフォールされそう。
>ハンセンVSノートン
ノートンが新外人として売り出された時だし、
ハンセンも負けるわけにいかない。
ここで両リンを使ったら、世界タッグで同じことはできない。
むしろハンセン、川田、小橋VSノートン、橋本、蝶野はどうだろ?
結果はやはり小橋のフォール負けで。
>田上、渕VS武藤、馳
これは渕が素直にフォールされるだろうな。
武藤、馳はこの年の11月IWGPタッグを取りかえした、。
寝るとか得意顔で書くアホニワカw
痛いからはよくたばれwww
>>371 ドラゴンをどうしたかったか、って?
そうしたかったんだろう。
だからそうした。
きっとそう。
そういうことだ。
渕も83年8月に凱旋帰国して蔵前でチャボ挑戦して敗戦
渕も売り出そうとは思わなかったのか?
結局渕の初栄冠は87年1月まで待たされた。
馬場が大仁田に代わるジュニア枠に渕でなくドラゴンでもなくマイティを選んだ
全日は馬場の個人商店だから馬場がイエスと言えばイエス、ノーと言えばノー
高杉セブンとマッハ隼人は馬場の期待を裏切る試合しかできなかっただけの事
まぁ、渕は大仁田と比べたら容姿もファイトスタイルも地味だったしね。
マジックドラゴンは体型が中途半端だったよな。
ヘビーで行くなら、全体的に肉を付けてゴツい体型にするべきだし
ジュニアならう、もう少し腹の肉を落とすべきだった。
ゴツい体型のドラゴン、腹の肉が落ちてスリム体型のドラゴン
どちらかの体型なら扱いも違ったかもね。
>>369 確か日本円に換算すると当時でも6〜7千万円だっけ?
今なら億を超える計算になるな…
たった数日だけ馬場にレンタルするだけで、庶民の生涯分の金を手にするんだもんなあ…
しかしNWAのストーリー上でチャンプになれたのに、その王座を自分の欲のために権利をあげるって…人としてどうなんだろう?
たとえばあるドラマの主役を張ってる俳優が、制作側に無断で脇役のやつに1回放送分だけ主役を譲って金をもらうようなもんでしょ…?
そんな事はやれもしないし、やったとしても放送界から追放されるだろうに。
>>379 あの試合のチャボ戦は悪くなかったと思うけどなあ…
歓声も多かったし…テリー引退試合の超満員のバイアスがかかってたとはいえ…
でも、それから半年もしないうちにテレビマッチにも登場しなくなって
翌年初頭の土曜午前からやってた「フレッシュファイト」に登場しても、会場の声援はまばら…
黒タイツでジャーマンできる貴重な選手に見えたんだけど。
>>386 逆に渕をマジックドラゴン(他のマスクマンでも可)にすればよかったかもね。
容姿が地味ならマクスマンとして売り出す方法もあった。
>>387 渕は違うマスクマンになったけどねw
その年の秋にジャパンのプレ旗揚げ戦で。
しかしあのファイトスタイルでマスクマンは厳しいなあ…
できもしないのに空中戦を求められて、大仁田の苦渋の二の舞になりそう
どちらにしても三沢タイガーの存在に埋没させられそうだが…
>>387 また話をぶり返すが、当時の口惜しさから…w
渕が凱旋したスーパーパワーシリーズの開幕戦、生観戦したんだよ。
後楽園の歓声と期待感が凄くてさ
その時の会場の声は「天龍より延髄うまいじゃん!」「ほんとほんと!」「なんか新日ぽくね?」
渕も気を良くしてか「31日は絶対にタイトル獲るからなー!」って再び会場はMAX!
あの開幕戦が31日の五日ぐらい前だから、渕の脚光は1週間足らず…もったいないと思ってたよ。
数年後、小林とヒロとの抗争にしてもジャーマンを封印しちゃうし
ジャックナイフみたいな返し技が主で、強さを前面に出さなかったし、あの時代でもヤキモキしてたな。
>>361 91年の秋に全日でドーム興行を
やり、新日から選手を派遣してもらうなら、
その時点で完全復活した藤波を出さないと
ファンは納得しないな。
シングルは難しいとして、、
その年のSGタッグで優勝した藤波&ベイダー対
鶴田&ハンセンとか。これならセミで両リンでもOK.
でも、メインのカードがなくなるか?
ルーインの英語版Wikipediaみると奥さんの記述ないからリンダさんとも
離婚か死別してるな。
数年前にはネットに夫婦の記事あったのに。
>>361 ゴディ、ウィリアムスVSベイダー、ビガロだと鮮度が無さすぎない?
前年までウィリアムスは新日にも参戦してるし
ビガロとゴディだって前年全日で当たってる上に海外でもバンバン対決やってるし
渕の延髄斬りは頭に置きにいってる感じで痛そうじゃない。レックシザースみたいな感じ
>>389 同日に全日本の試合があったけど、渕の試合は組まれて無くて会場にすら来て無かったw
渕は長州みたいな長髪&マサ斎藤みたいな髭を生やして凱旋帰国したらどうだったか?
長州は遠征地のメキシコの散髪屋が下手だったから髪を伸ばしっぱなしにしてたらしいけど
メキシコに長州の希望通りの髪型にしてくれる散髪屋が居たら、長州はごく普通の髪型だった筈。
ごく普通の髪型の長州だったら此処までブレイクしたのかな?
>>396 テネシー時代はカッコ良かった。
時の流れは残酷だ
大仁田&渕って一回どっかで丸坊主になってたよね。
たぶんトージョーヤマモトいた気がするからテネシーかな?
>>388 ブルース・リーで行くのかジャッキーで行くのかどっちつかずのうちに
サモ・ハン・キンポーの立ち位置にされてたかんじかな<ドラゴン
色々な意見を参考に、91年10月に全日が東京ドーム大会を開催したらを再妄想してみる。
あくまで全日っぽいカードです。
三冠ヘビー級戦
鶴田VS三沢
世界タッグ戦
ゴディ、ウィリアムスVSハンセン、スパイビー
特別試合
川田、小橋、菊池VS橋本、蝶野、飯塚
田上、渕VS藤波、木戸
馬場、R木村、M井上VS大熊、永源、寺西
前回より地味?
>>401 全然ダメ。サプライズがなさすぎ。
メインを内容重視の対決にするなら、
セミはあっと驚く組み合わせにしないとドームでは無理。
対抗戦の6人タッグもテーマがないし、
藤波使うなら、田上とやらせてどうする。
>>400 上手い。
しかし、園田本人の延長上にはブルースリーもジャッキーチェンも最初からいないのに。
一応言っとくけど、コメディ担当のように見えてめちゃ幅広い活動するバケモンだぞ…サモ・ハン
>>405 ジャキーチェンと共演した作品でもサモハンがジャキーチェンを喰ってた作品あったしね。
>>401 全然ダメ。サプライズなさすぎ。
91年4月武道館のメインセミのカードが一緒。
ということはその武道館がドームだったら入っていたかもね。カード、興行としては良かったし。
伊藤正男の海外試合を観たけど、一人極道コンビという感じw
帰国させて薗田も入れて、極道とユニット組めばよかったかも
マネージャー林でw
>>412 国際プロレスの独立愚連隊みたいだな。
鶴見五郎、大位山勝三、マネージャーがミスター珍
中堅のモッサいオッさんヒールユニットに需要ないだろ。
全日なら、ガイジンでヒールは足りてるし、誰がメインで極道トリオ対馬場、鶴田観たいんだよ…
>>414 独立愚連隊もセミ前以下の試合順が定番で相手は良くても浜口寺西、
エースの木村とは当たる事無かったと思う。
>>414 需要がないから伊藤も放ったらかしになったんだろうけど、
やっぱり少しはスポットライト浴びて欲しいからさ
アジアタッグも盛り上がっただろうし、いろいろファンとして想像するわけよw
経営者目線で考えるとその通りだけどね
伊藤や薗田をヒールにするなら
上田馬之助を大将にして上田軍団的な
ユニットを作らないとね。
馬場がマスクをかぶって謎の覆面レスラーとして登場したが
調子に乗って椰子の実割りを繰り出して正体がバレてしまった。
谷津が語るマジックドラゴンの思い出泣ける
本当に仲良かったんだね
>>401 ちょっと華のあるカードにしてみた。
三冠ヘビー級戦
鶴田VSハンセン
三沢、川田VS武藤、馳
小橋、エースVS橋本、蝶野
ゴディ、ウィリアムス、スパイビーVSベイダー、ビガロ、ノートン
馬場、田上、渕VSブッチャー、キマラ、ディートン
豪華すぎて現実的じゃないな。
母の友人に寺西って人がいて、いつもいさむ!いさむ!と茶化してたら、申し訳なさそうにプロレスラーの寺西勇は甥っ子と。『弱くてやられちゃうのよねぇ…』
世の中って案外、狭い。
寺西と言えば対抗戦の馬場対寺西、楽しみにしてた人、多かったな。
マニアは特に。
>>422 新日初期の小沢vs浜田が前座の名物カードだったらしいけど
そういう趣きのある試合になるのかな?
対抗戦だから場内のムードはバチバチで楽しむ空気はないだろうけど…
馬場が寺西に勝つ前提だと、両軍イーブンにするには
両リン→小林が石川にスライディングキックでリングアウト勝ち
鶴田勝ち→鶴田が浜口に暴走反則負け
上記のどちらかのカードしか結果変更は想像できないなあ
他の三カードはそのままだろう。
石川vs小林が序盤の小林のラフ攻撃が布石になり
サソリ固めで小林がロープブレイクをしてるのにも離さず
止めようとしたレフリーに暴行して反則負け
又は、小林をコーナーマットに逆さ吊りにして
ストンピング攻撃を止めずに反則負け
この辺りじゃないの?
後は栗栖冬木が両リン
>>421 弱いからではなくて、華がないからと慰めてあげればよかった。
でも、面白い話をありがとう。
寺西はワンハンドバックブリーカーとショルダースルーの切り返しくらいしか技がないからな、どっちも馬場相手じゃ無理だし凡戦になるだけ
馬場の腕に逆アームブリーカー
>>426 その頃はブックという概念がなく、プロレス=ガチだと思ってたからね。
今だったら、気の利いた言葉の一つ二つは言えたかなぁ。。
国際が潰れてすぐ全日本に来た原、鶴見、井上、冬木と比べて木村寺西浜口豪は扱いが良くないかな。。と思ったが並べてみるとそうでもないな
木村は重宝されたし浜口もジャパンが潰れる時に慰留されたし、豪はどうしようもないし寺西もチャンス与えようがなかった感じだわ、真面目で人柄は良さそうだけど
>>418 馬場がふざけてマジックドラゴンのマスク被ってる写真があったな。
>>429 いくらなんでもプロレスをガチとは年配の女性でも思わないだろうね。
あえてそう言ってお茶を濁してるんだと思いますわ。
>>430 寺西も一応ジュニア王座に挑戦したことはあったんじゃないかな
マイティか渕かは忘れたが
寺西は天龍同盟相手でも試合スタイルを変えなかった唯一の中堅レスラー(薗田もちょっと近いが数ヵ月間だけだし若手的な遠慮もあったかも)
他のレスラーが目の色変えてキツイ攻撃したりしたのに寺西だけはほとんど変わらなかった。レスリングセンスは認めても我が道を行く感じで上で使いにくかったんじゃないかと
>>433 武道館で百田に挑戦した、あれが百田フィーバーの最後だったと思う
>>418 タイガーマスクTV版。
原作でもあったかは忘れたので誰か。
>>419 ダラスでは団体の垣根なく接してくれたとか。
高野弟が、みちプロで何回かグレートゼブラやっていたよな。馬場さんにも一度やってほしかった。
>>439 ジャイアント・デストロイヤーがいい。
タコちゅうみたいなマスクは馬場に似合いそうだ。
>>437 谷津が何かのインタビューで語ってたけど
海外修行の全日勢や、遠征してきた馬場鶴田に接して
「オレ、全日本に入れば良かったなあ…と思ったよ」
「あげくに日本に帰ってみれば、猪木さんと敵対する維新軍に振り分けられてさ…あ〜あって感じ」
あと船木が若手当時、道場の部屋で武藤と全日本プロレス中継を見てたら
武藤「オレ、こっち(全日本)の方が合ってるかもしれない…」って言ってたと。
共にデビュー前か、数年で敵対団体にそんな事を感じちゃったら
自団体に引退まで仕えるのはやはり無理だったんだなあ…
>>435 その試合はすでに寺西コールだったからな。
>>426 「弱いから」より「華が無いから」の方がむしろ酷い気が…w
「弱い」は仮にガチと思い込んでたとしても
「でも、頑張ってるみたいだし〜」とか
「この間雑誌にも写真載ってたよ」とか言いようあるけど
素人に「華が無い」って言いきられるとなんか互いに言葉の続けようが無いだろw
「華がないから」は何の慰めにもなってないだろ。
逆に失礼だと思うぞ。
顔に華がないから平田みたいにマスクを被せる手もあった
>>432 んで、うちの母親にも寺西勇の試合を見せたら、勝敗についてはあえて触れずに、目元と額の感じは寺西さんに似てるわとだけ言ってたw
寺西はアジアタッグ獲ってたんだな。
国際勢だと井上、浜口が国際在籍時、そして在籍後にも獲得してて、
原、寺西、冬木が在籍後に巻いてるのか。
>>441 海外での馬場は凄い優しいってドクが言ってたから、最初から全日じゃ微妙かも。
ただ、谷津は実績あるからいい扱いかもしれないが、中坊の船木じゃ「高校卒業してからおいで」→「そんことしらない(上まで伝わってない)」コースで結局新日行きそう。
>>441 谷津は83年にダラスにきた鶴田と夜通しプロレスの事を語り合ったとか言っていて
長州はプロレスの事何にも教えてくれなかったが、鶴田は親切だったとか言っている
ぐらいだから新日にずっと違和感を感じていたのかと。
小沢正志とか木村健吾とか、坂口と一緒にきた連中は新日も大事にしたんだろうな。テレビ中継も連れてきたし。
坂口派だから優遇したのかなぁ、カーンと健吾兄さんは身長があったから評価しただけでは
大城なんかいつのまにかいなくなってたし
>>450 色々あって大変だろうけど
谷津には「プロレス愛」を感じないんだよね。
今も昔も、掴みどころがない感じ。
プロレス入りする前に「その世界で偉かった」人ほどそうだな。谷津の前にも草津とか典型的な感じだったし。
谷津は
「仕方がないからプロレスやってるんだよ」感が
全日のレスラー以上に強いな
たまにCSでプロレス見るが、本当に小さいのばっかだよな
172〜176が中心で180超えてたら巨人って感じだもんな
どこの団体かもよく分からんけど
プロレスは大きいやつが常人離れすることで成り立つ競技だったのに
今や小さいのが器械体操、組体操やってるだけだからな
>>441 そんなエピソードあるのか
武藤なんかは新日であれをやったから、独自のルートで新日トップまで上り詰めた感あるけどね。
その頃の全日でやってたら埋もれてたような気もする。
>>459 新日で、デビュー当時からスター候補生扱いだったろ。
スタイルとか関係ない。
>>460 武藤はUWF、ジャパンと上がごっそり抜けたから一気に格上げされたというのはある。
健吾にしても武藤にしても全日に入ってたら、そもそも練習しなくなるから
体型自体が変わってるだろう。
>>462 健吾は緑の腹まである緑のショートタイツに分厚いニーパッド姿になるんやろね。
武藤が最初から全日に入ってたらグレート・ムタは生まれなかった。
逆に高校卒業ですぐに全日に入ってたら2代目タイガーマスクになってただろう。
>>463 鶴田&健吾でハンサム・エキスプレス結成だろ。
>谷津は「仕方がないからプロレスやってるんだよ」感
大半の客も、会場に行ったりテレビ付けたりして、
仕方がないから谷津を見てきたような気がする
>>461 格上げされた中でも、扱いが別格だったからな。
ヤングライオン杯4位で、先輩たち追い抜いて海外遠征だもんなあ。
試合みたことない時は、なんでそんなに特別扱い?と思ってた。
>>430 寺西は91年に富山の小杉では鶴田と田上と
組んでメインに出てた。
なぜかこの大会は入場無料で行われてた。
町祭の一環か何かかな?
普通ヤングライオンは基本技しか使わせず、派手な技を使ったら怒られるのに
武藤だけスペースローリングエルボーとかムーンサルトプレスとか前座でバンバン使ってたり
若手の面倒は小鉄に任せっぱなしの星野勘太郎が、武藤がスキンヘッドにした時だけは
「会社が期待の新人として売り出そうしてるのにツルッパゲになる奴があるか」と叱ったとか
とにかく若手のころから話題に事欠かなかった武藤
>>461 いや武藤対蝶野のヤングライオン杯の試合を後年みたが、二人ともベースが出来上がってた。
武藤はやっぱり天才だ
谷津が全日だったらデビューが同時期として81のサマーアクションシリーズ。
無難にビクターリベラをフォールするか、
スレーターと両リンかも。
谷津はSWSの後、高級外車中古車の輸入販売経営という
銭ゲバ丸出しだったからな。
谷津はデビュー前に全米アマレス王者にも勝てるとかビッグマウス
だったから猪木にデビュー戦で罠にかけられたんだろな。
谷津が全日に最初から入団してたら
シングルでもタッグでも
大会場のメインで試合を組まれるところまでは登れなかったんじゃないかな
>>472 谷津の縄張りは群馬県の邑楽郡明和村なんだけど当時ぎりちょんで都内通勤圏になってたので
農地がかなり宅地に転換分譲されてた。そんなわけで成金小金持ちがけっこういたから
商売としては目の付け何処は良かった、上手くいく行かないは別問題だが
ジャパンプロ分裂で全日に残った時は「常識(契約)を守った」と
悪く言われなかったんだが全日離脱、SWSで崩壊のトリガー、WJで崩壊のトリガーとなって
ロクな人間じゃなかったのがバレた
常識を守ったのではなく新日復帰より全日残留の方がNo.3の地位が確保されて
美味しいと判断しただけだった
動画サイトで続けてる谷津の海外武者修行時代の思い出話はいいよ
やっぱりプロレスもプロレスラーも好きだったんだよ
谷津は輪島デビュー戦の時も横綱のほうがシンより強い
勝って当然言ってたな
>>471 6月デビューだからスーパーパワーシリーズじゃないか?
外国人はシーク、リッキー、スヌーカ、ケビンとデビットのエリック兄弟、バグジー・マグロー、スタイガー。
ちなみにこのシリーズは天龍が凱旋帰国している。
もし谷津が全日本に入団していたら、デビュー戦は創立10周年記念蔵前大会でテリーと組んでレイス、ロブレイ組と対戦し、ワンダースープレックスでロブレイに勝利。
スクープサーモンって技の名前が好きだな
古館が付けのかねデカい魚抱えてるイメージ
全日本のがあってた違ってたはスタイル以外もあると思うけどね、越中なんかは閉塞的な全日本の中の世界は嫌だっただろうし
鳴り物入りで入団したレスラーは全日本のが良いけど、一から新弟子で入るなら新日本て感じじゃない?
天龍は新日入団してたら潰されてたと言ってるね
そんなこともないと思うけど
猪木が相撲崩れはろくでもねえと嫌ってたからかな
三沢と武藤はデビュー前から特別扱いだったらしいが、それ以外の扱い方だね
谷津は鳴り物入りデビュー後の扱いが不満で全日本のが良いと言ってるだけじゃない?ストロングスタイル幻想を守るためにガチャガチャした落ち着かない試合をやらされたとかもあるのかもだけど
テンタって相撲で来日する前には身長206cmといわれてたから実際来てみたら
そんなになかったからガッカリした。
>>479 そりゃプロレスラーでガチ最強がハクだろw
輪島とハクじゃガチンコの実力が本当に横綱とふんどし担ぎじゃん。
武藤が1984年に全日に入門していたとしたら、
同い年の三沢、年下でも先輩になるの川田と
絶対に衝突していただろうな。
武藤は、柔道部出身だが、体育会系の空気が嫌い。
新日に入門した時は、上がごっそり抜けたので
ノビノビやれたんだろう。
>>485 木村健吾、キラー・カーン、ジョージ高野は元相撲取り
>>485 天龍のスタイルが花咲いたのはデビューしてかなりたってから。
新日入団であのていたらくだったら、たしかに窓際に追いやられる。
新日入団だともっと早く花咲いた、ってのはなしだ。天龍も自分の歴史を振り返ってみて新日だったら〜と言ってるはず。
>>489 新日本も大分違うよね。コテツ時代、選手大量離脱後、馳健時代、と段々練習以外の厳しさが緩くなってたイメージ
全日本は
マシオ時代以降は練習よりも理不尽さに我慢する時代となり佐藤昭雄からマシオ時代を進化した教育になった
面倒な兄弟子からのイジメはどっちもあったみたいだけど
>>489 世界選手権覇者の岡田に負けて体重別3位の武藤と足利工業高校体育館での団体優勝の三沢とじゃガチンコの力量が違い過ぎるぞ。
しかもアマレス重量級なんて異常に層が薄い。
インハイ敵地で個人2位の川田ならくらいつける可能性あるけどな。
>>484 別に越中は、全日が嫌で出たわけじゃないからなあ。
閉塞的とか何を根拠に言ってるのか。
ちょいちょいデマ放り込んでディスるのやめろ。
この新日のスパイが。
>>476 いや、WJの時は谷津はまともだったぞ。
醜態暴露されて首脳陣と天龍が怒ってただけで。
道場や社用車に無駄に金かけすぎとか、長州は若手の指導の前に営業しろとかインディの自覚なかったWJに現実持ち込んだだけで。
>>490 木村健吾、キラー・カーンは
新日入門ではなく、坂口が連れて来たんだから
受け入れるしかなかったんだろう。
それにしても「優遇」はされなかったよ。
「カール・ゴッチ杯」も優勝させてもらえなかったし。
天龍、石川、越中は気性から見て新日向き
実際に新日に上がった時にはいいポジションで使われてる
折原、北原も一見そう見えるが
何かが違うのかな
>>496 ゴッチ杯優勝→即優遇でもないよ
優勝した藤原や北沢のその後を考えれば
健吾とカーンは凄くチャンスをもらってる
スレチだけど健吾は新日では体格が良い方だし、見た目もわるくないし
身体能力も藤波より高めだろ。それなりの扱いされて当たり前だな。
>>497 気性はともかく、断髪式をリング上でやったりはしなかったろうな。
考えてみると史実では日大講堂で天龍が髪を落としているが、
ほぼ同時刻に新日は蔵前で開催中、リング上断髪式はちょっといろいろヤバゲだ。
>>499 気が小さいレスラーって
新日本には向かないなあ
>>495 それをマスコミにペラペラしゃべって自分は悪くないとアピールしたからこういう評価なの
健吾は天龍のチョップやキックが嫌で頭や胸を手で隠してたから正々堂々な全日本とは合わないと思う
ドームで鶴田谷津に自分勝手なプロレスをしたのが彼の持ち味なんでしょ?
YouTubeで昔のレスラーとコラボしないのは何でなのかな?と思ってたんだけど、そういう理由で避けられてる存在なのかな。
長州チャンネンで谷津の名前が出た時の嫌そうな顔
猪木チャンネンでも谷津の名前が出たら、一瞬、間を取ってスルーするように違う会話を進めてた。
谷津とマサは監獄固めの一件があるけど仲はどうだったのかな?
>>503 ジョージもそうなんだけど新日のの奴らって他団体と試合すると自分勝手だよな
金本なんかは顕著
そりゃTwitterで文句言うだけの爺に落ちぶれるわ
>>499 >>503 マスクもいいほうだし、相撲出身と思えないほど体の線もいいのに
いまいちブレークできなかったのはそのあたりも原因なのかな
ドームの一戦は、鶴田が足抱え式のバックドロップ出した時点で
「あ、こいつ評価されてないんだな」と思った
>>508 木村健吾のニックネームはクラッシャー(初代)
要するに下手だって事だからね
>>498 健吾は、カールゴッチ杯で
「ヤングライオンとして全く期待されていない北沢」に
さえ、勝たせてもらえなかったというべきだよ。
その前年はプロレスとしては後輩の藤原にも負けているし。
まぁその健吾が、新日でチャンスを貰えたかどうかは見解の相違だな。
結局、カールゴッチ杯は藤波、藤原、北沢という新日生え抜きが
小沢、健吾という旧日本プロレス勢を制して優勝していた。
というか魁はヤングライオンじゃないからな
あの時点でキャリア15年近いし、もちろん海外武者修行済み
木村を優勝させないために出場したとしか思えない
>>509 試合後になぜいつもと違うバックドロップを使ったのかを聞かれて
鶴田は「ケガさせるわけにはいかないから」と答えてたな
対戦前のビデオチェックで、健吾の受け身の技量に不安を感じていたのか
クラッシャーは自分の受け身も下手ということなんだろうか
ワールドクラス特集なら、アマリロやオールスターズも合わせてテキサスマット特集をやって欲しいな。
>>249 後れ馳せながらながら拝見させて貰いました。
駒は防戦一方で良さが伝わりませんでした。
カリプスハリケーンデカイ。
>>249 やられっぷりが凄いね、というかこの時期のブッチャーは怖いんだな
受けは良かったけど駒の攻めがほとんどないからよくわからん。フィニッシュも説得力ないし
そもそも旗揚げ戦の映像が残ってないこと自体が大失態なんだけど。
映像といえば
力道山時代の映像は初期から結構残ってるんだな
新日も旗揚げ戦の映像は
控え室移したり天井カメラがあったり
猪木のインタビューまであったりと力が入ってる
全日の旗揚げの馬場ーサンマルチノがないのは残念だな
初期のPWF王座争奪戦は集客は悪かったらしいが
資料としてもっと見てみたい
>>507 ドクもカブキも新日は自分のやりたい事ばかりして受けないって言ってたな。
しかし、カブキは1番良かったのは平成維新軍という。
https://hochi.news/articles/20180616-OHT1T50128.html イベントで私は保永氏に、全日本と新日本のスタイルの違いを質問した。
「一言で言えば、相手が小っちゃかろうが大きかろうが公平に扱ってくれるのが全日」。
「新日は、最初から潰しにいっちゃうというか。最初から違いを見せつけるような。
まぁ、簡単に言うと受けないというか、相手の。自分ばっかりいいとこ売っているようなスタイルというか」。
簡潔で明快。これほど2大団体の違いを表現した言葉はないだろう。
「だから、すごく全日はやりやすかったです、私としては。
外国人とやるにしてもある程度は受けてくれるし、新日の場合は
そういう外国人はまず皆無でしたから」と保永氏。
水と油とも言える2つの団体。その言葉からは自らの思惑を超えて
「プロ」に徹した職人のプライドがにじみ出ていた。(記者コラム・福留 崇広)
カブキは天龍同盟と熱い試合をしてた印象たが、あらためてここで押せるようなベストバウトがないな、石川ならいくつかあるのに
>>501 新日のレスラーはみんな気が小さいやん。
だから犬みたいに吠える。
で、ゴルドーや佐山には誰も突っ掛けない。
ゴルドーに勇敢に突っかける
羽田や浅子や志賀やミスター林かあ・・・
所属選手そっちのけで暴れるケンドーナガサキ、まぁ突っかかっていったのはブロディなんだけど…
ブロディを入場式に呼んだ時点でボール投げなんて無理だろうに企画者が悪いよ
>>522 保永は最初、全日の入門テストを受けて落ちている。
元々は全日が好きだったんやろね。
>>530 身体小さいしこれといった前歴ないし、全日が取りたがるタイプではなかったな>保永
でもジャパンの全日参戦時の馬場の評価は高かったよな
「新日はよく育ててくれた」「取らなかったのは失敗だった」くらいには思ったはず
逆パターン=新日不合格で全日入り=は誰かいたっけ?
秋山がそれっぽいニュアンスのこと言ってたが、あれは闘魂クラブにスカウトされなかった
って意味で、新日のテストはうけてないし
>>532 川田は中三の時に新日の入門テストに合格したが
周囲から「高校は出た方が良い」と説得されて入門しなかった
入門テストのスパーで新日の若手レスラーに勝ってしまった
>>530 リング屋のバイトやってて全日とコネがあったからな
>>531 新日不合格で全日入り=高野直樹
新日脱走で全日入り=滝川隆寿
どっちもすぐ辞めたけどね
>>531 入門志願者は大勢いるから書類審査はもちろんテストに馬場がタッチしている訳ではないだろう。
保永が全日本の入門テストを受けたときも百田あたりが審査して馬場の耳には入っていなかったと思う。
だから保永が全日本の入門テストを落ちていたと知っても「ふ〜ん」くらいにしか思わなかっただろう。
>>530 保永はオーソドックスなレスリングする感じなので新日本だとアクの強いレスラーばかりで目立たないかな
>>534 二人とも同時に辞めてる、てか夜逃げ?なのかな?
>>534 時期にもよるけど、どっちも小鹿にいびり出された口なのかな
>>508 マスクもいい方だし…
マスクもいい方だし!?
健吾が!?
あんな猿顔、どうプッシュしても人気出るツラでは
ないよ。あんたの目、どうかしている
そんなことないだろ
ニューリーダーの頃はカッコいいと思って見てた
まだガキだったけど
>>531 秋山は一般企業から内定を貰ってたから馳のスカウトを断った。
馬場はそれでも熱心に誘った。
長州は悔しがったみたいだけど。
部活もバイトも会社も途中で逃げ出したことのない俺には夜逃げがイマイチ理解できない
昔橋本がデビュー直前に辞める新弟子が多数いることに「プロレス業界の裏の部分を見て幻滅する気持ちもわかるけど」と言ってたから、辛いからじゃなくケツ決めを知って幻滅して辞める人のが多いのかも知れないけど。それもあって馬場も新弟子を取りたがらないとか
>>512 鶴田は新日ドームの前年暮れの最強タッグ開幕戦
シンにもドリー式バックドロップでフォールしてるね
健吾とシン、時期的に近いし、危険度も含めて思うところがあったのかも…
しかしそもそもシン相手に鶴田はシングル・タッグ含め、テーズ式のバックドロップ決めた事はあったのかな?
少なくとも自分は生観戦、テレビ含めて見た記憶がないんだが…
去る者は追わずのプロレス道場なのに、武藤だけは小鉄に連れ戻されたんだっけ
冬木は辞めたい辞めたいと周りに言ってて後に親戚の不幸か何かで実家に帰った時は誰もが逃げ出したと思ったのに1週間くらいで戻ってきたとかあったな
>>397 大仁田 渕VS RRエキスプレスのテネシー時代の
抗争がYoutubeで上がってたけど、完全にFMWなのねw
>>526
飲兵衛の午前様
>>549 昭和新日スレ見ても「ここ昭和全日スレか」と勘違いすることも
しばしばだし、もう合併したほうがいいんじゃないか。
>>544 理不尽なしごきには、口の軽そうな新弟子をさっさといびり出してケーフェイを守る
目的もあったんだろうけどね。
すぐパワハラが問題視される上、スマホ等で簡単に証拠も残せる今じゃもう無理だろうな
>>545 鶴田に限らず、シンがバックドロップやボム系の技で頭から落とされた場面ってほとんど
見覚えがない。そこまで重いわけでもないのに。
受け身のうまい方じゃないんだろうな。
>>512 >>545 鶴田が健吾に見舞ったドリー式バックドロップは鶴田のミスだと思う。
ケツが木戸へのフライングボディプレスなのに健吾にヘッドロック取られた勢いで
バックドロップで投げる体勢に入ってしまい「マズイ、フィニッシュじゃない」と思って慌てて足を抱えた。
木戸へのフィニッシュ直前には腰を抱えてのバックドロップをやろうとしたが
これは健吾が「フィニッシュにならないからダメ。技の価値観が落ちる」と思ったのか、後ろから蹴って投げさせなかった。
どちらも、バックドロップで投げてもフィニッシュにならなかった。
>>545 ドリー式バックドロップは抱えた脚の角度によって凄く効きそうだけどな
シンも猪木のテーズ式には慣れてるけど、
ハイアングルの鶴田のバックドロップには戸惑いもあるんじゃないかな
>>553 完勝ブックではないからね
団体対抗戦として
今後につながりそうなフィニッシュで
という事前の打ち合わせがあったんだろう
公式戦ではなく交流戦や親善試合という位置づけだったのだろう
特に鶴田はそういうのをはっきり区別してやるタイプだし
>>555 そう。だから中盤に健悟にバックドロッやってたらカットされ、終盤の木戸にやってもカットされる。
全日での普段のタッグマッチでバックドロップがフィニッシュじゃないのに途中で出して決まらないというのはあったか?
>>553 フライング・ボディシザース・ドロップね。ボディプレスじゃ違う技になる。
>>557 >全日での普段のタッグマッチでバックドロップがフィニッシュじゃないのに途中で出して決まらないというのはあったか?
記憶に確かなのは85年最強タッグでドリーにバックドロップを出したが
フォールにすら行かなかったのと
龍原砲結成直後に原が何事もなかったかのように直ぐに起き上がった試合
鶴田がバックドロップをフィニッシュに確立したのは天龍同盟以降だよ、天龍同盟時代に天龍が
「鶴田がバックドロップをフィニッシュにして技を組み立てるんなら俺もパワーボムを中心にして組み立てるかな」と話した記憶がある
それ以降も相手のヘッドロックを解くために気軽にバックドロップを打って相手が試合途中にうずくまることが度々あった
>>560 原はバックドロップを食らうためにヘッドロックをするのを毎試合やるね、原と試合をする相手は必ずバックドロップをしてたんじゃないかというレベル
>>543 馳はスカウトしなかったんじゃないの?
腰を痛めてたからとかなんとか言い訳してたけど。
所詮馳に見る目がなかったということだろう。
オリンピックとか肩書きばっかり重視して。
>>544 >部活もバイトも会社も途中で逃げ出したことのない俺
もっと他に自慢することないんか?
