◎正当な理由による書き込みの削除について: 生島英之とみられる方へ:
【ガラパン】国際プロレスpart13【ワンショルダー】 YouTube動画>15本 ->画像>15枚
動画、画像抽出 ||
この掲示板へ
類似スレ
掲示板一覧 人気スレ 動画人気順
このスレへの固定リンク: http://5chb.net/r/wres/1515845040/
ヒント:5chスレのurlに http://xxxx.5chb.net/xxxx のようにbを入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。
ラッシャー木村の次男さんはいい方だね。ラッシャーもいい息子をもったと思う。とても読み応えのあるインタビューでした。
それにしてもジョー大剛は何で突然国際話をしたくないといったのだろう?あれだけ東京プロレス話まで生き生きと語ってるのに。
しかも吉原さんと仕事をしたことは「吉」だといっているにも関わらず・・・ブッカー話を聞きたかった・・。恐らくミスターヒトとは仲が悪かったんだろうなあ。
>>4 初回の電話取材後、Gスピのバックナンバーの
国際関係者のインタビューや記事で
自分が皆に散々に言われてること知ったからだったりしてw
米在住だから普段目にする機会も無いだろうし
リタイア後本当に久々にプロレス関係者からの取材受けたうえ
国際関係者の連載インタビューもあると聞かされて
懐かしくもうれしくなって知りあいかなんかからバックナンバー取り寄せたら…とかだったりして
つかいつごろ?
顔ぶれからして昭和52年か53年かな?
菊池孝か竹内宏介が書いてたのは、マスカラスの国際斡旋を中止したのは、国際が新日と接触してる噂が馬場の耳に入ったから
マスカラスの来日が予定されていた、ダイナマイトシリーズの次の日本リーグ争覇戦の蔵前大会に、新日からW小林が実際に参戦
その後国際は新日と提携路線へ
マスカラスの来日が中止になり、興行主から約束が違うと値引き交渉されたらしい
>>9 9/15(金)となっているから、
1978(昭和53)年の話だね。
この年の暮れのプレ日本選手権後から国際が新日との提携開始であり、
日本リーグ争覇戦に全日も選手を派遣している点からして、
マスカラスの来日中止は、日テレ側のNGが最大理由じゃないのかな。
マスカラスが金網の上からフライングボディアタックやっただろうな。
ただ木村の金網での負けはないから、2発目をジョーが金網揺すって転落か?
>>7 木村のIWAとマスカラスのIWAを懸けた
IWA統一戦みたいなアングルにしたら面白いかも。
ただし、最終的には国プロ定番決着の両者相打ちでキャンバスに倒れ込み
10カウントアウトで引き分けでしょうな。
マスカラスで一つ気になっていた点なのだけど、
入場時のオーバーマスクの客席に投げ入れは、
TVマッチ以外の興行でもやっていたの?
木村とマスカラスの両IWAヘビー級の統一戦にして61分3本勝負にしたいなぁ
そうやって期待してたら大金払って全日から借りてきたのに
馬場からももちろん本人からも傷を付けるの厳禁の条件が付いてるんで
木村とのシングル対戦は無しでシングルでは井上と両リン、
あとは連日、寺西鶴見稲妻ムラサキとのシングルに連戦連勝で
シリーズ中唯一のピン負けはタッグマッチでの
草津とお互いに同じ技〜回転エビ固めで仲良く一本ずつ取り合うという
グレートなマッチメークを見せられることになったのであった…
もう一人ぐらい強そうなヒールがいれば日本陣営に組み込んでみてもよかっただろう。
マスカラスvsデストロイヤーのように、
リープ・フロッグやったマスカラスの股間が木村の額に当たりマスカラス悶絶で終わりそうな予感。
マスカラスの幻の参加は昭和54年
全日本参加、オールスター戦その後国際にスライド参加予定だったが
昭和54年ってブラックパワーシリーズ?で、マスカラス対ブッチャーが実現した時かな?
シオカラスが木村の技受けないで、恒例の塩試合に終わるのがオチ
キース・ハートやダニー・バビッチの名前があるから78年のダイナマイトシリーズでしょ
やっぱり昭和53年か。キースハートってその後、新日で藤波に挑戦したよね?
>>14 二人のIWAベルトは同じ人が作ってたんだよな
マスカラスのフライングクロスチョップを
木村がフライングしないクロスチョップでカウンター撃墜・・・
絶対に許されないなw
>>26 マスカラスのフライングクロスチョップを井上がフライングショルダーアタックで追撃してマスカラス伸びる。
怒られるなw
元IWAヘビー王者のマイティは、国際崩壊後すぐに全日参戦してマスカラスの
IWAヘビー王座に挑戦した。この蔵前は観戦したが、ガラパンじゃなかったのが残念。
https://gamp.ameblo.jp/ma-kam/entry-10547096119.html マスカラス相手のフィニッシュには
マッハ直伝メキシコ流ジャーべの風車吊り
中腰のまま悶絶失神する仮面貴族!
>>20 それだと、
>>6に出ている幻のポスターと合致しない。
9/15が金曜日なので時間的には1978(昭和53)年。
更にポスターに大位山が載っていて
大位山は1979年には一時引退しているので、1978年に相違はないよ。
もし、1979(昭和54)年のオールスター後にマスカラス参戦の話があったとすれば、
2度目の幻の参戦話と言うことになる。
リッキー・スティンボートは1976年にAWAでデビューだから呼べなかったのかな。
リック・マーテルは寺西のIWAミッドヘビーに挑戦してる。
>>34 AWAとは前年に提携解消しちゃったからな、残念だ。
マスカラスより、マークルーインを借りれば良かったのに
木村ルーインは面白かっただろう
12チャンネル時代にルーイン、イヤウケヤ、ラモス達と木村の試合が観たかった
>>37 その3人こそ欲しかったな
それに木村はオープン選手権の馬場戦でブッチャーと因縁作ったのに、なんでその後、馬場はやらせなかったのかな?
あれは木村の負け損だったんじゃないの?
マークルーインって格的に言っても木村のライバルに最も相応しい相手だよね
スタンスタージャックやアイアンシークも木村と手が合うんじゃないか
ラモスはいいな、金網・チェーン・ストラップとデスマッチの実績がある。
レフェリーのルー・テーズが悪役ガイジンの度重なる反則に激高して
レフェリーシャツを脱ぎ捨てファイティングポーズを取り、恐れをなした
ガイジン組が退散する流れ。
ルーイン、イヤウケヤ、ラモスらなら木村と合うだろうが
1978年頃だと全日でも春になると来る使い古しの定期便とか言われてたから
国際登場が実現しても、パワーズやクラップみたいに払い下げみたいな言われ方してたろう
ルーイン、イヤウケヤ、ラモスを斡旋してもらったとして、全日のギャラと同額だったら国際にうま味はなかったろうね
その三人にジョーやスミルノフ以上の集客力があるとも思えないしね
>>29 全日本時代のガラパンとなるとチャボのインタージュニア初挑戦を思い出す
何で吉原社長は一時期だけとは言え、マイティ井上はエースにしたんだろ?
草津の方が体格もいいし。練習しないのが吉原社長はエースにしなかったのか?
>>49 草津はTWWAプロレス中継初回でのテーズに失神KO負けと言う
負のイメージがファンにあったのも影響しているのかも。
それに本人も営業職に尽力したいのもあったのではないかな。
>>49 当時の井上は日本マット、いや世界マットで最高峰のレベルだったと思う。
ああいう空中殺法や返し技は誰もやってなく、投げ技などの大技もあった。
ガニア、マツダがアップアップしていて、井上が負けさせないように苦慮していたのが分かる。
ガニア戦、マツダ戦でも井上が取ると武道館などの客が拍手してる。
当時の猪木の試合でも客は拍手するが、木村の試合じゃ拍手は出ない。
やはりスピーディでスリリングな技の攻防は日本人好みだから、井上エースも有りだったと思う。
やっぱり上背とあとはやっぱり回転エビとか逆さ抑え込みとかに
フライングショルダータックルとかサマーソルトだと
エースとしては一撃必倒の決め技で強い
途中で送っちゃった スマン
やっぱり上背とあとはやっぱり回転エビとか逆さ抑え込みとかに
フライングショルダータックルとかサマーソルトだと
エースとしては一撃必倒の決め技で強い!ってイメージが弱いとこかな
どうしても馬場や猪木、鶴田坂口とファンは比較しちゃうからね
吉原代表はラッシャー木村をエースにしたかったが
頂上対決で木村を小林に負けさせた後だったので
直後にエースにする事は憚られた
そこで草津と木村の全面バックアップの元、テクニシャンの井上を
暫定エース≠ニして繋ぐ事で、国際の面目を何とか保とうとしたんじゃなかったか
最初から木村に代替えさせる事は吉原の口から井上に知らされていたから
晩年のインタビューでも井上の恨み言は一切聞かない
小林「草津をエースにしようという動きがあったから離脱を考えていた」
木村vs草津の日本人代表決定戦で草津が勝って、ロビンソンにも勝てば丸く収まり、
草津のテーズ戦の失態もロビンソンに勝てば面目回復になるが、
草津<木村<ロビンソン<なぜかデンバーでグラハム<井上が意味不明。
>>54 マイティはチケット販売のノルマとかそういうのは興味なさそうだからな。
自分のやりたいプロレスを気ままにやるのが性に合っているんだろう。
G spitsの国プロ大特集。
なんでラッシャーの息子さん(しかも義理の)のインタビューやねん!?みずてんで買って失敗したわと思って読んでみたら、意外にインサイドな話が多くて面白かった。
それと、高杉のインタビューで剛の糞人間振りが更に露呈・・・ww
>>57 木村の義理の息子にまで剛はウチでも妙に偉そうにしていたとか悪く言われていて笑った
息子さんのインタビュー良かった。
ラッシャーの家庭絡みの話しといえば飼い犬がアンチに虐められた事ぐらいだったが、家に居るプロレスラーとしての一面と優しい父親のとしての一面が浮かび上がってきた。
>>59 飼い犬は2匹いて、1匹はアンチの投石が当たって亡くなったんだよ。
大五郎と熊五郎だったかな?本当に可哀想な話だと思う。
>>51 井上を過大評価し過ぎw
王者時代か転落まもない頃、ほぼ予備知識なしで12chで井上の試合を見たが
小さくてころころ太って、あか抜けない長髪の七三分け、正直かっこ悪いと思った
実況でもちょっと太り過ぎたみたいな言われ方していた
俺はTBS時代の国際しか観てなかったから、
井上がエースになったのには驚いた。
>>62 当時の日本マット界で井上のような立体的なプロレスができるん選手はいなかったよ。
鶴田だって飛び技はドロップキックとジャンピングニーの単発の動きで連続性はなかった。
米マットのトップのガニア、マツダがバテてアップアップしてるんだから。
>>64 立ってから言わんで、自分で立てりゃいいのにw
>>5 同じく交通事故に遭いながら大剛を献身的に介抱したと言われるムラサキが
「先輩として尊敬できた点はなく・・・仕方なく看病した・・・」と話している。
病室では大剛は荒れまくり手で出されて大変だったと回顧していた。
>>66 建てようとは思ってたけど、週末出かけてた間に糞スレタイで建てられてしまった。
>>65 だったらアニマルをエースにすりゃ良かったんじゃね?