わざわざ書く必要なし。
>>561 んなわけあるかっ!
テーズから伝授されて以来ずっとだ。
そりゃ試合途中に出すことはあったかも知れんが、
基本はフィニッシュ。
>>564 東京ガスだっけ?
さすがにそんな一流企業の内定断ってまで
既にゴールデン陥落してマイナー化しつつあった
プロレス来るとは普通は思わんだろう。
それ考えたら馬場はよく口説き落としたなと思うけど、
馬場はどこで秋山の情報を耳にしたんだろう?
>>568 松浪健四郎氏が馬場に紹介したんじゃなかった?
>>567 天龍の談話は事実だよ
それまでは馬場のランニングネックブリーカーみたいなたまに出す扱いだったかも、その割にあっさり中盤に出してたこともおおいけど
>>562 相撲特訓続けてれば新日にもUWFにも負けなかったろうな
>>570 その天龍の談話は本当かどうかは誰も指摘してない。
その談話から、鶴田がバックドロップをフィニッシュに使い出したという証明には何にもならんだろ。
何でそう思った?
ちゅうかリアルタイムで見てたら、鶴田がそれよりはるか前からフィニッシュに使ってたってのがわかるだろ。
>>568 専修大学まで足を運んだんだろ。
ニコニコ笑顔で「金の卵見つけた」と帰ってきたから、中西のことだと思ってたら、秋山だった、
とかなんとか誰かが書いてたな。京平だったかな。
>>571 新日やUより、レスラーとして優秀。
勝ち負けはブック。
いや、天龍同盟前はジャンボラリアットのがフィニッシュ技にしてた、天龍はDDTとダイビングエルボーも多い
ジャパン軍は超格下相手にしかピン取らしてくれなかったからフィニッシュ技を格下げしたのもあるのかもだけど
鶴田がジャパン軍相手にあまりバックドロップをやらなかったのは上にあったキムケン木戸相手の時と同じ理由かも
>>576 長州相手の時はバックドロップ食らうことの方が多かったな
ピン勝ちしちゃいけなかったらから必殺技設定のバックドロップ出せなかったのもあるけど、
受け身の下手な長州じゃ見ばえが悪くて技の価値が下がると思ったのかも
>>579 あの混乱の中で放ったその一言は覚えてますね〜
土足で上がって云々、かな
>>580 「土足で上がって…」は、ブロディ・スヌーカのセコンドで登場し
乱入した時の発言
週刊ファイトに、
「阿修羅原はいつも熱い良い試合をするが、試合中、相手に話しかけすぎる」
と書かれてたな。
あー、あのヘッドロックしながら耳元でボソボソ言うの、とうとう書いちゃったー、と思った。
阿修羅原「菅原、俺たちは外様だから。でも、バカ負けしちゃいけないよ」
ヘッドロックでボソボソはいろんな選手がやるねw
ジャンボは下手だった・・
オープン選手権でラシクがドリーにボソボソ言ってるところが抜かれたけど、
聞き取れなかったのか言い直していたw
おいおい、映ってるよと!
>>554 >ドリー式バックドロップは抱えた脚の角度によって凄く効きそうだけどな
やはり馬場がやるドリー式の「二階からのバックドロップ」が一番凄いな
足抱えは高さが一番大事だと思う、見映え的にも。
>>585 ブッチャーは著書に、
「鶴田はロープに飛ばすとき、いつも俺にボソボソと話かけるが、ゴートゥーヘル(地獄に落ちろ)と言いやがる!」
って書いてたな。
>>575 ジャンボラリアットでフォールなんてほとんどねーよ。
それにお前が言ってるのは、ジャパンが来た頃の話だけだろ。その頃は鶴田がフォール勝ちするケース自体少なかったからな。
そもそも鶴田がテーズにバックドロップを教わるというストーリーは、フィニッシュホールドが無いという弱点を克服するためだぞ。
天龍がパワーボムをフィニッシュに使い始めたのはジャパンとの抗争後期から。
キラートーアカマタにバックドロップでピン勝ちしてから
鶴田の必殺技はバックドロップ≠ニいう印象が強くなった気がする
カマタは背は低いけど巨漢で重いから、あのデブを完璧なフォームで投げられるなら
ヘビー級相手に通用する必殺技だと証明できたというか
鶴田バックドロップをフィニッシュにしだしたのはテーズに習ったときだよね。
黒タイツになった頃にはもうテーズ仕込のバックドロップが最大の必殺技。
自分の記憶だから自信ないが
ジャンボラリアットを初めて見たのは、AWA王者として来日したマーテル戦かな?
エプロンにいるマーテルにリング内から並行して打ったやつ
大阪府立だと思ったが…
ジャパンがいた時期って結構長いでしょ。その間はバックドロップを確立してなかったのは間違いないと思うが
>>578 天龍まったく行く様子ないな。原に至っては座って笑ってる。
天龍同盟以前だよね。
>>589 >そもそも鶴田がテーズにバックドロップを教わるというストーリーは
>フィニッシュホールドが無いという弱点を克服するためだぞ。
ラリアットやるのはいいけどサポーターを真似してたあたりが
鶴田の「弱点」なんだよ。センスが悪いというかずれてる。
黒パンツはともかくジャンパーも膝肘サポタイツが全部黒ってのはいただけなかった。また星パンツを履けとは思わなかったけどなんか色が欲しかったな。
70年代と違って
80年代になるとフィニッシュパターンが多彩に持ってたレスラーは
時代に合わせた変換に苦労してる
ハンセン(ラリアット)
長州(ラリアット、サソリ)
ホーガン(アックスボンバー)
みたいにワンパターン化されてるほうがブレイクしてる
ブロディが上の3人と比べてイマイチ人気で劣ってたのも
決め技が必ずしもニードロップに安定してなかったせいかも
『Gスピvol.42』より、馬場プロレスと猪木プロレスの違いを語る佐藤昭雄
「猪木さんのコブラツイストや卍固めって、“これで決まったよ!”と、お客さんも実際に痛みがわかるよな。だけど、馬場さんのフィニッシュは16文キックであったり、
32文ロケット砲であったり…あの人の大きさからすれば、ドロップキックをやるのは大変なことだけれども、ギブアップ技って持ってなかったよね。
ジャンボもそうだったよ。何でも合格点が付く技をやるけれども、ボンボンボンと
畳み込んで、最後にボンと決めるというのがなかった。だから、ジャイアント馬場のプロレスなんだよ。猪木さんみたいに.“テメェ、この野郎!”とバチンバチン行って、バシッと卍固めに入るとかいうのは、馬場プロレスにはないんだよ。馬場さんは、
そういうのが嫌いなんだ。だから、全日本プロレスでそういうフィニッシュを
使う人は誰もいなかっただろ。試合の流れの中で、フィニッシュまでの流れがあって勝負がつくというのが馬場さんのプロレスなんだよ」
ー確かに平成の四天王時代になってから、三冠戦のフィニッシュはギブアップ
ではなく3カウントという暗黙のルールがありました。
「馬場さんは完全に相手を封じるサブミッションホールドというのが嫌いなんだよ。最後はワンツースリーで“あっ、スリー入った!”とお客さんを喜ばせるのが馬場さんのプロレスだったんだ。ただ、ジャンボも馬場プロレスなんだけど、相手に合わせて
試合を五分に持って行って、そこから反撃していくよというのがなかったんだよ。
受けから攻めに変わる流れの作り方を若い時にやらなかったから、
結局覚えなかったんじゃないかな」
>>593 確立してました!
その時期他の技でフォール勝ちする鶴田は思い出せない。
バックドロップがフライングボディシザーズドロップが鶴田フォール時の技。
鶴田の腕サポーターってハンセンデビアスの腕責めでレフェリーストップ負けしてからじゃなかったっけ?
あの試合も終盤まで普通の試合してから不自然に腕狙いにいっていきなり終わった感じだけど
>>597 馬場は日プロ時代には
逆片エビ固めは凄く絵になったし
フィニッシュとしても良かったんだけどなあ
全日になってから衰えて力感がなくなったからか
辞めてしまったのはもったいなかった
鶴田は体格が良いから相手の技受けてやられてる振りしてたら大きいくせに
だらしないと思われるからな。
力道山や猪木とは違うわな、まあ馬場に近いスタイルになると思う。
>>601 ブッチャーはテンタに「ダウンが多すぎる。大型レスラーはあまりダウンしてはいけない。」と
苦言を呈していたね
猪木や力道山みたいな中型の体格とは違ってくる
鶴田の右腕サポーター、手術跡を隠すためというのが本当のところ。
>>597 >四天王時代になってから、三冠戦のフィニッシュはギブアップではなく3カウントという暗黙のルールがありました。
川田のストレッチプラム、三沢のフェイスロックで鶴田がギブアップ、
四天王時代の前田だがタッグで鶴田(インディアンデスロック)天龍はあったな。
鶴田はボストンクラブがあったじゃん。
休憩タイムに見えたけどw
後期なら拷問コブラとかやってたね。
>>600 83年のインタータッグ戦でデビアスに勝った逆エビ固めは説得力あった
馬場が一時期多用してたジャイアントバックブリーカーを封印したのも
参った言わせる(封じる)技があまり好きじゃなかったからかな
猪木のライバル シンはコブラで仕留めたけどねw
新日は関節技というイメージもあったから、アームロック、スリーパー、足首、ワキ固めなどの地味系から
卍、コブラツイスト、カナディアンやアルゼンチンバックブリーカー、弓矢固め、サソリ、
ドラゴンスリーパー、ストラングルホールド、STF、トライアングル・スコーピオンなどプロレス系極め技も多かった。
スタイルの違いだが、全日武道館のメインで鶴田がSTFでギブアップ負けはないかもね。
全日でのギブアップ技だと、スピニングトウホールド、ガニア・ルーインのスリーパー、NWA王者、デストロイヤーの4の字、
馬場のエプロン宙吊り4の字、テキサスクローバーホールド、石川のスモーピオンデスロック、エリックの鉄の爪・・・
結構あるじゃん。
関節技なんて今となっては単に休憩タイムなんかと思われるだけだし、観客は
ブレーンバスターとかダブルアームスープレックスとかの大技の攻防を期待
してんだろ。新日のレスラーはそういう大技が下手だったからな、ストロング
スタイルとか言って己の未熟さをごまかしてたんだろうな。
>>610 もっさりした動きで大技だけで試合したから全日は新日より下だったんだよ。
観客動員、テレビ視聴率、売上は新日>>>全日
全日は試合もビジネスも未熟だった。
>>610 新日本の話しかしない奴が反応しちゃったじゃないか、注意して
佐藤個人の分析であって、馬場はギブアップ技を使わないじゃなくて
多用しないという事なんだろ。
まあ、流れでスリーカウントを取る馬場のプロレス感と
「参った」を言わせたい猪木の性格の違いもあるのでは・・
新日はガチ風味でやっていたから騙されたお子さんや知恵遅れの大人が居たんだろな。
何れにしても商道としては呆れるほどゲスな手だな。
全日のギブアップ技と言えばインディアンデスロック(リバースじゃないよ)。
天龍がデビューした日、時のNWA世界ヘビー級王者のレイスが対鶴田戦で一本獲ったのがインディアンデスロック。
因みにレイスはテリーからインディアンデスロックでNWAを奪取。
そのインディアンデスロックで後に脚を負傷した天龍は、タッグ戦ながら鶴田、ウィリアムスにギブアップ。
インディアンデスロックの入り方が上手かったのが三沢かな。
後にこの複合技のリバースネルソンデスロック(ノア旗揚げ戦など)をたまに出していたよね。
現実に見た目はダイナミックで痛そうだけど対して痛くないリバースよりも、
監獄固めみたいに見た目は地味だけどインディアンデスロックは痛い。
>>615 でもレイスがインディアンデスロック使ってたの
その頃だけなんだよな
ダイビングヘッド、バーティカルスープレックスと並ぶ
代名詞的な必殺技になったはずなのに
鶴田も天龍からギブ奪ったあのときだけで、定着しなかったな
フロント式ってすごいきくのに、使い手が定着しないのは
見栄えの問題なのかな?
>>612 そいつは新日の試合しか見てないから仕方ないんだよ。
全日の試合なんかゴミだから見ない鶴田のDVDなんか死んでも買わないのが鶴オタ
>>614 全日は子供でもフリークスプロレスだって分かるよな。
>>613 馬場が晩年、前座に下ってからは固め技が多くなった気がする
年老いてスタミナが衰えたので、休むためじゃないかと揶揄する輩もいたが
>>614 ドームで小橋が健介にフェイスロックかけたら
高山「小橋健太は技術がないのが分かる。捻る方向が逆」
ダメだこりゃ・・・
>>617 俺たちひょうきん族のひょうきんプロレスでプロレスの真似事をやるには定番の魅せ技。
平成に入ってファミリー軍団対悪役商会で、永源がリバースの体勢に入って大見得切って、ラッシャーがカットイン、倒れたら痛いことを学習した百田はカットを拒否、ラッシャーチョップ、永源勢いでつば攻撃、間が空いてたまらず後方へ転倒、百田ギャオからの悶絶、客大喜び。
派手で加減の効く技だよね。
>>618 後に猪木の後を受けて身体の軟らかさから馳や豊田真奈美がリバースから見事なブリッジで鎌固めという派生技もあったよね。
でも正調インディアンは正常位みたいな感じで見栄えは悪かったよね。まあレイスの後方に倒れる式はエグかったけどね。
三沢のリバースネルソンも四肢を極めているけど客的には見栄え悪いもんね。
以前住んでたとこのそばにあった建物
https://goo.gl/maps/uey8bw3LoDL2SCWN8 マップファン古地図を眺めてらこれが上田馬之助や松岡巌鉄が所属した間垣部屋だったことがわかった
表札見たら今も二人の師匠のご遺族が住んでいる
リバースは見栄えが良いがそんなに痛くない
見せ技として良い
逆にフロントのインディアン・デスロックは見た目は地味なのに
すげー痛いからな
実はプロレス向けじゃない
>>625 リバースは素人でも簡単に”らしく”掛けられるのだけど、
正調は鶴田三沢ウィリアムスが極めたように
スムースに掛けるまでが見せ場かな。
実際に掛けるとリバースは楽だけど正調は綺麗に極めるのは難しい。掛けられると正調は屈辱感と掛け手任せで受け身が取れない。
まあ、受け手が殴って反撃、掛け手が両膝を押して倍返しという見せ場はあるけどね。
元子と小池百合子が従姉妹だってネタで盛り上がってるかと思ったら、まったく盛り上がってないなw
>>622 バカだなあ、プロレスなんだから良いんだよ。本当に決めたら痛いだろうが。
それでフィニッシュに持っていくわけじゃないんだら、痛くない方に捻じるのが正解なんだよ。
痛くない技を痛いように見せるのがプロレスなのに高山が分かってない。
鶴田がAWA世界王座を奪った時のフィニッシュがバックドロップなのに
「鶴田は天龍同盟以降にバックドロップをフィニッシュ技として確立した。」
なんて言う奴が現れるとは思わなかったなw
>>630 意味を取り違えてるよ。
鶴田はとっくに確立していた。
天龍はそれに対抗して「じゃあ俺はパワーボムだ」と言っただけ。
>>631 インタビュー読んでないでしょ?
この時期のインタビュー読んでる人間が鶴田がAWA王座になった時のフィニッシュを知らないと思ってるあんたの方がよっぽど読解力のないバカだよ
1982年の6月、鶴田がフレアーに挑戦したNWA戦
ジャーマン崩れてダブルフォールで終わった時、1本目はバックドロップだっけ?
ちょうどあの時期あたりから「テーズ直伝、ヘソで投げるバックドロップ」を売りにしてたと思うんだが?
翌年の同時期のNWA戦、60分フルタイムドローだったがバックドロップで1本は取ってる
ニック戦もフレアー戦も天龍革命より四〜五年前だよね
まあ「熟成した、よりエグくなった」という意味なら天龍革命以後でも意味はわかる
>>632 鶴田自身や馬場が言ったことならともかく
天龍が言ったことなんか関係ないだろう。
馬場や鶴田、当時のファンの認識はとっくに
「鶴田のフィニッシュ技はバックドロップ」だったんだよ。
>>628 極める直前の寸止めでやるのがプロレス。
その技術がないから全日は新日より下だったんだよ。
鶴田のテーズ直伝へそで投げるバックドロップは越中三沢のルーテーズ杯のときからでしょ
>>633 > 1982年の6月、鶴田がフレアーに挑戦したNWA戦
> ジャーマン崩れてダブルフォールで終わった時、1本目はバックドロップだっけ?
その時は一本勝負だったんじゃなかったか。ミサイルキックで一本取ったことはあるけど。
> ちょうどあの時期あたりから「テーズ直伝、ヘソで投げるバックドロップ」を売りにしてたと思うんだが?
> 翌年の同時期のNWA戦、60分フルタイムドローだったがバックドロップで1本は取ってる
バックドロップで一本取ったときは二本目は時間切れで1-0で勝ってる。
>
>>635 ファンがそう思ってたの解釈ならそれでいいよ。
天龍同盟に川田冬木が入った頃に地方大会で鶴田のフィニッシュをバックドロップで固定し始めたということなんだと思うけど
>>636 > 極める直前の寸止めでやるのがプロレス。
見てる人に伝わらないことはやる必要ないんだよ。
まあ小橋はマレンコにも教わってたから技術はあったが試合では出さなかった。
必要なかったから。
実際俺がこのインタビューを今でも覚えてるのは当時「今までも結構使ってたけどな」という疑問を持ったからだし、でもこの頃から他のフィニッシュ技を減らしてバックドロップの割合が増えたと記憶してる
>>639 > 天龍同盟に川田冬木が入った頃に地方大会で鶴田のフィニッシュをバックドロップで固定し始めたということなんだと思うけど
テーズに伝授されてからはもうほとんどバックドロップだったよ。
UNをレイスから奪還した時はフライングボディシザースドロップで
テーズから伝授されたもう一つの技として使い分けるかと思ったが
その試合以降は格下相手にしかフィニッシュにしなかった。
バックドロップを伝授されて以降はダブルアームで勝つことはなくなったし
ジャーマンも封印した。
>>641 > でもこの頃から他のフィニッシュ技を減らしてバックドロップの割合が増えたと記憶してる
他のフィニッシュ技って何?
マップファン面白い
https://goo.gl/maps/yb1vasF2owJaXSFz7 今度はトンガやザ・バーバリアンがいた朝日山部屋(現・ヤマト運輸両国4丁目センター)
>>643 ボディシザースドロップとラリアットかな
まあこの頃の天龍のインタビューが載ってる週プロ探して買ってくるよw
全日本の話題に戻ったことは嬉しいが、あまりケンカしたくないし
>>646 > ボディシザースドロップとラリアットかな
>>642にも書いたけどボディシザースは格下相手にクイック的な勝ちにしか使ってなかったし
ラリアットなんかトミーリッチ相手のインタ防衛戦くらいじゃないか?
むしろラリアットこそ、フットルース吹っ飛ばしたり
原との相打ちで打ち勝ったりしたりと天龍同盟との戦いで技として確立したと思う。
鶴田はレイスからパクった四方の観客に見せながら落とすパイルドライバーがある
83年半ばまでのフィニッシュはほとんど空中胴締め落としだったよ
>>649 天龍同盟ともジャパンプロレスとも時期的に無関係だし
そもそもAWA世界王座奪取以前だなw
鶴龍が輪島の渡米に同行した時にラリアットで勝った印象が強かったからラリアットを入れたけど、つべでいくつか見るとジャパン時代はボディシザースドロップが多いのに驚いてる。
こうやって昔の試合を見直すのも楽しいけど、ジャパン時代はイマイチ見返す気がなくてそんなに見てないし。もう少し見てみるわ
ID:8LRlxOIx0一人が顔真っ赤にしてムキになってる
なでこんなバカに付き合わなきゃいけないの
>>640 全日オタは、小橋の技術のなさ、馬場、鶴田、田上、カブキ、三沢の体を指摘されると涙目だな。
世界を獲ったバックドロップ論争にこれで終止符打てるかな?w
鶴田のへそで投げるバックドロップの流れはこんな感じか。
ルーテーズの全日来日が過去三回。
昭和57年4月GCCT
昭和57年11月最強タッグ
昭和58年4月GCCT(ルーテーズ杯)
最初の来日の際にはレフェリー待遇ながらエキシビションで毎日、越中や菅原と対戦。
その際に鶴田にへそで投げるバックドロップをアドバイス。
S57年7月カマタにドリー式からテーズ式に移行期で試行錯誤のバックドロップを披露してUN防衛。
テーズの三度目のS58年4月来日のシリーズ終了後に砧でのテーズ教室で鶴田はテーズより
へそで投げるバックドロップを“直伝”される。
S57年6月蔵前で黒タイツとリングシューズに変えてフレアーのNWAに挑戦するもダブルフォールで引き分け。
S57年8月後楽園でレイスに敗れ(膝抱え式バックドロップホールド)UNヘビー喪失後、10月北見で奪還(空中胴締め落とし)。
S58年4月にテーズの三度目の来日でシリーズ終了後の砧でのテーズ教室でへそで投げるバックドロップを直伝。
5月赤穂でボリコフにへそで投げるバックドロップでUNへビー防衛。
6月テキサス州コーパスクリスティでホセロザリオに防衛後にUNを返上してエリックに託し、インター奪取に照準。
6月蔵前でフレアーのNWAに挑戦も一本取るが時間切れ引き分け。
8月蔵前でブロディよりインター奪取。
S59年2月蔵前でニックよりバックドロップホールドでAWA世界ヘビー奪取で、
バックドロップ=ジャンボ鶴田が定着。
以後、ブロディ、天龍、三沢らをへそで投げるバックドロップのバリエーションで撃破。
何かおかしいな。時系列はあってるけど順序やダブりは勘弁。
>>654 大きな試合結果はこのスレの人は大体知ってるけど、議論は地方とかでの格下相手の決まり手だね、今つべでサーっと見てきたけど改めてクイック的な決まり手が多いなと感じたわ。丸め込み以外でもサイドスープレックスやボディーアタックとかもあったし、この海外も含めた時系列は勉強になったが
>>628 それは違う。
痛い方に捻って、なおかつケガさせないようにするのごプロ。
>>646 あのなあ、ラリアットでフォールなんか恐らく一回もない。
ボディーシザーズドロップもテーズに教わったという体で、バックドロップ出すまでもない相手に決めるというイメージ。
テーズにバックドロップ教わってからの外人対決はほとんどバックドロップで決めてる。
というか、確立してないと言ってるのはお前だけだぞ。
>>639 ちゅうか、その天龍の発言をどう解釈したら、
鶴田がその頃からバックドロップをフィニッシュにし始めた、と読めるんだよ?
申し訳ないけど、読解力がなさすぎ。
>>634 わけわからんフォロー入れるなよ。
話がぐちゃぐちゃになる。
>>641 お前も以前からバックドロップがフィニッシュだったという認識あるやん。
ブッチャー相手に一本取ったことあるのに
ボディシザースが格下専用なんてことあるかよw
>>656 参考資料
全日本プロレス25年史「王道闘史」
ゴング増刊号鶴田引退特集号
ゴング増刊号鶴田追悼特集号
永遠の最強王者ジャンボ鶴田
最後の小佐野の著書は一番大事なバックドロップ直伝の年号が誤植してあったのは善戦マンだったけど。
まあ、全日の話題にしたいのはインディアンデスロックからそうしているわけでw
鶴田の決め技は後の四天王殺人魚雷などとのテレビマッチでのバックドロップの決め技の多さと、
テーズ直伝ストーリーとAWA奪取戦で、バックドロップ=ジャンボ鶴田の決め技として印象づいているから、
ジャパン時代に定着した説を立証できるかなあ。
S59年のAWA王者時代の米遠征ではロビンソンに逆さ押さえ込みで勝ちというのもあったね。
二度目のブロディからのインター奪還戦、天龍との最後の鶴龍対決、三沢への三発、川田小橋へのそれと、
印象深いへそで投げるはジャパン以降が多いけどね。
地方は別にして
ビックマッチで
85〜87年でバックドロップで勝った試合ってどれくらいあったっけ?
>>663 アマゾンだと定価500円なのに3000円で売ってるw
メルカリでもう少し安いのあったから買うわ。
この歳になって記録を調べるためにこういう本を買うなんて不思議な感じだが興味あるし調べてみるよ
>>468 わたしも観に行きましたぞ。
セミ前に三沢川田×カンナムっていう結構な好カードが組まれてましたね。ファーナスのフランケンを川田がそのままパワーボムで叩きつけてフォール勝ち。
で、なぜかメイン終了後に能登の太鼓集団がリングに上がるっていう。
>>664 さっきつべで探して後楽園でハリケーンズの高野俊二に勝ったのはあった。他はわからなかったが俺に反論した人が書いてくれるはずw
>>664 一流どころとは不透明決着か引き分けばかりであんまり記憶がないね。
>>665 断捨離後に昭和プロレス熱が再燃して、残っているのは僅かになってしまって後悔してます。
84年5月22日に田園コロシアムで行われた鶴田vsケリーフォンエリックのNWA戦
最初は日本初(もしかして世界初?)のNWAAWAダブルタイトル戦
AWA王者鶴田vsNWA王者フレアーで発表されたけど
フレアーがケリーに敗れ王座陥落で鶴田vsケリーのダブルタイトル戦に変更(此処まではギリ許せた)
更に鶴田がマーテルに破れ王座陥落で結局、鶴田vsケリーのNWA戦になったけど
これって、馬場の政治力でダブルタイトル戦迄は鶴田にNWAベルトを保持させる事出来なかったのかな?
鶴田が陥落するのはシリーズ終了後のAWA地区遠征で陥落させる
又はシリーズ終盤にマーテルを呼んで陥落させる
又は田園コロシアム大会終了後に4泊6日程度の短期遠征に出て陥落させる等
少し考えただけでも3つの陥落パターンの選択肢があるのにね。
例えば鶴田をシリーズ中に遠征にだして1週間程欠場させても
このシリーズは開幕戦から日本人陣営の助っ人としてトンガが参加してたし
途中からカブキも合流してるから鶴田欠場でも大して困らないと思うのだが・・・
やっぱり、鶴田をAWA王者として日本でNWA王者とのタイトルマッチを
実現させとくべきだったとおもう!
>>669 訂正
鶴田にNWAベルトを保持させる×
鶴田にAWAベルトを保持させる○
>>441 谷津が全日入りしてたら、日本デビュー戦は
会場は後楽園ホールで試合順はセミ前位で
馬場&谷津vsタンクパットン(ブラックテラー)&カールフォンスタイガーみたいな
無難なマッチメークをするだろうね。
>>669 バーン・ガニアが許してくれないんじゃあるまいか?
またはケリーがフレアーにベルトを返す約束になっていたので、余計な事をするなとか。
>>668 闘道館で調べてみては?
マスク以外はそんなにバカ高いイメージないけど。
東京じゃなくても通販やってるから。
>>672 言い方は悪いけどもうあの頃のAWAはそこまで余裕なかったんで
興行団体として王者鶴田で定期戦を引っ張る体力も怪しかったんじゃないかな
もちろん今日明日にも倒れるってわけじゃないけど
それでも鶴田の王者としての遠征で
(当たり前だけど)日本人の中途半端な王者では集客できないのは明白だったし
さっさと「ハイ、次ね」ってとこだったんでしょ
ガニアからすれば今まで以上に法外な金をくれれば
もう少し鶴田王者&日本でWタイトル戦も十分ありだったかもしれないけど
馬場としても日テレとしてもそこまで大金つぎ込んでまで
これ以上鶴田AWA王者に拘る意味もあの時点ではもはや無くなってたって点では一致してたんだろ
(ようは戴冠&一定期間米遠征で防衛をしたって経歴作りが重要だった)
>>674 鶴田メインで最大マーケットのシカゴで2回も大入り満員本拠地のセントポールでも満員だった
バカアンチはアンダーカードガーとケチ付けたけど
裏を返せばアンダーカードを充実すれば満員に出来る余裕がまだあったわけ
鶴田陥落後もウォリアーズ参戦→AWA世界タッグ王者で盛況だったし
AWAが明らかに凋落の兆しが見えたのはウォリアーズ離脱後
>>669 俺は馬場の交渉がうまくいかなかったとみてる。
馬場はダブルタイトルをやるつもりで交渉し決定。それ以前まではこの約束が破られる事はなかったので発表。
ところが両方から、やっぱムリ事情が変わった、と言われそれでも交渉続け、ダブルからNWA戦、そして次年度に実施(じゃあゴールデン復帰の目玉にするかと)二転三転した。
で、結局この件がありNWA・AWAと距離をとっていく事になった、とか。
>>677 距離を取るどころか、
馬場が間を取り持って、NWAとAWAに手を組ませたんじゃないかよ。
>>674 馬場はNWAを3度獲得
鶴田はAWAを(米サーキットを含む)半年保持
日テレあたりはこれをほぼ同価値の勲章とみたんだろうかね。
>>674 それならWタイトル戦を事前発表しないだろ?
5月22日までは鶴田にAWAを持たせる事が決定してたから
Wタイトル戦を発表して前売りも開始したんだよ。
どころが、何かの諸事情で急遽5月22日前にベルト返せみたいな状況になって
馬場もWタイトル戦発表して前売りも開始したから5月22日までは
鶴田にAWAベルト持たせろと交渉したけど上手く行かなかったのでは?
83年の鶴田最後のUN防衛戦では、卍固めがフィニッシュ
>>676 それってあの頃のAWAだと「アンダーカードを充実すれば満員に出来る」というより
「本来トップであるべき王者が動員に貢献出来てない」って言った方が正確でしょ
往時のNWAのように王者が各地のテリを渡り歩いてその土地のエースと防衛戦するならともかく
AWAやWWFのような固定テリ中心の興行団体にとって
トップである世界王者が集客への貢献度低いって極めて問題だよ
米地元の観客にとってはいきなりヒールなのかベビーなのかも中途半端な
知名度ほぼ0の東洋人があの憎たらしいニックにどこかで勝った“らしい”ってことで
ベルト持って現れて今日はベビー相手に明日はヒール相手にと
ポジションも定まらずに防衛戦やられても感情移入のしようがない
ガニアからすれば日本から大金かっぱげたし
本命だった?ホーガンにもあっさり逃げられて適当な人材に不足してたところだったんで
万一にも目先変えて「謎の日本人王者」がウケたら儲けものくらいで
定期戦に組み込んだけどやっぱりウケなかったので
これ以上の大金引き出せないならハイ、ここまでってだけでしょ
長年通ってきた地元の観客なんてのはある日突然半減するわけじゃないけど
でもオーナーである立場のガニアからすれば
ホーガン引き止められず苦肉の策の鶴田もウケず
残った中での本命マーテルにも王座在籍中に引き抜き工作半ば公然と仕掛けられて
ホーガンの時の苦い経験あったにも拘わらずそれでもあっさり逃げられてる
後のウォリアーズだって同じことで王者に据えようがなにしようが
もうこの頃からわかっていてももはやAWAには引き止められなくなってたんだよ
シカゴが満員っていうのも最後まで残ってたのが
本丸である地元シカゴやミネアポリスしかなかったってだけで
>>680 う〜ん、馬場の方かなあ
日テレはどちらも特別料金だのベルト返還だのの内幕は知ってるわけで
(と、いうか自分達が特別予算を組んだわけだろうしw)
馬場の頃の世界奪取!に比べ
正直鶴田の頃のAWA戴冠ってもはや時代的に厳しいというか
日テレにすれば話題性でも興行や視聴率への貢献でも
イマヒトツ期待外れだったんじゃないかな
>>681 ガニアのことだし直近になって
「もう一度日本に持ち帰ってWタイトル戦やるなら料金別建てな」くらい言ったんじゃね?
発表済みなら逆に馬場も断れないだろうくらい足元みて
このシリーズトンガは全戦参加
カブキは6日1日からの参加
6月5日札幌中島で興行があったけど
馬場vsシン、カブキvs上田の二大シングルがメインで鶴田は元から主要カードから外れてる
なので6月1日から一週間程度AWAベルト陥落遠征の為に欠場しても影響は無いと思う。
なんなら札幌に間に合う様に6月1日~6月4日迄の2泊4日の強行スケジュール遠征させちゃうとかw
まあでもメジャーの世界王者がエリアに定着しない日本人じゃ向こうの興行に差しさわりがあるのは
馬場も承知だっただろう。またガニアの鶴田評は76年の10番勝負でも高くて、世界王者候補としてAWA圏に
長期遠征の話も持ち掛けたり、とりあえず両者なりの義理的なものはお互い遂行しつつ、最終的に金銭的なもので
折り合わなければ急展開ってとこか。その後日本でフレアーVSマーテルでW王座戦を敢行し得たのは
馬場(日テレ)の政治力で何とかメンツ保ったという。ま、憶測だがw
>>588 プロレスを10倍楽しく見る方法。
だったか。ゴジンカーン。
>>686 馬場の政治力でその後もハンセンを王者にしたまではよかったが、何故か関係がこじれたよね。
ハンセンはAWAのベルトを車のタイヤで潰して返したらしけど。
ハンセンが週プロで「ガニアの頭は70年代で止まってる」とか怒ってたインタビュー読んだ覚えがある。
ガニアって金のイメージしかないから鶴田の実力を評価とかハンセンの使い方とか全く考えてなさそう
ダブルタイトル戦とかも沢山カネくれたからという理由だけだったり
>>673 水道橋は歩いていけるけどプロレスショップは10数年行ってないな。
神保町の古本屋では資料価値のありそうな月刊プロレスや別冊ゴングを衝動買いしたけど。
千数百冊は断捨離してしまったあとにプロレス熱が再燃したのはコロナ禍のせいというかおかげかなw
まあ資料価値のあるものは取っといてあるけどね。
昭和のプロレスは団体、国内外を問わず興味深いよね。
このスレの生き字引な人たちが居てくれて有難いですよ。
水道橋なら巣鴨まであっという間じゃん。巣鴨駅前にあるよ
>>693 巣鴨にあるんだ?
機会があれば行ってみます。
>>683 超正論!お見事です。#2
「本来トップであるべき王者が動員に貢献出来てない」
これに尽きる。AWAサーキットに参加した
ジャンボ自身も「アレ?オレ人気ない??」って
思っただろうな……….
>>688 ハンセンもどちらかというとあの頃はアメリカ(AWA圏)より全日のほうが主戦場で
ガニアとはうまくいってなかったはず。いずれにしろガニアの強引な興行手腕は徐々に
各レスラーから敬遠され、主軸は相変わらずニックでお茶を濁し、さらにビンスジュニアの
攻勢も相まって斜陽へと進むわけだ。
月刊誌時代のプロレス、ゴング、別冊ゴング等、ほぼコンプリートしてたし、プロレス関連の書籍、昭和プロレス関連のビデオ(デッキはもう無かった)、DVDも多数所持してたけど数年前の水害で駄目になってしまった
今年の水害もだけどあらゆるジャンルの貴重なお宝も被害にあっている
>>697 それはお辛かったでしょうね。
自分は三沢が亡くなってプロレスから離れて小橋引退試合は旧友に誘われるままに行って以来、プロレスからは離れていました。
貯蔵しているだけでコストが掛かるので勢いで断捨離しました。
忙しくて売るとかも出来なくて月刊はまばらですが週刊プロレス、ゴング、週刊ファイトなどほぼ棄てました。
コロナ禍で仕事が止まりYouTubeで何気にマスカラス動画を見たら数珠繋ぎで動画を見始め、
久々にプ板にたどり着き、昭和プロレス回顧本を買い漁り今に到ります。
無くした物はありますが想い出を語り合えるのは良いですよね。
良くぞ、あの時のプロレスを好きでいてくれた人が沢山いて、歴史考証をして語り合えるのは幸せですよ。
>>697 自分も2年前の水害被害で同じような経験したよ・・
悔やんでもどうにもならないから、CSクラシック番組を録りまくっているw
失った雑誌も大人買いしようと思ったけど、
とんでもない値段つける奴が多くて、呆れて諦めたw
こういうレトロスレで語り合う方が楽しいよ。
>>689 「ガニアは50年代のプロレスをやっている」だったと思う
ガニアはいまだに「TVでビッグカードを流すと興行に客が来なくなる」という考えで
今時こんな事をやっていたらマイナー団体だと思われる」とかね
>>683 そのアンダーカードだけどそんなに充実してるとは思えなかったw
ブルクラやウォリアーズが出てるからだとか鶴田アンチ言ってるけど
ウォリアーズ(2回目のシカゴ)はともかく超ロートルのブルクラ(1回目のシカゴ)見たさに
19000人以上入る大箱が満員になるとはとても思えないわw
憎きジャップ王者の鶴田をやっつけてAWA王座を奪い返せ!と駆け付けたファンも一定数いたはずw
>>701 それも一理あるな!
基本アメリカの客って「憎き王者をやっつけて、男等が村の勇者に栄冠を!」
ていうのが定番だからね。
別にアンチ鶴田じゃないけど
「何かめっちゃ強い日本人がニック破ったらしいぞ!観に行こう!」
ではないのは確かだよ。
AWAと言えば、象徴的なのは本拠地ミネアポリスでのコロナ禍における白人警官の黒人容疑者死亡に関する議論だよね。
AWAは黒人選手の活躍は記憶にないけど、主要テリトリーに落ち着いていたマサ斎藤や、
AWA世界王者として二度防衛ロードを歩いていた鶴田がいるけど日本人は例外だったのかな?
思い返せばAWAは黒人やヒスパニックのトップ勢はいないよね?
アメリカの北部は保守的で白人が強いのは今でも変わらない。日本人王者の鶴田は当然ヒールだけど、
保守的な北部アメリカ人にでかくて強い日本人王者の鶴田に何を思ったのだろうね?
>>691 賭け試合やってたのがバレてロンドンオリンピック代表から外されたのが
プロレスラーとしての原点だからな>ガニア
金にはこだわりあるだろうな
>>702 当時のAWA圏だと、サイズ的にはランザやマリガンと同じくらいか
でも彼らよりはずっと動けただろうし、人気云々は措いといて
アメリカのファンに鶴田のファイトってどう映ってたんだろう?
>>703 おお、そういやそうだね。
それはガニアがレイシストだった証拠だな。
唯一記憶にあるのは、ブラックウェルやパテラを率いた
シーク・アドナン・アル・ケイシーのシーク軍団(?)だな



@YouTube
;feature=youtu.be&t=610
>>654
松永さんが「へそで投げた」と実況し、鶴田もテーズっぽく手四つでフォールしてるけど、
バックドロップは足抱え式で、「どういうこっちゃ?」と思ってたけど、
この試合、正式な「伝授」前なんだな。
足抱え式でもクラッチ外さないと説得力あるなぁ。
若い頃のブリッジ効かせたそり投げの足抱え式でクラッチ外さなかったら後のバックドロップホールドみたいになったのかな。
↓



@YouTube
81年の最強タッグでクラップとラシクのコンビが実現したが、アメリカでも組んだことあったのかな?
共にナチスギミックで得意技もクローと商売敵になるから避けていたのだろうか。
このコンビはロートル扱いだったが、5年前に組んでいたらけっこう手強いチームになっていたかな?
テッド・デビアスがNWA王者になれなかったのは、
本流から外れたミッドサウスのMSWAを主戦場にしたからだと聞いた
あそこは南部地区で、JYDとかブッチ・リードとか人気黒人レスラーが多かったな
ブッチリードの来日キャンセル多かったのは何故だろう?
遠征嫌い?
>>709 絶対、ミズーリ王者時代にフレアーも撃破した時点で
絶対次はデビアスだと思っていたな。
でもフレアーに抜かれて、アマリロでのテリーの自主興行で穫れなかったから
ファンクスのプッシュはもはや大きくないと思った。
でもMSWAでのフレアーの挑戦なかったっけ?
マードックに血だるまにされたヤツ、違ってたらごめん。
>>698 コロナと言えばちょっと前までつべで1時間放送丸々をなん百と載せてた人がいて見ても見ても大量にあるから時間がなかったくらいなのに、今探すと消えてるのが残念だわ。
まあ今はネットで色んなものが見れるからゲームとかしなくても暇潰しには困らないけど、在宅勤務で時間のある今ならもっと見れたのにと思う
ジェリー・ローラーの83ジャイアントシリーズ来日キャンセルって結局どういう理由だったんだろう?
雑誌でハンセンが向こうの控室で負傷させたとかいう記事を見た記憶があるけど
>>701 上のガニアの台詞がある意味全てだったんだと思う
ガニアにもシカゴやミネアポリスの長年通ってる常連ファンにとっても
ブルクラやラシク、マリガンやランザ.、そしてもちろんニックが出場して
皆が顔揃えてわちゃわちゃやるカードが複数ラインナップされてる
〜最期までこれがガニアAWAにとっての「豪華ビッグマッチ」だったんだよ
人気爆発してもはやコントロール不可能になってたホーガンはともかく
基本的にはマーテルにしろウォリアーズやブランセルやズビスコあたりにしろ
ガニアにとってはそんなニックやランザやブルクラあたりの豪華な「現役スター達w」に挑む
「若手中堅の次代のスターw」でしかなかったんだろ、80年代になっても
もちろん仮にホーガンやマーテルがAWAに残留して当分隆盛は続いていたとしても
最終的に前記の豪華スターたちに代わって新時代のAWAの屋台骨を背負っていく
一番のニュー・スターはグレッグ・ガニアになるんすけどねwww
>>703 > 日本人王者の鶴田は当然ヒールだけど、
そこがまた微妙で前王者ニックや幹部の一人でもあるランザといった
“大物ヒール”たちと防衛戦を繰り返す一方で
ブランゼルやグレッグといったベビー相手にも防衛戦を行っていた
ヒールらしく田吾作タイツを履くわけでも手刀突きやショルダークローを駆使するわけでもなければ
ニンジャやサムライ、カンフーの達人といった米人ウケするオリエンタルギミックも無い
一方でベビー相手の試合ではグロッキー気味の相手に
レフェリーの制止を振り切って“反則の(!)”ナックルパンチを振るい
ブーイングする観客に拳をアピールしたりもしていた
正直AWAの会場に来る古参の常連客にとってはよくわからない存在だったと思う
バルガスはデラ・ホーヤ戦での負けっぷりも見事だった
>>683
>>704
映像見れば分かるけど、ただでさえ愛国心が強い国なのに、ロス五輪の年と重なって凄まじい『USA!USA!USA!』コールだよw
アメリカAWAのファンにとって鶴田は日本人のヒールでしかない。
でも、鶴田も「それを逆に楽しんだ」って言ってたし、馬場も「返って闘志が沸いていい」と肯定的だったな。
>>711
間違ってないよ。
MSWAで85年11月にフレアーvsデビアスのタイトル戦の時にマードックが上がってきて
マードック「テッド、俺はお前ウエスト・テキサス大に入れてやった。プロレス入りさせたのも俺だ。
だからここは、フレアーへの挑戦権を俺に譲れ」
デビアス「もうあんたの時代じゃない。古いんだよ、あんたは。」
これで切れたマードックに血だるまにされた後、インターバルを取ってフレアーとの試合に臨んだ。
この試合後、再度マードックが乱入して場外でデビアスにブレーンバスター→デビアス入院→長期欠場
という流れを作ったんだけど、これはハンセンのパートナーとなったデビアスが『85年世界最強タッグ決定リーグ戦』
に参加するためにMSWAを空けて、1ヶ月ほど日本に行かなければいかなかったのが理由だった。 最強タッグに来たAWA代表ニック&ブランゼル組も違和感あったな、雑誌で見る限り敵対関係タッグだから。
>>716 なるほどー!THANKSね。
全日本サーキット入りの為に当時新日のマードックが絡んでるのって
おもしろいね!!これからも謎解き宜しくです。
ホーガンのAWA離脱が83年12月で、鶴田がAWA王者になったのが84年2月か。
ガニアが鶴田を一時的に王者にしたのは、WWF全米制圧の対抗手段の一つとして
全日とのパイプを強くしておきたかったという事なんだろうか?
その後マーテル→ハンセンになった事を考えると、ガニア迷走の始まりという気も
するけどね
>>712 元々ツベって、2chからリンクで見に行くようなオタクの墓場みたいなサイトだったのにね。
ヒカキンが台頭する前ぐらいまでは、メディア化された試合は殆ど見れたのに。
違法なんだけど、世知辛い。
ハンセンが王者になったとしても
すぐにマーテルに戻ると思ってたがなあ
なんでマーテル路線をやめてしまったんだ?
AーSO!さんだったっけか 彼の動画がみんな消えているのか
全日の主力レスラーがハワイで興業をやった事があったけど、当初は協力するはずだったAWAは新日と提携してしまい不参加。
馬場とガニアはそこで完全に切れたね。
>>724 んなこと言い始めたら全日で中堅以下だったハンセンがなぜ新日で
海外二流のシンがなぜ新日でとか際限ない話になるだろ
アホかにわか
>>724 バネのあるイケメンが自分のテリトリーにいるんだから、トップで使いたいじゃない?
日本でいったら武藤。
WWEはそこを逆手にとって嫌味なイケメンキャラにしたけど。
>>728 マーテルはWWFに移ると頭頂部の薄さが目立って来た
その為グリースでガチガチに固めたキャラのザ・モデルになったのかもな?
当時のWWF中継で実況の土居壮アナは散々マーテルの頭頂部をネタにしてたわw
>>724 そんな事を言い出したらバックランドなんてWWF王者を降ろされた後は落ちぶれていた
>>728 マーテルはガニアと同じフランス系ってのもあったと思う
しかもイケメンだからね
国際に初来日した時に寺西が「可愛い顔をしているがあれは強くなるよ」と言ったとか
>>726 新日はろくな外国人レスラーがブッキング出来なかったからシンみたいな2流を
使わざるをえなかっただけだろ。アホか!
>>730 レス内容が全く噛み合っていない、同時期によそで中堅だったレスラーをどうして
チャンピオンとして重用したかだぞ。バックランドがチャンピオン降ろされたのは
用済みだからだろ、また王者に復帰はしたがな
AWAではAWA王座にも挑戦してたしそれ程扱いは悪くなかったしな。
>>726 ハンセンが新日には来た時は1977年、初来日は1975年。時期が違うな。
その間のサンマルチノの件をギミックに使えたからな。
ハンセンがNWF王者になったのは更に後だしな。
それに日本の1プロモーションとAWAを同列であるかのように扱う事自体が
アホ丸出しだしな、
>>726のことな。
>>720 >>724 ホーガンに逃げられた時点で、ニック以外にチャンピオンになる器のヤツ居なかったんだよ。
ジャンボのチャレンジャーのラインナップがそれを物語ってる。
結局、消去法でマーテルしか居ない。本来ならグレッグ・ガニアと行きたいところだろうが
線は細いし地味だし髪も遺伝し強いしww
多分、馬場は「ハンセンの方がホーガンより人気も実力もある」とプッシュしたのかも知れんが
メチャクチャやっててアメリカでは受けなかった。マリガンとかはAWAでも人気あったみたいだが
その違いが何なのか日本人には分からないね。ECWで、カクタス・ジャックが手描きっぽい
ハンセン・ブロディのTシャツ着てたけど、フミ斉藤が「アメリカ人に分かる人なんて居ませんよ」って
言ってたっけ。悲しいかなそういうことだね。
マーテルがタッグ組んでいたトニー・ガレア、第2回IWGP決勝リーグ戦
0点の雑魚レスラー。
>>712 外にも行けないし時間を持て余していて普通ならゲームに走りそうだけど、
プロレスへのブランクを埋めるためにYouTubeや書籍、ネットサイトを閲覧してばかりいても退屈にはならなかったかな。
少年時代マスカラスでファンになったようにマスカラスにプロレスに引き戻されましたよ。
>>705 アメリカマットはアラビア軍団、ロシア(ソ連)軍団、その前は日本軍団とその時代によってアメリカの実際の敵国をヒールにしていたよね。
今はポリティカルコレクトネスの時代だから、対民族、対国家、対宗教はアウトだから、これらの過去映像も問題視され見られなくなるかもね。
レイシズムとかに敏感に成りすぎてプロレスの自由が制約されてしまうのは嫌だな。
>>714 対ランザ、対ロビンソン、対ブランゼルを見たけど鶴田はヒール王者だったね。
ニックみたいなダーティーチャンプでもないし客的には中途半端な反応だったかもね。
プロレスマニアなら鶴田見たさに会場に足を運ぶとは思うけど、実際の知名度はどんな感じなのかな。
日本ほど海外のプロレス通な客は少ない気もするけどね。
>>736 三冠王バースもブーマーもアメリカ人は知らんやろね。
ほとんどのアメリカ人はイチロー?誰?らしいからね。
>>703 84年にトニー・アトラスがウォリアーズと戦ってる試合が「世界のプロレス」で流れてたけど、あればAWAのリングだよね?
>>741 84年ならAWAかな?ウォリアーズとアトラスがやっていたのは覚えてないな。
アトラスはちょっとだけかと思いきや結構AWA出てるな。それはいいとしてサラッと
WWEに舞い戻ってるし、出ていく前の格下げみたいのもされてないし。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=1083&page=4&s=500
>>685 このシリーズ(GCCU)は好調な1984年においても、エアポケットみたいに動員が悲惨なシリーズたらしいよ。
確か年末のファイトかに書いてあった
大塚氏と提携を結んだのもこのシリーズの後ぐらいだったか?
よくブロディがエースだと「客が入らん」って定番だけど、シンもけっこうキツイと思う
自分はこのシリーズの川崎市体育館のインタータッグ戦を生観戦したけど(鶴田天龍VSシン上田)
お客さんの入りは5〜6割ぐらいなのに、発表は満員マークついてたのは子供心にも「なんだかなー…」と思ったけどね。
>>727 問題ないだろ?
アメリカでも「ブラック」は禁止用語ではない。
「ブラックパワー」大いに結構。
逆に「ホワイトパワーシリーズ」の方がマズい。
うちの地方は昔、日テレ系とテレ朝系のテレビ局がなかったのよ。
でもタイガーマスクが大人気らしいと噂にはなっていて、雑誌なんかでは知ってるの。
そこで地元局も日曜の午後1時に新日を放送し始めたのよ。
月曜の学校はタイガーマスクの話題で大盛り上がりよ。
でも気づいたのよ、日曜の深夜にひっそりと全日の放送があることにな。
俺は眠たいのを我慢して観てみたら、超獣コンビのド迫力に完全に持っていかれたね。
で、月曜にハンセンとブロディの話をするんだけど「それ誰?」
黒い魔神・ボボ・ブラジル
黒い核弾頭・ビクター・リベラ
黒い砲弾・ロッキー・ジョンソン
今はNG
>>747 こっちは新日が昼1400日曜。深夜0:20全日。
でも両方見てるファンが多くて、話題は合った。新日ファンが圧倒的だったが
全日もキャラが様々で話題はつきなかった。マスカラスとファンクス、ハンセンブロディが定番。
リッキーと若島津、元祖「南海の黒豹」はどっちなんだろ
>>751 >両方見てるファンが多くて
そう、よく「新日派」「全日派」って言い方をするけど
一番多いのは「両団体派」だったな
敵は「新日派」じゃなくて圧倒的に「非プロレス派」だったなあ…
「野蛮・八百長」とプロレスを毛嫌い・バカにする連中の前には新日も全日もなかったよ。
あと「全日だけしか見ない」とか「新日だけ」というのもいなかった
物理的に塾や稽古事で見れないのでも無い限りは、両団体とも皆は見てたよ、その上での両派の違いや論争はあったけど。
サッカーのトルシエ監督の異名が「白い呪術師」だった
東京は全日は土曜日17時半、新日は金曜日20時。
一般的に全日ファンは少数派と言われてきたけど、うちのクラスは多数派だったな。
でも全日ファン対新日ファンという対立みたいなのはなかったよ。
馬場ファン対猪木ファンというのは無かったね。もうその時代は過ぎていたのだろうね。
どちらかというと好きな選手がいるほうが好きだったかな。
でも生観戦している人はいなくて、毎週楽しみなテレビ番組という感じかな。
雑誌やプロレス百科を買うまでのファンは俺しかいなかったな。
新日のが観てて面白かったけど全日ファンいないから
捻くれてる俺は全日好きだって言ってたわ
日本人よ外人レスラーのが好きだから間違ってはないんだけど
中学生の時、プロレス詳しく無い友達に「何でタイガーマスクや長州が馬場の方出てるの?」て聞かれたの思い出した。
三沢タイガーは佐山と同じだと思ったらしい。
>>756 うちも東京だから同じで、プロレスみてるヤツは両方とも同じように見てて、それぞれに好きなレスラー嫌いなレスラーがいる感じでした。
団体のどっち派とかはほぼ無かったんだよなあ
>>738 基本的に向こうのヒールって試合ぶりやルックスよりも
まず第一にどっちの陣営に付いて誰に毒づくかっていう「状況」ありきだからね
鶴田はAWAのベビー勢や地元の客にとっては
基本的には外敵でありそういう意味では一応ヒールってことだったんだろうけど
いかんせん試合前のインタビューで達者に毒づけるわけでもないし
試合ぶりもちょっとしたラフ混ぜる程度で特に悪辣だったりするわけでもない
なにより上にも書いたけど今日はベビー相手に明日はヒール相手にって形だから
殆どの一般ファンにとっては結局鶴田どうこうというよりは
対戦相手がマーテルやブランゼルの時は相手が応援されて
逆にニックなんかの時は相手がブーイングされるという
あくまで主役は相手で相手の立ち位置によって鶴田への反応も変わるって存在
> 日本ほど海外のプロレス通な客は少ない気もするけどね。
そもそも日本のようにスポーツの全国紙があったり
巨大な取次が流通をコントロールして
書店に行けばフロアに文学や専門書籍から文庫に芸能ゴシップ誌や総合誌
プロレス含む各種専門誌からコミック、エロ本までひと通り揃ってるってのが特殊だからね
あの頃は「米レスリング専門誌のレーティング」とかいうと
すっごい権威ある気がしてたけどあれって通り沿いやドラッグストアのスタンドに
TVガイドなんかと一緒に刺さってる類のペラッツペラのつくりの雑誌
まあ間違っても『TIME』や『Forbes』読んでる人が一緒に買うようなモノじゃなかった
そしてネットも無い時代、よほどのモノ好きでなければ
米の一般ファンにとってはTVで流れる地元団体の中継以外の情報源なんてほぼ無かった
(だからそのモノ好きたちw同士によるファンジン文化が盛んだった)
東京と違って地元は新日は観れる時間だけど、全日は深夜だから中学生くらいだと厳しいってのはあった。
猪木、藤波、長州はみんなが知ってるけど、鶴田?天龍?という感じだった。
ジャパンの時は長州派と全日本派でクラスで論争はあった。でもそれは長州派藤波派みたいなレベルかな
>>759 新日に興味が無くなってきたのはギブアップまでは待てないくらいからかな。
全日は三冠統一戦、鶴龍対決で充実していた。それくらいからはテレビを見逃しても週刊誌で追っている感じで完全に全日オンリーになったね。
ホーガン、藤波は好き。試合はタイガーマスクが好きだった。ブッチャー戸口要らねー、ついでにシン上田も要らねーだったね。
正統派同士の試合が子供たちの中でも人気だったよ。
まあ個人的にはシークは例外的に何故か大好きだったけどねw
>>760 当時は“世界最強”の鶴田が全米を防衛ロードと誇らしかった。
でも今の興味はでかくて強いけど人の良さそうな日本人王者で集客を担えたのか、客の反応なんだよね。
同地区にいたマサ斎藤が物差しになるんだけど、当時AWAではトップグループだったよね。
マサが喋りが行けたのかも実際はよくわからないけど、ガニアにしろ客にしろマサは受けたわけだよね。
そのアメリカのペラペラなプロレス雑誌が高すぎて買えなかったんだよね。
日本はプロレスにしてもそうだけどアニメや特撮、アイドルみたいな文化が育つような画一的な地上波と紙媒体が発達していたのだろうね。
猪木もWWFのMSGに出場した時は「アメリカの観客はイノキに大熱狂!アリと戦った男だから当然」
としょうもないデタラメをゴングも月プロも書き立てていたなぁ、実際はトイレタイムだったのに
対戦相手がマイク・シャープだったせいもあるか
>>765 まず何より
お前の書き込み自体がデタラメだww
雑誌の記事も動画も見たことないだろw
>>763 鶴田のAWA防衛戦で集客が決定的に悪かったのはサンフランシスコ位
でも当時のカリフォルニアはプロレス自体が下火だったので致し方ない所もある
鶴田はAWA王者としての仕事はしたと思うけどな
>>768 AWA地区のサンフランシスコのカウパレスだったか。
ロスのNWAのハリウッドレスリング(旧WWA)も1981年にはクローズしたんだっけな。
娯楽の頂点みたいなカリフォルニアでプロレスが早い段階で衰退してしまったのは不思議だよね。
力道山から日プロ時代は黄金マーケットだったと刷り込まれているけど。
最強タッグの入場式にオリンピアが使われたのは何年からだろう?昔はそれぞれのテーマ曲で入場だった。
テーマ曲のない白覆面コンビや大木&カマタ組は、仕方なく日テレスポーツテーマ曲で入場していた。
インディアンコンビは、ちゃんと入場テーマ曲があったんだよな。
>>755 それはアフリカの国の代表監督で実績上げたからだな
平成だけど92年に来日したマスターブラスターの爆発原子炉も今じゃだめだろな。
>>769 向こうでプロレスが人気あったのって40年代から50年代前半ぐらいみたいだから、
老人の娯楽扱いで、イケてない趣味ってイメージだったのかもね ハルカマニアで変わった
>>774 80年前後の米マットは今の日本のプロレス人気くらいの認知度かな。
隆盛期から20〜30年後と考えるとそんなもんかな。
全日勢の海外遠征の多くは日本のテレビ向けに枠を買ったりしていたそうだし、
視聴者には底上げされたステータスのプロレスを見せてくれていたのかもね。
>>210 亀レスだがタッグですら対戦はない
百田兄が凱旋して最初にブッチャーが来たジャイアントシリーズでも
ブッチャーに相手に玉砕する役はちょうど凱旋したサクラダと、負傷者と帰国キャンセルで
日本組が手薄になったため助っ人として加わったミスターフジに取られ
百田兄はアステロイド、アベンジャーという通常のシリーズなら二番手三番手くらいの格でも
おかしくないランクだがこのシリーズは豪華外人だったのでドベ扱いだった二人に圧殺
ブッチャーにリベンジすると称してプロレス入りしたのに現実にはミスター林が
林の引退後は高杉セブンがライバルだったw
>>760 >TVガイドなんかと一緒に刺さってる類のペラッツペラのつくりの雑誌
あの手のいわゆるスタンドマガジンはNYやLAではなく五大湖地区で発行されてるため
オハイオを本拠としていた旧AWAやNWFが世界三大団体とか全米四大団体とか大げさに
報じられていたらしいw
月刊プロレスやゴング・別ゴンではよく記事の翻訳乗せてたね
ゲイリー・ハートの語るカブキのインチキプロフィールとかもあったw
>>771 オリンピア初使用は、昭和59年(84年)最強タッグだそうです。
>>777 へぇー、そこまでは知らなかったな
なるほどねぇw
しかし昭和の時代は輸入紙/誌の類はプロレスに限らず
本当に少ないし値段も高かったな、『MAD』とか
『NME』(英だけど)なんてあんな週どころか月遅れのフリーペーパーの出来損ないみたいのでも
輸入盤屋で何号か格好つけて買ったりしたけどwいやぁ、高かったわあ
日テレスポーツテーマ
大会入場式&汎用テーマ曲→馬場テーマ曲→輪島テーマ曲
Comin' Home
長州テーマ曲→汎用テーマ曲→谷津テーマ曲
ゴングの別冊でアメプロ雑誌の記事の特集もあったな
レイスがマードックにクリーンフォール防衛してる試合のレポートがあって
記事でもレイスがクリーンファイトの正統派王者みたいに書いてるが
よく見たら地元カンザスでの防衛戦
捏造ではないけど滅多にないことを常態みたいに書くんじゃないw
あとシンのコーナーもあったが、写真が全部シーク戦
本当にシークとの抗争だけがアメリカでの実績のすべてなんだな
地元トロントでの試合は一切なかったのは正統派でシンらしくないからかw
>>778 鶴龍初優勝の年ですか、ありがとうございます。
>>779 NMEは見たことないな
地元のタワーレコードにあったのは同じ音楽雑誌でも米の
ビルボードやラジオ&レコーズだった
>>778 ロス五輪で使われた曲だからその年に使ったのか。
>>763 トップといってもあくまでヒールサイドの関脇クラスだけどね
ホーガンと対戦してるから勘違いされてるけど、その時点のホーガンの抗争相手は
シュルツやベンチュラで、マサは彼らのパートナーとして前哨戦に出てる形
でもどこの地区でも大体そのくらいのポジでタイトル戦線に絡んだりしてるから
キャリア全年とテリトリー全域の平均では米マットで最高評価の日本人レスラーで
あることは間違いない
>>785 AWAのレーティングだと常に上位だったから評価高かったのかなとね。
AWA在籍時はずっと同じ位置で格下げ食らってないから評価高いね
記録だけだとタッグ王座についたWWFの方が上だと思われがちだが
あの頃のWWFではトップクラスはタッグ王座に絡まないから
バックランドとモラレスが組んでサモアンズからタイトル奪ったのはまさにスタジアム興行の
目玉の特別試合ですぐに返上したし
日本人レスラーは、マツダや斎藤のように 米マットに本格的に腰を落ち着ければ
大概が成功すると思うよ。(例外も多いけど)
基礎を学んだ若手が武者修行に出されると、そのレスラーの殆どが
大なり小なり活躍を報じられていたからね。
馬場のオフィスから来た日本人は各プロモーターからは馬場の顔で優遇された。なんて記事を読んだことがある。
海外から帰ってくると冬木や川田みたいに大きくなって選手も多いよね。
先輩からのストレスから解放されるからとか、ステロイドとか色々あるみたいだけど。
日本人レスラーは活躍すると言っても大半が太平洋戦争時の差別意識を掻き立てるギミックからだけどな
>>789 馬場から預かったニタがドミニカの英雄ジャック・ヴェネノにケツだけは守るが
終始カタい攻撃で痛めつけるというトンパチにも程があることをして
怒ったヴェネノのタニマチのマフィアに殺されそうになったため
巻き添え食った渕ともどもアメリカのテリーの元へと逃がし
その礼として83年に接待来日したプエルトリコのブッカー、ヴイクター・ジョビカさん
>>791 ドミニカのプロレス事情なんて知らないな。怖いイメージのプエルトリコ経由で助けて貰ったんだ。
ジョビカが来たのは馬場抜きシリーズのエキサイトシリーズだね。
そろそろPart.2の季節
>>793 どうでもいい疑問なんだけど
ポスター内に「前売りは各プレイガイドで」って書いてあるけど
この時代のあらゆる娯楽は、全部どこかのプレイガイドで買ってたの?
それで1万人強が集まるなんて逆に凄いなあ…とね。
近所にプレイガイドがなければ電車やバス、もしくは車など使って買うわけでしょ?
券を買う行動だけで多少の経済効果もありそうだよね。
ネットは当然ないけど、電話予約というのもなかった時代なのかな?
ガキの頃にチケットピアが始まって、コンサートの券を買うのに数時間繰り返し苦労した思い出はあるけど…
>>794 初来日、全日だったんだマジ知らんかった….
>>796 チャボはヘーシンクのかませ犬やらされてた
>>796 俺も
このポスター見て、チョッとビックリした
>>795 1983年夏の俺は小学生一人で電車に乗って渋谷の東急プレイガイドに買いに行ったよ。
当然、チケットぴあもないし携帯もない黒電話の時代だから映画の前売りも同じく切符は買いに行くものだよね。
四天王時代もキングスロード先行予約も現金書留で料金を払って席は向こう任せで郵送。1990年代でもこんなだもの。
団体任せで席を選べないから次第に後楽園ホールや水道橋界隈のプロレスショップで買うようになったよ。
>>796 チャボー、ハンセン、バックランドは全日初来日組だよね。
80年代半ばまでは、興業のチケットはプレイガイドでの並びが普通。
大阪なら、難波の南海国際旅行、梅田の阪急交通社、淀屋橋のミズノ本店とか。
コンサートなんかも同様で、86年頃からいわゆる電話予約と並びが並行してしてた。
チケットセゾンとか。
>>795 チケットぴあやチケットセゾンが販売網を構築する前の団体の自主興行は当日券頼みで天候に左右された
売り興行は興行主による企業等へのまとめ買いが主
>>799 ありがとう、やっぱりそうか…
招待券やスポンサー買い券とか以外のガチな購入だと
会場に行く前に何らかの手間をかけ、それで会場に1万人なんて凄いなと
ま、それ言ったら巨人戦の五万人なんてもっとケタが違うけど。
今みたいにネットでポチ!であらゆるものの動員数が数倍になったという経済効果も意味があるけど
会場観戦するために資格(当日はともかく前売り購入)を得るのも別の意味で素晴らしい時代だったんかな…と思った。
そうやって手に入れた券だもの、楽しみも増幅したんだろうな…
>>801 >>802 うーん…なんか開放的というか
娯楽を求めるのに凄く能動的だったんだね
天候に左右される…それも懐かしい響きな感じがする
今の動画配信とは隔世の感なんだろうな。
>>793のポスターはPart.1 だったので訂正します。
Part.2 はタイクーンズが目玉
>>803 お年玉を貯めておいてテリーファンクの最後の勇姿を観るために小学生の俺は、
プレイガイドの店員の女性のチケットを奪い席を選ぼうとしたもんだよ。座席表すらないんだもん。
はじめてのプロレス観戦のはじめの一歩だよ。
まあ昭和を遡るほどにアッチの世界からの闇ルートは凄かったんだろうけどね。
うちの街にはプレイガイドがなかったけど近所のスポーツ用品店に必ずプロレスのチケットがあったから自転車で買いに行けた
街のスポーツ用品店と言えば、横浜文体のチケットもノアになっても文体近くのスポーツ用品店で売っていたな。
今でもあるのかな・・・
キム・ドク以外の韓国レスラーが馬場鶴田組とセミファイナルで組まれることもあったんだ
>>812 この曲知らないとモグリと言われるよw
教授・坂本龍一のセッション『カクトウギのテーマ』
>>810 根本スポーツといったかなあ...
全日というか、プロレスを贔屓にしてくれた方なのですか?
>>813 横レスで恥をかきますが、そのあとのお馴染みの新日の次期シリーズの煽りVTRのBGMのテーマ曲は何でしたっけ?
>>813 どうもありがとう!!
とりま、YouTubeで聴いてきました。
坂本龍一の曲だったんですね。
曲の始まりは、戦いに向かうハイテンション、終盤は戦いが終わるようなシックなエンディングでした。
胸の支えが取れてスッキリしました。
>>811 川崎市体育館ってオープン選手権の最終戦でも使ってたな
最寄駅から遠いし、収容人員も少ないのに
なんでビッグマッチで使ってたんだろう?