>>70 浜口が覚醒したのは崩壊後の新日時代
国際時代は中途半端で水分の抜けた梨みたいな選手だった
国際後期の謎は、なぜ井上に3度も木村のIWAに挑戦させておきながら移動させなかったのか?
それもタイトル戦前後でタッグで前哨戦や軍団抗争もない単発でお終い。
井上に移動させないんなら3度もやる必要はない。
で、なぜか草津、浜口は挑戦してない。
>>72 末期国際の一番の謎、というかセンセ悪いなあと思うのは
原の剛/藤波戦での苦戦→スランプ→再渡米→ヘビー転向というストーリー
そんな悠長なことやってる場合か?
ヘビー転向するならその前に誰かとJrのタイトル防衛戦→勝ったうえで華々しく返上再渡米
とかにすればいいのに、わざわざスランプギミックでイメージ落として
しかもその理由や筋書きを本人にろくに説明してなかったため原自身も腐っていたという…
こういうの聞くと本当に国際の凋落の主原因が草津のマッチメークってのが納得できる
初期にしてもロシモフ、ゴッチ、ロビンソンの優勝争いも凄い
あの時代に日本人レスラーが一人も優勝争いに絡めないって
悪い意味で斬新すぎる
これも訳わからん
http://www4.point.ne.jp/~kirisame/battle/kiji/inoue.html
( ^ω^)つ
>>72 まあ回数はともかく、井上が木村に挑戦してたのは元王者という肩書きもあってだろう。
で仮に井上が返り咲いても、国際後期の外人の顔ぶれは殆どラフファイターで
そこを鑑みてかは知らないがテクニックで試合を作る井上より、木村をその手の外人相手に金網の鬼として
エースに擁立するほうが適切だったんだと思うけどね。。
草津は失神KOでイメージ悪いし木村は華がないし井上はタッパがないからやっぱりエースは小林がよかったかな。逃げられちゃったけど
国際プロレス出身者で、他団体での活躍や芸能人としての活動も含めて
世間一般の知名度がある(あった)のは、
浜口、小林、杉山、木村、井上、寺西
の順だと思う。この序列を踏まえてマッチメイクし、他団体との対抗戦を
やらずに独自の世界観を創り上げる事が出来れば、どうにか存続出来たの
ではないだろうか。
小林って新日の引き抜き?それとも国際に不満あっての離脱?
>>81 お米じゃね?ラッシャーが最後まで怒ってたらしいし
>>79 浜口が有名になったのはあくまで引退後「京子の変なオヤジ」としてであって
国際時代にアニマル浜口なんて知ってる一般人は皆無
杉山も知名度上がったのは全日に移籍して
脱線ゲームやおはよう子供ショーなどに多く出るようになってからで
結局団体が健在だった頃の知名度は
小林(TBS)>井上/木村(12ch)でしかないから
>>81 小林「草津をエースにする話があり、以前から離脱を考えていた」
新間「社長(猪木)、小林が国際で浮いてるらしいですよ」
猪木「よし、引き抜いちゃえ」
浜口と寺西ははぐれ軍団で新日で暴れてた時はあまり有名じゃなかった?
木村だけがやり玉にあげられて、自宅に嫌がらせされてたんなら気の毒にな
>>85 有名だよ。
小林邦昭がタイガーマスク戦翌日に渋谷に行ったら一般人に囲まれたんだから、猪木の天敵はもっと上の有名人。
タクシーの乗車拒否は日常茶飯事だった。
>>83 サンダー杉山は国際の頃からバラエティに出てたよ。「本当は強いサンダー杉山」って決めセリフあった
>>87 杉山はバラエティに出て電話帳破りを披露する事が多かったね。
見てる方は「またやってるよw」という感じだった。
小林が腰痛で長期欠場にならなければ2回目のMSGタッグリーグは木村小林組でエントリーしてたんだよなそれ見たかったわ
>>85 浜口は「全然強くないくせに、粋がってて
鬱陶しいキャラ」でかなり知名度があったと思う。
軍団の頃の浜口って、評価では国際時代同様、元気者のイメージで82年正月の
後楽園ホールでの長州戦は月刊誌で「過激な試合」などと謳われてた。
まあでも、当時の親日の雰囲気は猪木の敵はぶっ頃せ、って感じだったからなw
猪木・坂口・木村の大型三人に囲まれた大阪でのタッグマッチが特に印象深い
崩壊後新日に上がったのがあの3人になったが、国際時代はあの3人の組み合わせ
タッグとか全然印象に残ってないよな。組む機会もほとんどなかっただろうし。
記録を見るに日本リーグ争覇戦の黒石大会で鶴田・小鹿・サクラダを破ってる模様
>>96 トリオって意味じゃなく、国際時代の木村浜口組、木村寺西組、浜口寺西組の印象がない。
浜口・寺西となればIWAタッグトーナメントに出てたな
結局は草津・浜口での戴冠でのプレみたいな感じだが
浜口は小兵だから身体の大きな外人との試合はやっぱ押され気味だったな。
草津と組んでのサモアンズとのIWAタッグ攻防、さらに同じ体格の井上との和製フライヤーズも
マイクジョージ&スイータンとの同王座戦では終始いいところが無かった。。引き分けだったかな。
>>89 木村は国際を裏切った形で出て行った小林を恨んでいたんだよな
「省三の野郎、いつか目ん玉くり抜いてやる」
新間に頼まれても流石に首を振るかもな
>>95 > 崩壊後新日に上がったのがあの3人になったが、国際時代はあの3人の組み合わせ
> タッグとか全然印象に残ってないよな。組む機会もほとんどなかっただろうし。
そもそも国際は慢性的な若手・前座要員不足に加え
後期は金欠から参加外国人の人数自体も絞り気味だったため
6人タッグマッチ自体の組まれる機会が
全日新日に比べ少なかったという哀しい事情が…
>>101 だからトリオって意味じゃないって書いただろ、ちゃんと読みなよw→
>>97 新日本でも国際軍団が初めてトリオでテレビに出たのは猪木との変則マッチの時だったか
>>101 それを言うなら木村・鶴見・剛で国際を名乗るって違和感ありまくりだな。
あの頃のメンバーで新日国際の対抗戦争のカード考えてみた
木村-猪木 坂口-小林 藤波-剛 木村健-原 井上-木戸 長州-浜口 藤原-鶴見
ほとんど負けそうだけど
>>105 あの頃のメンバーって、小林と阿修羅が一緒にいた時期なんかないだろw
最初の猪木vs木村。
小林が国際のセコンドに付いていて、小林が木村に何やら耳打ち。
目ん玉くり抜かないのか? 1分〜



@YouTube 全日を解雇され、さらにメガネが潰れた後、鶴見はインディー団体を立ち上げたが
IWA格闘支塾から国際プロモーションに改名した時、木村は不機嫌になったとGスピで聞いた
国際末期に愚連隊ユニット立ち上げた鶴見でさえダメなのに
在籍時は若手の前座でしかなかった高杉が国際プロレスを名乗ったら
さぞ木村は怒った事だろう
>>105 大将戦は猪木が勝つも、小林鶴見がリングアウト勝。井上原が勝って国際の勝ち越しで面目を保つ。
たとえば日プロ末期の大木のように吉原氏の理念を受け継ぐべく、っつうのパターンだと中堅以下で
それをやると、お前じゃないだろw的な?
>>110 ???
何で日プロ末期の大木が吉原の理念を受け継ぐんだ?