東京にいた時は八重洲地下街にあったプレイガイドでチケットを買った。
地元だと新聞販売店やスポーツ店で購入した。
>>803 それにあの頃のチケットは選手の顔写真とかも印刷されていました。大会場のチケットだとその日の対戦カードまでしっかり明記されており、選手の写真もそれに沿ってレイアウトされていました。
だから綺麗に保存したくて、チケットの半券をもぎられる前に自分でなるべく折り目を付けておいたものです…
オープン選手権の足立区体育館で開幕、川崎市体育館で最終戦ってマイナー感半端ないよな。
ぴあの文字ばっかりのチケットの時代の方が長くなったよな。。。最近じゃスマホチケットが当たり前になってる。
でも当時は半券大事にとってたわ
>>817 >>818 スリープラトンでどうも!
まさに令和に甦ったネプチューン!
>>819 >砂坊主
新日にしてはふざけているなw。なんてシーンも思い出した。ドゥガンがエースだ、全日で見たかったよ。
>>821 川崎は羽田のそばなので、シリーズ最終戦だとそのまま帰国する外人勢には
都合がよかったらしい。成田開港前の話。
市立体育館観戦だけど近場のスポーツ用品店でチケット売ってたよ
>>824 ジャイアントシリーズ第二弾の為に押さえた会場をそのままオープン選手権に
振り替えただけとか、前にそんな書き込みをみたような。
UWFの大阪球場だっけ?近鉄のホーム、超満員だったけど実は近郊の商店街に割引券配りまくったから儲けが少なかったとか暴露してたね
商店街とかで買ったことないけど当時はあちこちに卸してたんだろうな
>>803 プレイガイド自体が地方の場合は
その地方の一番繁華街の中心にある百貨店にあったしね
大人は買い物して子供はおもちゃ売り場巡りして
屋上の遊戯コーナーで遊んで家族揃って大食堂で食事して…
「デパートにお出かけ」すること自体が娯楽になっていて
プロレスやコンサートのチケットも百貨店に行けば買えてた
まさにデパートに行けばなんでも揃ってる“百貨店”だった時代の話だなあ
>>830 大阪球場は南海ホークスの本拠地。近鉄は日生球場と藤井寺球場
UWFが大阪球場で試合したのは平成だから、もう南海ホークスはなかったんだな。
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@YouTube そうだ野球見に藤井寺行ったことあるわ、忘れるもんだな
UWFの暴露話は割引券もそうだが大阪みたいな都会でもそして90年代でも商店街を練り歩いて売り歩いてたんだなということだな
チケットは基本ぴあやローソンなのはもっともっと先の話なんだと
>>826 ちなみに藤田和之のPRIDE初参戦時(vs ハンス・ナイマン)の入場曲はこの曲だった
'88(昭和63)年4月22日、輪島大士vsトム・マギー
PWF世界タッグ選手権・天龍&原 対 ブロディ&リッチ(川崎市体育館)
後楽園ホールの5階に前売り券売り場あったよな。座席表見せてくれて、選ばせてもらえたのは良い思い出。
当時は雑誌の投稿欄とかで後楽園ホールで買える人の話を知るとうらやましかったな
実際に自分がその環境だと立ち見でバルコニーにばかりいそうだけど。
>>838 ぴあ、プロレスショップとかでも座席表を見せてくれたぞ。
後楽園ホール何度も通ったけど花道短いからあんまり好きじゃなかったな
家から自転車で行けた川崎市体育館は好きだった
全女もよく興行打ってたからよく行った
>>840 ごめん、そういう意味ではない。後楽園ホールで、後楽園ホールの座席表を見せてくれて得した気分になったんだよ。
>>841 あんな短い花道なのに、テリーのヘアバンドを盗み取るヤツとか、ワフーの羽飾りを引っ張るヤツとか、
よく考えたら観客マナーは最悪の会場だった。あの頃は立ち見券でも北側まで入れちゃったんだよね。
>>252 この写真三沢がダウンタウンDXに出演した時に
秘蔵写真として出てたな
松本に「両脇のマスクマンが狛犬扱いですね」
と言われて三沢が苦笑いしてた
>>830 UWFは東京ドームも、その夏のプリプリ西武球場見に行ったやつに
もれなく招待券が回ってきた
>>845 えー!マジで!!なかなかの告発だな。
当時のUWFって何もせんでも売れてるイメージだった。
VHSがアホみたいに売れて、何処のレンタル屋にもあったし。
これがいつも貸し出し中なんだよなw
どうでもいいけど高3の時に行った(1988)
トッド・ラングレンのライブに行ってその後
ジェシ・コリン・ヤング(意外と日本のポップスのエポック的な存在なんだけどマイナーな人)
のチケットが送られてきた。まったく行く気はなかったけど(当時はFREE SOULも知らんしね)
次の日学校に持っていったら、トッドに一緒に行ったツレの所にも
届いていたwww
>>835 いやいや、もう普通にぴあはあったっつーの。
ぴあは昔からあったが一般的になってなかったってことだろ、特に地方
コンビニで買えるようになるのは1996年くらいじゃない?
ぴあショップというか、ぴあ窓口があったもんな。コンビニで発券するシステムではなかった。
>>838 後楽園ホール5階はカウンターに各団体各会場の座席表があって、大体いつも同じ座席を売っているから
狙いやすかった。
よく武道館スタンド席最前列だったり良い席を売っていたりしたから発売日に買いにいったよ。
田園コロシアムって海外にあるのかと思ってた@小4の頃
割引券に関してはどこの団体も出していたよね。
売り、手打ちなど興行の違い団体によって違うけど、地方興行の場合には、スーパーのチラシ置き場に置いてある場合が多いよね。
地方に行って当日券で入る場合は近所のスーパーやコンビニで割引券を見つけて入場した時もあるよ。
だいたい1000円引きや一枚で何人も入れるやつ。
ノア、新日、全女、闘龍門、みちのく、大日なんかの割引券は見たことある。全日はあんまり無いな。
商店街の大衆食堂でもプロレスのチケットを販売していたが
市内の飲食店経営者にプロレス興行のチケットの購入を強要したとして暴力団組員が逮捕という記事が
新聞の社会面の下の方に小さく出ていた
>>789 ゴッチが淵に初めて会った時も「ユーはババのトコのボーイか?」と言われた。
日本でレスラーとしての基礎が出来ているのとやはり日本に呼んでほしいと言うのも
あった。後藤が急の海外遠征に出発して残りの荷物は元子夫人の依頼で日本での
シリーズが終わったレイスが持ってきてくれたが「レイスをを運び屋代わりにする
この日本人レスラーは大物では?」と急に周囲の目が変わったらしいw
>>855 ゴッチにしてみればビジネスをする相手は新日でなくても全日でも良かったのだろうしね。
ミスタープロレスに頼む馬場夫人もどうかと思うが、レイスが届けるなんて馬場が当時だとアートクルーズあたりの荷物を運んでやるに等しいからねw
>>851 俺なんか周りが田んぼだらけの場所にあるんだと思っていたぞ。
田園調布の地名を知ったのは高校生の頃だったよ。
>>856 レイスと後藤、馬場とクルーズ、は選手の格という点ではそうだが、人間関係を踏まえると例えは不適切だ。
アートクルーズがレイスの弟子で飯を食わせたりして可愛がっていたとしたなら、馬場はレイスに頼まれたら荷物を運んであげるだろう。
>>852 俺が、良く見に行くようになった’80年代終わり〜90年代にかけ
東京スポーツでは、「全日武道館大会の招待券」の案内があり、
往復はがきで応募すると、只券は滅多に当たらないが、
割引のスタンプが押されて返信された。
7000円のアリーナが5000円、1階5000円が4000円、
2階スタンド3000円が2000円というように。
いつも2000円で見ていた。
SWS大量離脱の90年9月は只券を貰ったが。
昭和の全日本スレの人はセントルイスみな知ってると思ってた。
>>860 NWAの総本山キールオーデトリアムがあるセントルイス・・
昭和新日ファンでも知ってるだろ
>>859 >SWS大量離脱の90年9月は只券を貰ったが。
90年9月の時点では実情はそんな感じだったんだ…動員力に関して。
てっきり天龍離脱後の5月開幕戦、東京体育館はガラガラだけど
地方はダメでも後楽園と翌月の6月の武道館(鶴田vs三沢)から埋まってるのかと思ってた。
じゃあ、本当に実売で武道館の券が完売するのは翌年6月の武道館(馬場復帰戦)あたりまでかかったのかな?
それか、早くても90年最強タッグ武道館あたりからか…平成話で悪いが。
>>858 あと当時セントラルステーツ地区と言ったらマーティージャネッティだけど後藤よりは格上だしと思ったんだけど、誰が適当かな?
>>859 そういえば東スポもサポートしていたよね。後はYFCだよね。
>>962 恐らく、意地でもSWSには客を獲られるものかと全日も集客に必死だったのだと思うよ。
その営業(投資)の成果が後の超世代軍の人気に繋がったんじゃないかと思う。
>>861 いや、団塊ジュニアの俺はNWAといえばリックフレアーで、ノースカロライナのジムクロケットジュニアって感じだから知らない世代かも
長年プロレス雑誌を読んで新日本の参加表明とかセントルイスの出来事とかを知ったな
>>863 最近姿を見ないなあと思ってたら、二人ともとっくに故人なんだな。
>>865 1983年ミズーリ州セントルイス・チェッカードームでの馬場がレイスにPWF奪還戦
1982年ノースカロライナ州シャーロッテコロシアムで大仁田がチャボを破ってインターJr.奪取
この頃のNWA王者はフレアーがメインだよ。
俺も団塊Jr.世代だけど小中学生でど真ん中な世代だけどなあ。
セントルイス、アマリロ、ダラス、シャーロッテ、ミネアポリスと・・・
アメリカ横断ウルトラクイズと合わせてアメリカの都市には興味合ったなあ。
この頃は幼なすぎて地名までは記憶にないな
プロレスもウルトラクイズも洋画も日米野球も見てたからアメリカへの漠然とした憧れみたいなのはあったけど
>>860 懐かしい皆のその辺の話を読んでたら、自然とスターウォーズのテーマが頭の中で鳴り始めたよ
>>869 全日本のアメリカ遠征にAWAガニアのテーマだったね
『スターウォーズ』はミーコのディスコVer. だったのがナイス選曲
>>870 シカゴ・インターナショナルアンフィシアターでの汎用入場テーマ曲で使われてたのをパクった
馬場がブッチャーからPWF取り返した時に中継したけど日テレスタッフは気に入ったんだな
>>868 小学生は例えば三歳違えば全然世代差あるもんね。
ジャパン時代がど真ん中ならセントルイスは知らないかもね。
>>862 全日からずっと武道館大会の前に割引先行発売の案内ハガキがずっと来てたけど
90年の9月が最後だった、以降も割引なしの先行発売はがきは来たけど
91年の6月(馬場が骨折から復帰した試合)武道館が最後だった
以降は武道館大会当日に次回の武道館のチケットを並んで買う方式になったかな
くりぃむしちゅーの有田が
ノースカロライナ州を
ノースキャロライナ州と
言い直してるの見て
親近感を覚えたわ
ゴディが亡くなってもう19年経つのか
最近亡くなったと思ってたのに
>>870 動画のコメント見るとアメリカのファンは「何でガニアが『スター・ウォーズのテーマ』で入場するんだ?」って声もあるな。
ガニアとスター・ウォーズが全く結びつかないというw
確かにそうかもしれないが、当時の日本のファンにしたら80年代前半のアメリカマットへの幻想を掻き立てる最高のテーマだったと思う。
逆に79年に来日したR2-D2とC-3POをギミックにしたザ・ロボットR2&ザ・ロボットC3のテーマはスター・ウォーズと全く関係なかったなw
>>872 年齢もあるけどジャパン時代にビデオ録画して繰り返しみた印象もあるかも
我が家はビデオデッキ比較的早かったけど基本的にドラえもん撮ってたし、それ以外はチャンネル権なかったからかかさずプロレスを見れてたわけじゃないし
>>875 ゴディは40歳で亡くなったから、生きていたらまだ59歳。
ちなみにブロディはゴディと一日違いで、明日7月17日が命日で丸32年経つ。
日本流に言えば『三十三回忌』だよ。
>>877 貧しいw我が家がビデオデッキをかったのは、1996年アトランタ五輪か(笑)
まあ、その前に個人的にビデオデッキを買ったのは鶴龍時代か。
うちは父も母もプロレス好きだったからチャンネルはプロレスの勝ちだったかな。
姉の好きな金八先生には勝てなかったけど、父の好きな巨人戦には勝てた。
母は全日、父はどちらかと言うと新日好きだったかな。
父はラッキーシモノビッチとかジェスオルテガが好きだったらしい。
後年秋山と天山が好きだったね。
母はマードックと女子のビクトリア富士見や佐藤ちのが好きだったね。
両親は鬼籍、姉はプロレスは未だに知らんが三沢は何故か三沢さん呼称だよw
プロレス好きの家庭だったから超世代チャンネル闘争に勝てたのかもね。
当時ドラえもんを録画出来たのは羨ましいね。
>>878 ブロディのちょうど一年前に亡くなったのが石原裕次郎。
昨年の三十三回忌で弔い上げを宣言し、石原プロモーションの解散が噂されている。
記念館も閉館して確実に「過去の人」へとなりつつあるが、プロレスファンはブロディのことを永遠に語り継ぐだろう。
>>880 石原裕次郎とブロディが同じくらいに亡くなっているんだね。
考えればそうだけど歳を取ったもんだ。そりゃ馬場鶴田が20年、三沢が10年以上、ゴディもウィリアムスもそんなになるんだもんね。
子供の時(昭和50年代前半)祖父は力道山が亡くなったのを最近の様に話してた
今になるとそれがわかる
たしかザ•シークが晩年にインディで(TWAか初期ECW)暴れていた頃に
リングサイドのおっさんが「いまにブルーノがお前をコテンパンにするぞ!」って
野次ってきたんだって。その当時から30年もの間、覚えていてくれた事に感激してた。
サンマルチノはシークにあり得ないほど安い額の小切手を渡されて
「ファ〇ク!」とビリビリに破いたんだっけ
よく考えたらオープンタッグの時には、既に50歳を超えていたんだよな。
FMWの川崎球場でテリーと試合した時は67歳?シークはいつも元気だったよね。
サンマルチノはアイアン・シークとは仲良いんだよね。
>>884
WWFだったらギャラ渡すのはビンス・シニアでしょ?
ブルーノの独立後かな?だったらシブチンだったかもね。
Big Time Wrestling での興行じゃないのかな。
https://www.cagematch.net/?id=1&nr=195087
>>848 ぴあ自体が元々都内近郊のタウン誌がそのはじまりで
なのでチケットぴあ事業もオンラインシステムなんかなかった時代
都内近郊で行われるイベントのみを都内に設けた何ヵ所かの
チケぴ(ぴあステーション)でのみ取り扱っていた
この時代の興行ってのはあくまで団体や劇団や
キョードーやウドーといった主催者のもので
ぴあのようなチケット流通業者ってのはあくまで委託・小売業者でしかなかった
ぴあがノシて来たのはコンピュータによるチケット発券システムを早期に導入したから
それまで国内ではJR(国鉄)のシステムが一番進んでるとされてたところに
IBMから元々アメリカン航空の予約発券システムをベースにしたシステムを導入した
現在に至る世界中の大規模予約・発券システムほぼ全てのベースがこのアメリカン航空のシステム
でも時代的にはもうこのオンライン化以前の時代を知らないというより
そもそも想像自体出来ない人の方が多くなってきてるのだな
ぴあやシティロード、関西ならぷがじゃとか福岡ならシティ情報ふくおかとかみたいな
販促用フリーぺーパーみたいのでなく
独立した情報誌としてのタウン誌自体もう現物見たことないって人も多いんじゃないか?
>>862 >>873 はじめて武道館でソコソコ入ったのがブロディ―メモリアル
それまでは鶴龍対決でも2階の真ん中ぐらいからガラガラだった
それからは超世代人気で92年3月4日の武道館は初めて札止め
俺はチケットを買えなかった
ゴディ、ウィリアムス対鶴田、田上がメインでハンセン対三沢の三冠で
どっちもつまらなかったから行かなくてよかったけど
記者時代のブロディ
・・・1988年7月17日だったな
ザ・シークやカール・ゴッチあたりは自分がプロレス見始めた頃すでにお爺ちゃんのイメージだったけど
実は50ちょいだったから、当時の彼らの年齢に自分が近づきつつあることに驚くw
>>858 JBエンジェルがWWF参戦時にキング・レイスが番頭格のキッドに「ジャパンから
来たガールズの面倒見ろ!」と言うとそれが各レスラーに伝わり移動時等に率先して
同乗させてくれたり大助かりだった。
>>870 およげたいやき君の子門真人が歌うスターウォーズのテーマと言う珍品レコードがあった
けどB面はあの名曲・ギャラクシーエクスプレスだった。ただ著作権の問題ですぐに廃盤
になったらしい。
>>884 馬場やブラジルまで参加した全米オールスター戦のようなシーク興業が朝から夜まで
ありファイトマネーの支払いがあるからと試合の終わったレスラーズを長時間待たせた
ためにあの温厚なサンマルチノが切れて「もう奴の興業に絶対、協力しない!」と怒り
帰ってしまったと居合わせた馬場が証言していたのはこの時かな?
シークは「1929年生まれ」が長いこと公式プロフィールだったけど、wikiみると1926年生まれになってるな。大仁田らと火炎デスマッチやっていた頃が60代後半だったのか。こりゃ、まさしく怪人だわ。
>>894 風で煽られて火が大きくなりすぎても最後までリングに残ってたんだよな。本当怪人。
シークは反則負けばかりで、フォール負けが少ない印象
坂口(UN)馬場(PWF)ドリー(最強タッグ)の各1回は記憶してるけど、
他は許してないよね?
85決戦ダイナマイトウォーズ鶴龍vs木村カマタ
カマタのドロップキックとトーキックの合体技スゲー
天龍の顎にモロに入り天龍悶絶



@YouTube でも試合の最後はカマタ公開処刑状態になったのは何でだ?w
なんで谷津のヘッタクソなスピニングトーホールドでギブアップしなきゃならないんだ
キラー・ブルックス可哀そう
>>895 自分以外のレスラーが脱出するのを確認して、自力で脱出出来ないレフェリーを逃がすために残ってた。
レフェリーを脱出させる時に、「自分がロープに向かって振るから、その勢いで1番下を転がって逃げろ。途中で止まったら大火傷するから絶対に止まらず転れ!」
って言い聞かせて。
でレフェリーが無事に脱出したから、自分も脱出。その結果大火傷を負った。
>>901 プロだなあ
あの歳になるまで、絶えずお座敷かかってた理由がよくわかる
サブゥーのあの破天荒なファイトも叔父のプロ意識を受け継いだものなんだろうな
そのサブゥ―も50代半ばくらいのはずだが、まだ元気にしているんだろうか
英語版のWikiによるとまだ現役のようだが
シークのキャメルクラッチでギブアップした日本人選手って坂口以外はいたのかな。
考えてみりゃ「サマーアクションシリーズ」ってよくわからない言葉だな
「サマーサスピション」とか「ひと夏の経験」とかの方がよくね?
>>888 >>893 詳しいねー!
1965年!!!客入りの歩合契約だったから待たせたのかな?
ブルーノはシークやブラジルの下のカードがそもそも気に入らなかったかも…?
BTWだとシーク様がやっぱメインなのねww
>>905 ジャイアント
最強
チャンピオンカーニバル
これらは除くとして、あとの定番はこの3つの中では秀逸だよね。
エキサイト
スーパーパワー
サマーアクション
サマーアクションと聞いただけてスカイハイのメロディが聴こえてくる。
サマーサスピションならオメガトライブになっちゃうw
まあ、鶴田がオーナーエースになったら、
サマージャンボシリーズ
年末ジャンボタッグ前後賞決定リーグ
ドリームジャンボシリーズ
と宝くじCMに鶴田が器用されそうだけどさw
>>904 FMWではそれなりにキャメルクラッチでギブアップ勝ちしてる
シークのキャメルクラッチなどプロレス図鑑でした見たことないよ。
鋭い尖った凶器と火炎攻撃しか知らない。放送コードによる首締めもシークだっけか?
シークだけは反則負けじゃないとつまらない。
全日や日プロで前座中堅クラス相手にギブ奪ってない?
キャメルでギブ奪っているんだろうけど、何せリング上がっているのはたまにしか見ないからな。
俺の知っているシークは専ら場外乱闘だもの。
プロレスファンになる前に
漫画の「キン肉マン」のコミックスで初期ラーメンマンが
超人オリンピックでブロッケンシニアを真っ二つにしたシーンを見た
あの印象がトラウマになったから、後にプロレスファンになった時にキャメルクラッチを目にしたら
鶴田や馬場の体が割れるんじゃないかとドキドキしてたよ…
要は自分の中ではキャメルクラッチはギブアップどころか、戦慄の殺人技だったよ…
ブロッケンの上半身をかかげて高笑いしてるラーメンマン…怖かったw
最凶悪コンビでフォール取るのはいつもブッチャーで、シークが取るのもほとんど記憶がないな。
79年最強タッグ開幕戦で、シークがフランクヒルをフォールしたぐらいしか覚えていない。
>>912 その後ラーメンにしてブロッケンJr.のお父さんはラーメンマンに食べられちゃうんだよな。
シークの後のキャメルクラッチの使い手は前転キャメルの三沢か。
三沢の場合は前転までが技だったような気もするけど。
Aブロックの準々決勝2試合が後楽園球場で、Bブロックの準々決勝2試合は後楽園ホールなんだよな。
>>912の原作が残酷すぎて放送コードに引っかかるからアニメでは
>>914に変更されたんだな
>>916 そもそもブロッケンマンのハーケンクロイツや毒ガス攻撃は、アウトだよね。
今ならゆでたまごは失職、ジャンプは発売禁止回収だろうね。
>>898 シークに関しては(数少ない)リング上でのクリーン負けが
大技の攻防や互角の勝負の末に…ってんじゃなく
いざリング上で攻められるとあっさりってのが
却って最初から勝負は度外視してるっぽさを出しててまた似合うんだよね
で、勝負着いた後も負けをまったく気にしてないように
すぐに反則や凶器攻撃で反撃、いたぶり続けてひとしきり暴れる
まぁリアルでも鉄の爪なんてユダヤ人なのにナチスギミックだったし
>>910 日本プロレスでは、昭和47年の9月に一度だけ特参。
坂口とUNタイトルマッチを2戦しただけ。
その他の選手とは対戦していない。
本気でキャメルクラッチなんてやったら全員ギブアップだよなあ
それをキメ技にするのはプロレスラーとしてセンスがいいのか悪いのか
>>909 79年の最強タッグ決勝ででテリーを
キャメルで攻め込んでる。
70年代のファンクスは元気だったんで
自力で脱出に成功してる。
>>919 ケビンがキリスト教徒で日曜礼拝に家族で参加してたってインタビューで答えてたからユダヤ人では無いと思うよ
>>890 91年4月の武道館は前売りだけで完売して当日券無しだったと思います。
メインは三度目の鶴田対三沢。
セミはゴディ&ウィリアムス対ハンセン&スパイビー。
それ以外は川田対田上。
馬場は前年の最強タッグの骨折で欠場。
>>927 凄いねえ、天龍離脱でガラガラだった東京体育館の開幕戦から
一年弱で復活したんだね…いや、完売ならそれ以上か。
ところでちょうど今、プロレスクラシックの再放送で
例の松戸のドリーvsテリーが始まったけど
ブロディが欠場という事もあって、テリー含むリング上の抽選メンバーは出がらし感がいっぱいだね…
しかし松戸在住の方々には失礼だけど、唐突に兄弟対決を組むなら
もっと前から計画して、蔵前やら東京体育館やらを押さえてから兄弟対決につながるストーリーを考えればいいのに…
ファンクス対決なら、どんなに興行不振でも一期一会の価値で1万人は集まると思うけどねえ?
もしブロディがガチの欠場だったのなら、当日のお客さんに対しておわびのカードというには良心的すぎるでしょ…w
要は全日はあまりに商売が下手すぎる…1週間ちょい前の新日タイガーのデビューが衝撃的すぎるから話題で対抗しようとしたとか?
それはないか…。
>>928 >
>>927 > 凄いねえ、天龍離脱でガラガラだった東京体育館の開幕戦から
満員ではないが
ガラガラではない
認識不足
そもそもインターは最初のトーナメントでブロディが巻くはずだった。
足の故障は松葉杖のブロディの写真見た記憶があるから、
ガチの欠場もしくは既に痛めていた可能性があるな。
ファンクス兄弟対決はドリームマッチだったとは思うが
観たいカードではなかった気がする。のちの蔵前の10周年とかのお祭りなら
華を添えるカードだとは思うが。本人達も「ダメな試合だった」と回想してる。
>>927 後付けで悪いが、その日のカード・勢いならドームでやっても満員だったと思う。純正のメンバーだけで。
それくらい盛り上がった興行だった。
エリックがユダヤ人の血を引いてるのはどっかで読んだな
だからこそナチスギミックが許されたと。
>>928 ファンクスの兄弟対決はあの唐突感がいいの。
>>930さんのおっしゃる通りで見たいカードじゃないからね。
だから松戸という地だった事も結果的にはいいんだ。
>>928 この頃は全日の経営危機が表面化して痺れ斬らした日テレから財務担当役員が
送り込まれて経営内容を精査して「再建可能!」の判断が下されて馬場の会長への
更迭、下半期には再建請負人として御大を「馬場君!」と呼べる日テレ・スポーツ
運動局長の松根氏が送り込まれて事になるからバタバタしてリング上での戦略を練って
いる余裕も無かったんじゃないのかな?
>>933 ドームのような大箱は実入りも大きいがやはりチケットを大量に売る苦労は多いし
バクチでもあり日テレも通常の収録よりカメラの数も増やしたり撮影機材のセッティング
に経費が1000万円くらいかかるので双方がドーム進出に二の足を踏んでいた
年間の武道館興業とTV放映権料で十分な黒字で下手に地方興行をすると赤字が出るので
やる必要が無かったが試合数をこなさない選手の習熟度に影響が出る問題があった。
まさかテキサス州ジュエット(Jewett, Texas)出身だから
「Jewett(ジュエット)」を「Jewish(ユダヤ)」と誤訳したという、
プロレス関連ではよくあるいつものやつ?
誤訳はプロレス以外でもたくさんある。絶滅危惧種のシロサイは、wideをwhiteと誤訳してあの名前らしい。
>>939 ドームでの鶴田、谷津vs健吾、木戸をアメリカのプロレス雑誌は、鶴田、谷津のオリンピックチームと闘ったのは、
マイクパフォーマンスの木村とダイナマイトキッドの従兄弟のOsamu Kidと書いたw
>>916 ラーメンにして食べる方が残虐だと思ったわ。
せっかくインターを復活させようとしてるのに
決勝が松戸というのはマイナー感が拭えないわな
全日でのインターの価値が
力道山、馬場の王者時代に遠く及ばないのは
この時点で決定的になったと思う
>>936 子供の頃は、予告でファンクス対決実現って見て、めちゃめちゃ楽しみだったけどなあ。
見たいカードじゃないってのは、今の価値観だろ。
>>941 あれは週プロのデマ記事だろ。
あんなめちゃめちゃな内容、二週に渡ってよく書いたなと思う。
たびたび話題にあがるロッキー羽田だか、シークとは80年CCで両リンという大殊勲
>>941 あの記事何なんだろなあ、ホントにそんな記事あるなら原文読みたいわ
81年の銚子でシーク対羽田を見たがやはり短時間で両リン
羽田はまあまあハッスル
ドリー対テリーは
テリーがニコニコしながら「挑戦者」と書かれた紙を見せて手を差し出して
ドリーが顔を曇らせて少々戸惑った後に握手をする演出が上手かった
夕方の全日中継にチャンネルを回したら、ドリー対テリーがやっていて嬉しかったなあ。
まあ、後から知る沢山の出来事や情勢など知らずに無邪気に兄弟対決を喜んだな。
松戸じゃ勿体ないは今の感覚なんだろうね。
悲願のインター復活、ブロディがケガ、舞台裏ではIWGP構想、ブッチャー、戸口が引き抜かれ、天龍凱旋帰国、馬場が社長職を終われ、タイガーマスクがデビューし、シーク狂い咲きの大暴れ、タイガージェットシン登場
などなど
昭和56年春から夏に掛けてマット界は激動だったね。
エリックはユダヤ人だから同じユダヤ人のブロディを可愛がったなんていう話が、
俺の頭の中では定説になっているんだがそれも違うんだ?
松戸はBI時代の日本プロレスコミッショナー川島正次郎ゆかりの地。
業界的にはマイナーどころか逆にVIPな都市。
千葉とか船橋で大きな試合が行われきたのも川島正次郎の選挙区だから。
>>930 と、いうかはっきり言って限りなく駄戦に近い凡戦だよな
全日以降のドリーは強者設定のわりに
シングルでは明らかな噛ませ役の相手以外には
勝ち試合は「もっさりとゆっくりとしたクイックw」のフィニッシュばかりになってて
それも自分が仕掛けるんじゃなくて相手の技を切り返しの省エネパターンばかり
相手が回転エビやローリングバッククラッチ狙いに来たら
「ハイ、ドリーが半回転して逆に押さえこみね」ってミエミエで正直シラケてたな
オコーナーみたいにわかってても惚れ惚れするような見事なムーブってわけでもないし
馬場とドリーのシングルって、オープン選手権が最後だよね?そんなにやりづらい相手だったのかな?
ケビンはクリスチャンだと言ってんな、イスラエルに思い入れある様な事も言ってるが
ユダヤ人の定義論までなるとよくわからない。
https://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4958735,00.html ブロディは日本語のユダヤ人レスラーのWikipediaにはのってるけど英語版のには
ないな。知名度のせいでもなくて他のサイトでもブロディをユダヤ人としてないだろ。
>>934 >>935 エリックは正確にいうとユダヤ人ではなくユダヤ系
祖先になんらかの形でユダヤ人の血をひく人ってのは東・中央ヨーロッパ系移民には多いのよ
元々ユダヤ教自体がイスラム教やローマ教会はもちろん
そこから派生した東欧教会なんかからも異端信仰とされて
欧州各地に散らばっていった経緯があるわけで
故に民族的に言うとアングロサクソンはじめ
北欧、ゲルマン、ラテン、アーリア、東欧、白系ロシア人なんかと混血が進んでるので
純粋な血族としての意味での「ユダヤ人」ってのは実はもうなんだかハッキリしない
イスラエル人だって何代か遡ると建国前に欧米各地に散ってた人達なわけで
血族としてみると皆が皆、純粋なユダヤ血族ってわけでもない
現代では
・何世代か遡る中でユダヤ系の祖先がいる→ユダヤ系
・ユダヤ系の家系&ユダヤ教を信仰している→ユダヤ人
みたいなかんじと思っとけばいい
>>946 アメリカのプロレスだからいい加減なことはある。
革命軍直前にNYにいった時の小林邦昭は「チンコビアシ」
Mr. Togoがタイプの打ちミスでPogo。
新日がWCW遠征した時、大谷と金本の名前が逆になってた。(2人とも黒髪で黒タイツ、シューズの東洋人だから判別しにくい)
日本でもデビアシーがデビアス、ヘニグがヘニングとかいい加減なものがある。
今のイスラエル由来のユダヤ人と東ヨーロッパのハザール王国由来の全然民族が違う二系統のユダヤ人がいると聞いたな。
前者はアラビア人風、後者はスラブ人風。
まあ、これもひとつの説だけどね。
でもエリックとブロディがユダヤ人だと刷り込まれているソースはわからんなぁ。
>>957 エリックがユダヤ系ってソースあんの?
英語なら人でも系でも”Jewish”で一緒だろ。
>>953 それなら川島の存命中に
日プロがもっと千葉や船橋でビックマッチやってるはずだろ
大野伴睦がコミッショーナーの時だって
岐阜でタイトルマッチなんかやってない
いい加減なこと言うな
>>953 なるほど
日プロはやらなかったけど馬場さんが気をきかせたわけね
松戸は84年最強タッグの開幕戦だったし
ハンセンと三沢の三冠決定戦もやってるから、ビックマッチをやるイメージがある
昔は金沢とか松本とか水戸とか、もちろん新潟も
新日本でいえば徳島とかビッグマッチをやってたよな
海外ドラマ観ると黒人やアジア人のユダヤ人が出てくる
ユダヤ教を信仰してる人をユダヤ人と定義してる感じで人種は関係無いと思うよ
新日本が二階堂コミッショナーの出身地鹿児島でいいカードを組んだのは事実。
>>945 今の価値観じゃなくて当時の価値観だよ。
あの時点で見たいのはやはりドリーとブロディとかテリーとブロディとかだよ。そりゃ予告で兄弟対決なんて出たらワクワクするが、基本はおまけ的にファンクス兄弟対決が見れたらいいなくらいだよね。
逆に今の価値観だと希少な対戦だから、前宣伝をしっかりとか大会場でとなる。
馬場が復活インター戦を松戸でやったというのは
日本プロレスの後継で日本マット界の本流は全日本プロレスであるということを知らしめる意味もあった。
Iインターナショナルを冠タイトルにしたIWGPなるものを新日本プロレスがやるようだが
本家本物のインターナショナルはこちらであるというアピール。
でも本流の継承をアピールする大事な大会の開催地がローカル会場では
ファンはついてこなかったわなw
IWGPと三冠タイトルの現在の興行価値の差も
こんなところから始まってる
戦略的なものなのか、馬場にとっては愛着のあるインターのベルトを
1度でも巻く気はなかったのかな?
PWFベルトとの価値の位置付けはどう考えていたのかも気になる。
>>968 日テレからインターは鶴田用タイトルだから
馬場には巻かせないという方針を伝えられてたんじゃないの?
それくらいは格付けしといてもいいのに、と思うんだがすべてが棚上げ
そしてファンに丸投げするんだよね。マスコミは黙して語らず。
全日でのインターとPWF
国際でのインターとIWA
国際とマスカラスのIWA
ちょっと飛ぶけど最強タッグ優勝とインタータッグ保持はどっちが偉いのか、とかも。
>>969 全日でインター王座が復活してから鶴田が戴冠するまで2年も掛かってるのに鶴田用と決めてたのか?
>>971 全日内の格付けはともかく日テレはインター>PWFと決めてた
PWFの方が格上と考えていたら、長州に巻かせるはずがないからな。
>>973 そりゃあ外人専用というわけではないだろうし
いまさら馬場にもう一度任せるなんて時代の逆行みたいなことやったら
ファンから物笑いの種だろう
将来のことを考えれば鶴田以外ありえない
そのあとの運用には問題もあったが
>>971 ファンに丸投げならシングルはPWFより至宝インターだな
PWFベルトも起源は力道山のインターベルトだし、
馬場も全日を設立する時、王者のまま日プロを退団して
看板タイトルにしようとしていた経緯がある。
日プロの返上命令で叶わなかったから、力道山ベルトを争奪戦という形で
権威付けして、PWF王座が新設された。
その時期ロードブレアースからPWFタッグの新設も提案されたが
馬場はインタータッグに拘ったんだよな・・
UN王座は団体の二番手のイメージが昔から強いから
三冠の中では一番下だわ。(個人的な評価)
UNは一枚落ちるからこそ、大量離脱のあと戻ってきた天龍が川田に勝って三冠を奪取したとき、
UNを腰に巻いたのはさすが天龍だと評判だったな
(DVDだと、試合後の記念撮影のさい、三本のベルトのうちUNを指差すのがハッキリ映ってる)
平成でスマソ
格的には
インターナショナル>PWF>UNでしょ
やっぱり力道山時代から存在するインターナショナルが一番価値があるが定説
将棋の世界で棋士にとって一番価値があるのが名人であるのにも似ている
UNはずっと団体のNo.2が巻くベルトだった
面白いのはアジアタッグで全日初期は「中堅レスラーが巻くベルト」だったが
フットルースあたりから「将来のメインイベンターが巻くベルト」に変わった
>>928 あの頃どうやってファンクス対決の流れに持っていくか。
突発的にしか実現できないよ。
それに散々言われてるように千葉、船橋、松戸あたりは日プロからの有力プロモーターがいるから、不思議ではない
小鹿の入れ知恵かもな、東京都民ばかり良いカードはおかしいとか言って
>>980 クジだから理由付けなんていらない…
でもテリーが挑戦者のクジを引くことになっていた。
>>967 現在の興業価値は知らんけど、
三冠は全て由緒正しきタイトル
IWGPは急造の日本ローカルタイトル
というのが昭和ファンの認識だけどな。
>>663 を読んでゴングのジャンボ鶴田追悼号を買ったのに熱戦譜なかったぞ
年表ごとに時系列が書いてあったり、節目の名勝負の社員と試合結果あったが、期待してた熱戦譜一覧はなかった
鶴田が地方や格下相手にバックドロップで決めだしたのは天龍同盟が始まってから
の俺の持論を示すために、土日かけて集計する予定だったのに
まあ鶴田追悼号が良く出来てて面白いから許すけど。。今になってからこういうまとめ本を読んでからつべでその試合を見るのも楽しそう
>>983だけど6人タッグで鶴見相手に普通にバックドロップをフィニッシュで使っていたぞ 84年
>>984 それを現実逃避という
プロレスの王座なんて
客を集めなければ由緒なんて
何の意味もない
>>987 使ってないとは言ってない、フィニッシュで一番多い技がバックドロップになったのはずっと先という話
多分天龍同盟まではボディシザースドロップがフィニッシュで一番多かったはず
>>986 https://blog.goo.ne.jp/1972ajpwf ここで全試合見られるぞ
とりあえずジャパン参戦85年〜天龍革命87年前半までざっと調べたが
7〜8割バックドロップだった(相手は鶴見が多い
年度別で正確に集計してくれ
もうそのやりとりは勘弁な
次スレに持ち込まないでおくれよ
>>991 次スレ立ったから埋めるためにわざと書いてるの
>>985 ごめんなさい。
鶴田、三沢にしろ熱戦譜を完全網羅した書籍は現存していません。
ゴングもベーマガもデータに情熱はないので丁寧な仕事は出来ません。
他人任せですが『昭和全日本プロレス』で検索して下さい。
ご存じかもしれませんが昭和期の全日の全試合を網羅しています。
海外での試合も充実しています。
>>993 いやいや、ゴング増刊号面白くてずっと読んでますよ。さっきも書いたけど新たな楽しみが出来て感謝してるくらい
雑誌を全部処分してからユーチューブで昔のプロレスを見始めだので今は凄い新鮮
>>989 いいかげんしつこいよ
他人の迷惑考えろよ
>>990 このサイト凄いね、今までグーグルとかで検索して見つからなかったから知らなかった
また楽しみが増えたw
>>995 埋めるためって書いてるだろ
理解出来ないのかよバカ
>>964 それは幸いです。
追悼号と引退号はほぼ同じ記事なんで購入するなら気を付けてつけて下さい。
同じです。昭和50年代からの書籍は資料価値のあるもの以外は棄てたのでプロレス熱再燃に無念です。
まあ、そんなもんなんでしょうけどね。
>>989 勝手に調べて現実を知ればいい。
別に書き込まなくていいからな。
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lud20250423085750caID:kgTzy8L1a0707のレス一覧:
>>104 キラー・カーンは同郷の馬場の所に行きたかったって言ってるね。
坂口に無理やり新日に連れて行かれたとか。
>>102 大阪の猪木x長州ってあったっけ?たぶん見てるんだろうけど記憶にない・・
新日の87年10月の両国、藤波vs長州の時は
長州vs前田(疑惑のコイントス)が実現しなかったのもあるけど
同時期に猪木がマサと巌流島でやる話題が大きかったからなあ…
友達との会話でも「いまさら長州vs藤波かよ…」って感じだったし
後楽園でやったのに、また大きな器でというのも無理がある
さらに三本勝負というのも…悪い意味で1本目と2本目に緊張感がもてないし…
そりゃ、テレビ局の意向が一番だろうけど(そもそもUWFで視聴率が×だったから長州復帰)
前年から猪木と前田の戦いをスカされて(東京体育館のシングル→イルミネーション、あとIWGPが二大会)
そのうえ長州との対決(これは出し惜しみでいずれ…だろうけど)までスカされたらソッポを向くよね…
チケットを買うお客にとっては86年〜87年はとにかく前田と長州と猪木
この三人が激突しなければ食指は動かない、まあファンの総意だったと決めつけるのは偉そうだけど、でも皆もそうじゃない?
>>102 猪木が卍でレフェリーストップの試合かな?
あれは確かに緊張感あるいい試合だったと思うけど
猪木が勝っても会場がシーンとして異様な感じだった
猪木がヒール的な感じもしたし、長州勝利を期待してたムードだったのかも
前田に顔面蹴られて欠場してたのもあるし、判官びいきもあったのかもしれない。
ネタが新日オンリーですまん…
>>108 年末じゃなくて87年内に行われた両国大会のこと。3~4回やったでしょ?
>>107 88年2月に実現
週プロには両国の落とし前をつけたと書かれてたね。
>>109 その卍のレフリーストップの大阪って翌88年じゃなかった?
ガリガリの猪木がレフリーストップ勝ちか。説得力無かったけど、
半年後、いきなり挑戦者リーグから長州が完勝しだすんだよね。納得は行くけど
おじいちゃん猪木が可哀相に見えてきた。
>>112 そうだったかな?
とにかくイヤーエンドの再戦みたいな記憶しかないもんで…
88年の猪木vs長州はその大阪の時と
静岡で猪木が錯乱して反則負け
札幌で猪木がフォール負け
この三試合しか覚えてないな
そういえばこの時期の札幌といえば、天龍革命一周年+インタータッグ戦で
天龍原が負けたんだけど控室で同盟と笑顔で記念写真してたね「この1年共に頑張ったな!」って感じで。
スレ住人を汚い言葉で罵倒し新日本プロレスの話題しかない奴が駐留してるからしばらく全日本の会話は無理だな
87年の前田は大会場で全然メインはってないんだよな。
前年、格闘王の称号が与えられたのに87年はほぼアンダーカード。
これじゃくさるよな。
>>114 88年はその3回だけじゃない?シングル。
だけど猪木はいいシフト変換できたよね。議員転身。あのまま89~90以降もレギュラーで
闘っている画が想像できない。
>>98 東京の大会場で全日がメインカード1本で勝負したのって、後にも先にも87年10月の武道館だけでは?
新日本は、
84年蔵前IWGP決勝の猪木vsホーガン(セミは長州M斉藤谷津vsマードックスーパースターパテラ)
85年東京体育館の猪木vs藤波(セミは坂口木村vsジャイアントマシンスーパーマシン)
86年両国IWGP決勝の猪木vsマードック(セミは坂口木村上田vsアンドレスーパースターアサシン)
87年両国IWGP決勝の猪木vsM斉藤(セミは長州マシン小林?vs藤原木戸高田?)
という様に定期的にメイン1本で勝負という興行があったけどね
今はG1の決勝がメインカード1本で勝負かな?
>>117 そうだね、第1回ドームで橋本がアピールできたのが地味に大きい
あそこで決勝まで進んだし、89年からの興行のコマとして大きな存在になった
蝶野はG1まではサブ的な位置だけど、その間に武藤も帰ってきたし、いいタイミングだったと思う。
ただ88年頃のネタを語ると、前年末の園田、夏のブロディ、原の解雇、輪島と石川の引退
88年は初頭から年末まで暗い思い出が残ってる、全日が興行的に息を吹き返すのが翌年のからだから
結果的に新陳代謝をできたんだろうけど、天龍革命が花を咲かせるまでの原石川輪島の功績は大きいよ…
>>110 ごめん勘違いしてた。m(__)m
2月→セミで前田藤原vs藤波武藤
4年→セミ前で前田木戸vs木村越中
6月→怪我で欠場
8月2日?→セミかセミ前で前田高田vsマシン小林(タッグタイトル)
8月18日?→メインでイルミネーションマッチに出場
8月19日?→セミで前田vsマシン
10月→???出場してたとしてもセミ前以下
12月→謹慎欠場
確かに主要カードから外される事多いよね。
87年10月武道館は鶴龍への期待の表れだから一本で納得。
復帰したてのブロディはあえてアンダーカードにして「いきなり上では使わないぞ。大会場だが主要カードには入れん!」と馬場さんの意味がある。
ゴディ・コルフ組が若手コンビを秒殺する試合も納得。
意味をくみ取れないバカなファンがいるから大変だよな。。
そういえば天龍革命が始まった87年6月に
新日でもIWGP決勝後、世代間抗争が勃発して
当時の雑誌の評論でも「新日のスケールの大きいテーマに比べ、天龍革命はコップの中の嵐」
そんな言われ方だったけど、半年後には両団体のムードや評論は真逆になったね。
>>120 いえいえこちらの書き方が悪かったので<m(__)m>
しかし年間8回両国って凄いね。イケイケだったんだよね、今思うと。
全て猪木がメインってこれまた凄い(笑)
カブキって首の動きが不自由そうだけど、何か大病を患ったの?
>>122 いや、本当。(株)じゃないけど世の中何が起こるか分からんよ。
ユッキーナが1年後に引退って誰が思った?(笑)
>>121 ゴディニキタが格下チームを秒殺するのは後楽園や他の地方会場での役割
武道館みたいな大箱で格下チームとの対戦を組むのはナンセンス!
>>120 >>123 両国を年間8回も凄いけど
8月の三週間で三回というのが特に凄いな
長州のリング復帰を見込んで会場を押さえたんだろうけど…
イケイケ、というより会場予約の時点では「イケイケになるだろう」だったんじゃない?
世代抗争の頓挫や対藤波の反響の薄さ、前田の事件なんかで目算が狂っただろうけど…
でも新日の87年は暴動になったけど、ギリギリ大きな種を蒔くことができたよね、ビッグバンベイダーで。
>>83 正義の味方のウルトラセブンに拒否られたらトラウマだよね。逆に小鹿はずっといい人のままだっあろうね。
しかし馬場からしたら高倉健を知らないくらいだから『ウルトラセブン』が何だかわかってなかったんだろうね。
>>20 こういうバカの相手はしたくないが・・暇だからしてやるよ。
全試合両リンって面白いかもな。前代未聞で(笑)お前はセンスあるよ(笑)
ブロディを甘やかさない為に主要カードから外すなら
セミ→馬場輪島vsゴディニキタ
セミ前→タイガーカブキテンタvsシン木村鶴見
セミセミ前→石川大熊vsブロディと余ってる外国人
こんなカードでも良かったと思うよ。
>>126 あ、バカだ!両リン=両者リングアウトっていう意味だからね。
全試合、両リンの興行観に行って楽しいか?
あ、相手にしてしまった・・・自己嫌悪
>>129 馬場輪島テンタvsブロディゴディニキタは
当時の格的にも、ブロディがテンタをフォールだろ?
大会場の主要カードで不完全決着が複数あるのは当時の全日のお約束w
なんでそこまでニキタコルフにこだわるか分からん。
ゴディコルフ組って即席だし、そもそもコルフは馬場さんから信頼されてないだろうよ。
筋肉マンってだけでレスリングできないし、扱いづらいだけ。
テレビマッチにも組まない。組めない。アンダーで十分!
>>132 鶴田テンタxブロディブバで両リンだから、そのカードなら両リンだな。
メインが不透明で決まってるんだから、セミ以下はフォール決着のカードにするのが定義なの!
メインの鶴龍対決が不透明(反則決着)なんだから、セミ以下は秒殺なり、完全決着のカードを
あえて組むの!!ブロディが表紙なり、見開きページにならないカードにあえてしたの!
頼むからわかってくれ。
それで思い出したけど
ブロディが復帰した試合、高木に決めたジャンピングパイルドライバー
説得力があったよね、ブロディはパイルドライバーは何気に名手だと思う
テリー引退の日に組まれた鶴田とのインター戦、あのパイルがブロディので一番好き
下手するとニードロップよりパイルをフィニッシヤーにした方が説得力があったんでは?と思うw
猪木とやってた時にも猪木が痛々しくて…ちゃんとうまくやってるんだろうけど。
鶴田が浜口にやった四方に見せつけてからのパイルは良かったね。
ブロディや鶴田といった怪物レスラーがやるのがあのパイルは似合う。
>>133 いやさ。俺もこのスレの流れはおかしいと思ってたクチ。
ゴディ・コロフの価値を勘違いしてる。そもそも当時ニキタコロフを楽しみだとか強豪だとか思われてないよ。イワンコロフと同じだろ、くらいだよ。
だから、ゴディはトップグループだけど、コロフと組むんならこの試合順で正解だし、勝たせるんならこれくらいの相手で十分。
>>96 > 日本テレビの依頼だから断れなかった
全日本プロレス中継の視聴率が悪かったからね
確か馬場離脱後の日プロ中継にも負けてたはず
イワンコルフと同じくらい。分かりやすい例えだね!多分長州のPWFに挑戦したから格が高いと勘違いしてるようだが、
確かその試合もノーテレビ?長州xコルフ間違いなく凡戦だと思う。そのレベルだよニキタは。
鶴龍ともシングル組まれてないし(タイガーとも?)そもそも主要選手と当たっていない。
組まされたゴディが可哀相なくらいだ
イワン・コロフとでは年齢と体格が違い過ぎだろ、ザ・ラシアンズの
構成員同士ではあるけど、コロフの甥って設定だったし。
ボルコフにくらべると肉体的に見劣りしてたけどマスクがクラッシャー
・クルスチェフよりも良かったな。
>>139 >確か馬場離脱後の日プロ中継にも負けてたはず
そんなに苦戦してたの?…
史実だと「初期全日はメンバーも豪華でテレビもゴールデン、順風満帆」
こういうイメージだったけど、日プロが存在してる時期って初期も初期だよね?
旗揚げ当初は良くて、だんだん苦戦してたんじゃなくて
旗揚げからずっと苦境だったという事なのかな?
まあ視聴率は互いの放送時間の裏番組とかで、ひとえに比較しにくい部分もあるだろうけど
興行的にはどうだったんだろう…興行人気は視聴率と違って言い訳抜きの人気度だよね?
>>120 >(前田は)確かに主要カードから外される事多いよね。
というけれど、この時期、
猪木(エース)>長州(復帰した年)≧藤波(長州のライバル)>前田
だから順当じゃないかな?
()内はメイン
2月→セミで前田藤原vs藤波武藤 (猪木対ビガロ)
4年→セミ前で前田木戸vs木村越中(猪木対斎藤)
6月→怪我で欠場(猪木対斎藤)
8月2日→セミで前田高田vsマシン小林(タッグタイトル)
(猪木対ビガロ)、長州、藤波はセミ前に6人タッグ
8月19日?→メインで長州、藤波とともにイルミネーションマッチに出場
8月20日→セミで前田vsマシン.(猪木&武藤対長州&藤波)
10月→???出場してたとしてもセミ前以下(長州対藤波)
12月→謹慎欠場(猪木対長州→変更、対ベイダー)
こう見ると、やはり猪木中心だし、藤波でさえ、そう主要カードに
顔を出していない。長州復帰が大ニュースで、まずその相手に
ライバルの藤波が起用された。前田は、その次のポジションだね。
88年は、またベイダーが売り出されただろうから、ますます隅に
追いやられた(ベイダーの噛ませ犬)と思われる。
前田の10月のカードが思い出せないくらい影が薄くなってる・・
こりゃ話題作りに襲撃事件起こしたくなるわな
88年は隅っこか。。ベイダーのかませやらされたかもね。
たらればで申し訳ないけど長州が復帰しなかったら
猪木x前田は87年には実現してただろうね。カードが無いから。
猪木は長州が来て助かったし、前田はいやだったろうなー
昭和の全日の大会場でメインが不透明決着の興行でも
セミ以下のタイトルマッチや特別試合も不透明決勝という興行は多々あるぞ
85年3月の両国国技館こけら落とし興行でも
・鶴田天龍vsウォーリアーズ (メイン)
・長州谷津vsブロディブルックス
・タイガーvs小林
長州谷津vsブロディブルックスのみ完全決着
85年10月20日両国国技館
・フレアーvsマーテル(メイン)
・鶴田天龍vsウォーリアーズ
・長州谷津vsマスカラス、クルーズ
長州谷津vsマスカラスクルーズのみ完全決着
実際に鶴田vs天龍のメイン一本で勝負して
アンダーカードに最初から結果が分かるカードを持って来た興行の客入りは悲惨そのもの
87年の武道館興行で1番の不入興行だったんだよ。
だから、それ以降の大会場興行はメイン以外にもタイトルマッチや特別試合を組むようになった。
>>147 全試合不透明の興行があったら教えてー(笑)
>>148 85年12月武道館最強タッグ最終戦
メイン・公式戦長州谷津vsハンセンデビアス→時間切れ引き分け
セミ・公式戦馬場ドリーvs鶴田天龍→時間切れ引き分け
セミ前・レイスジェシーバーvs キッドスミス→両者リングアウト
主要カード3試合全て完全決着無し
なんか当時のニキタがどれだけ大物だったかも知らん知ったかがいるようだな
前年のアメリカンバッシュツアーではフレアーとニキタの抗争が目玉だった
でも日本で売れたかどうは別の話で期待しすぎの奴は確かにキモいw
ニキタほどのでくの坊もいないだろ。主要カード0。鶴龍と後楽園でやったくらいで、あと全て
アンダーカード。すなわち週プロにも登場してこないわけで。もちろんTVにも。
PWF戦がノーテレビってある意味快挙だけどね。
ニキタはここでよく出てくるマグナムTA級の格は向こうではあったな
おそらくギャラも高かったはずだからマッチメイクに苦慮するなら呼ばなければ良かったんだよ
ニキタはここでよく出てくるマグナムTA級の格は向こうではあったな
おそらくギャラも高かったはずだからマッチメイクに苦慮するなら呼ばなければ良かったんだよ
マグナムTAとライバルだったのが
TAが大怪我したんで急遽ベビーターンさせて売り出した
どっちも両国だけど、
長州、谷津xブロディ、ブルックス
長州、谷津xマスカラス、クルーズ
ブルックスとクルーズだから試合が成り立ってる。パートナー次第ではヤバい展開になる。とても両国クラスでは組めん。
ニキタに関しては
呼ぶなら例え全日本のスタイルと合わなくても上のポジションで使え
過去の来日で全日本のスタイルに合わないと判断したなら呼ぶな
>>142 クラッシャー・クルスチェフといえば、後にデモリッションのスマッシュとして馬場と絡んでるね。
ニキタ・コロフよりは器用なタイプやね。
もし長州、谷津xマスカラス、ロビンソンなんてファンは見たいが、
信頼してない4人が大箱でやらかしたら・・・って考えるのが普通だと思う。見たいのは見たいが。
>>156 確かに両国でやるカードではないよな。
後楽園でこのカードを組んで両国では
長州vsブロディ、長州vsマスカラスのシングルを組むのが理想的
>>159 長州浜口vsマスカラスロビンソンなら
浜口が上手く立ち回って何とか試合を成立させたかな?
勿論最後は浜口が寝るwww
あっ、けどこの頃って浜口怪我で長期欠場してた頃だっけ?
>>157 それはラリー・ズビスコにも当てはまるなw
造反アングルでブレイクした後にジュニアの大仁田や格下げ中の羽田に負けるって
本人はそんな扱いでも試合だけしてればいいから気楽でギャラのいい全日招聘は歓迎
だったんだろうけど
>>162 格下げ中の羽田に負けるって、どんだけポジション落とされたんだよw
>>160 馬場さんはタッグ温めてから・っていう発想だからいきなりシングルは無いな〜
天龍ロビンソン組のあった後楽園で石川がズビスコに完勝したね。
そのズビスコが数年後にAWA王者に。何が起こるか分からん。
>>163 落ちたんじゃなくてブルーノの弟子という以外売りのなかった時代から
トップヒールにのし上がった後も全日マットでのポジションが変わらなかったってこと
81年のサマーアクションで羽田の勝ちだったが
翌年のジャイアントシリーズではズビスコが勝った
羽田の地盤沈下が止まらないw
ラリー・ズビスコかあ…末期のAWA王者にもなったよね
日本遠征での最大の舞台はマサとのドームでのAWA戦かな…
カート・へニングも新日のタッグリーグでかませだったけど、最後はAWA王者で来日したよね
確か正月興行で挑戦者がタイガーだったな…
その挑戦者の大義が「鶴田・天龍クラスには挑戦させるな」だったっけ?
あ、それはリッキーが王者の時か?
どちらにしてもNWAとAWAの王者がそのクラスでは全米興行合戦の苦労がうかがえるな…
前にもあったが
ズビスコと比べれば扱いはよかったがワフー、ブラックウェルあたりもアメリカでの
格からすれば全日での扱いはいいとは言えない
ワフーは馬場・鶴田と引き分け、ブラックウェルも毎回インターやPWFに挑戦する
くらいが「アメリカでの格と比べれば」妥当
ブラックウェルは81年でプロモーションが閉鎖されたサンフランシスコに新団体を
作ってプロモーターになろうという目論見があって
そのバックアップを馬場に求めていたという話もある
そしてその計画を当時AWAが主戦場だったからボスのガニアにも話したら、まんま
とサンフランシスコをAWAに横取りされたというオチw
>>167 リッキーに関してはアメリカでは普通に一流だろ
ただWWFでは世界王座より一段下のインターコンチの王者だったから
それから何年もしないうちに出戻ってNWA世界王者というのはどうかという見方
はあったな
リッキーを生涯最高のライバルと褒めたたえるフレアーすらその点に不満だった
バックランドは黄色いタイツ穿いて弱そうだった若手時代
鶴田に見舞った失敗危険スープレックスでこいつはダメ・・の烙印押された感じ。
>>166 羽田は84年初頭には、ケリーキニースキーにも取られたしね。
>>171 その頃の羽田はもう外人に勝つ方が珍しいような
>>170 その失敗スープレックスや、鶴田が報復か意地かわからんが珍しく見せた
ハイスビードのダブルアームで試合が終わらず
鶴田のいつものゆったりダブルアームで3カウントが入ったのが素晴らしいw
>>158 ニキタよりどころかあの当時のマッチョレスラーの中ではダントツの万能タイプだぞ。
ニキタ・コロフにはこのスレの方々ほど、思い入れも知識も乏しいけど
ただ、ラシアンズとして来日した新春シリーズ、会場人気は高かった思い出はあるな
あの時代はマッチョでペイントの疑似ウォリアーズが人気を博してたのもあるけど
対戦相手のクラスが大体が中堅どころで、あのファイトスタイルだから決着がつけばスカッとする
マッチョで見栄えもいいしね、ポスト・キッドスミスみたいになれればいいな、と思ってたくらい。
あと同時期に新日に来てたマッド・マックスやコンガ・ザ・バーバリアンとか、
これまた疑似ウォリアーズがひどかったので、相対的に優良タッグに見えたのもある。
自分は新日より全日の方が好きだったので、ラシアンズが常連チームになって最強タッグとかに出てほしかった。
本家のウォリアーズが単発来日ばかりだったから、同タイプのラシアンズのファイトは見続けたかった。
日本限定リングネーム疑惑もあるマッドマックスはともかく
バーバリアンは好評だったと思うが
連続レスごめん。
ラシアンズの事を書いてたら色々と思い出してきた…
あの1986年新春シリーズは、ウインダムとロトンドのチームも来ていて華やかさもあったね
マスカラスもいたし、長州は異種格闘技?もやるし
カブキとタイガーが抗争し始めるし、冬木が帰ってきて小型長州みたいな期待感も持たせたし。
なんか色々と焦点が定まらないシリーズだったけど、会場に行きたいと思わせる期待感はけっこうあった。
三つぐらいの会場でシリーズ観戦したけど、どの試合も個性的なメンツで会場の温度は高かった記憶がある。
もちろん東京&札幌のインタータッグ連戦でビシッと締めたのも良かった、自分的には優良シリーズな思い出…。
>>176 いやまあ、確かにファイトは悪くないけど
ガキ目線ではあまりにもウォリアーズのパチ物感がね…
それならわかる
むしろパチモンやらせるのはもったいないって感じだね
後にパワーズ・オブ・ペインとして本家と抗争するけど
しかも先勝してリベンジされる前にWWFに移籍
ちょっとプロレス界の仁義に反してたな
>>175 新春シリーズの前半にラシアンズ、後半にUSAエキスプレスとクロケット王国からトップところが来て嬉しかったよ。
ラシアンズの最強タッグ参戦やウォリアーズ戦も日本で見られたらなあとは思ったよ。
今から回想して後出し後付けの知識やらを抜きにして、当時はラシアンズにあれこれ期待したよ。
両膝にサポーターをするようになった天龍
黄色い紐のリングシューズを履くようになった天龍
パーマが似合う天龍
>>181 パーマだとしたらパンチじゃなくてロッドパーマだよwww
>>105 パンクラスでも人殺し疑惑あるの知らんのか?
>>172 最晩年の羽田はスタイガーあたりにも負けてヒロ斉藤や鶴見にも負けてるね。
そのスタイガーにリングアウト勝ちした以外はたぶん対外人全敗の百田兄
>>176 さすがにパチモン丸出しで超ド塩なのに“ワールド・ウォリアーズ”は怖くて名乗らせれないだろ。
78年愛知県体育館での鶴田対ドク
観客動員が弱いと言われている愛知だが、この試合はよく入っているね。
6500人くらい入ってる?
ウォーリアーズは肉体派の割にはやや小柄だったからな、あんまり説得力
なかったな。アニマルにもう1インチ身長あればなと思う。
Road Warriors vs Powers of Pain



@YouTube >>170 あの童顔に黄色は絶対失敗だったねwww
新日初期の水色の印象強いけど
猪木とタッグで優勝した
キン赤じゃなくって若干渋めの赤時代が
好きだった。
>>187 愛知と大阪は動員苦戦してたよね。
愛知県体育館で馬場ドリーvs長州谷津(馬場長州初対決)
大阪城ホール(主催はJAPAN)で鶴田vs長州(シングル初対決)
このカードを組んでも超満員どころか満員マークすら付かなかったんだよな。
因みに新日本では札止め超満員満員マークはケロが付けてたらしい。
ケロ曰く、チケット完売で札止め、全体的に埋まれば超満員、8割程度埋まれば満員マークを付けたとか
土曜トップスペシャルで放送された愛知県体育館はよく入ってたな
珍しい写真を見つけた
80年 新年用スナップ
>>192 馬場カッコいい。
西部警察みたい。
3列目まで馬場、鶴田、戸口、天龍、羽田、小鹿と全日史上一番デカいのが揃っていたんじゃないかな。
後に馬場鶴田天龍谷津輪島テンタ高野田上高木なんて時代もあったけど。
>>192 羽田か真ん中で天龍が横だから、80年だと羽田>天龍か?
1980年だからオールスター戦の後、引き抜き戦争前夜だね。
戸口、ブッチャー、マードック、マクダニエルは全日。
シン、上田、ハンセン、チャボは新日。
>>192 「1980年の全日本はバラ色ですよ」
うーん…史実では旗揚げ以来、興行的には一番苦しい年になるわけでしょ?
ゴールデンも降格した前年、苦境だったろうにね。
しかしこの10年後から、この写真の時点では未入団の連中を中心に超世代ブームを起こすんだから歴史は読めない。
>>196 三沢川田田上小橋菊地はまだこれからだもんね。
夕方5時半の全日中継を見てファンになった一人としては、薔薇色で良いかも。
後の超世代から四天王の武道館超満員を牽引したのは、その時にファンになった世代だからね。
>>194 しかし4年後の84年は
天龍→本格的無い格上げが行われUNヘビーインタータッグを獲得暮の最強タッグ優勝
羽田→員数外国人にも完敗して前座のお笑い要員にまで格下げ
>>185 百田義がスタイガーに勝った試合と
ミスター林と両リンだったタンクパットンの試合が興味深い。
プロレス誌には載ったのかな?
>>198 訂正
本格的無い格上げ×
本格的な格上げ○
>>199 晩年の羽田は、ミスター林的なポジション(前座のお笑い要員&若手の壁)だったのかな?
前座になった頃の羽田は体もゲッソリしてて明らかに健康に見えなかった
「燃える!お兄さん」のキャラの名前に使われた事が救いか
>>199 林の凱旋第一試合だな。
ゴングはモノクロ3ページを割いての特集だった。
82年昭和最後のチャンカン。そっぽを向くロッキー羽田がレスラー人生を表しているような
>>199 百田義vs外国人レスラーで思い出すのは
84年12月12日 最強タッグ最終戦横浜文化体育館
第一試合・百田義浩vsマイクショー
>>205 百田義、85年1月激突オールスターウォーズでヘイスタックと対戦してるね。
なんで全日の幹部役員だったはずの百田兄がこんなひどい扱いなのか?
闇があるなあ
百田兄は意外と胸が分厚くてそれなりに
レスラーらしい体型なんだけど
ファイト内容は一切記憶には残っていないな。
7、8回位は試合を見ているんだけど。
>>207 本人の申し出じゃないの?
結構な年齢になってリングアナからの転身だし、
慶応のアメフト出身だけど格闘技歴ないし、
転身の理由も含めて負い目がいろいろあったっぽい
>>209 レスラーになるきっかけは、リングアナ時代にブッチャーに襲われたので復讐するためと昔のプロレス大百科で読んだ。
晴れてレスラーになったがブッチャーと対戦できたのかな?
百田義浩も仲田龍も50代前半で亡くなられたんだよな、原軍司は今でも元気なんだろうか?
>>196 80年頃のほうが四天王末期より客が
入ってるような気がするが(東京除く)。
両国国技館で1番最初に試合をした百田兄
85年3月9日 両国国技館
第一試合・百田兄弟vs仲野笹崎
>>192 所属選手、これだけだったんだな!?
大熊がいないけれど、海外にでもいっていたの?
最後列は、左から高千穂、伊藤正男、ミスター林、
次の長身は消去法で、サムソン轡田なのだが?
右端はジョー樋口
その前の列は、左2人は、スタッフ?大仁田、越中。
>>215 轡田は77年か78年に表面上は健康的な問題で引退
実際はクーデター未遂でクビ!
>>192 これ本当に80年???あ、80年用だから
79年撮影か。越中のジャケットは
明らかに誰かのお下がりだろww
一人だけ60年代みたいな仕立てじゃね?
>>199 76年8月14日ブラックパワーシリーズ越谷市体育館の凱旋試合 対タンクパットン戦
馬場の査定試合だったようで、外国人選手との対戦はこの1試合のみ
>>204 この写真デラプロで見て覚えてる!鶴田は格下・天龍に足引っ張られて優勝逃したのに
よく笑顔でいられるな、、と子供心に感じた。相当心の広い人だと鶴田を思ったよ。
轡田には新日行くとかアメリカ行くとかの選択肢はなかったの?
>>204 みんな喜びの笑顔なのに天龍だけ違う。天龍の腹黒さが伺える一枚。
羽田はそっぽ向いてるが、よく見れば笑顔
猪木原理主義者天龍はこの頃が謀反を考えていたんだろう
>>204 テーズ、ドリー、馬場、テリーと歴代NWA世界チャンピオンが揃い踏んでいるのは凄いな。
後のAWA世界三冠ヘビーの鶴田、三冠ヘビーの天龍もいる。
まさにチャンピオンカーニバルだね。
>>225 ドリーとテリーはチャンピオンカーニバル公式戦には出場せず
同日開催のグランドチャンピオンシリーズから出場だった
>>226 そりゃそうだ。兄弟対決再びになってしまうもんね。
もちろんレフェリーのテーズもね。すると馬場だけか。
>>222 ・副業が好調だった
・馬場が轡田を使うなと海外マットに圧力掛けた
・新日本からしたらクーデターを起こす奴は要らない
>>225 デビアスもミズーリ、UN,WWFタッグ王者だね。
別冊ゴングが全盛期(週プロがない頃)紙面の半分はアメリカプロレスだったけど、当時は海外特派員が沢山いたの?それとも現地人をフリーで雇ってたのかね?