そういえば大木も国際に在籍してたことあったんだよな。すっかり忘れてたわ
>>111 あw、日プロ末期の頃の大木が力道山の作り上げた日プロの灯は守っていくというエピソードね。
まああのまま読んだら大木が国際を受け継ぐ云々に解釈するわなw スマン
>>105 木村、◯反則勝ち
小林、■両者リングアウト
剛、 ●飛竜原爆固めで負け
原、 ◯雪崩式ブレィンバスターで勝ち
井上、◯オースイスープレックスで勝ち
浜口、●サソリ固めでレフリーストップ
鶴見、●リングアウト負け
寺西、◯回転エビ固め vs星野
じゃあ国際崩壊直後に全日と対抗戦やった場合は?
馬場対木村
鶴田対井上
天龍対阿修羅
大木対浜口
石川対寺西
佐藤対マッハ
大熊or小鹿対鶴見
意外と国際が勝ち越しそうだ。
>>115 最初は新日が全敗にして次に繋げるんだよ。
全日は全勝して終わり。
>>116 大木ってのは何なんだよ、当時の大木はブッチャー軍団だろw
あっ、勘違いだった。当時ブッチャーはもう新日に移籍してるのか。
>>118 当時というか、81年の初頭から大木は国際で試合してなかった。テーズ杯にも名前は無い。
そのころの月刊誌で国際のシリーズポスターが広報ページとかで載ってんだが、大木の顔の横に
「怪我のため欠場」という但し書きが添えられてたっけ。。ただのファンなので真意は分らん。
国際崩壊の年の7月だったかな?シンが突如全日に登場、シリーズ参加中だった大木が
迎撃対戦を主張して一度は対戦が発表されるも、シンが「大木なんかはるかに格下、
試合なんかできるか!」と発言して、試合そのものが行われなかったのは覚えてる。
>>116 馬場対木村 馬場反則勝ち
鶴田対井上 鶴田フォール勝ち
天龍対阿修羅 両者リングアウト
大木対浜口 大木リングアウト勝ち
石川対寺西 石川両者リングアウト
佐藤対マッハ 佐藤フォール勝ち
大熊or小鹿対鶴見 鶴見が反則負け
最初はこんな感じで「国際は汚い奴ら」との印象を植え付けてヒールにする。
木村(反則)猪木 ※国際軍の介入に激怒して逆十字を離さず反則負け。
小林(体固め)坂口 ※小林を持ち上げた坂口の足を浜口が引っ張って潰す
剛(エビ固め) 藤波 ※タイツを引っ張ってフォール
浜口(フェンスアウト)長州 ※自分から飛んでいく
原(体固め)健吾 ※レフェリーのブラインドで井上が投げた椅子で一撃
井上(エビ固め)木戸 ※木戸の回転エビを返してロープを掴んでフォール
鶴見(体固め)藤原 ※石頭に苦戦もメリケンサックパンチ
寺西(体固め)ジョージ ※急所をカチあげる
>>120 大木は半年契約だったつもりだが、国際はそういう契約じゃなかったとか、
国際DVDのテレビ東京(東京12チャンネル)版の対談コーナーで
門馬さんか菊池さんが話してたような。
>>125 国際が潰れて新日に来たS56年時にはフェンスアウトルールはあった。
2戦目の蔵前が藤波のヘビー転向第1戦で藤波(フェンスアウト)浜口
親日にあの青い場外フェンスが出来たのが80年(昭和55)のブラディファイトからだったな。
フェンスアウトルールていつかだっけ??
>>129 多分、1981年のIWGP予選リーグからでは?
フェンスアウトでの意外な結果
浜口>猪木、坂口
キッド>タイガーマスク
健吾>ブロディ、アンドレ
高田&越中>猪木&藤原
まあそもそも「猪木×木村」はともかく
「藤波×寺西」「剛×浜口」ってカード発表されて時点で
当時は正直「ウーン…。。。」ってかんじだったしなあ
この頃、剛は既に新日でも存在感無くしてたから
いくら元国際の因縁云々言われても一般的には
「なんで対抗戦といいながら坂口や長州や健悟あたりでなく剛が出てくるの?」
ってかんじだったし、
せめて剛が出るにしてもそこは「藤波×浜口」「剛×寺西」だろってかんじで
ああ、1勝1敗で大将戦に引っ張る〜初戦は不透明決着なんだろうなあって思ってたわ
>>131 うまい流れだったよ。
10月 まずは元国際で藤波にも勝った剛が迎え撃つも浜口>剛、藤波>寺西、木村>猪木
11月 健吾>寺西、藤波>浜口、猪木>木村、
12月 ●長州&谷津>健吾&●寺西、マードック&◯ローデス>●木村&戸口
健吾と寺西、木村と戸口が組んだから新日vs国際は終了かと思ったら、
82年には更に引っ張って、2月には浜口が猪木の足引っ張って木村のリングアウト勝ち、
8月の猪木糖尿復帰戦→9月の髪切りマッチ→2度の3vs1→短時間KOへと繋がる。
83年春には浜口と寺西は長州、小林らと維新軍結成と軍団がシャッフルされた。
>>99 ちょうど今日はサモアンズからの奪回から四十年
ジョージ・スイータンはその三年後でしたね
和製ハイフライヤーズは確かに極道やヤマハと並ぶ名チームと称されたが同時にそれはそれらと同格というイメージにもなってたような
ラッシャー木村がいない82年夏頃のシリーズで、寺西がセミかメインの入場先導してた
ような記憶がある。木村はともかく、浜口と寺西は新日に入りたかったんじゃないかな。
ホントなのか?
控え室が日本組のなら猪木と話した事が1度しかないというのは変だ。
ラッシャーの息子さんのインタビューがおもしろそうだったから久しぶりにgスピ買った。
まだ読み始めたばかりだけど凄くいいわ。それと剛はやっぱりろくでなしだな。
酔っぱらって馬塲の器が小さいって愚痴ってた話がなんとも人間味があっていい
>>135 オマエ、そんなこと信じているのかw
話さないでどうやって試合創るんだw
力抜山「日本で一番楽しかったのは、旅館で女風呂が覗けるというので行ったら猪木さんと寺西さんもいた」
ラッシャー木村の義理の息子ってアメリカの優秀な大学卒業して
日本の商社取締役やってる人?
マスカラスのエゴは予想してたけど、チャボも自分勝手なレスリングしてたのは意外だった
全日ジュニアが井上から三沢タイガーに代替わりした後、チャボが呼ばれなくなったのは
そんな事情もあったのかもしれない、三沢は外人相手に試合作れないから
ラッシャー木村の子息のインタビュー興味深く読んだ。
実子でない事。母親が再婚前から、ラッシャー木村のファンだった事。その母親もプロレスには縁があり、力道山の花束贈呈の経験のある松竹ニューフェイスの女優だった。
まだあるが、最近の記事では個人的に一番面白い。
訂正
子息の宏氏が以前から木村のファンだったということ
>>140 一応は唯一の防衛戦をチャボとやってるがそこでの感触が悪かったのかも
息子さんは少年時代の事なのに事細かに記憶してるんだよね。
>>140 そう言う井上も評判悪いぞ。
井上戦後のマスカラス「He is NO.2セメントボーイ。NO.1セメントボーイは大木金太郎」
ヒロ斎藤「全日でやりにくかったのはマイティ井上さん」
マシン「言うと思ったw」
ヒロ斎藤「まったく技を受け付けない」
息子さん三沢の事故の少し前に会って挨拶したってのが縁と言うかね。一番驚いたのはノアが死ぬまで給料出してた事。波瀾万丈のプロレス人生だけど全日本に移籍してからは幸せだったのかな。
>>146 目には目をって感じで自分勝手なマスカラスや新日勢には対抗してやってやるって
思ってたんだろ。
この前、鳥取に旅行に行ったら、大村崑のオロナミンCと、松山英子のボンカレーの錆びた看板の横に、国際プロレスのポスターが貼られたまま残ってたよ
>>150 それは時の狭間にタイムスリップしてるわ
戻ってこれて良かったな
>>150 そう言う雨風に晒されたプロレスのポスター見ると、何とも物悲しい気分になるよね笑
でもポスターって雑誌やパンフに比べて手に入れ難いし、仮に集めるにしても
部屋に貼るにしてもスペースは限られてるから、結局筒状に丸めて部屋の隅に置いとくしかないと言う・・・
>>154 木村の逆エビを切り抜いたポスターの写真は、そこだけ見ると和式で踏ん張ってるように見えなくもない
東京在住だけど昔の興行ポスターは都内も貼ってあったのかな。例えば蔵前だったら墨田区、後楽園なら文京区とか。田園コロシアムは近所なので貼ってあったような覚えがあるんだが…
宣伝カーは覚えている。聞き取りにくかったがw
国プロだと小中学生とかは好きなところに座らせてもらえなかった?
昔の全女とかもド田舎まで回るからいつまでもポスター貼ってあるのな
ビューティー時代のポスターがそのままだったのを見た事あるわ
全日に貸し出しを頼んで決まりかかっていたのに、反故にされたんだっけ
>>157 好きな所ではなくて、テレビカメラに映るサイドのリングサイド席(ただし、だいたい10列目以降)。
切符もぎりの際に、座席番号を書いた紙(旧興行チケットの切れ端裏面)を渡していた。
>>159 このマスカラス国際参加の件が某掲示板で話題になってるけど
マスカラスが日本陣営に入って木村の代わりにエースになり
やがて原に引き継いだろうとか書いてる奴いて笑った
コテハンでそこまでアホなことよく書くわ
>>161 どうせ某博士の所だろうなと思ったら案の定で困るw
国際に関係ない話で恐縮なんだけど大木がインターナショナル王者だった時に韓国で何度も防衛戦をやってるらしいけどその対戦カードとか結果を知れるもの何かある?