いずれにしろ潤ってた時代なんだろうな
ジョージ・ナポリターノ、ビル・アプター、フミ斎藤・・
>>229 カーニバルに参加したブロディ、スミルノフ、ストンパー、ロブレイ、ハワードは別として、
ベビーだけどロビンソンは馬場の勝利の乾杯写真に写るわけにはいかなかったのかな?
膝の負傷で既にいなかったんだっけな?
76年か?
百田義浩とミスター林とロッキー羽田と伊藤正男の試合
激闘の記憶かクラシックで見たいんだよ
どうってこともないんだろうけれど
>>233 たしかロビンソンとスミルノフは最終戦を待たずに帰っちゃったろ?
控室の乾杯写真は綺麗に揃わないことも多いよ
試合後控室に選手が戻ってきてすぐに写真撮影。客がまだ帰りきってない時にやるからリング周辺に一部若手がいたりするし、カメラマンも沢山いるから方向もバラバラだし掛け声もせーのがないから手のあげかたも違うし
昔テレビカメラが試合後から乾杯までのやり取りを流してて、あまりの事務的さとセッティングまでの慌ただしさに驚いた記憶がある。その中で満天の笑顔が出来る鶴田を凄いと思った
>>235 そもそも録画してないのでは
期待もされた羽田はあるかもしれんけど
>>235 羽田はマードック戦は最近YouTubeで見たよ。
確かに百田兄、林、伊藤の試合は見たことないな。
肥後やヒライ、クツワダ、駒もないな。
>>236 あー、そんな感じだったかな。当時スミルノフを見た記憶がないんだよな。ストンパーの印象のほうが強かった。
>>237 鶴田のリング上でのトロフィーを持ちながらの笑顔もそうだけど、試合後の笑顔は確かに凄いよね。
>>204 テーズも、寄る年の波で縮んだなぁ。
全盛期は、少なくともドリーくらいは
あっただろうに。
>>242 なのに、チアガールを根こそぎ
テリーに持っていかれたw
>>224 では、
>>192の写真
最後列は左から高千穂、伊藤正男、?、?、ジョー樋口
三番目、四番目が分からない。
誰か教えて。
>>242 CC初優勝やインターおよびAWA奪取時のうそ泣き顔は
馬鹿っぽくて大根なんだけどね。
>>244 あのボンボン女子たちはトミーからテリーにくら替えしたの?
鶴田の笑顔は女子向けではなく老若男女を幸せにする笑顔なのさw
>>240 一通り所属選手の試合は見たいよね。
ヒライは猪木&大木組んだ6人タッグ(BI特集の日プロ映像)
駒は杉山と組んでのブッチャー&ネグロ戦
クツワダはザ・スピリット戦
羽田は天竜と組んでのファンクス戦と、シングルのデビアス戦
それ以外の選手は見たことないな〜
YouTube のバトルロイヤル映像に伊藤正男が出てたかも…?
1982年チャンピオン・カーニバルでのロビンソンは4月13日が最後の出場だな。
最終戦は16日。
この写真はいつのだ?
話を変えてスマン、時期的には同じだから許して
最近のスレの流れに触発され、1979~1980年頃の馬場vsレイスを見ようと思って
「プロレスクラシック」を見たら、1979年8月のブッチャーvsマスカラスも入ってた
驚いたのはその札幌の観客の入り具合の凄い事、消防法なんてない時代だから掛け値なしのスシ詰め状態
この時期はゴールデンから外れて苦しい時代と聞いてたけど、とても信じられない…
もしや苦しいといっても、今の苦しいと概念やレベルが違うのかな…?
仮に今の新日が札幌中島が現存したとして、あの頃の全日ほど動員できるかといえば絶対に無理だとさえ思える。
>>252 元日だとしたらメンバー的には1984年ではないかな?
1985年だとすると原がいるから違うし
前列左端にいるのがM・ドラゴンだとすると凱旋したての頃かな?
1983年だとするとまだ不在なわけで、やはり1984年ではなかろうか…?
伊藤正男の試合動画は観たがパワーファイト主体で結構面白かった
思ったほど塩ではないぞ
この動画主のチャンネルBANされてしまったのが残念やねw
>>249 仕事終わったら見てみます。後追いの知識で駒は気になってました。
>>250 子供の頃のプロレス百科のレスラー名鑑くらいでしか見ていない選手もいるんだよね。
既に亡くなっていたり引退していたり退団していたりレフェリーになっていたり消息不明になっていたりね。
伊藤正男はレアだよなあ、全く動いてい画像を見たことがない。
>>251 ロビンソンは途中帰国でしたか。
>>252 川田も居て三沢が素顔だから昭和59年正月かな?
恒例の日枝神社での全体写真だね。
しかし越中はひとりだけ何で笑っているんだ?w
>>255 遠軽大会の石川伊藤対エリック兄弟が中継されてたね。裸足で怪力、いいファイトだったよ
>>255 塩ではない、というより上手いよね。
テクニック的な意味ではなく、
上手く日本人ヒールの不気味さを出してる。
パンチ、チョップも見映えがする。
アメリカであまり名を馳せてはないが、重宝されてたと思う。
>>252 84年新春ジャイアントシリーズのパンフレットの表紙に使われてたから
撮影は83年12月だと思う
>>254 開幕戦が1月2日昼開催の新春シリーズのパンフレットの表紙に使われてたから
元日に撮影するのは不可能
前年の83年12月に撮影だよ。
>>253 札幌は数少ない全日優位のテリトリーだった。
83年12月という事は最強タッグで超獣コンビが鶴龍を破って初優勝した後か…
スッキリした、ありがとう。
>>247 テリーとのNWA戦はまだトミー側。
オープンタッグでファンクス大ブレイクして
78年と80年の決勝は馬場・鶴田への声援が
少なかった….
都市伝説かもしれないけど、トミーは
一時期ふて腐れてサインに「どうせオレのサインなんかいらんのやろ」
って言って“テリー鶴田”って書いたとか….
余談だがボンボン女子の一人が今の
ハンセンの奥様。長々スマン。
>>263 あ、そうなの?
新日の大阪や愛知みたいなもんか
なんでこの頃ですら札幌は全日が優位なんだろう…新潟ならわかるが
>>252 左の最後尾は菅原とあと2人誰?
石川が居ない。
越中はお屠蘇気分か?
人一倍プライドの高いロビンソンが82年CCでは天龍よりも下位って、どうやって納得させたんだろうな。
その場での白星黒星なんてのは気にするかもしれないけど
星取りで何点だからどうこう、なんかは気にしてないだろ。
PWFをカマタから獲った時もタイトル名を知らなかったし、
両リンはゼロ点みたいな特殊なケースなんだし。
>>265 そんな目立つ格好をした同じ女子たちに乗り替えられたら凹むだろうな。
テリーさよならシリーズの後楽園ホールにボンボンチアガールがいたなあ。当時女性ファンの存在は大事だとちびっこの俺も思った。
テリー鶴田か。ファンクファミリーなんだからトミーファンクで良いじゃないかw
へえ、あの気さくな日本人のご夫人がボンボン女子出身だったとは。
トミー→テリー→スタンだとしたらご夫人も根っからのファンクファミリーだねw
あのテリー応援団ガールに対しては
「たのきん」「シブがき隊」とかにキャーキャーいう年頃なのに
30代後半のテリーに黄色い声を上げてる姿は子供心には
「渋いセンス」という言葉は知らなかったけど、それに似た感情は抱いてたな
要は「イカしてるお姉さん達だなあ」ってガキなりに一目は置いてたよw
鶴田さんの遺伝子なんてものすごく優良だよな、お兄さんも長身なんだから
子供は恐らく身長高そうだし知性も標準以上だろ。
ネットやってられる息子さんはどれくらい身長あるんだろう。
>>272 最初にボンボンを持って応援をはじめた女子は勇気いっただろうね。
ビューティーペアを応援するノリなのかな。
当時は「女がプロレスかよ」的な風潮もあっただろうしね。
年齢に関しては鶴田にしろテリーにしろマスカラスにしろ気にならなかったけど、
確かにテリーは中年だもんね。
>>248 最後列四番目は渕か!?
横の人達より一段高い階段に
立っていたんじゃないかな?
こんな背の高い男がいたか?と思った。
190cm以上に見える。
>>268 ああ、言われてみりゃ確かにそうだね。
マジで分からんかった。
ありがとう。
冬木はプエルトリコに行ってるのかと
思ったww
>>274 当時は母と娘で等身大のテリーのぬいぐるみ
作ってた親子も居たよ(別冊ゴング掲載)
さすがに子どもながら引いたけどww
>>274 テリーが引退してしばらく経ってから
テレビドラマで「スチュワーデス物語」が始まって
主役の堀ちえみが「応援団のお姉さま達」とたぶん同世代で
惚れられる教官の風間杜夫がテリーと同世代であろうから
ドラマを見て感情移入していくにつけ、お姉さま達の心情や感覚がガキなりに理解できたよw
今、大日本好きなプ女子いるんでしょ?
テリーはほぼ流血戦だったし、
実は女子は血を見るのが好きなのかwww?
>>277 一瞬、テリーの着ぐるみかと勘違いしたw
今ではない応援スタイルだけど、母娘でお裁縫をして楽しかっただろうね。
今でも押し入れの奥にあったらスゴいねw
>>278 ドジでノロまな亀が堀ちえみの決め台詞だっけな。
教官と落ちこぼれな教え子ね。
義手の片平渚が怖かったw
昭和はスチュワーデス物語
今ならキャビンアテンダント物語
スチュワーデスと言ったら鶴田夫人の保子さんのイメージで、スチュワーデスは憧れの職業のお姉さんだったね。
>>234 とにもかくにも、お前が前面に出るなミスター林
ベイシティローラーズ追っ掛け続けてボーカルと結婚した日本人いたなぁ
>>234 日大講堂で大木ドクからインタータッグ奪取した時かな。
>>281 先輩だから、馬場も呼び捨てにしてたってホント?
面と向かっては無さそうだが。
>>252 右側、ターザン後藤と越中の間は北原か?
と思ったら、83,4年はまだ全日にいないよね。
誰だろ?石川?
またG・馬場と天龍の間は菅原だと思ったら、
左側、大熊と鶴田の間が菅原だって?
>>285 前者佐藤昭雄
後者ロッキー羽田
一枚の写真クイズ面白いなw
>>281 小さい写真だけど、林だけピースサインしてないw
>>288 林だけ、CM前にサイパンから稲妻!の間違いでは?
レイスを差し置いてボス気分で煙草を吸う林さん
ところでレイスの前はラリー・レーン?後ろは誰なの?
煙草は買う物では無く貰う物
by.ミスター林
実際に記者達が煙草を吸おうとしてポケットから煙草の箱を出すと
林が「おい」と言って人差し指と中指を立てて
その指の間に煙草を挟ませたらしい。
>>291 立ってるのがピエール・マーチンで林の後ろがマイク・シャープJr.じゃないか?
>>280 片平渚ではなく、片平なぎさ。
この間違いは大島渚監督に失礼。
>>293 ありがとう
ピエール・マーチンかスミルノフか区別がつかなかったよ
パンフレットの選手紹介欄で
サブタイトルが猛牛ファイターと付けられてたミスター林
>>296 元のリングネーム林牛之助の名残だろうな。
>>294 じゃあ聞いてくる、涅槃で待つ
>>297 悪かった。蛹に謝ってくる。
>>204 トンガ、デビアスの身長が高いことはわかってたけどテリーも大きいんだな。
テーズがずいぶんちっちゃく見える。
>>273 鶴田、保子夫人、実母に祐士くん(86年のお宮参り)
オカダカズチカくらいの身長ありそうな気がするなぁ…
藤波ジュニアよりデカいだろう
>>302 保子さん綺麗だな。鶴田との身長差を考えても160
センチちょいか。
息子は...その写真だとオカダさんよりは低いと思うよ。
>>300 短い間だったけど所属してたんじゃないの?
全日のジャージ着てセコンドに就いてたりしたし。
>>298 しかし猛牛とは正反対のファイトスタイルwww
84年から参加したマッハ隼人は所属出来なかったんだね。
セブン比べたら動けたし上手かったのにね
>>269 >>270 ちらっと思ったが、外人レスラーにとって本番リーグの星取りってどういう感覚なんだろ。
単にその日その日の勝敗をケツ決めしてこなしてるだけの話なんだろうか。
それか例えば白星配給係とかにはあらかじめその役割の旨を伝えてるのか。。
マッチメイクする側は、外国人も含めてリーグ戦の点数は気にしているだろ?
ブッチャー、ブロディと同点で終了させるために、ブリスコがウェインファリスと時間切れとかあったし。
週プロ市瀬が90年代のチャンピオンカーニバルでファンサービスとして
会場に星取表を掲示するアイデアを出して一旦通ったけど
数回実施されすぐ撤回されたエピソードを四天王本で書いてた。
「黒星ばかりの選手のことを考えてやれ」って馬場の意見らしいけど
そういう役割(白星配給係)が決まってるといっても、当のレスラーからすると簡単に割り切れない部分もあるんだろうな。
新日本と好対照な長州軍が来る前の1月2日3日の後楽園の厳かな雰囲気が好きだった。
例えば84年三ヶ日の後楽園
元日の新日本のカード
猪木vsローデス・藤波前田vs長州谷津・坂口vsブッチャー・キッドスミスvs小林寺西・コブラvs黒虎
元日から好カードを組みローデスブッチャーらの目玉外国人も参戦
翌日2日の全日本のカード
・バトルロイヤル・馬場鶴田天龍vs上田鶴見ジョー・カブキvsキニースキー・原vsオルソノスキー・セブンvsリスマルク
しかも新春シリーズ目玉外国人のフリーバーズ(ゴディヘイズ)は、翌週から参加の為後楽園は不参加
取り敢えず、メインにバトルロイヤルやるからその他はジョボカードでもカンベンよね的な興行だよね。
>>310 上田&鶴見&ジョー組とか国際色豊かだよな。国際は国際でも、国際プロレスの方だけど。
>>309 でも馬場からのあらかじめの
通知表だよね。
>>310 外国人は正月よりクリスマスを重視することを
新日はわかってるね。相当な全日ファンしかいかないだろう…...
>>307 1986年の最強タッグ最終戦
ファンクスがリングサイドに現れて椅子にどっかと座り
自分達の優勝の有無を左右する試合の動向を、そばで観戦し確認していた
まあそれが演出やポーズだとしても、少なくとも得点状況を把握してなきゃとれない行動だし…
ファンクスは白星配給係とは真逆の優勝争いのチームだけどね。
それと、ブロディが新日のタッグリーグをボイコットした理由が有名だよね
自分らの優勝へのステップとして要求した「坂口の欠場による猪木組のポイント下落」
その要求が通らずに坂口が出場予定だという事を聞いて、その場で離脱ボイコット、とか。
優勝にしても配給係にしても、ひとつの役割を果たすための必然的なルール(リーグ戦なら点数)は把握してるでしょ。
>>310 >厳かな雰囲気
厳かというより単に「正月の御祝儀でたいしたカード組まなくても、お客さん来るだろう」
そういう雰囲気を感じたけどね、自分的には。
新日は「正月から勢いをつけて、1年間ファンを引っ張っていこう」みたいな気概を感じたのは否めない。
ただ、新日は正月に生中継スぺシャルがあったりしたから視聴率を取れるカードが必要なのもあったかも。
全日も1986年はあったけど、基本は例年とも通常放送だったし。
>>312 けど2日3日の後楽園は満員になってるんだよな。
>>313 よく、トップがいて同率2組での3すくみで決定戦が行われる時とかリングサイドに陣取って
行方をうかがう姿はリーグ戦で見るな。この辺の優勝圏内にいるレスラー達ならともかく、
そこまでも行かない、かといって白星配給でもないレスラーの扱いだな。
新日の例でアレだが、第2回IWGPのアドニスやマードック、マスクドあたりのポジション。
まあ裏でその辺の采配は各々伝えられてるのかな。。
83年の正月後楽園は新日が元日夜2日夜、全日は2日昼3日昼の興行
2日に昼全日夜新日の時は、午前中に全日の立見の待機列が出来る傍ら
既に夜の新日の立見の待機列が出来てたらしい。
>>316 うーん…そのへんはどうだろう?
それでもリーグ戦の行方に左右される試合はあるわけだから、
その試合だけは役割的にポイント押さえて伝えられるんだろうけど…
例えば1982最強タッグ、ハンセンブロディに反則勝ちした天龍原とか。
他の試合や中堅ポジションは試合結果をも守りつつ、良いファイトを心がけて、
次のシリーズに向けてボス(馬場や猪木)への心証を良くしようと頑張るんじゃない?
要は中堅チームはポイントになる試合以外は通常シリーズと同じ感覚かもね。
>>315 マジで?
どんだけ全日好きなんだよって人達www
最強タッグとかもそうだし正月の後楽園ホール連戦を毎年の恒例行事にしたことで固定客がいたんじゃない?
こういうのは新日本はなかった、タックリーグ戦をいじくったり。坂口体制になってG1や1.4を固定化したり集客力あげたけど。
プロレスでシリーズ通してリーグ戦を行うとかって、日本独自にしかない方式なんだろうな。
一番最初に考えたのは力道山?でもワールドリーグ戦は日本人同士、外国人同士の対戦がないルール。
新日がやった2回ワールド大リーグの、猪木、坂口、小林、大木、マサなどの総当たりの実現が
かなり画期的だったんだろうね。全日もオープンタッグ以降は総当たりを大切にしていた。
>>321 シングルのオープン選手権を総当たりにして欲しかった!
かなりの混戦になるね。
>>321 ドイツのワンツが主催してるやつ(CWAだっけ?)
あれなんてもっと前からあったんじゃない?よく知らないから自信ないけど
シリーズみたいに各地を回る、というのとは違うけど
年に数回のシーズン時、1か所で連日1か月ぐらいかけて、リーグ戦なりトーナメントやったりするやつ
どちらかといえば大相撲に形式が似てるかな…
>>321 ワールドリーグ戦は外国人同士の対戦あったよ
途中からなくなったけど
>>322 日程的にも無理だし、最初から一週間契約のレスラーたくさんいたみたいだから無理だね。
>>320 新春ジャイアントシリーズは年末の最強タッグで完全燃焼した後に
特に開幕の後楽園に関しては
ブッチャーじゃなくてカマタ
ブロディじゃなくてイヤウケア
レイスやマスカラスじゃなくてルーインやミラノ
このくらいで観る側も初詣や新年の挨拶回り初売りセールとかの
帰りに寄るくらいのかんじがちょうどよかったんだよね
寄席好きがとりあえず演者や演目に係わらず鈴本や末廣に顔出す感覚で
>>325 参加者多かったけど、じゃあ途中で帰国してたん?
>>326 奥さんか親戚が日本人で新春参加が多かったのって
ルーインだった?
>>326 なるほどw
正月を1日に例えると、朝になるわけだから
朝からステーキ(ブロディ・ブッチャー)よりも
卵や海苔(カマタ・イヤウケア)の方が気軽に食えるな
>>309 >でも馬場からのあらかじめの
>通知表だよね
CCや最強タッグの星取りの原案は、
90年代には市瀬が作っていたと、
ターザンが告白している。
>>327 途中帰国は多かったみたいよ
もちろんリング上でのケガや故障という理由で
1984MSGタッグのホーガンが開幕で帰国とか
シークがドリーに凶器を奪われてメッタ突きで帰国とか
そういうパターンというか、途中帰国する大義は一応あったんじゃない?
リアルタイムでは知らないから、文献から知っただけだけど。
>>330 ああ、そういやオープン選手権も
ローデス怪我(レイス戦で?)で帰国だったね。
いかに開幕の入場が貴重か分かるね。
この頃のドリーはホント好きだ。
>>330 シーク怪我で途中帰国で入れ替わる形でカマタが参加したよね。
ガチ怪我帰国なら、カマタ来ない(来れない)しな。
急遽来れる外国人なんて、カールフォンスタイガー位だよね。
>>253 中島の実キャパは5千人もない。
去年のG1は中島だと2千人以上おつりがくるくらい入っている。
シークはプロモーターとして忙しいのかもしれないけどけっこうスカスカ
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=943&page=4&s=300
カマタは暇そうだな。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=1423&page=4&s=300
>>310 よく元日からバックランド、ローデスなんかを呼べたよなと思う
逆にアメリカの興業がないから呼びやすかったのかな
全日本はリスマルクで盛り上げたんだから上手いよな
カマタって海外試合のグラビア記憶ないんだけど….
Wikiによると、1980年ボブ・バックランドのWWFヘビー級王座に挑戦
4月にはMSGにてブルドッグ・ブラワーと組み、
リッキー・スティムボート&ジェイ・ヤングブラッドのMSGデビュー戦の相手だって。
リッキーとジェイのMSG登場も知らんかった。定着しなかったんだね。
幻に終わった91年10月東京ドーム大会
五大シングルマッチ
三沢vs橋本
鶴田vsビガロ
ゴディvsウィリアムス
ハンセンvsノートン
川田vs小橋
>>327 奥さんの里帰りについて来るから上がって貰ってたって馬場が書いてた。
>>337 ニューヨーク時代は結構グラビア掲載されてた。
サンマルチノ戦やローデス戦が載ってた記憶がある。
>>331 ローデスは武道館のオコーナー&レスリング戦で負傷したという設定。
>>320 サッカーファンも、元日は国立競技場付近の神社(明治神宮や東郷神社等)で初詣の後に
国立競技場で天皇杯決勝を観戦を恒例にしてる人多かったしね。
なので天皇杯決勝はカード関係無く例え人気チームが出な買ったり
関東地区以外の地方都市チーム同士の対戦でも満員になった。
>>306 ええ?
マッハもどっこいどっこいやったやろ。
>>338 馬場鶴田天龍vsシン木村鶴見
長州谷津浜口vsゴディカーン原
小鹿大熊羽田vs剛高杉菅原
>>337 カマタはWWFではスモウレスラーで紹介されたけど
別に相撲ギミックをやったわけではないw
>>332 カマタはシークが負傷した翌々日には
ツアーに参加してたな。
オープン選手権はリーグ戦でなく大相撲方式だったが、全戦参加があまりにも少ない。
途中帰国も多く、最初から全戦の契約をしていない可能性が高いんだろうね。
http://www.showapuroresu.com/league/open.htm >>347 好きな食べ物は、タクアンらしい。
そんな日本人おらんわ。
カマタやジョーは親日家で
特にカマタは日本語も話せるとか
日系なんだっけ?
ホントかウソかは知らないが
カマタが国際に初来日の頃に乱暴な運転をするクルマに対して
バカターレと言ってた、なんてエピソードが載っていた。
嘘くさいと思った。
>>352 カマタの本名はカマカで、完全なハワイ民族でなんちゃって日系ギミック。もちろん日本語なんか話せない。
サッカーのカメルーン代表のエトーなんて先祖が江藤平八郎って日系人ってことになっていた
カマタはひと月前のジャイアントシリーズにも来てたしハワイでたまに試合
するくらいで全日専従みたいなもんだな。
ルーインはこの女性と夫婦歴長いんだから日本人妻とは大分昔に離婚か死別
してんだろ。
83年1月2日、馬場鶴田vsヘルナンデスカマタ(馬場組反則勝ち)
3日、馬場vsカマタ(馬場の反則勝ち)
この頃は、まだカマタは威厳を保ってたんだね。
>>338 もし当時の全日が本当にドーム興業を開催したら、情勢を考えて妄想してみた。
三冠ヘビー級戦
鶴田VS三沢
世界タッグ戦
ゴディ、ウィリアムスVSベイダー、ビガロ
川田、小橋VS橋本、蝶野
ハンセンVSノートン
田上、渕VS武藤、馳
馬場、木村、井上VS大熊、永源、寺西
弟ジェリーのインパクトが弱いのか
最強タッグに限らず、ブリスコ兄弟を売り出す気はなかったな
インタータッグやファンクス・マスカラス兄弟との絡みも見てみたかった。
>>361 ファイトでは武道館で鶴田vsベイダー実現かとかシッドジャスティス全日本参戦かといった
妄想記事が多々あった気がする。
派手さや華やかさに欠けるから兄弟の売りとしてはちょっと弱さはあった。>ブリスコ兄弟
オーツ兄弟やコザック兄弟のような中堅のほうがバイプレイヤー的に使いやすさはあったのかも。
ファンクスVSブリスコズはジョージア・カロライナやフロリダの鉄板カードで
ファンクスがヒールなんだけどYoutubeで観てもやっぱり一回り小さいからちょっと厳しい感じ。
確かにマスカラス兄弟との対戦は良さそう!兄同士が意地張りそうでw
NWA王座は何故かシニアがドリーからブリスコへのバトンタッチを頑に拒否したんだよね。
馬場がブリスコからNWA穫ったのもちょっと体格的に気の毒な感じだった。
野暮で申し訳ないけど、ドリー→ブリスコ→レイス→馬場の方がいい感じな気がする。
馬場はレイスやドリーほどブリスコを重宝しなかったね。UNトーナメントも。
キッドスミスvsマレンコ兄弟がファンに大絶賛だったのを見て
初めて馬場は「自分のセンスが現代ファンと違うんだ」という事を認めたという話があったよね?
ハンク・ジェームスがインタータッグに挑戦したんだから
ブリスコ兄弟にもチャンスを与えて欲しかったw
>>366 あーはいはい、そうでしたね。
解説でも「小さい」を連発してたような??
アメリカではブルドッグス VS R&Rエキスプレスも実現してますよね。
R&Rは塩っぱいかも知れないけど、ブルドッグスが引っ張ってくれそう。
んで、ブラジル兄弟は2回挑戦でしたかね?兄ジルはインター2回穫ってるし
ブリスコに対しては一回新日に行ったの根に持ってそうww
>>368 NWA王座料として大金ふんだくられたのを根にもってそうww
NWA王座料として大金ふんだくられて「防衛戦」という名の延滞金取られたうえの
新日に行って償金マッチに負けて、猪木が札ばらまいたのを根にもってそう
ってもうええわww !
83年12月の最強タッグ最終戦の蔵前国技館で凱旋帰国の挨拶をしたマジックドラゴン
翌月の新春シリーズから参加
・新年最初のテレビマッチではバトルロイヤルではリスマルクの引き立て役
・次のテレビマッチではカブキとオリエンタルコンビを結成して勝利
ここから本格的に売り出すのかと思ったけど、新春シリーズのテレビマッチは
これ以降登場せず。
そして忘れた頃にテレビマッチに登場した3月の
マイティ井上のJr.タイトル挑戦試合は、伝説のオースイスープレックスでフォール負け
全日本は、ドラゴンをどうしたかったんだ?
挙げ句に小林邦明戦でマスク脱がされてるし…..
薗田夫妻の事故のニュースは、小学生の時だったけど
事件事故のニュースで始めて泣いたなぁ新婚旅行も兼ねてっていうのが...
最初っからカブキが…いや、何でもない……..
>>359 これ10年前くらい?だいぶ若いパーt−ナーだね。年取ってもやっぱり色男だなあ。
84年10月に
原石川vs佐藤ドラゴンのアジアタッグが決まったけど(原の失踪で実現せず)
実現してたら、○原(ラリアットからフォール)ドラゴン× みたいな結果だろうね。
そもそも王者組のアクシデントで試合キャンセルなら本来のタイトルマッチの日に
佐藤ドラゴンvs石川大熊や石川渕辺りで決定戦して良かったよね。
大仁田渕ドラゴン組って一度も実現してないんだよね。
大仁田渕ドラゴン対越中三沢川田
大仁田渕ドラゴン対セブン菅原冬木
なんてカードを見たかったな。
>>361 >三冠ヘビー級戦鶴田VS三沢
91年10月は鶴田の全盛期だから
防衛か?三沢が勝ったら、大いに盛り上がるだろうが
(実際の三沢、初戴冠は92年8月)
あと、90年2月の新日ドームと同じく
お客さんに寝てもらうわけにはいかない。
>世界タッグ戦
ゴディ、ウィリアムスVSベイダー、ビガロ
まぁ防衛するが、フォール勝ちは飲まんだろ?
(ビガロが寝るかな?)
もうなくなった頃だが、両リンか、
ベイダーが荒れ狂って反則負け。
>川田、小橋VS橋本、蝶野
このころはまだ小橋が発展途上だから、
素直にフォールされそう。
>ハンセンVSノートン
ノートンが新外人として売り出された時だし、
ハンセンも負けるわけにいかない。
ここで両リンを使ったら、世界タッグで同じことはできない。
むしろハンセン、川田、小橋VSノートン、橋本、蝶野はどうだろ?
結果はやはり小橋のフォール負けで。
>田上、渕VS武藤、馳
これは渕が素直にフォールされるだろうな。
武藤、馳はこの年の11月IWGPタッグを取りかえした、。
寝るとか得意顔で書くアホニワカw
痛いからはよくたばれwww
>>371 ドラゴンをどうしたかったか、って?
そうしたかったんだろう。
だからそうした。
きっとそう。
そういうことだ。
渕も83年8月に凱旋帰国して蔵前でチャボ挑戦して敗戦
渕も売り出そうとは思わなかったのか?
結局渕の初栄冠は87年1月まで待たされた。
馬場が大仁田に代わるジュニア枠に渕でなくドラゴンでもなくマイティを選んだ
全日は馬場の個人商店だから馬場がイエスと言えばイエス、ノーと言えばノー
高杉セブンとマッハ隼人は馬場の期待を裏切る試合しかできなかっただけの事
まぁ、渕は大仁田と比べたら容姿もファイトスタイルも地味だったしね。
マジックドラゴンは体型が中途半端だったよな。
ヘビーで行くなら、全体的に肉を付けてゴツい体型にするべきだし
ジュニアならう、もう少し腹の肉を落とすべきだった。
ゴツい体型のドラゴン、腹の肉が落ちてスリム体型のドラゴン
どちらかの体型なら扱いも違ったかもね。
>>369 確か日本円に換算すると当時でも6〜7千万円だっけ?
今なら億を超える計算になるな…
たった数日だけ馬場にレンタルするだけで、庶民の生涯分の金を手にするんだもんなあ…
しかしNWAのストーリー上でチャンプになれたのに、その王座を自分の欲のために権利をあげるって…人としてどうなんだろう?
たとえばあるドラマの主役を張ってる俳優が、制作側に無断で脇役のやつに1回放送分だけ主役を譲って金をもらうようなもんでしょ…?
そんな事はやれもしないし、やったとしても放送界から追放されるだろうに。
>>379 あの試合のチャボ戦は悪くなかったと思うけどなあ…
歓声も多かったし…テリー引退試合の超満員のバイアスがかかってたとはいえ…
でも、それから半年もしないうちにテレビマッチにも登場しなくなって
翌年初頭の土曜午前からやってた「フレッシュファイト」に登場しても、会場の声援はまばら…
黒タイツでジャーマンできる貴重な選手に見えたんだけど。
>>386 逆に渕をマジックドラゴン(他のマスクマンでも可)にすればよかったかもね。
容姿が地味ならマクスマンとして売り出す方法もあった。
>>387 渕は違うマスクマンになったけどねw
その年の秋にジャパンのプレ旗揚げ戦で。
しかしあのファイトスタイルでマスクマンは厳しいなあ…
できもしないのに空中戦を求められて、大仁田の苦渋の二の舞になりそう
どちらにしても三沢タイガーの存在に埋没させられそうだが…
>>387 また話をぶり返すが、当時の口惜しさから…w
渕が凱旋したスーパーパワーシリーズの開幕戦、生観戦したんだよ。
後楽園の歓声と期待感が凄くてさ
その時の会場の声は「天龍より延髄うまいじゃん!」「ほんとほんと!」「なんか新日ぽくね?」
渕も気を良くしてか「31日は絶対にタイトル獲るからなー!」って再び会場はMAX!
あの開幕戦が31日の五日ぐらい前だから、渕の脚光は1週間足らず…もったいないと思ってたよ。
数年後、小林とヒロとの抗争にしてもジャーマンを封印しちゃうし
ジャックナイフみたいな返し技が主で、強さを前面に出さなかったし、あの時代でもヤキモキしてたな。
>>361 91年の秋に全日でドーム興行を
やり、新日から選手を派遣してもらうなら、
その時点で完全復活した藤波を出さないと
ファンは納得しないな。
シングルは難しいとして、、
その年のSGタッグで優勝した藤波&ベイダー対
鶴田&ハンセンとか。これならセミで両リンでもOK.
でも、メインのカードがなくなるか?
ルーインの英語版Wikipediaみると奥さんの記述ないからリンダさんとも
離婚か死別してるな。
数年前にはネットに夫婦の記事あったのに。
>>361 ゴディ、ウィリアムスVSベイダー、ビガロだと鮮度が無さすぎない?
前年までウィリアムスは新日にも参戦してるし
ビガロとゴディだって前年全日で当たってる上に海外でもバンバン対決やってるし
渕の延髄斬りは頭に置きにいってる感じで痛そうじゃない。レックシザースみたいな感じ
>>389 同日に全日本の試合があったけど、渕の試合は組まれて無くて会場にすら来て無かったw
渕は長州みたいな長髪&マサ斎藤みたいな髭を生やして凱旋帰国したらどうだったか?
長州は遠征地のメキシコの散髪屋が下手だったから髪を伸ばしっぱなしにしてたらしいけど
メキシコに長州の希望通りの髪型にしてくれる散髪屋が居たら、長州はごく普通の髪型だった筈。
ごく普通の髪型の長州だったら此処までブレイクしたのかな?