猪木とは引き分け、あと結果は知らないけど小林ともやってるはずで丁重なもてなしを受けたと何かで小林が語ってるのをみた記憶がある
>>163 韓国で木村、稲妻二郎とやってる。
新日だと猪木、星野も韓国遠征してるから挑戦しているかも。
新日は大木の全日移籍後はオポジシションの張永哲とかいう選手の団体に猪木、ジョージらが行ってた。
全日だと極道、クツワダが韓国遠征しているから挑戦しているかも。
>>163 昭和50年5月,Sデストロイヤー、 10月、12月、Mミラノ
昭和51年3月、ザ.デストロイヤー(ドロー)、5月、ザ・バラクーダ―
5月、轡田、6月、タイガーマスク(中身は轡田)、9月2回T杉山、
11月、Aブッチャー(両リン)、52年5月、スーパーX(高千穂)、
53年4月、DLジョナサン(ドロー)、9月、稲妻次郎、11月2回トーア・カマタ
この後、国際プロレスに入団、日本で防衛戦を行った後
55年5月、Jルダック、56年3月、Bブラウン
以上、出典は「日本プロレス50年史」のタイトルマッチ完全記録より
↑昭和50年3月の猪木戦が抜けていた。
それと、正確な日時、場所は不明だが
昭和53年のカマタ戦から54年12月のCFヒル戦の間に
Kイヤウケア、Fブラッシー、Bラモス、Jロンドスとも
防衛を行ったとある。
新日、全日オタは木村のIWA連続防衛をB級レスラー相手ばかりだと認めない風だったが
大木のインター防衛はそれを遥かに凌駕するチンケっぷりだな、クツワダとか稲妻とか…
でも
>>165にある
Sデストロイヤー、Mミラノ、ザ・バラクーダ―、B・ブラウンに
カマタ、稲妻、ルダックのお馴染みさん
スーパーXっていういかにも俄か仕立てっぽいネーミングセンスの謎のマスクマン
そのまま国際のマットでみたい豪華メンツwだなあ
追記)あ、スーパーXの中身はベンジー・ラミレスかB・ダラセーラあたりでいいです
>>164 >>165 どうもありがとう情報知れてすっきりしました
>>168 >そのまま国際のマットでみたい豪華メンツwだなあ
題して「インターチャレンジャーズシリーズ 」
できたらリーグ戦で。
「大木は12chと契約したのであって国際と契約したわけではない」
という理由で吉原社長は国際の選手をインターに挑戦させなかった。
大木対カマタは、当時デラプロのカラーで、報道され両者流血だった
一本目反則 二本目リングアウトで大木のストレート勝ち防衛 血だるまのカマタが場外でKOされていた写真は、よく覚えている
デラプロではフロリダでのドリーのインター防衛戦も取り上げてたな
昭和54年10月に実現した、テーズとニックの豪華な夢のタッグ。
これを沼津辺りでやってしまうのが国際らしいと言うか、地方のファンを大切にし過ぎてると言うか・・・・笑
>>175 沼津は草津の家があり、草津、そして国際の大タニマチである
富国石油のお膝元だからに決まってるやん
草津がそのお膝元で11年ぶりの対峙となった因縁のテーズ、胸中よぎるものはあったのだろうか。。
>>176 草津の家は沼津の隣りの三島だよ。
>>175 その時、ニックは2興行のみの参戦。
沼津大会はシリーズ最終戦。
その前日に、後楽園ホールで特別興行
ニックvs木村のAWA、IWAダブルタイトル戦(レフェリーはテーズ)
井上、浜口vs大木、上田のIWAタッグ戦(この日だけ大木参戦でルダックを全日に1日レンタル)
ロイヤルvs原のNWAジュニア戦(ロイヤルは1試合のみ参戦)
この沼津大会は実際に観戦に行った。
試合終了後に、控室前にテーズとニックが出てきて、
おそらく富国石油の社長と思われる人と孫から、記念品の刀を贈られて
並んで記念撮影をしていた。
>>175 ニックが来日する前は愛知県体育館、川崎市体育館、横浜文化体育館を使用していたけど
スケジュールの都合だから仕方ないでしょ。
>>179 ロイヤルのNWAジュニア王座に関しては、全日新日が協力してクレーム入れていたな。
>>182 ベルトもなんかショボイ私製のベルト巻いてたっけw 当時、NWA未加盟の国際ガーてのと
主流(Lマクガーク)と反主流(Eグラハム)の実権争いやらで、今ならワイドショーネタくらいに
なりそうな?複雑な立ち位置の王座だった。。
>>179 あ、そうだ三島だった
まあどっちにしてもいいカード組むのは富国石油向け
まあ新日とかも地方でも高松はいいカード組むとか
このへんはどの団体もあることだな
>>179 >その時、ニックは2興行のみの参戦。
>沼津大会はシリーズ最終戦。
違うよ
10月1日から6日まで、計6戦やってる
1981.11.5蔵前 藤波vs浜口
浜口、強いな



@YouTube;t=1s
ドラゴンのテーマ曲がJOEバージョンだ! 寸足らずドロップキックはこの頃からだったんだね。
>>183 あの当時のNWAジュニアは空位なのかロイヤルなのかグレーな状態だった。
当日ロイヤルがボブ・ガイゲルNWA会長のロイヤルがチャンピオンである旨の書面を持参してきた。
月刊プロレスでのテーズ、ニック、ロイヤルによる三者会談記事があり、
記事に、この書面のことが書かれていて、テーズもロイヤルがチャンピオンだと述べていた。
>>179 三島は木村がスミルノフからIWAを奪い返した場所だったか
>>188 ソントン以降のベルトは形こそ似ているがそれ以前のレプリカ
>>186-187 こんな事言うとこのスレでは怒る人も多いだろうけど藤波の受けの上手さあっての試合だよこれは
1ヶ月前の81.10.08蔵前での藤波vs寺西戦でも特に前半から中盤は寺西が攻めこんでいたけど最後のジャーマン一発で藤波が逆転勝利みたいな形で試合を纏めていたし
>>188-189 古本屋等で当時の専門誌を買ってその頃の業界事情を知った後追い世代だから偉そうな事は言えないけど
普段は国際びいきの筈のゴングがこの時はロイヤルと国際に批判的なスタンスを取る一方で
この年辺りから新日寄りの姿勢を強め始めていた月プロの方が国際側に同情的なのは興味深いね
>>190 寺西がうまく藤波のジャーマンを受けた。
昭和54年のテレビ欄 国際の特番と深夜に
ワールドプロレスリングで藤波対剛
https://imgur.com/a/x6f2r >>192 思い出した。
あの時、東京12chは金曜生中継特番で
テレ朝「ワールドプロレスリング」に真っ向勝負するつもりだったのが、
当時のゴング誌に書かれていた。
しかし、テレ朝系は米国ドラマ「ルーツ2」を8日間連続放送の編成だったので、
直接対決とはならなかった。
ニック、ロイヤルを招聘できたのも東京12chが特別予算を計上して実現したもの。
同日のIWAタッグ戦で、大木と上田のインタータッグコンビ、いきなり上田が大木の頭を椅子で殴って仲間割れ
事態のつかめないフライヤーズは「ポカ〜ん」・・・ww
大阪の国際ファンは明らかに不利だった。
東京12chのネットがなく、UHFのサンテレビだったから、上手く映る時とそうでない時があった。
サンテレビは困った局で同じ兵庫県でさえ映らない地区が相当多かったらしい。
>>195 大阪だとサンテレビ以外にも
隣接のKBS京都、奈良テレビ、テレビ和歌山が漏れ電波で映るのでは。
ただしUHFアンテナを各々の局の送信所方向に設置が必要。
サンテレビは阪神戦中継目当てで大阪民はそちらに1本立てるだけで
それ以外の独立U局向けにアンテナは立てないだろうけど。
私も大阪市民だけど昭和53年に平屋の市営住宅から高層の市営住宅に昇格した。
そしたらアンテナ状況が劇的に好転してサンテレビとKBS京都が鮮明に映るようになったわ。
寺西が言ってたからね
「時間帯よりもTBSから12チャンネルに変わったことがキツかった
放映されていない地域では忘れられていく」って
>>196 >>197 全く仰せの通りですね。
デフォルトのUHFアンテナだとサンTV1局のみ対応で、他に見たければ自分で用意するか、
公団住宅の環境がアップするのを待つしかありませんでした。吹田・豊中といった地域では。
北海道では、ズバットやヤンスタはやってたけど、国プロは残念ながら放映されていなかった
国際プロレスって12chなってから大阪府立であまりやってなかった気がするけど、大阪周辺はどこでやってたのかな?
>>201 在阪4局ではやっていない。
近畿地区の独立U局では途中打ち切りの局もあったけど、
SUN、KBS、奈良テレビ、テレビ和歌山、びわこ放送の5局全てで放送はしていた。
>>194 確か試合前に大木が問題のインターベルトを披露していたんだよな
大阪府立体育会館なら年1ぐらいで興行は行っていたような
>>200 国際プロレスアワーはHBC北海道放送で放送されていたようです。
おそらく深夜帯の放送で、貴殿が子供時代だとしたら気づかず見逃していたのかも。
>>202 ありがとう
申し訳ない、オレの尋ね方が悪かった
テレビではなくて、大阪での試合会場はどこを使ってたのかということです
大阪府立より、全日がよくやってた万博広場だったのかな?
今ちょっと資料見ると
後期国際はそもそも関西での興行自体が異常に少ない
一度も無いシリーズもあれば唯一の開催が府立ってパターンも多い
たまーに思い出したように尼崎とか和歌山とか周辺でもやってるが入りも良くなかった様子
井上や浜口のような関西出身者がいてこれってことは
やっぱ後楽園と太田大和越谷大宮に三島沼津北海道で廻してくしかなかったか
滋賀でやったのって後期? 盆踊りの映像にロッキーのアレンジが流れてたらしいけど
>>207 ありがとう、やっぱり関西は少なかったんだ
やはり当時の12chの少ないキー局が影響してたのかな?
国際プロレスアワーって東京12チャンネルの主力番組だったの?
あの当時の12chの看板って大江戸捜査網くらいしかなかったような気がするけど
>>210 タイガー、長州の新日本プロレスブームの時にゴールデン昇格させたら視聴率散々で責任問題にまで発展したらしい。
>>211 なんか時期ズレてないか?プロレスアワーがゴールデンじゃない時期あったか?
>>207 草津の関係で北九州はそれなりに動員できるし、福岡にも足をのばすか、という感じではあったはず。
RKBで放送していたし。
健吾らが国際に出た時って12chで放映された?
テレ朝との契約があるからダメのはず。
>>212 wikiで見たら月曜20時から土曜20時に変更しただけらしい
なにぶん30年以上前の記憶なもんで
>>211 タイガー、長州の新日本プロレスブームの時は1982〜1983年。
国際崩壊は1981年。
>>217 異種格闘技戦とか藤波がジュニアの頃か
世間がプロレスブームで沸いていたんでテコ入れしまくったのに全く視聴率が取れずテレビ放送から撤退されちゃうんだよね
阿修羅原とか大木とかニックとか会場で見たよ
12chになってどうのこうのという話はあるが、12chすらなくなったあとのじり貧は半端ない。
地元に独立リーグのプロ野球チームがあるから観に行くのだが、
20000人収容の球場に平均で300〜400人、一番寂しかった時だと
86人しか観客がいなかった。
あれに似た侘しさを感じるな。
秋風吹く頃の南海ホークスとか川崎ロッテとか阪急ブレーブスとかも
そんなもんだったんじゃないの。
年俸からしたら国際の面々は頑張っているような気がする。
>>225 「体育の日のデーゲームだから」という理由でやけにお客さんが入っている消化ゲームのロッテ−日本ハム戦なら見た事がある
確か昭和59年
前田「UWFで新日本に出ている時に熊本で170人」
その前のマシン軍団の方が集客も視聴率も良かったそう。
静岡の場合、国際プロレスアワーはフジ系のテレビ静岡で
1978年7月から1980年9月までの放送。
もともと水曜深夜帯で全日本プロレス中継を同局で放送していたが、
日テレ・テレ朝系クロス局の静岡けんみんテレビ開局に伴う番組移行により、
後釜番組として国際プロレスアワーのネット開始。
途中、視聴者からの深夜帯では見るのに難しいの意見を反映し
1979年10月から日曜15時に移動するも、1980年10月の改編で
フジ系の競馬中継同時ネット開始のため打ち切りとなった。
>>201 そーいや、80年新春パイオニアで1月7日か、府立の興行があって国際にしては入ってた。
メインは木村とクラップのIWAと原とGジョーのWWUだったかな?
当時ダイナマイトキッドが国プロ2度目の参戦予定でポスターにも顔があったが、親日に鞍替え。
それを知らずにキッド目当てに会場に足を運んだ人も多かったという逸話もw
>>213 後期ね
12ch時代の国際は福岡ではフジ系列のTNCで深夜のローカル編成枠での買付け放送
末期になると関東近郊と草津と富国のお膝元の静岡、木村の後援会の強い北海道、
あとは北海道への道すがらか東北の小会場でポツポツ程度とほぼ東日本のローカル団体状態で
たまに大阪府立にだけは行くけど、西日本はツアーのルートも他団体のよく興行する地方も関係なく
思い出したように突然関東から九州へ飛んだりとかの滅茶苦茶な興行日程で
たぶん自主興行や年1、2の定期的な地元プロモーターとの付き合いでの興行なんてありえないので
売り興行でたまたま売れたら行く、みたいな状態で
団体としては宿泊費や移動費自体も負担するのが困難だったんじゃないかと想像
>>211 そのへんの詳しい事情は以前のこのスレであったな
>>225 あの時代のパってのは親会社は球団持って新聞やTVで名前だけ連呼されたり
関西の私鉄球団は高度成長期からの沿線開発が完了しさえすれば基本十分だったんで
今と違って無駄にそれ以上集客コストをかけなかった
黙って最小限度の赤字で淡々とやってくれてたらOKみたいなものだったからな
>>228 競馬中継はJRAという固定の太客自ら買上げの枠だからねえ
局としてもある意味ゴールデンのドラマやバラエティより不可侵枠だもんな
しかも元は日曜昼というスポットCM枠を買上げだから局としては営業上最重要
>>225 野村解任から杉浦就任までの南海のやる気の無さはすごかった
広島すら宮崎県でキャンプなのに、呉でキャンプ
杉浦が大分建て直してきたかなというところで身売り
なおその苦労も田淵がでたらめなトレードやってめちゃくちゃに
阪急はどんなに西本、上田が優勝しても、西宮北口という場所にありながら閑古鳥
昭和のうちは西宮球場での競輪開催のほうが客入っていたし、売店もあいてた
競輪優先で、副本拠地の西京極や西京極も学生スポーツ優先で仕方なしに主なき平和台で日程消化したことも
近鉄は藤井寺にナイター設備工事したのに住民ともめて藤井寺でナイター開始が遅れて、近鉄沿線でもなんでもなく藤井寺よりボロい日生球場でナイターしてしのぐ時期が長かった
けどあの頃の関西パの内野応援団は味はあった
日本中がバブルに浮かれてる80年代後半の時代ですらも
南海の選手は怪我したら担架がないから戸板に乗せられて運ばれていたな
昭和のパ・リーグは国際プロレス以上に悲惨だったのかもね。
>>234 国際は場外の畳、全日はデカイ場外マットで運ばれてたよw
>>233 福岡地元の俺ははじめて大阪の親戚の家に行った時、
大阪球場が市街どころか難波の一番ど真ん中にあれだけの敷地をとって
(野球場としては小さく手狭だけど)古びたまま建ってるのにびっくりした
そりゃ南海本社的には球団の不人気とか赤字云々抜きにしてもあの超一等地にあれは無いわな、と
あと蔵前が外から見ると古いうえなにより手狭な土地にこじんまりした建物だったことも
武道館や代々木体育館の立派さに比べて意外だった
南海に劣らないのが太平洋クラブで江藤慎一を監督として招聘した時に
用意した住居が六畳一間のアパートだった
江藤は「野球ができればいいんじゃ」と言ってたそうだ
中日の藤波がクラウンへのトレードを拒否したのも分かる
大阪球場は、一度行ったが、あんな一等地は珍しいよな
狭くて急勾配な客席だったけど、ここでノムさんがプレイしてたんだという感慨があった
>>237 >>239 昭和40年代始めまでは南海は人気あって、逆にナイター化に熱心でなかった阪神が微妙だったり、阪神巨人を大阪開催したりしたり。
色々無情なもの。
MBS南海、阪神
ABC阪神、近鉄
OBC近鉄
KTV阪急、阪神
サン阪急、阪神
の順でなかよかった。
>>238 西鉄が経営なげだして、岸の秘書の中村が後継の福岡野球のオーナーになってネーミングライツで太平洋クラブやクラウンライターであり、太平洋クラブやクラウンライターは実はオーナーでなかった。
福岡の政財界と中村オーナーが折り合い悪く平和台の使用料つり上げられていやがらせされて小倉や藤崎台の試合増やしたり国際末期の貧乏話ばかり。
>>230 TNCでの国際プロレスアワーの放送日はwikiだと金曜深夜→水曜深夜になっているけど俺のオヤジや叔父が言うには土曜や木曜の深夜に放送していた時期もあったみたいだね
後放送時間もwikiに記載されている23:50〜24:10よりスタートが遅くて24:30か25:00ぐらいから放送する事が多かったそうだよ
>>237 蔵前は元々仮設の小屋だったのを補強や改装を繰り返して大会場に仕立て上げていたからね
>>241 適当な嘘吐き乙
甲子園にナイター照明が付いたのって昭和31年だけど、ひょっとして近鉄の藤井寺とごっちゃになってるだろ、お前
あと野村解任以前から呉は南海のキャンプ地で、呉キャンプが復活したのはブレイザー時代からだろ
鶴岡の親分が呉出身なんだよ
国際プロレスと言えばあの国際出身のレスラーがよくやっていたあの妙な足をジタバタさせるステップを思い出すな
ラッシャー木村もたまに、相手に「来い!」ってポーズ取る時にやってた(UWF旗揚げ戦のビデオなんかで見られる)
井上がサマーソルトドロップの体勢に入る直前とか、冬木がロープに走る前にわざとらしくやっていたあの動作
アニマル浜口も気合いを入れる時によくあの足の動きをやってたな
>>246 木村は足がもつれてるんだろ。
ロープに走ると足がもつれて、井上と試合すると足がこんがらがってた。
>>243 昭和20年代ならそんなエピソードあるな
金があって最初に関西でナイターできた南海、ケチで工事したくなきナイターしたいときは大阪借りたらの阪神
その後金もなくケチエピソードばかりの南海→金持ちダイエー→親会社がピンチのダイエー→金持ちソフトバンクとジェットコースター
昭和50年代の国プロにもし金あればどうなったか
TBSとフジと交渉していて両局放送に前向きだったけど、フジが先に放送内定してそれを聞いたTBSも放送内定
結局、局の大きさやネット数の多さ、契約金や前渡金等からTBSと契約
全女の放送を崩壊数年前まで続けていたフジと契約していたらどうなっていただろう?