>>396 テネシー時代はカッコ良かった。
時の流れは残酷だ
大仁田&渕って一回どっかで丸坊主になってたよね。
たぶんトージョーヤマモトいた気がするからテネシーかな?
>>388 ブルース・リーで行くのかジャッキーで行くのかどっちつかずのうちに
サモ・ハン・キンポーの立ち位置にされてたかんじかな<ドラゴン
色々な意見を参考に、91年10月に全日が東京ドーム大会を開催したらを再妄想してみる。
あくまで全日っぽいカードです。
三冠ヘビー級戦
鶴田VS三沢
世界タッグ戦
ゴディ、ウィリアムスVSハンセン、スパイビー
特別試合
川田、小橋、菊池VS橋本、蝶野、飯塚
田上、渕VS藤波、木戸
馬場、R木村、M井上VS大熊、永源、寺西
前回より地味?
>>401 全然ダメ。サプライズがなさすぎ。
メインを内容重視の対決にするなら、
セミはあっと驚く組み合わせにしないとドームでは無理。
対抗戦の6人タッグもテーマがないし、
藤波使うなら、田上とやらせてどうする。
>>400 上手い。
しかし、園田本人の延長上にはブルースリーもジャッキーチェンも最初からいないのに。
一応言っとくけど、コメディ担当のように見えてめちゃ幅広い活動するバケモンだぞ…サモ・ハン
>>405 ジャキーチェンと共演した作品でもサモハンがジャキーチェンを喰ってた作品あったしね。
>>401 全然ダメ。サプライズなさすぎ。
91年4月武道館のメインセミのカードが一緒。
ということはその武道館がドームだったら入っていたかもね。カード、興行としては良かったし。
伊藤正男の海外試合を観たけど、一人極道コンビという感じw
帰国させて薗田も入れて、極道とユニット組めばよかったかも
マネージャー林でw
>>412 国際プロレスの独立愚連隊みたいだな。
鶴見五郎、大位山勝三、マネージャーがミスター珍
中堅のモッサいオッさんヒールユニットに需要ないだろ。
全日なら、ガイジンでヒールは足りてるし、誰がメインで極道トリオ対馬場、鶴田観たいんだよ…
>>414 独立愚連隊もセミ前以下の試合順が定番で相手は良くても浜口寺西、
エースの木村とは当たる事無かったと思う。
>>414 需要がないから伊藤も放ったらかしになったんだろうけど、
やっぱり少しはスポットライト浴びて欲しいからさ
アジアタッグも盛り上がっただろうし、いろいろファンとして想像するわけよw
経営者目線で考えるとその通りだけどね
伊藤や薗田をヒールにするなら
上田馬之助を大将にして上田軍団的な
ユニットを作らないとね。
馬場がマスクをかぶって謎の覆面レスラーとして登場したが
調子に乗って椰子の実割りを繰り出して正体がバレてしまった。
谷津が語るマジックドラゴンの思い出泣ける
本当に仲良かったんだね
>>401 ちょっと華のあるカードにしてみた。
三冠ヘビー級戦
鶴田VSハンセン
三沢、川田VS武藤、馳
小橋、エースVS橋本、蝶野
ゴディ、ウィリアムス、スパイビーVSベイダー、ビガロ、ノートン
馬場、田上、渕VSブッチャー、キマラ、ディートン
豪華すぎて現実的じゃないな。
母の友人に寺西って人がいて、いつもいさむ!いさむ!と茶化してたら、申し訳なさそうにプロレスラーの寺西勇は甥っ子と。『弱くてやられちゃうのよねぇ…』
世の中って案外、狭い。
寺西と言えば対抗戦の馬場対寺西、楽しみにしてた人、多かったな。
マニアは特に。
>>422 新日初期の小沢vs浜田が前座の名物カードだったらしいけど
そういう趣きのある試合になるのかな?
対抗戦だから場内のムードはバチバチで楽しむ空気はないだろうけど…
馬場が寺西に勝つ前提だと、両軍イーブンにするには
両リン→小林が石川にスライディングキックでリングアウト勝ち
鶴田勝ち→鶴田が浜口に暴走反則負け
上記のどちらかのカードしか結果変更は想像できないなあ
他の三カードはそのままだろう。
石川vs小林が序盤の小林のラフ攻撃が布石になり
サソリ固めで小林がロープブレイクをしてるのにも離さず
止めようとしたレフリーに暴行して反則負け
又は、小林をコーナーマットに逆さ吊りにして
ストンピング攻撃を止めずに反則負け
この辺りじゃないの?
後は栗栖冬木が両リン
>>421 弱いからではなくて、華がないからと慰めてあげればよかった。
でも、面白い話をありがとう。
寺西はワンハンドバックブリーカーとショルダースルーの切り返しくらいしか技がないからな、どっちも馬場相手じゃ無理だし凡戦になるだけ
馬場の腕に逆アームブリーカー
>>426 その頃はブックという概念がなく、プロレス=ガチだと思ってたからね。
今だったら、気の利いた言葉の一つ二つは言えたかなぁ。。
国際が潰れてすぐ全日本に来た原、鶴見、井上、冬木と比べて木村寺西浜口豪は扱いが良くないかな。。と思ったが並べてみるとそうでもないな
木村は重宝されたし浜口もジャパンが潰れる時に慰留されたし、豪はどうしようもないし寺西もチャンス与えようがなかった感じだわ、真面目で人柄は良さそうだけど
>>418 馬場がふざけてマジックドラゴンのマスク被ってる写真があったな。
>>429 いくらなんでもプロレスをガチとは年配の女性でも思わないだろうね。
あえてそう言ってお茶を濁してるんだと思いますわ。
>>430 寺西も一応ジュニア王座に挑戦したことはあったんじゃないかな
マイティか渕かは忘れたが
寺西は天龍同盟相手でも試合スタイルを変えなかった唯一の中堅レスラー(薗田もちょっと近いが数ヵ月間だけだし若手的な遠慮もあったかも)
他のレスラーが目の色変えてキツイ攻撃したりしたのに寺西だけはほとんど変わらなかった。レスリングセンスは認めても我が道を行く感じで上で使いにくかったんじゃないかと
>>433 武道館で百田に挑戦した、あれが百田フィーバーの最後だったと思う
>>418 タイガーマスクTV版。
原作でもあったかは忘れたので誰か。
>>419 ダラスでは団体の垣根なく接してくれたとか。
高野弟が、みちプロで何回かグレートゼブラやっていたよな。馬場さんにも一度やってほしかった。
>>439 ジャイアント・デストロイヤーがいい。
タコちゅうみたいなマスクは馬場に似合いそうだ。
>>437 谷津が何かのインタビューで語ってたけど
海外修行の全日勢や、遠征してきた馬場鶴田に接して
「オレ、全日本に入れば良かったなあ…と思ったよ」
「あげくに日本に帰ってみれば、猪木さんと敵対する維新軍に振り分けられてさ…あ〜あって感じ」
あと船木が若手当時、道場の部屋で武藤と全日本プロレス中継を見てたら
武藤「オレ、こっち(全日本)の方が合ってるかもしれない…」って言ってたと。
共にデビュー前か、数年で敵対団体にそんな事を感じちゃったら
自団体に引退まで仕えるのはやはり無理だったんだなあ…
>>435 その試合はすでに寺西コールだったからな。
>>426 「弱いから」より「華が無いから」の方がむしろ酷い気が…w
「弱い」は仮にガチと思い込んでたとしても
「でも、頑張ってるみたいだし〜」とか
「この間雑誌にも写真載ってたよ」とか言いようあるけど
素人に「華が無い」って言いきられるとなんか互いに言葉の続けようが無いだろw
「華がないから」は何の慰めにもなってないだろ。
逆に失礼だと思うぞ。
顔に華がないから平田みたいにマスクを被せる手もあった
>>432 んで、うちの母親にも寺西勇の試合を見せたら、勝敗についてはあえて触れずに、目元と額の感じは寺西さんに似てるわとだけ言ってたw
寺西はアジアタッグ獲ってたんだな。
国際勢だと井上、浜口が国際在籍時、そして在籍後にも獲得してて、
原、寺西、冬木が在籍後に巻いてるのか。
>>441 海外での馬場は凄い優しいってドクが言ってたから、最初から全日じゃ微妙かも。
ただ、谷津は実績あるからいい扱いかもしれないが、中坊の船木じゃ「高校卒業してからおいで」→「そんことしらない(上まで伝わってない)」コースで結局新日行きそう。
>>441 谷津は83年にダラスにきた鶴田と夜通しプロレスの事を語り合ったとか言っていて
長州はプロレスの事何にも教えてくれなかったが、鶴田は親切だったとか言っている
ぐらいだから新日にずっと違和感を感じていたのかと。
小沢正志とか木村健吾とか、坂口と一緒にきた連中は新日も大事にしたんだろうな。テレビ中継も連れてきたし。
坂口派だから優遇したのかなぁ、カーンと健吾兄さんは身長があったから評価しただけでは
大城なんかいつのまにかいなくなってたし
>>450 色々あって大変だろうけど
谷津には「プロレス愛」を感じないんだよね。
今も昔も、掴みどころがない感じ。
プロレス入りする前に「その世界で偉かった」人ほどそうだな。谷津の前にも草津とか典型的な感じだったし。
谷津は
「仕方がないからプロレスやってるんだよ」感が
全日のレスラー以上に強いな
たまにCSでプロレス見るが、本当に小さいのばっかだよな
172〜176が中心で180超えてたら巨人って感じだもんな
どこの団体かもよく分からんけど
プロレスは大きいやつが常人離れすることで成り立つ競技だったのに
今や小さいのが器械体操、組体操やってるだけだからな
>>441 そんなエピソードあるのか
武藤なんかは新日であれをやったから、独自のルートで新日トップまで上り詰めた感あるけどね。
その頃の全日でやってたら埋もれてたような気もする。
>>459 新日で、デビュー当時からスター候補生扱いだったろ。
スタイルとか関係ない。
>>460 武藤はUWF、ジャパンと上がごっそり抜けたから一気に格上げされたというのはある。
健吾にしても武藤にしても全日に入ってたら、そもそも練習しなくなるから
体型自体が変わってるだろう。
>>462 健吾は緑の腹まである緑のショートタイツに分厚いニーパッド姿になるんやろね。
武藤が最初から全日に入ってたらグレート・ムタは生まれなかった。
逆に高校卒業ですぐに全日に入ってたら2代目タイガーマスクになってただろう。
>>463 鶴田&健吾でハンサム・エキスプレス結成だろ。
>谷津は「仕方がないからプロレスやってるんだよ」感
大半の客も、会場に行ったりテレビ付けたりして、
仕方がないから谷津を見てきたような気がする
>>461 格上げされた中でも、扱いが別格だったからな。
ヤングライオン杯4位で、先輩たち追い抜いて海外遠征だもんなあ。
試合みたことない時は、なんでそんなに特別扱い?と思ってた。
>>430 寺西は91年に富山の小杉では鶴田と田上と
組んでメインに出てた。
なぜかこの大会は入場無料で行われてた。
町祭の一環か何かかな?
普通ヤングライオンは基本技しか使わせず、派手な技を使ったら怒られるのに
武藤だけスペースローリングエルボーとかムーンサルトプレスとか前座でバンバン使ってたり
若手の面倒は小鉄に任せっぱなしの星野勘太郎が、武藤がスキンヘッドにした時だけは
「会社が期待の新人として売り出そうしてるのにツルッパゲになる奴があるか」と叱ったとか
とにかく若手のころから話題に事欠かなかった武藤
>>461 いや武藤対蝶野のヤングライオン杯の試合を後年みたが、二人ともベースが出来上がってた。
武藤はやっぱり天才だ
谷津が全日だったらデビューが同時期として81のサマーアクションシリーズ。
無難にビクターリベラをフォールするか、
スレーターと両リンかも。
谷津はSWSの後、高級外車中古車の輸入販売経営という
銭ゲバ丸出しだったからな。
谷津はデビュー前に全米アマレス王者にも勝てるとかビッグマウス
だったから猪木にデビュー戦で罠にかけられたんだろな。
谷津が全日に最初から入団してたら
シングルでもタッグでも
大会場のメインで試合を組まれるところまでは登れなかったんじゃないかな
>>472 谷津の縄張りは群馬県の邑楽郡明和村なんだけど当時ぎりちょんで都内通勤圏になってたので
農地がかなり宅地に転換分譲されてた。そんなわけで成金小金持ちがけっこういたから
商売としては目の付け何処は良かった、上手くいく行かないは別問題だが
ジャパンプロ分裂で全日に残った時は「常識(契約)を守った」と
悪く言われなかったんだが全日離脱、SWSで崩壊のトリガー、WJで崩壊のトリガーとなって
ロクな人間じゃなかったのがバレた
常識を守ったのではなく新日復帰より全日残留の方がNo.3の地位が確保されて
美味しいと判断しただけだった
動画サイトで続けてる谷津の海外武者修行時代の思い出話はいいよ
やっぱりプロレスもプロレスラーも好きだったんだよ
谷津は輪島デビュー戦の時も横綱のほうがシンより強い
勝って当然言ってたな
>>471 6月デビューだからスーパーパワーシリーズじゃないか?
外国人はシーク、リッキー、スヌーカ、ケビンとデビットのエリック兄弟、バグジー・マグロー、スタイガー。
ちなみにこのシリーズは天龍が凱旋帰国している。
もし谷津が全日本に入団していたら、デビュー戦は創立10周年記念蔵前大会でテリーと組んでレイス、ロブレイ組と対戦し、ワンダースープレックスでロブレイに勝利。
スクープサーモンって技の名前が好きだな
古館が付けのかねデカい魚抱えてるイメージ
全日本のがあってた違ってたはスタイル以外もあると思うけどね、越中なんかは閉塞的な全日本の中の世界は嫌だっただろうし
鳴り物入りで入団したレスラーは全日本のが良いけど、一から新弟子で入るなら新日本て感じじゃない?
天龍は新日入団してたら潰されてたと言ってるね
そんなこともないと思うけど
猪木が相撲崩れはろくでもねえと嫌ってたからかな
三沢と武藤はデビュー前から特別扱いだったらしいが、それ以外の扱い方だね
谷津は鳴り物入りデビュー後の扱いが不満で全日本のが良いと言ってるだけじゃない?ストロングスタイル幻想を守るためにガチャガチャした落ち着かない試合をやらされたとかもあるのかもだけど
テンタって相撲で来日する前には身長206cmといわれてたから実際来てみたら
そんなになかったからガッカリした。
>>479 そりゃプロレスラーでガチ最強がハクだろw
輪島とハクじゃガチンコの実力が本当に横綱とふんどし担ぎじゃん。
武藤が1984年に全日に入門していたとしたら、
同い年の三沢、年下でも先輩になるの川田と
絶対に衝突していただろうな。
武藤は、柔道部出身だが、体育会系の空気が嫌い。
新日に入門した時は、上がごっそり抜けたので
ノビノビやれたんだろう。
>>485 木村健吾、キラー・カーン、ジョージ高野は元相撲取り
>>485 天龍のスタイルが花咲いたのはデビューしてかなりたってから。
新日入団であのていたらくだったら、たしかに窓際に追いやられる。
新日入団だともっと早く花咲いた、ってのはなしだ。天龍も自分の歴史を振り返ってみて新日だったら〜と言ってるはず。
>>489 新日本も大分違うよね。コテツ時代、選手大量離脱後、馳健時代、と段々練習以外の厳しさが緩くなってたイメージ
全日本は
マシオ時代以降は練習よりも理不尽さに我慢する時代となり佐藤昭雄からマシオ時代を進化した教育になった
面倒な兄弟子からのイジメはどっちもあったみたいだけど
>>489 世界選手権覇者の岡田に負けて体重別3位の武藤と足利工業高校体育館での団体優勝の三沢とじゃガチンコの力量が違い過ぎるぞ。
しかもアマレス重量級なんて異常に層が薄い。
インハイ敵地で個人2位の川田ならくらいつける可能性あるけどな。
>>484 別に越中は、全日が嫌で出たわけじゃないからなあ。
閉塞的とか何を根拠に言ってるのか。
ちょいちょいデマ放り込んでディスるのやめろ。
この新日のスパイが。
>>476 いや、WJの時は谷津はまともだったぞ。
醜態暴露されて首脳陣と天龍が怒ってただけで。
道場や社用車に無駄に金かけすぎとか、長州は若手の指導の前に営業しろとかインディの自覚なかったWJに現実持ち込んだだけで。
>>490 木村健吾、キラー・カーンは
新日入門ではなく、坂口が連れて来たんだから
受け入れるしかなかったんだろう。
それにしても「優遇」はされなかったよ。
「カール・ゴッチ杯」も優勝させてもらえなかったし。
天龍、石川、越中は気性から見て新日向き
実際に新日に上がった時にはいいポジションで使われてる
折原、北原も一見そう見えるが
何かが違うのかな
>>496 ゴッチ杯優勝→即優遇でもないよ
優勝した藤原や北沢のその後を考えれば
健吾とカーンは凄くチャンスをもらってる
スレチだけど健吾は新日では体格が良い方だし、見た目もわるくないし
身体能力も藤波より高めだろ。それなりの扱いされて当たり前だな。
>>497 気性はともかく、断髪式をリング上でやったりはしなかったろうな。
考えてみると史実では日大講堂で天龍が髪を落としているが、
ほぼ同時刻に新日は蔵前で開催中、リング上断髪式はちょっといろいろヤバゲだ。
>>499 気が小さいレスラーって
新日本には向かないなあ
>>495 それをマスコミにペラペラしゃべって自分は悪くないとアピールしたからこういう評価なの
健吾は天龍のチョップやキックが嫌で頭や胸を手で隠してたから正々堂々な全日本とは合わないと思う
ドームで鶴田谷津に自分勝手なプロレスをしたのが彼の持ち味なんでしょ?
YouTubeで昔のレスラーとコラボしないのは何でなのかな?と思ってたんだけど、そういう理由で避けられてる存在なのかな。
長州チャンネンで谷津の名前が出た時の嫌そうな顔
猪木チャンネンでも谷津の名前が出たら、一瞬、間を取ってスルーするように違う会話を進めてた。
谷津とマサは監獄固めの一件があるけど仲はどうだったのかな?
>>503 ジョージもそうなんだけど新日のの奴らって他団体と試合すると自分勝手だよな
金本なんかは顕著
そりゃTwitterで文句言うだけの爺に落ちぶれるわ
>>499 >>503 マスクもいいほうだし、相撲出身と思えないほど体の線もいいのに
いまいちブレークできなかったのはそのあたりも原因なのかな
ドームの一戦は、鶴田が足抱え式のバックドロップ出した時点で
「あ、こいつ評価されてないんだな」と思った
>>508 木村健吾のニックネームはクラッシャー(初代)
要するに下手だって事だからね
>>498 健吾は、カールゴッチ杯で
「ヤングライオンとして全く期待されていない北沢」に
さえ、勝たせてもらえなかったというべきだよ。
その前年はプロレスとしては後輩の藤原にも負けているし。
まぁその健吾が、新日でチャンスを貰えたかどうかは見解の相違だな。
結局、カールゴッチ杯は藤波、藤原、北沢という新日生え抜きが
小沢、健吾という旧日本プロレス勢を制して優勝していた。
というか魁はヤングライオンじゃないからな
あの時点でキャリア15年近いし、もちろん海外武者修行済み
木村を優勝させないために出場したとしか思えない
>>509 試合後になぜいつもと違うバックドロップを使ったのかを聞かれて
鶴田は「ケガさせるわけにはいかないから」と答えてたな
対戦前のビデオチェックで、健吾の受け身の技量に不安を感じていたのか
クラッシャーは自分の受け身も下手ということなんだろうか
ワールドクラス特集なら、アマリロやオールスターズも合わせてテキサスマット特集をやって欲しいな。
>>249 後れ馳せながらながら拝見させて貰いました。
駒は防戦一方で良さが伝わりませんでした。
カリプスハリケーンデカイ。
>>249 やられっぷりが凄いね、というかこの時期のブッチャーは怖いんだな
受けは良かったけど駒の攻めがほとんどないからよくわからん。フィニッシュも説得力ないし
そもそも旗揚げ戦の映像が残ってないこと自体が大失態なんだけど。
映像といえば
力道山時代の映像は初期から結構残ってるんだな
新日も旗揚げ戦の映像は
控え室移したり天井カメラがあったり
猪木のインタビューまであったりと力が入ってる
全日の旗揚げの馬場ーサンマルチノがないのは残念だな
初期のPWF王座争奪戦は集客は悪かったらしいが
資料としてもっと見てみたい
>>507 ドクもカブキも新日は自分のやりたい事ばかりして受けないって言ってたな。
しかし、カブキは1番良かったのは平成維新軍という。
https://hochi.news/articles/20180616-OHT1T50128.html イベントで私は保永氏に、全日本と新日本のスタイルの違いを質問した。
「一言で言えば、相手が小っちゃかろうが大きかろうが公平に扱ってくれるのが全日」。
「新日は、最初から潰しにいっちゃうというか。最初から違いを見せつけるような。
まぁ、簡単に言うと受けないというか、相手の。自分ばっかりいいとこ売っているようなスタイルというか」。
簡潔で明快。これほど2大団体の違いを表現した言葉はないだろう。
「だから、すごく全日はやりやすかったです、私としては。
外国人とやるにしてもある程度は受けてくれるし、新日の場合は
そういう外国人はまず皆無でしたから」と保永氏。
水と油とも言える2つの団体。その言葉からは自らの思惑を超えて
「プロ」に徹した職人のプライドがにじみ出ていた。(記者コラム・福留 崇広)
カブキは天龍同盟と熱い試合をしてた印象たが、あらためてここで押せるようなベストバウトがないな、石川ならいくつかあるのに
>>501 新日のレスラーはみんな気が小さいやん。
だから犬みたいに吠える。
で、ゴルドーや佐山には誰も突っ掛けない。
ゴルドーに勇敢に突っかける
羽田や浅子や志賀やミスター林かあ・・・
所属選手そっちのけで暴れるケンドーナガサキ、まぁ突っかかっていったのはブロディなんだけど…
ブロディを入場式に呼んだ時点でボール投げなんて無理だろうに企画者が悪いよ
>>522 保永は最初、全日の入門テストを受けて落ちている。
元々は全日が好きだったんやろね。
>>530 身体小さいしこれといった前歴ないし、全日が取りたがるタイプではなかったな>保永
でもジャパンの全日参戦時の馬場の評価は高かったよな
「新日はよく育ててくれた」「取らなかったのは失敗だった」くらいには思ったはず
逆パターン=新日不合格で全日入り=は誰かいたっけ?
秋山がそれっぽいニュアンスのこと言ってたが、あれは闘魂クラブにスカウトされなかった
って意味で、新日のテストはうけてないし
>>532 川田は中三の時に新日の入門テストに合格したが
周囲から「高校は出た方が良い」と説得されて入門しなかった
入門テストのスパーで新日の若手レスラーに勝ってしまった
>>530 リング屋のバイトやってて全日とコネがあったからな
>>531 新日不合格で全日入り=高野直樹
新日脱走で全日入り=滝川隆寿
どっちもすぐ辞めたけどね
>>531 入門志願者は大勢いるから書類審査はもちろんテストに馬場がタッチしている訳ではないだろう。
保永が全日本の入門テストを受けたときも百田あたりが審査して馬場の耳には入っていなかったと思う。
だから保永が全日本の入門テストを落ちていたと知っても「ふ〜ん」くらいにしか思わなかっただろう。
>>530 保永はオーソドックスなレスリングする感じなので新日本だとアクの強いレスラーばかりで目立たないかな
>>534 二人とも同時に辞めてる、てか夜逃げ?なのかな?
>>534 時期にもよるけど、どっちも小鹿にいびり出された口なのかな
>>508 マスクもいい方だし…
マスクもいい方だし!?
健吾が!?
あんな猿顔、どうプッシュしても人気出るツラでは
ないよ。あんたの目、どうかしている
そんなことないだろ
ニューリーダーの頃はカッコいいと思って見てた
まだガキだったけど
>>531 秋山は一般企業から内定を貰ってたから馳のスカウトを断った。
馬場はそれでも熱心に誘った。
長州は悔しがったみたいだけど。
部活もバイトも会社も途中で逃げ出したことのない俺には夜逃げがイマイチ理解できない
昔橋本がデビュー直前に辞める新弟子が多数いることに「プロレス業界の裏の部分を見て幻滅する気持ちもわかるけど」と言ってたから、辛いからじゃなくケツ決めを知って幻滅して辞める人のが多いのかも知れないけど。それもあって馬場も新弟子を取りたがらないとか
>>512 鶴田は新日ドームの前年暮れの最強タッグ開幕戦
シンにもドリー式バックドロップでフォールしてるね
健吾とシン、時期的に近いし、危険度も含めて思うところがあったのかも…
しかしそもそもシン相手に鶴田はシングル・タッグ含め、テーズ式のバックドロップ決めた事はあったのかな?
少なくとも自分は生観戦、テレビ含めて見た記憶がないんだが…
去る者は追わずのプロレス道場なのに、武藤だけは小鉄に連れ戻されたんだっけ
冬木は辞めたい辞めたいと周りに言ってて後に親戚の不幸か何かで実家に帰った時は誰もが逃げ出したと思ったのに1週間くらいで戻ってきたとかあったな
>>397 大仁田 渕VS RRエキスプレスのテネシー時代の
抗争がYoutubeで上がってたけど、完全にFMWなのねw
>>526
飲兵衛の午前様
>>549 昭和新日スレ見ても「ここ昭和全日スレか」と勘違いすることも
しばしばだし、もう合併したほうがいいんじゃないか。
>>544 理不尽なしごきには、口の軽そうな新弟子をさっさといびり出してケーフェイを守る
目的もあったんだろうけどね。
すぐパワハラが問題視される上、スマホ等で簡単に証拠も残せる今じゃもう無理だろうな
>>545 鶴田に限らず、シンがバックドロップやボム系の技で頭から落とされた場面ってほとんど
見覚えがない。そこまで重いわけでもないのに。
受け身のうまい方じゃないんだろうな。
>>512 >>545 鶴田が健吾に見舞ったドリー式バックドロップは鶴田のミスだと思う。
ケツが木戸へのフライングボディプレスなのに健吾にヘッドロック取られた勢いで
バックドロップで投げる体勢に入ってしまい「マズイ、フィニッシュじゃない」と思って慌てて足を抱えた。
木戸へのフィニッシュ直前には腰を抱えてのバックドロップをやろうとしたが
これは健吾が「フィニッシュにならないからダメ。技の価値観が落ちる」と思ったのか、後ろから蹴って投げさせなかった。
どちらも、バックドロップで投げてもフィニッシュにならなかった。
>>545 ドリー式バックドロップは抱えた脚の角度によって凄く効きそうだけどな
シンも猪木のテーズ式には慣れてるけど、
ハイアングルの鶴田のバックドロップには戸惑いもあるんじゃないかな
>>553 完勝ブックではないからね
団体対抗戦として
今後につながりそうなフィニッシュで
という事前の打ち合わせがあったんだろう
公式戦ではなく交流戦や親善試合という位置づけだったのだろう
特に鶴田はそういうのをはっきり区別してやるタイプだし
>>555 そう。だから中盤に健悟にバックドロッやってたらカットされ、終盤の木戸にやってもカットされる。
全日での普段のタッグマッチでバックドロップがフィニッシュじゃないのに途中で出して決まらないというのはあったか?
>>553 フライング・ボディシザース・ドロップね。ボディプレスじゃ違う技になる。
>>557 >全日での普段のタッグマッチでバックドロップがフィニッシュじゃないのに途中で出して決まらないというのはあったか?
記憶に確かなのは85年最強タッグでドリーにバックドロップを出したが
フォールにすら行かなかったのと
龍原砲結成直後に原が何事もなかったかのように直ぐに起き上がった試合
鶴田がバックドロップをフィニッシュに確立したのは天龍同盟以降だよ、天龍同盟時代に天龍が
「鶴田がバックドロップをフィニッシュにして技を組み立てるんなら俺もパワーボムを中心にして組み立てるかな」と話した記憶がある
それ以降も相手のヘッドロックを解くために気軽にバックドロップを打って相手が試合途中にうずくまることが度々あった
>>560 原はバックドロップを食らうためにヘッドロックをするのを毎試合やるね、原と試合をする相手は必ずバックドロップをしてたんじゃないかというレベル
>>543 馳はスカウトしなかったんじゃないの?
腰を痛めてたからとかなんとか言い訳してたけど。
所詮馳に見る目がなかったということだろう。
オリンピックとか肩書きばっかり重視して。
>>544 >部活もバイトも会社も途中で逃げ出したことのない俺
もっと他に自慢することないんか?
わざわざ書く必要なし。
>>561 んなわけあるかっ!
テーズから伝授されて以来ずっとだ。
そりゃ試合途中に出すことはあったかも知れんが、
基本はフィニッシュ。
>>564 東京ガスだっけ?
さすがにそんな一流企業の内定断ってまで
既にゴールデン陥落してマイナー化しつつあった
プロレス来るとは普通は思わんだろう。
それ考えたら馬場はよく口説き落としたなと思うけど、
馬場はどこで秋山の情報を耳にしたんだろう?
>>568 松浪健四郎氏が馬場に紹介したんじゃなかった?
>>567 天龍の談話は事実だよ
それまでは馬場のランニングネックブリーカーみたいなたまに出す扱いだったかも、その割にあっさり中盤に出してたこともおおいけど
>>562 相撲特訓続けてれば新日にもUWFにも負けなかったろうな
>>570 その天龍の談話は本当かどうかは誰も指摘してない。
その談話から、鶴田がバックドロップをフィニッシュに使い出したという証明には何にもならんだろ。
何でそう思った?
ちゅうかリアルタイムで見てたら、鶴田がそれよりはるか前からフィニッシュに使ってたってのがわかるだろ。
>>568 専修大学まで足を運んだんだろ。
ニコニコ笑顔で「金の卵見つけた」と帰ってきたから、中西のことだと思ってたら、秋山だった、
とかなんとか誰かが書いてたな。京平だったかな。
>>571 新日やUより、レスラーとして優秀。
勝ち負けはブック。
いや、天龍同盟前はジャンボラリアットのがフィニッシュ技にしてた、天龍はDDTとダイビングエルボーも多い
ジャパン軍は超格下相手にしかピン取らしてくれなかったからフィニッシュ技を格下げしたのもあるのかもだけど
鶴田がジャパン軍相手にあまりバックドロップをやらなかったのは上にあったキムケン木戸相手の時と同じ理由かも
>>576 長州相手の時はバックドロップ食らうことの方が多かったな
ピン勝ちしちゃいけなかったらから必殺技設定のバックドロップ出せなかったのもあるけど、
受け身の下手な長州じゃ見ばえが悪くて技の価値が下がると思ったのかも
>>579 あの混乱の中で放ったその一言は覚えてますね〜
土足で上がって云々、かな
>>580 「土足で上がって…」は、ブロディ・スヌーカのセコンドで登場し
乱入した時の発言
週刊ファイトに、
「阿修羅原はいつも熱い良い試合をするが、試合中、相手に話しかけすぎる」
と書かれてたな。
あー、あのヘッドロックしながら耳元でボソボソ言うの、とうとう書いちゃったー、と思った。
阿修羅原「菅原、俺たちは外様だから。でも、バカ負けしちゃいけないよ」
ヘッドロックでボソボソはいろんな選手がやるねw
ジャンボは下手だった・・
オープン選手権でラシクがドリーにボソボソ言ってるところが抜かれたけど、
聞き取れなかったのか言い直していたw
おいおい、映ってるよと!
>>554 >ドリー式バックドロップは抱えた脚の角度によって凄く効きそうだけどな
やはり馬場がやるドリー式の「二階からのバックドロップ」が一番凄いな
足抱えは高さが一番大事だと思う、見映え的にも。
>>585 ブッチャーは著書に、
「鶴田はロープに飛ばすとき、いつも俺にボソボソと話かけるが、ゴートゥーヘル(地獄に落ちろ)と言いやがる!」
って書いてたな。
>>575 ジャンボラリアットでフォールなんてほとんどねーよ。
それにお前が言ってるのは、ジャパンが来た頃の話だけだろ。その頃は鶴田がフォール勝ちするケース自体少なかったからな。
そもそも鶴田がテーズにバックドロップを教わるというストーリーは、フィニッシュホールドが無いという弱点を克服するためだぞ。
天龍がパワーボムをフィニッシュに使い始めたのはジャパンとの抗争後期から。
キラートーアカマタにバックドロップでピン勝ちしてから
鶴田の必殺技はバックドロップ≠ニいう印象が強くなった気がする
カマタは背は低いけど巨漢で重いから、あのデブを完璧なフォームで投げられるなら
ヘビー級相手に通用する必殺技だと証明できたというか
鶴田バックドロップをフィニッシュにしだしたのはテーズに習ったときだよね。
黒タイツになった頃にはもうテーズ仕込のバックドロップが最大の必殺技。
自分の記憶だから自信ないが
ジャンボラリアットを初めて見たのは、AWA王者として来日したマーテル戦かな?