東郷が出てくる事無く、マツダ路線でいってたのかな?
そうなると欧州ルートの選手がくる事が無くなるから、後の世界マット情勢に影響が出るね
当時のTBSの国際担当はマツダと決別した理由を吉原のせいにしてたけど
マツダが優良な外人呼べるルート持って無かったから東郷に鞍替えしただけなんだよな
マティ鈴木が言っていた
「マツダは地元のフロリダですらたいして顔が広くない」って奴か
タイトルマッチの時は12chのスポーツテーマでなく挑戦者の入場曲で放送が始まるのが好きだったなストンパーのレッドブーツがカッコよかった
>>250 >>251 昔はテリテリー制だからマツダは米南部担当でエディ・グラハムやサム・スティンボート、
若手の有望株をブッキングすればいい。
全日だってドリー、ブレアース、エリック、レイス等複数ルートで新日だってマツダ、WWF、エリック、大剛と複数いた。
マツダがフロント入りしていたフロリダ地区にはケオムカが居て、ケオムカの奥さんは日プロのブッカーだったモトの奥さんと親族だった
ケオムカはフロリダ地区にマツダよりも出資していて保有株がマツダよりも多かったし、奥さんがアメリカ人でも日本産まれのマツダよりも日系2世のケオムカの方が信用が高かった
マツダが国際に上がってた時にも、ケオムカは日プロに来日していたし、フロリダ地区の選手をモト経由で日プロに斡旋していた
当時は考えもしなかったが、今思い出すと12チャンネルのスポーツテーマが
一番カッコ良かったな。プロレスアワーのオープニングはかなり偉大だと思う。
初めてテレ東で、国際プロレス見たとき・・・・・
新日や全日とは別の競技かと思った(笑)
浜口のワンショルダータイツと、なんか試合の微妙な間みたいのが
原因かな。新日にも出てた上田や、ブッチャー、シンみたいな役割
のスミルノフが出てるのを見て、「あープロレスなんだな」
と思ったよ。
>>256 テレ東のスポーツテーマっていうとジュニアオールスター
のオープニングのイメージが。
他の曲に比べると爽やかさがあってなかなか
いいけど、近年なかなか流れてないような気もする。
>>257 みんなロングタイツ、ワン(W)ショルダー、田吾作タイツ、
ショートタイツも股がみの深いデカパンタイプばっかだもんな
やっぱコスひとつとってもねぇ
>>247 そんなのじゃなくて相手に「来いオラ!」ってやる時に足をジタバタさせる特有のムーブがあるんだよ(笑)
地団駄を踏むのは欧州系の選手にみられた
YouTubeで英国の試合を観ればわかる
初期の欧州路線の影響で地団駄が残ったんだろうな
>>260 相手に「来いオラ!」ってやるなら猪木みたいに手でやるだろ。
足ジタバタは興奮した犬だよw
>>260 “よっしゃコイ!”とか“オラー、いくぞ!”みたいな客へのアピール兼相手への合図的アクションでしょ
ああいう地団駄踏みアクションはわかりやすいから昔からわりとあるけど
日本ではやっぱりエース級がやるアクションじゃあないよね
ああいうアピールはやっぱり日本だと猪木がダントツ上手いわ
拳握りしめてのアピールとか手叩いて煽ったりとか
両手高く広げて相手見据えたままゆっくり相手の周囲回ったりとか
あとは坂口の親指ペロリとかもわかりやすく絵になる
対して国際のジタバタは鶴田のおー!とかと似たようなレベルかなあ
>>262 わかってねーなー
だからUWFの旗揚げビデオって書いたんだよ
やってるの映っているから見てみ
(今更どこで旧U旗揚げの木村の映像を見ればいいんだという問いは面倒臭いから無視する事にする)
見りゃわかるんだけどなー、
木村とか浜口がよくやってたあの動き
>>263 おう、お前はわかってるみたいだな
262にどんな動きか説明してやってくれ
キッドが新日に行っちゃったシリーズはクラップが木村に挑戦、ジョーが原に挑戦、
クラップ&ジョー組で井上浜口に挑戦と、人手不足感がハンパなかったな。
他の2人の外国人が悲惨過ぎたから、仕方がないのかもしれないが。
>>266 まあ人手不足もあるんだろうけど外国人常連エースで木村や井上のライバルの
ジョーが体格的にはともかく急に原のJrに挑戦したりの謎マッチメイクは
国際・草津の謎マッチメイクの最たるものだからw
でも原が凱旋したシリーズで外国人陣営のエースがエラリング、No,2がオルソノスキーだったのに
エラリングは木村のIWAヘビーには挑戦せず、シリーズ後半でオルソノスキーの方が挑戦
そのうえ開幕戦ではそのオルソノスキーに凱旋の原が完勝、
でも小林木村や木村井上の時のように木村と原が少しでも絡んで
エース争い(交代)の気配を見せるわけでもないという不思議
凱旋原をプッシュしたいならタイトルマッチやらないエラリングの方に勝つのでも
あるいは開幕戦はラザンあたりに勝ってまず凱旋飾って
オルソノスキーには木村オルソノスキー戦後に勝ってみせればそれでよかっただろうに
末期国際が相当無理して呼んだ二人のはずなのにあれはいったいなんだったんだろう・・・
国際のシリーズ参加外人不足は昔からちょくちょくあった。
黒潮太郎、稲妻二郎に覆面被せて外人レスラーサイドで戦わせていたことも。
エラリング・ラザンは木村・井上とのIWAタッグ決定戦に勝って原・井上に負けたんだったか
( ^ω^)つ キラートーアカマタ&サモアンズ+チープピーターネイビアの画像ですお
カマタとジョーのタッグで草津・浜口に負けさせるのはやり過ぎだな。そこはベルトを獲らせて木村・草津でタイトルを奪還するべく国際最強コンビで挑むとか工夫があれば良かったけど。
>>267 >国際・草津の謎マッチメイクの最たるものだからw
テレビ放送の試合のマッチメイクは12チャンネルの田中プロデューサーだよ
それまで外人エースだったジョー&ブルックスのコンビも浪速ブラザーズからタッグ選手権を奪取出来なかったな
(;^ω^)つ 画像を貼り忘れてましたお
>>275 70年代後半のニューヨークあたりかな?
田吾作スタイルの若き日のカマタ
>>277 サモアンズはハワイ生まれでないしハワイで試合したこともないから
たぶんNYだろ
1980年にWWFに揃っていた時期がある
>>267 わかってないね
その原の凱旋シリーズはテレビ収録が開幕戦と最終戦の2回しかなかったんだよ
その2回で原をエラリングとオルソノスキー両方と絡ませ
初戦はシングルの凱旋試合、最終戦はWタイトル戦にしたい
という条件での苦心のマッチメイク
週一のレギュラー放送が打ち切られて月一回の放送の予定だったけど開幕戦の放送が5月に
やったのにそれ以降の放送がなくて興行活動の停止が確定した9月に残りの収録した2回分
こっそりと放送したけど、何か理由があったのかな。
実録読了。すごい無駄な話が多くて期待したわりにはイマイチだった。小林離脱の話とか詳しく知りたかった。
全然グダグダじゃないんだが…
一体何を見てそう言ってるんだろね。
確かに、トペ・レベルサで後ろ見たのはダサかったけど。
ただし、相手が井上だったので信用し切れなかったのかもしれないし。
マスカラスと組んでるから高杉の空中技はフォームが汚く見えるね
マスカラスは飛んだ時の脚や腕が綺麗に揃えてるけど、高杉はただ飛んでるだけで手脚バラバラ
空中技だけじゃなくて、普通の技の出し方や受け方もきれいじゃないけど、
「グダグダ」というのとは違う。
名選手だっていつもきれいなフォームなわけじゃないし、
現にこの試合でもマスカラスのクロスチョップはタイミングの取り方がえらい適当。
セブンだからという理由でけなす馬鹿が多くて辟易させられるわ。
セブン時代の高杉が高杉としてはマシな部類なのは事実
本当に凄いのはパイオニアで復帰以降〜現在までの高杉
ゴミ以下のファイトしかしてない
肩息デブ野郎(ジャーマンのフォームだけ綺麗)
国際も魅力ある外国人レスラー生み出した面もあるね。
オックス・ベイカー、アレックス・スミルノフ、イワン・コロフの3スキンヘッズ。
ただし、コロフ以外は新日または全日に行った途端フェードアウトしてしまう…。
ブッチャー・バションは国際時代地味な実力派だったのに新日ではKKクラップに3分でKO負けしとる。
コロフは一度しか国際に来日してないし、国際のイメージは薄い
国際三大スキンヘッド外人エースだとコロフじゃなくバションが入ると思う
こども心にオックスベイカーは本当に怖かった。トゥーキックで胃袋破壊するの信じてたし、リング上で誰か死ぬんじゃないなとヒヤヒヤしながら観てた。
開幕時はスキンヘッドなのに
シリーズ中に毛が生えてきちゃうのがストンパー
スキンヘッド軍団に入れ難いw
ストンパー国際に来日したの2度だけだから国際のイメージが薄い
日プロに来日した時のインパクトの方が強いしね
日プロにだって2度しか来てないだろ
しかも2度目は員数扱いだし
末期国際のB級エースの1人のイメージの方が強いよ
幻に終わったストンパー軍団の伝説もあるし
期待はずれのシリーズ外人エース各っていうとジ・エンフォーサーかな。新日本参戦した時も坂口や小林にあっさり負けてたような?
国際に来た時はすでに全盛期過ぎてたよね。
せめて75〜77年あたりに来ていればもっと活躍できたんでないかな?
エンフォーサーは国際の最期を看取った外人レスラーだったな
ハゲと胡散臭いアイパッチ
ある意味最期を看取るにふさわしかった
エンフォーサーは、奥さんであるバニーガールスタイルのマネージャー帯同というのが、
また良い味出してたな。試合前に火を 吹いたりしたんだろうか?
白黒の予告?には、ジョーが出てないね。追加参戦だったのかな。
しかしポスター見ても、子供連れて観戦に行くような雰囲気じゃないな。
これじゃ興行的には苦しいよな。
>>300-302 国際のポスターやパンフレットは菊池孝がロハ同然の額で作ってあげていたとかファンクラブ出身の有志達がこれまた無償奉仕で製作に参加していたとかそういう人情噺を聞いた事があるけど
この当時(81年)としてもセンスが古過ぎ泥臭過ぎでとても客寄せの効果があったとは言い難いのがねぇ
女性マネージャーを連れてきたのはエンフォーサーが日本初と言われているが
最後のシリーズには後楽園が入ってないんだよな
入れなかったのかそれとも入れられなかったのか
>>300 白黒が初稿で実際に流布したのはカラーの方だと思うが
この間にカラーのジョーの部分にメキシカンのMS1号・2号が載ったバージョンがある
この2人の参加が中止になり、ジョーの連続参戦が決まった
・・・というより、エンフォーサーエースじゃ営業にならないからだろうけど
>>283 マスカラスが技受けなくてしょっぱいな。
高杉も体回ってないし。
昭和のプロレス視点で見ると佐山タイガーは別格の動きだね。あれは納得できる。
>>301 マネージャーはエンフォーサーのカミさん。
カミさんの費用はエンフォーサー持ち。
火は出さなかったと思う。
代わりに電気ショッカー機能の杖を持って反則攻撃。
ポスターの表記がジ・エンフォーサーではなくザ・エンフォーサーとは昭和レトロだ。
>>308 いや、手からマジックファイヤーを出したか・・・
火は使ってたよ
口から吹いてはないけど
そもそも新日では封印させられた火を使えるから本領発揮できるというのが売りだったし
>>300 下のポスターのメキシコ3選手って
>>306のMS1号・2号とあと1人は
誰を予定してたんだろ?
MS1以外の二人はメジャータイトル取ってないね。
メキシコシティのタイトル止まり。
メジャー取ったことあるのはエロデスとメンディエタだけか?
ティエラ・ビエント・イ・フェゴは90年代の前半にCMLLでテラリオスの2人(ブラック・テリー、フェリシアーノ)と
組んでたので、再来日あるかな?と思ってたが、どこも呼ばなかった。
WING辺りに来るんじゃないかと思ってたが、イバラギはルチャ方面はあまり得意じゃなかったんだろうな。
トリオ・マラビージャを呼んだ時に試合形式を本人たちに説明してなかったとゴングに酷評されて懲りたのかも。
>>316 フェゴって恐ろしく塩で当時でもネタ外人になってたような気がするが。
ラッシャーにマスク剥がれた筈。
フェゴは唯一のテレビ収録が木村戦だが、試合そのものより
逆エビでギブアップしたのにすぐに起き上がって木村に襲い掛かった
そういう点でかなりの塩
>>315 MS1とか30年ぶりぐらいに聞いた名前だわ
そういやそんな奴いたな(笑)
>>316 >>317 テメラリオスはユニバーサルプロレスに来ていたな。ブラソスやミショネロスのような
お笑い系ルードではなく、本当に悪どいこともする憎たらしいルードだった。
>>321 そうなんだよ。
ルチャドールの中では知名度あるほうだったので、フェゴも追加して呼んでくれるかなと思ってた。
国際時代の鶴見が日本で挑戦できた王座がアジアタッグだけだったとは
>>324 浜口鶴見組の負けがあったからこそ、井上浜口組が勝ってアジア王座が国際に来たとも言える。
井上がIWA王者の時に木村、草津とタッグを組んだ時のコール順はどうだった?
草津→井上、木村→井上?
まさか国際のエースでIWA世界王者井上→草津?
鶴見ってアマレス出身者だから、本気でやればそこそこ強いだろ?
木村には敵わないとしても井上、浜口ぐらいと対等に渡り合えた気がするけど。
子供がプロレスラーになったのは
高杉息子
鶴見息子はデビューしたのかな?
剛の3人の子供(昔週プロで見た記憶がある様な)
は、元気に育っているのかな
長男はもう成人してるはずだけどプロレスラーでは無いよね
阿修羅の息子さんはかなり身長がでかかったけど
かなり前に事故で亡くなってしまったそうだね
>>327 高杉は「鶴見さんは強かった」と言ってた
剛については「「これは1年もすれば勝てるな」と思ったそうだ
プロレス的な強さで言っても
鶴見>>剛>>>>高杉だからな
剛が人間的にクズだとしても、相対的に高杉の評価が上がる訳じゃない
いい加減高杉は己の自己評価を改めるべき
剛は上半身はしっかりしてたが、下半身の足が細い感じがした。
ヒンズースクワットとかは回数しなかったのかな?
そもそも「プロレス的な強さ」の意味もよくわからん
格の事?
そんなら剛>鶴見じゃね?
>>334 ジュニア時代は足も太かったが、80年頃に膝からウイルス性蜂窩織炎を患い、
そのあたりから足が細くなったような気がする。
体は浜口みたいに硬いが藤波より柔らかいジャーマンをやっていた。
木村とハゲヒゲ外人の闘いは、西部劇を連想してしまう。
バーカウンターで寡黙に飲んでいる木村に、荒くれ者の外人がしつこく絡んで、
2人で店外へ。外人が先制攻撃で木村を痛めつけるも、血ダルマの木村が覚醒し、
荒くれ者を返り討ちにしてノックアウト。
それこそ、力道山時代にやったら、木村が国民的英雄になっていたのかもね。
>>338 ハゲひげ外人 バションが、真っ先に浮かんだ
次いでクラップ、ルダック
あとハゲで思いだしたが、ブルートバーナードがもし国際に来てたら木村と噛み合ったように思う
( ^ω^)つ
ベーカーは、相応しい存在だ
あとクルトフォンヘスなんかも意外と合っているかも
>>340 このスレにいる俺達にとっては御馳走だけど…w
これ見たら親、特に当時の母親とか
あとちょっと教育熱心な堅い家庭とかは
子供が観たいっていっても絶対に
「プロレスなんてあんな野蛮で血だらけなの絶対にダメ!」
っていうのもしょうがないよなあwww
30男に教えて欲しいんですけど、ロビンソンがエースの時代ってあったんですか?
ビル・ロビンソンと言えば宮戸ジムでコーチしてる時、
荻窪のサウナで何回も一緒になったよ。
サウナが大好きで水風呂と何回も往復してた。
http://www.nagomino-yu.com/ >>345 1968年4月に国際に初来日してから、外人エース。IWAチャンピオンにもなり、リーグ戦も優勝しています。しかし残念ながら見たことないので、偉そうなことは私は言えません。しかし猪木との試合は、リアルタイムで見ましたが
ロビンソンエースと言っても、熱戦譜見たらテレビマッチ以外は豊登、草津、杉山辺りがメインでロビンソンはセミか、メインで出てもタッグ
>>348 それ小林、井上の時もそういうのが多い。
>>346 YouTubeのロビンソンとブロディの動画のコメントの中で
「デカくてエロい外人のお爺さんによくビールを御馳走してもらった」
と言う平成生まれの飲食店店員の泣かせるコメントが有った
引退してからの日本滞在時のロビンソンって中々フレンドリーな人だったみたいだね
>>350 タモリ倶楽部で「コウエンジニヒッコシテキマシタ!」とタモリと二人でタオルを配るだけ
の回があったよwww 当時は理由が全くわからなかったwww
タモリクラブの中で、三又が尊敬するプロレスラーのロビンソンとの絡みが有って、思わず感極まって号泣する回も有ったね
ビル・ロビンソンは2004年のアテネの夏のオリンピックだったかな、
サウナの中でちょうどやっていたアマレスを熱心に見てたのが記憶に残る。
日本語が全くわからないので話かけられなかった。
>>347 猪木戦の時点で既にピークを超えていたというのが凄い
話ぶった切るが、昔親父が家に持って来たチケットに
「スネーク奄美」
ってレスラーが載っていたんだが、どんなレスラーだったか詳しい人教えてくれ。
>>355 ヘビが多い奄美大島出身だからスネーク奄美とのことだった。
スネーク奄美は「すなっく奄美」を経営していたんだよな、若くして亡くなって残念。
でもオールスター戦で、バトルロイヤルの後のシングル戦を荒川とやったんだよね。
運動神経が抜群に良くてテクニシャンだったらしい。
>スネーク奄美
でもリング上ではコミカルなファイトに徹してて奥さんから
「どうしてテクニックを前面に出した試合しないの?」と言われたら
「真面目っ面して試合してもお客さんは喜ばない、プロなんだから楽しませなきゃ」
と答えたという
観戦した時に数回奄美観たけど、コミカルな感じは無く地味なレスラーだった
確かオールスター戦だけでなく他にも新日本との対抗戦に出ていたか
CIAってサイトの今年2018年の1月23日に
ストロングさんの情報書いてあった
>>360 昭和54年2月6日、大阪府立体育館
長州力、◯木戸修(ジャーマン)●スネーク奄美、稲妻二郎
http://white.ap.teacup.com/corona/1246.html?rev=1 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:87f20c3c9ee883ab649a4d7f8b996d63) >>362 これにコメント残してる日吉台って、ミック博士のとこ常連のJINか。文の締めが特徴あるわ
貴重な情報サンキューな。
今のレスラーで言ったら誰に当たるんだろうね?