エプロンにいるマーテルにリング内から並行して打ったやつ
大阪府立だと思ったが…
ジャパンがいた時期って結構長いでしょ。その間はバックドロップを確立してなかったのは間違いないと思うが
>>578 天龍まったく行く様子ないな。原に至っては座って笑ってる。
天龍同盟以前だよね。
>>589 >そもそも鶴田がテーズにバックドロップを教わるというストーリーは
>フィニッシュホールドが無いという弱点を克服するためだぞ。
ラリアットやるのはいいけどサポーターを真似してたあたりが
鶴田の「弱点」なんだよ。センスが悪いというかずれてる。
黒パンツはともかくジャンパーも膝肘サポタイツが全部黒ってのはいただけなかった。また星パンツを履けとは思わなかったけどなんか色が欲しかったな。
70年代と違って
80年代になるとフィニッシュパターンが多彩に持ってたレスラーは
時代に合わせた変換に苦労してる
ハンセン(ラリアット)
長州(ラリアット、サソリ)
ホーガン(アックスボンバー)
みたいにワンパターン化されてるほうがブレイクしてる
ブロディが上の3人と比べてイマイチ人気で劣ってたのも
決め技が必ずしもニードロップに安定してなかったせいかも
『Gスピvol.42』より、馬場プロレスと猪木プロレスの違いを語る佐藤昭雄
「猪木さんのコブラツイストや卍固めって、“これで決まったよ!”と、お客さんも実際に痛みがわかるよな。だけど、馬場さんのフィニッシュは16文キックであったり、
32文ロケット砲であったり…あの人の大きさからすれば、ドロップキックをやるのは大変なことだけれども、ギブアップ技って持ってなかったよね。
ジャンボもそうだったよ。何でも合格点が付く技をやるけれども、ボンボンボンと
畳み込んで、最後にボンと決めるというのがなかった。だから、ジャイアント馬場のプロレスなんだよ。猪木さんみたいに.“テメェ、この野郎!”とバチンバチン行って、バシッと卍固めに入るとかいうのは、馬場プロレスにはないんだよ。馬場さんは、
そういうのが嫌いなんだ。だから、全日本プロレスでそういうフィニッシュを
使う人は誰もいなかっただろ。試合の流れの中で、フィニッシュまでの流れがあって勝負がつくというのが馬場さんのプロレスなんだよ」
ー確かに平成の四天王時代になってから、三冠戦のフィニッシュはギブアップ
ではなく3カウントという暗黙のルールがありました。
「馬場さんは完全に相手を封じるサブミッションホールドというのが嫌いなんだよ。最後はワンツースリーで“あっ、スリー入った!”とお客さんを喜ばせるのが馬場さんのプロレスだったんだ。ただ、ジャンボも馬場プロレスなんだけど、相手に合わせて
試合を五分に持って行って、そこから反撃していくよというのがなかったんだよ。
受けから攻めに変わる流れの作り方を若い時にやらなかったから、
結局覚えなかったんじゃないかな」
>>593 確立してました!
その時期他の技でフォール勝ちする鶴田は思い出せない。
バックドロップがフライングボディシザーズドロップが鶴田フォール時の技。
鶴田の腕サポーターってハンセンデビアスの腕責めでレフェリーストップ負けしてからじゃなかったっけ?
あの試合も終盤まで普通の試合してから不自然に腕狙いにいっていきなり終わった感じだけど
>>597 馬場は日プロ時代には
逆片エビ固めは凄く絵になったし
フィニッシュとしても良かったんだけどなあ
全日になってから衰えて力感がなくなったからか
辞めてしまったのはもったいなかった
鶴田は体格が良いから相手の技受けてやられてる振りしてたら大きいくせに
だらしないと思われるからな。
力道山や猪木とは違うわな、まあ馬場に近いスタイルになると思う。
>>601 ブッチャーはテンタに「ダウンが多すぎる。大型レスラーはあまりダウンしてはいけない。」と
苦言を呈していたね
猪木や力道山みたいな中型の体格とは違ってくる
鶴田の右腕サポーター、手術跡を隠すためというのが本当のところ。
>>597 >四天王時代になってから、三冠戦のフィニッシュはギブアップではなく3カウントという暗黙のルールがありました。
川田のストレッチプラム、三沢のフェイスロックで鶴田がギブアップ、
四天王時代の前田だがタッグで鶴田(インディアンデスロック)天龍はあったな。
鶴田はボストンクラブがあったじゃん。
休憩タイムに見えたけどw
後期なら拷問コブラとかやってたね。
>>600 83年のインタータッグ戦でデビアスに勝った逆エビ固めは説得力あった
馬場が一時期多用してたジャイアントバックブリーカーを封印したのも
参った言わせる(封じる)技があまり好きじゃなかったからかな
猪木のライバル シンはコブラで仕留めたけどねw
新日は関節技というイメージもあったから、アームロック、スリーパー、足首、ワキ固めなどの地味系から
卍、コブラツイスト、カナディアンやアルゼンチンバックブリーカー、弓矢固め、サソリ、
ドラゴンスリーパー、ストラングルホールド、STF、トライアングル・スコーピオンなどプロレス系極め技も多かった。
スタイルの違いだが、全日武道館のメインで鶴田がSTFでギブアップ負けはないかもね。
全日でのギブアップ技だと、スピニングトウホールド、ガニア・ルーインのスリーパー、NWA王者、デストロイヤーの4の字、
馬場のエプロン宙吊り4の字、テキサスクローバーホールド、石川のスモーピオンデスロック、エリックの鉄の爪・・・
結構あるじゃん。
関節技なんて今となっては単に休憩タイムなんかと思われるだけだし、観客は
ブレーンバスターとかダブルアームスープレックスとかの大技の攻防を期待
してんだろ。新日のレスラーはそういう大技が下手だったからな、ストロング
スタイルとか言って己の未熟さをごまかしてたんだろうな。
>>610 もっさりした動きで大技だけで試合したから全日は新日より下だったんだよ。
観客動員、テレビ視聴率、売上は新日>>>全日
全日は試合もビジネスも未熟だった。
>>610 新日本の話しかしない奴が反応しちゃったじゃないか、注意して
佐藤個人の分析であって、馬場はギブアップ技を使わないじゃなくて
多用しないという事なんだろ。
まあ、流れでスリーカウントを取る馬場のプロレス感と
「参った」を言わせたい猪木の性格の違いもあるのでは・・
新日はガチ風味でやっていたから騙されたお子さんや知恵遅れの大人が居たんだろな。
何れにしても商道としては呆れるほどゲスな手だな。
全日のギブアップ技と言えばインディアンデスロック(リバースじゃないよ)。
天龍がデビューした日、時のNWA世界ヘビー級王者のレイスが対鶴田戦で一本獲ったのがインディアンデスロック。
因みにレイスはテリーからインディアンデスロックでNWAを奪取。
そのインディアンデスロックで後に脚を負傷した天龍は、タッグ戦ながら鶴田、ウィリアムスにギブアップ。
インディアンデスロックの入り方が上手かったのが三沢かな。
後にこの複合技のリバースネルソンデスロック(ノア旗揚げ戦など)をたまに出していたよね。
現実に見た目はダイナミックで痛そうだけど対して痛くないリバースよりも、
監獄固めみたいに見た目は地味だけどインディアンデスロックは痛い。
>>615 でもレイスがインディアンデスロック使ってたの
その頃だけなんだよな
ダイビングヘッド、バーティカルスープレックスと並ぶ
代名詞的な必殺技になったはずなのに
鶴田も天龍からギブ奪ったあのときだけで、定着しなかったな
フロント式ってすごいきくのに、使い手が定着しないのは
見栄えの問題なのかな?
>>612 そいつは新日の試合しか見てないから仕方ないんだよ。
全日の試合なんかゴミだから見ない鶴田のDVDなんか死んでも買わないのが鶴オタ
>>614 全日は子供でもフリークスプロレスだって分かるよな。
>>613 馬場が晩年、前座に下ってからは固め技が多くなった気がする
年老いてスタミナが衰えたので、休むためじゃないかと揶揄する輩もいたが
>>614 ドームで小橋が健介にフェイスロックかけたら
高山「小橋健太は技術がないのが分かる。捻る方向が逆」
ダメだこりゃ・・・
>>617 俺たちひょうきん族のひょうきんプロレスでプロレスの真似事をやるには定番の魅せ技。
平成に入ってファミリー軍団対悪役商会で、永源がリバースの体勢に入って大見得切って、ラッシャーがカットイン、倒れたら痛いことを学習した百田はカットを拒否、ラッシャーチョップ、永源勢いでつば攻撃、間が空いてたまらず後方へ転倒、百田ギャオからの悶絶、客大喜び。
派手で加減の効く技だよね。
>>618 後に猪木の後を受けて身体の軟らかさから馳や豊田真奈美がリバースから見事なブリッジで鎌固めという派生技もあったよね。
でも正調インディアンは正常位みたいな感じで見栄えは悪かったよね。まあレイスの後方に倒れる式はエグかったけどね。
三沢のリバースネルソンも四肢を極めているけど客的には見栄え悪いもんね。
以前住んでたとこのそばにあった建物
https://goo.gl/maps/uey8bw3LoDL2SCWN8 マップファン古地図を眺めてらこれが上田馬之助や松岡巌鉄が所属した間垣部屋だったことがわかった
表札見たら今も二人の師匠のご遺族が住んでいる
リバースは見栄えが良いがそんなに痛くない
見せ技として良い
逆にフロントのインディアン・デスロックは見た目は地味なのに
すげー痛いからな
実はプロレス向けじゃない
>>625 リバースは素人でも簡単に”らしく”掛けられるのだけど、
正調は鶴田三沢ウィリアムスが極めたように
スムースに掛けるまでが見せ場かな。
実際に掛けるとリバースは楽だけど正調は綺麗に極めるのは難しい。掛けられると正調は屈辱感と掛け手任せで受け身が取れない。
まあ、受け手が殴って反撃、掛け手が両膝を押して倍返しという見せ場はあるけどね。
元子と小池百合子が従姉妹だってネタで盛り上がってるかと思ったら、まったく盛り上がってないなw
>>622 バカだなあ、プロレスなんだから良いんだよ。本当に決めたら痛いだろうが。
それでフィニッシュに持っていくわけじゃないんだら、痛くない方に捻じるのが正解なんだよ。
痛くない技を痛いように見せるのがプロレスなのに高山が分かってない。
鶴田がAWA世界王座を奪った時のフィニッシュがバックドロップなのに
「鶴田は天龍同盟以降にバックドロップをフィニッシュ技として確立した。」
なんて言う奴が現れるとは思わなかったなw
>>630 意味を取り違えてるよ。
鶴田はとっくに確立していた。
天龍はそれに対抗して「じゃあ俺はパワーボムだ」と言っただけ。
>>631 インタビュー読んでないでしょ?
この時期のインタビュー読んでる人間が鶴田がAWA王座になった時のフィニッシュを知らないと思ってるあんたの方がよっぽど読解力のないバカだよ
1982年の6月、鶴田がフレアーに挑戦したNWA戦
ジャーマン崩れてダブルフォールで終わった時、1本目はバックドロップだっけ?
ちょうどあの時期あたりから「テーズ直伝、ヘソで投げるバックドロップ」を売りにしてたと思うんだが?
翌年の同時期のNWA戦、60分フルタイムドローだったがバックドロップで1本は取ってる
ニック戦もフレアー戦も天龍革命より四〜五年前だよね
まあ「熟成した、よりエグくなった」という意味なら天龍革命以後でも意味はわかる
>>632 鶴田自身や馬場が言ったことならともかく
天龍が言ったことなんか関係ないだろう。
馬場や鶴田、当時のファンの認識はとっくに
「鶴田のフィニッシュ技はバックドロップ」だったんだよ。
>>628 極める直前の寸止めでやるのがプロレス。
その技術がないから全日は新日より下だったんだよ。
鶴田のテーズ直伝へそで投げるバックドロップは越中三沢のルーテーズ杯のときからでしょ
>>633 > 1982年の6月、鶴田がフレアーに挑戦したNWA戦
> ジャーマン崩れてダブルフォールで終わった時、1本目はバックドロップだっけ?
その時は一本勝負だったんじゃなかったか。ミサイルキックで一本取ったことはあるけど。
> ちょうどあの時期あたりから「テーズ直伝、ヘソで投げるバックドロップ」を売りにしてたと思うんだが?
> 翌年の同時期のNWA戦、60分フルタイムドローだったがバックドロップで1本は取ってる
バックドロップで一本取ったときは二本目は時間切れで1-0で勝ってる。
>
>>635 ファンがそう思ってたの解釈ならそれでいいよ。
天龍同盟に川田冬木が入った頃に地方大会で鶴田のフィニッシュをバックドロップで固定し始めたということなんだと思うけど
>>636 > 極める直前の寸止めでやるのがプロレス。
見てる人に伝わらないことはやる必要ないんだよ。
まあ小橋はマレンコにも教わってたから技術はあったが試合では出さなかった。
必要なかったから。
実際俺がこのインタビューを今でも覚えてるのは当時「今までも結構使ってたけどな」という疑問を持ったからだし、でもこの頃から他のフィニッシュ技を減らしてバックドロップの割合が増えたと記憶してる
>>639 > 天龍同盟に川田冬木が入った頃に地方大会で鶴田のフィニッシュをバックドロップで固定し始めたということなんだと思うけど
テーズに伝授されてからはもうほとんどバックドロップだったよ。
UNをレイスから奪還した時はフライングボディシザースドロップで
テーズから伝授されたもう一つの技として使い分けるかと思ったが
その試合以降は格下相手にしかフィニッシュにしなかった。
バックドロップを伝授されて以降はダブルアームで勝つことはなくなったし
ジャーマンも封印した。
>>641 > でもこの頃から他のフィニッシュ技を減らしてバックドロップの割合が増えたと記憶してる
他のフィニッシュ技って何?
マップファン面白い
https://goo.gl/maps/yb1vasF2owJaXSFz7 今度はトンガやザ・バーバリアンがいた朝日山部屋(現・ヤマト運輸両国4丁目センター)
>>643 ボディシザースドロップとラリアットかな
まあこの頃の天龍のインタビューが載ってる週プロ探して買ってくるよw
全日本の話題に戻ったことは嬉しいが、あまりケンカしたくないし
>>646 > ボディシザースドロップとラリアットかな
>>642にも書いたけどボディシザースは格下相手にクイック的な勝ちにしか使ってなかったし
ラリアットなんかトミーリッチ相手のインタ防衛戦くらいじゃないか?
むしろラリアットこそ、フットルース吹っ飛ばしたり
原との相打ちで打ち勝ったりしたりと天龍同盟との戦いで技として確立したと思う。
鶴田はレイスからパクった四方の観客に見せながら落とすパイルドライバーがある
83年半ばまでのフィニッシュはほとんど空中胴締め落としだったよ
>>649 天龍同盟ともジャパンプロレスとも時期的に無関係だし
そもそもAWA世界王座奪取以前だなw
鶴龍が輪島の渡米に同行した時にラリアットで勝った印象が強かったからラリアットを入れたけど、つべでいくつか見るとジャパン時代はボディシザースドロップが多いのに驚いてる。
こうやって昔の試合を見直すのも楽しいけど、ジャパン時代はイマイチ見返す気がなくてそんなに見てないし。もう少し見てみるわ
ID:8LRlxOIx0一人が顔真っ赤にしてムキになってる
なでこんなバカに付き合わなきゃいけないの
>>640 全日オタは、小橋の技術のなさ、馬場、鶴田、田上、カブキ、三沢の体を指摘されると涙目だな。
世界を獲ったバックドロップ論争にこれで終止符打てるかな?w
鶴田のへそで投げるバックドロップの流れはこんな感じか。
ルーテーズの全日来日が過去三回。
昭和57年4月GCCT
昭和57年11月最強タッグ
昭和58年4月GCCT(ルーテーズ杯)
最初の来日の際にはレフェリー待遇ながらエキシビションで毎日、越中や菅原と対戦。
その際に鶴田にへそで投げるバックドロップをアドバイス。
S57年7月カマタにドリー式からテーズ式に移行期で試行錯誤のバックドロップを披露してUN防衛。
テーズの三度目のS58年4月来日のシリーズ終了後に砧でのテーズ教室で鶴田はテーズより
へそで投げるバックドロップを“直伝”される。
S57年6月蔵前で黒タイツとリングシューズに変えてフレアーのNWAに挑戦するもダブルフォールで引き分け。
S57年8月後楽園でレイスに敗れ(膝抱え式バックドロップホールド)UNヘビー喪失後、10月北見で奪還(空中胴締め落とし)。
S58年4月にテーズの三度目の来日でシリーズ終了後の砧でのテーズ教室でへそで投げるバックドロップを直伝。
5月赤穂でボリコフにへそで投げるバックドロップでUNへビー防衛。
6月テキサス州コーパスクリスティでホセロザリオに防衛後にUNを返上してエリックに託し、インター奪取に照準。
6月蔵前でフレアーのNWAに挑戦も一本取るが時間切れ引き分け。
8月蔵前でブロディよりインター奪取。
S59年2月蔵前でニックよりバックドロップホールドでAWA世界ヘビー奪取で、
バックドロップ=ジャンボ鶴田が定着。
以後、ブロディ、天龍、三沢らをへそで投げるバックドロップのバリエーションで撃破。
何かおかしいな。時系列はあってるけど順序やダブりは勘弁。
>>654 大きな試合結果はこのスレの人は大体知ってるけど、議論は地方とかでの格下相手の決まり手だね、今つべでサーっと見てきたけど改めてクイック的な決まり手が多いなと感じたわ。丸め込み以外でもサイドスープレックスやボディーアタックとかもあったし、この海外も含めた時系列は勉強になったが
>>628 それは違う。
痛い方に捻って、なおかつケガさせないようにするのごプロ。
>>646 あのなあ、ラリアットでフォールなんか恐らく一回もない。
ボディーシザーズドロップもテーズに教わったという体で、バックドロップ出すまでもない相手に決めるというイメージ。
テーズにバックドロップ教わってからの外人対決はほとんどバックドロップで決めてる。
というか、確立してないと言ってるのはお前だけだぞ。
>>639 ちゅうか、その天龍の発言をどう解釈したら、
鶴田がその頃からバックドロップをフィニッシュにし始めた、と読めるんだよ?
申し訳ないけど、読解力がなさすぎ。
>>634 わけわからんフォロー入れるなよ。
話がぐちゃぐちゃになる。
>>641 お前も以前からバックドロップがフィニッシュだったという認識あるやん。
ブッチャー相手に一本取ったことあるのに
ボディシザースが格下専用なんてことあるかよw
>>656 参考資料
全日本プロレス25年史「王道闘史」
ゴング増刊号鶴田引退特集号
ゴング増刊号鶴田追悼特集号
永遠の最強王者ジャンボ鶴田
最後の小佐野の著書は一番大事なバックドロップ直伝の年号が誤植してあったのは善戦マンだったけど。
まあ、全日の話題にしたいのはインディアンデスロックからそうしているわけでw
鶴田の決め技は後の四天王殺人魚雷などとのテレビマッチでのバックドロップの決め技の多さと、
テーズ直伝ストーリーとAWA奪取戦で、バックドロップ=ジャンボ鶴田の決め技として印象づいているから、
ジャパン時代に定着した説を立証できるかなあ。
S59年のAWA王者時代の米遠征ではロビンソンに逆さ押さえ込みで勝ちというのもあったね。
二度目のブロディからのインター奪還戦、天龍との最後の鶴龍対決、三沢への三発、川田小橋へのそれと、
印象深いへそで投げるはジャパン以降が多いけどね。
地方は別にして
ビックマッチで
85〜87年でバックドロップで勝った試合ってどれくらいあったっけ?
>>663 アマゾンだと定価500円なのに3000円で売ってるw
メルカリでもう少し安いのあったから買うわ。
この歳になって記録を調べるためにこういう本を買うなんて不思議な感じだが興味あるし調べてみるよ
>>468 わたしも観に行きましたぞ。
セミ前に三沢川田×カンナムっていう結構な好カードが組まれてましたね。ファーナスのフランケンを川田がそのままパワーボムで叩きつけてフォール勝ち。
で、なぜかメイン終了後に能登の太鼓集団がリングに上がるっていう。
>>664 さっきつべで探して後楽園でハリケーンズの高野俊二に勝ったのはあった。他はわからなかったが俺に反論した人が書いてくれるはずw
>>664 一流どころとは不透明決着か引き分けばかりであんまり記憶がないね。
>>665 断捨離後に昭和プロレス熱が再燃して、残っているのは僅かになってしまって後悔してます。
84年5月22日に田園コロシアムで行われた鶴田vsケリーフォンエリックのNWA戦
最初は日本初(もしかして世界初?)のNWAAWAダブルタイトル戦
AWA王者鶴田vsNWA王者フレアーで発表されたけど
フレアーがケリーに敗れ王座陥落で鶴田vsケリーのダブルタイトル戦に変更(此処まではギリ許せた)
更に鶴田がマーテルに破れ王座陥落で結局、鶴田vsケリーのNWA戦になったけど
これって、馬場の政治力でダブルタイトル戦迄は鶴田にNWAベルトを保持させる事出来なかったのかな?
鶴田が陥落するのはシリーズ終了後のAWA地区遠征で陥落させる
又はシリーズ終盤にマーテルを呼んで陥落させる
又は田園コロシアム大会終了後に4泊6日程度の短期遠征に出て陥落させる等
少し考えただけでも3つの陥落パターンの選択肢があるのにね。
例えば鶴田をシリーズ中に遠征にだして1週間程欠場させても
このシリーズは開幕戦から日本人陣営の助っ人としてトンガが参加してたし
途中からカブキも合流してるから鶴田欠場でも大して困らないと思うのだが・・・
やっぱり、鶴田をAWA王者として日本でNWA王者とのタイトルマッチを
実現させとくべきだったとおもう!
>>669 訂正
鶴田にNWAベルトを保持させる×
鶴田にAWAベルトを保持させる○
>>441 谷津が全日入りしてたら、日本デビュー戦は
会場は後楽園ホールで試合順はセミ前位で
馬場&谷津vsタンクパットン(ブラックテラー)&カールフォンスタイガーみたいな
無難なマッチメークをするだろうね。
>>669 バーン・ガニアが許してくれないんじゃあるまいか?
またはケリーがフレアーにベルトを返す約束になっていたので、余計な事をするなとか。
>>668 闘道館で調べてみては?
マスク以外はそんなにバカ高いイメージないけど。
東京じゃなくても通販やってるから。
>>672 言い方は悪いけどもうあの頃のAWAはそこまで余裕なかったんで
興行団体として王者鶴田で定期戦を引っ張る体力も怪しかったんじゃないかな
もちろん今日明日にも倒れるってわけじゃないけど
それでも鶴田の王者としての遠征で
(当たり前だけど)日本人の中途半端な王者では集客できないのは明白だったし
さっさと「ハイ、次ね」ってとこだったんでしょ
ガニアからすれば今まで以上に法外な金をくれれば
もう少し鶴田王者&日本でWタイトル戦も十分ありだったかもしれないけど
馬場としても日テレとしてもそこまで大金つぎ込んでまで
これ以上鶴田AWA王者に拘る意味もあの時点ではもはや無くなってたって点では一致してたんだろ
(ようは戴冠&一定期間米遠征で防衛をしたって経歴作りが重要だった)
>>674 鶴田メインで最大マーケットのシカゴで2回も大入り満員本拠地のセントポールでも満員だった
バカアンチはアンダーカードガーとケチ付けたけど
裏を返せばアンダーカードを充実すれば満員に出来る余裕がまだあったわけ
鶴田陥落後もウォリアーズ参戦→AWA世界タッグ王者で盛況だったし
AWAが明らかに凋落の兆しが見えたのはウォリアーズ離脱後
>>669 俺は馬場の交渉がうまくいかなかったとみてる。
馬場はダブルタイトルをやるつもりで交渉し決定。それ以前まではこの約束が破られる事はなかったので発表。
ところが両方から、やっぱムリ事情が変わった、と言われそれでも交渉続け、ダブルからNWA戦、そして次年度に実施(じゃあゴールデン復帰の目玉にするかと)二転三転した。
で、結局この件がありNWA・AWAと距離をとっていく事になった、とか。
>>677 距離を取るどころか、
馬場が間を取り持って、NWAとAWAに手を組ませたんじゃないかよ。
>>674 馬場はNWAを3度獲得
鶴田はAWAを(米サーキットを含む)半年保持
日テレあたりはこれをほぼ同価値の勲章とみたんだろうかね。
>>674 それならWタイトル戦を事前発表しないだろ?
5月22日までは鶴田にAWAを持たせる事が決定してたから
Wタイトル戦を発表して前売りも開始したんだよ。
どころが、何かの諸事情で急遽5月22日前にベルト返せみたいな状況になって
馬場もWタイトル戦発表して前売りも開始したから5月22日までは
鶴田にAWAベルト持たせろと交渉したけど上手く行かなかったのでは?
83年の鶴田最後のUN防衛戦では、卍固めがフィニッシュ
>>676 それってあの頃のAWAだと「アンダーカードを充実すれば満員に出来る」というより
「本来トップであるべき王者が動員に貢献出来てない」って言った方が正確でしょ
往時のNWAのように王者が各地のテリを渡り歩いてその土地のエースと防衛戦するならともかく
AWAやWWFのような固定テリ中心の興行団体にとって
トップである世界王者が集客への貢献度低いって極めて問題だよ
米地元の観客にとってはいきなりヒールなのかベビーなのかも中途半端な
知名度ほぼ0の東洋人があの憎たらしいニックにどこかで勝った“らしい”ってことで
ベルト持って現れて今日はベビー相手に明日はヒール相手にと
ポジションも定まらずに防衛戦やられても感情移入のしようがない
ガニアからすれば日本から大金かっぱげたし
本命だった?ホーガンにもあっさり逃げられて適当な人材に不足してたところだったんで
万一にも目先変えて「謎の日本人王者」がウケたら儲けものくらいで
定期戦に組み込んだけどやっぱりウケなかったので
これ以上の大金引き出せないならハイ、ここまでってだけでしょ
長年通ってきた地元の観客なんてのはある日突然半減するわけじゃないけど
でもオーナーである立場のガニアからすれば
ホーガン引き止められず苦肉の策の鶴田もウケず
残った中での本命マーテルにも王座在籍中に引き抜き工作半ば公然と仕掛けられて
ホーガンの時の苦い経験あったにも拘わらずそれでもあっさり逃げられてる
後のウォリアーズだって同じことで王者に据えようがなにしようが
もうこの頃からわかっていてももはやAWAには引き止められなくなってたんだよ
シカゴが満員っていうのも最後まで残ってたのが
本丸である地元シカゴやミネアポリスしかなかったってだけで
>>680 う〜ん、馬場の方かなあ
日テレはどちらも特別料金だのベルト返還だのの内幕は知ってるわけで
(と、いうか自分達が特別予算を組んだわけだろうしw)
馬場の頃の世界奪取!に比べ
正直鶴田の頃のAWA戴冠ってもはや時代的に厳しいというか
日テレにすれば話題性でも興行や視聴率への貢献でも
イマヒトツ期待外れだったんじゃないかな
>>681 ガニアのことだし直近になって
「もう一度日本に持ち帰ってWタイトル戦やるなら料金別建てな」くらい言ったんじゃね?
発表済みなら逆に馬場も断れないだろうくらい足元みて
このシリーズトンガは全戦参加
カブキは6日1日からの参加
6月5日札幌中島で興行があったけど
馬場vsシン、カブキvs上田の二大シングルがメインで鶴田は元から主要カードから外れてる
なので6月1日から一週間程度AWAベルト陥落遠征の為に欠場しても影響は無いと思う。
なんなら札幌に間に合う様に6月1日~6月4日迄の2泊4日の強行スケジュール遠征させちゃうとかw
まあでもメジャーの世界王者がエリアに定着しない日本人じゃ向こうの興行に差しさわりがあるのは
馬場も承知だっただろう。またガニアの鶴田評は76年の10番勝負でも高くて、世界王者候補としてAWA圏に
長期遠征の話も持ち掛けたり、とりあえず両者なりの義理的なものはお互い遂行しつつ、最終的に金銭的なもので
折り合わなければ急展開ってとこか。その後日本でフレアーVSマーテルでW王座戦を敢行し得たのは
馬場(日テレ)の政治力で何とかメンツ保ったという。ま、憶測だがw
>>588 プロレスを10倍楽しく見る方法。
だったか。ゴジンカーン。
>>686 馬場の政治力でその後もハンセンを王者にしたまではよかったが、何故か関係がこじれたよね。
ハンセンはAWAのベルトを車のタイヤで潰して返したらしけど。
ハンセンが週プロで「ガニアの頭は70年代で止まってる」とか怒ってたインタビュー読んだ覚えがある。
ガニアって金のイメージしかないから鶴田の実力を評価とかハンセンの使い方とか全く考えてなさそう
ダブルタイトル戦とかも沢山カネくれたからという理由だけだったり
>>673 水道橋は歩いていけるけどプロレスショップは10数年行ってないな。
神保町の古本屋では資料価値のありそうな月刊プロレスや別冊ゴングを衝動買いしたけど。
千数百冊は断捨離してしまったあとにプロレス熱が再燃したのはコロナ禍のせいというかおかげかなw
まあ資料価値のあるものは取っといてあるけどね。
昭和のプロレスは団体、国内外を問わず興味深いよね。
このスレの生き字引な人たちが居てくれて有難いですよ。
水道橋なら巣鴨まであっという間じゃん。巣鴨駅前にあるよ
>>693 巣鴨にあるんだ?
機会があれば行ってみます。
>>683 超正論!お見事です。#2
「本来トップであるべき王者が動員に貢献出来てない」
これに尽きる。AWAサーキットに参加した
ジャンボ自身も「アレ?オレ人気ない??」って
思っただろうな……….
>>688 ハンセンもどちらかというとあの頃はアメリカ(AWA圏)より全日のほうが主戦場で
ガニアとはうまくいってなかったはず。いずれにしろガニアの強引な興行手腕は徐々に
各レスラーから敬遠され、主軸は相変わらずニックでお茶を濁し、さらにビンスジュニアの
攻勢も相まって斜陽へと進むわけだ。
月刊誌時代のプロレス、ゴング、別冊ゴング等、ほぼコンプリートしてたし、プロレス関連の書籍、昭和プロレス関連のビデオ(デッキはもう無かった)、DVDも多数所持してたけど数年前の水害で駄目になってしまった
今年の水害もだけどあらゆるジャンルの貴重なお宝も被害にあっている
>>697 それはお辛かったでしょうね。
自分は三沢が亡くなってプロレスから離れて小橋引退試合は旧友に誘われるままに行って以来、プロレスからは離れていました。
貯蔵しているだけでコストが掛かるので勢いで断捨離しました。
忙しくて売るとかも出来なくて月刊はまばらですが週刊プロレス、ゴング、週刊ファイトなどほぼ棄てました。
コロナ禍で仕事が止まりYouTubeで何気にマスカラス動画を見たら数珠繋ぎで動画を見始め、
久々にプ板にたどり着き、昭和プロレス回顧本を買い漁り今に到ります。
無くした物はありますが想い出を語り合えるのは良いですよね。
良くぞ、あの時のプロレスを好きでいてくれた人が沢山いて、歴史考証をして語り合えるのは幸せですよ。
>>697 自分も2年前の水害被害で同じような経験したよ・・
悔やんでもどうにもならないから、CSクラシック番組を録りまくっているw
失った雑誌も大人買いしようと思ったけど、
とんでもない値段つける奴が多くて、呆れて諦めたw
こういうレトロスレで語り合う方が楽しいよ。
>>689 「ガニアは50年代のプロレスをやっている」だったと思う
ガニアはいまだに「TVでビッグカードを流すと興行に客が来なくなる」という考えで
今時こんな事をやっていたらマイナー団体だと思われる」とかね
>>683 そのアンダーカードだけどそんなに充実してるとは思えなかったw
ブルクラやウォリアーズが出てるからだとか鶴田アンチ言ってるけど
ウォリアーズ(2回目のシカゴ)はともかく超ロートルのブルクラ(1回目のシカゴ)見たさに
19000人以上入る大箱が満員になるとはとても思えないわw
憎きジャップ王者の鶴田をやっつけてAWA王座を奪い返せ!と駆け付けたファンも一定数いたはずw
>>701 それも一理あるな!
基本アメリカの客って「憎き王者をやっつけて、男等が村の勇者に栄冠を!」
ていうのが定番だからね。
別にアンチ鶴田じゃないけど
「何かめっちゃ強い日本人がニック破ったらしいぞ!観に行こう!」
ではないのは確かだよ。
AWAと言えば、象徴的なのは本拠地ミネアポリスでのコロナ禍における白人警官の黒人容疑者死亡に関する議論だよね。
AWAは黒人選手の活躍は記憶にないけど、主要テリトリーに落ち着いていたマサ斎藤や、
AWA世界王者として二度防衛ロードを歩いていた鶴田がいるけど日本人は例外だったのかな?
思い返せばAWAは黒人やヒスパニックのトップ勢はいないよね?
アメリカの北部は保守的で白人が強いのは今でも変わらない。日本人王者の鶴田は当然ヒールだけど、
保守的な北部アメリカ人にでかくて強い日本人王者の鶴田に何を思ったのだろうね?
>>691 賭け試合やってたのがバレてロンドンオリンピック代表から外されたのが
プロレスラーとしての原点だからな>ガニア
金にはこだわりあるだろうな
>>702 当時のAWA圏だと、サイズ的にはランザやマリガンと同じくらいか
でも彼らよりはずっと動けただろうし、人気云々は措いといて
アメリカのファンに鶴田のファイトってどう映ってたんだろう?
>>703 おお、そういやそうだね。
それはガニアがレイシストだった証拠だな。
唯一記憶にあるのは、ブラックウェルやパテラを率いた
シーク・アドナン・アル・ケイシーのシーク軍団(?)だな



@YouTube
;feature=youtu.be&t=610
>>654
松永さんが「へそで投げた」と実況し、鶴田もテーズっぽく手四つでフォールしてるけど、
バックドロップは足抱え式で、「どういうこっちゃ?」と思ってたけど、
この試合、正式な「伝授」前なんだな。
足抱え式でもクラッチ外さないと説得力あるなぁ。
若い頃のブリッジ効かせたそり投げの足抱え式でクラッチ外さなかったら後のバックドロップホールドみたいになったのかな。
↓



@YouTube
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