>>364 ミスター林とかドン荒川とかスネーク奄美は、将来のメインイベンターとかではなく
ずっと前座だけを行うレスラーだぞ?今のプロレスにもそんな人がいるのか?
奄美が亡くなってなかったら、崩壊後はどうしたんだろうね?
国際軍団が4人になったのか、スナック専業になったか。
>>366 そんなわけないじゃん、最後までいても新日から呼ばれなかった人はたくさんいるよ?
>>367 若松なんかリング屋として全日から誘われたけど蹴って
自費で海外遠征してるしね
今さらなんだけど、吉原代表の回顧録がないのが惜しまれるな。
国際プロレス旗揚げの経緯、草津のバックドロップKO事件の真相、複数エース制の導入、AWAとの関係、
馬場の評価、猪木との関係など聞きたいことがいっぱいあるな。
吉原は国際末期の頃、「馬場が外人のギャラ高騰させた張本人だ。」と非難してたね。
確かにファンクスを筆頭に、マスカラス、現役NWA世界ヘビー級チャンピオンを招聘する
ために法外なギャラを捻出し、それが回り回って日本人選手のギャラが抑制される一因に
なってた。吉原にしてみれば、「良い外人は全て馬場が札束でかっさらっていく。」といった
恨みがあった。
>>371 全日の外人ギャラは日テレが払っていたから、いくらでも出た。
新日に押されて客入りが悪くても大物外人だけは呼べて、割りを食ったのは日本人。
中堅の年収=1シリーズの大物外人のギャラぐらいだった。
末期は見事にかっさわれたな。全日にブラックウェル、新日にキッド。
馬場はドリー・ファンク・ジュニアには、NWAチャンピオン時代と同額の週10,500ドル払ってたそうだが、
当時国際に来てた外人最高給クラスのビリー・グラハムが1ドル260円時代の週7,000ドルだったから
182万円、それに対してドリーは273万円だから、やはり法外に高く、馬場がいかに外人頼みだったかが
よく判る。
>>372 すると、大熊・小鹿クラスで年収500〜600万位だったんだろね。
当時の中堅サラリーマンよりちょっと高い位か。
国際の中堅(鶴見・大井山)はこの半分位かな。
当時、金銭的には日本がメジャーリーグで、アメリカが日本だったからな
ギャラの払いが渋いNWA傘下のプロモーターは、補填してくれる馬場がありがたかったろうな
国際はTBSが放送打ち切ったあとは、東京12チャンネルの放送料金と興業の利益と
合わせても黒字になったシリーズはなかったんじゃないかな。それで徐々に赤字が膨らみ、
完全にテレビ放送がなくなったあとはそれが雪だるま式に大きくなったんだろね。
倒産前の最後の北海道遠征では、その日日本人レスラーに支給される手当が500円だった
らしい。
千代の富士が国際プロレス入りを熱望していた話は面白かった。
テレ東も当時お化け番組のドリフの全員集合(ひょうきんは昭和56年5月から)
が裏のあるのに国際プロレス中継を土曜に移行したのは無謀な気がした。
ずっと月曜8時だったら打ち切りも無かったし、国際は、もう少し持った気がする。
>>373 初期から日プロにアリオンやKOコックスやられてる
TBSに見放されたあたりでも新日にロビンソンを引き抜かれてるしな
>>379 考え方が逆ですよ。当時の東京12チャンネルはテレビ東京への移行を目前に控え、
局内にも「金網デスマッチの放送をやめろ」などの意見が多くあったようです。
土曜日に移動させて数字取れりゃ儲け物、取れなきゃ打ち切っちゃえだったんでしょう。
先輩の永里のいる新日本への悪口が言えない分も馬場に向けられた印象
>>371 まあ馬場が外国人レスラーに高いギャラを払っていたのは事実だけど、それよりも国際プロレスはバーン・ガニアに法外なギャラを要求されたのが痛かったんじゃないのかな。
実録・国際プロレスによると、外国人レスラーの数を減らして、スーパーの駐車場なんかでやった
ミニシリーズはあり得ないぐらい儲かったそうだから、等身大の興行をコツコツやってればなんと
かなったのかもしれないな。でも、それだと国際プロレスとしての魅力がなくなっちゃうよな。
>>384 79年から80年にニック2回、ガニアを1回呼んでるけどいくら払ったんだろうな。前年の日本
リーグ争覇戦の視聴率が良かったお陰で12chからご褒美にお金を出してくれたので、その
お金で呼んだらしいけど採算とれたのか疑問だな。
ニックは記憶に無いけど、ガニアは週二万ドル、AWA選手権は別に一万ドルだと書いてあった
AWAの場合、加盟だろうが非加盟だろうが
ガニアに金出せば、選手を送り込む考えだろうね。
AWA選手権は国際、全日、新日と3団体で開催しているしね。
「ガニアとビジネスをするとケツの毛まで抜かれる」が
米国プロレス界の定説だったからね。
別枠で外人招聘予算を組んで人気や実力を考慮したメンバーをチョイスしようとした12チャンネルだったが、話を聞いた吉原社長が先走ってガニアと契約してしまい予算を単発で使いきってしまった。
本当は半年から一年というロングスパンでシリーズを盛り上げるコンセプトだったらしい…
77年のワールドシリーズにバションが来日したけど、バションがこれまで通りのギャラで良いと言ったけど、その金額が国際がガニアに払っていた金額三分の二だったらしい
AWAルートで来日した選手は国際がガニアに支払い、帰国してからガニアから来日選手に支払われていた(日本で前渡金は差引されて)
77年のワールドシリーズの頃はガニアとは切れてて外国人レスラーのブッカ―は
カルガリーの大剛だったはず。
バションは大剛と親子みたいな間柄でギャラ等も彼に一任して細かい事言わなかったとか。
>>387 これが事実なら、ふっかけも度が過ぎてるんじゃないの?
特別参加のたった一週間でタイトルマッチもやって3万ドルなら、
1ドル150円で換算しても450万円で、国際はどの会場もフルハウスにしても
黒字なんか出なかっただろ。
ガニアなんか、あれ本当に強いの? 団体オーナーだから、カルロス・コローン
やシークみたいに小柄ながらもトップ張らせてもらってるだけだろ。伝家の宝刀
スリーパーも、選手に言わせたら、かけさせないのは簡単だっていう話だし。
>>392 一応、アマレスではロンドンオリンピック代表。
プロレスで本当に強いの?www
馬鹿じゃねーのwww
>>392 1974年11月だと$1=\300を超えているから、3万ドルだと900万超になる。
https://1ドル円.com/1974/
>>393 ガニアは井上戦では息切れしてアップアップしていて、井上が負けさせないように苦慮している。
翌年の全日でのNWA世界ジュニア戦でのヒロ・マツダも井上にアップアップしていた。
>>395 1974年頃は公務員の平均年収も200〜300万円位だったろうから、たった一週間で900万円
というのは、もはや濡れ手にあわ状態で、本当ならばガニアは笑いが止まらなかっただろね。
ガニアの50歳前後でのAWA世界チャンピオンというのも、無理がある感じがしてたよ自分も。
馬場との試合だって、金看板のスリーパーをガニアが息切れする前に客に見させようと、馬場が
配慮してた。
1974年に900万をミネソタに持っていけば豪邸数軒建ったのでは?
AWAが凋落してた頃に、値切りに値切ったギャラしか払わないでガニアはヨーロッパ旅行行って選手達は切れてたらしい
>>388 新日本と組んだのは全日本から切られてマサに仲介を頼んだという経緯らしい
それだけに立場的にもかなり弱かった気がするが
>>399 AWAチャンピオンがラリー・ズビスコだというのが、少しがっかりした記憶がある。
全日本ではジュニアの大仁田に完敗してたからなあ。
息子のグレッグにもう少し力量があったらベルト引き継ぎさせてたんじゃないか。
>>400 ニックかホーガンが「ガニアはいつでも息子のグレッグをAWA王者にできたが、それをしなかったのは偉い」
>>401 それたぶん二人とも半笑いで言ったんじゃって気が…w
>>399 ガニアの自業自得だったな
プロレスリングUSAを自分で裏切ったりして信用0に
力道山は、いつでも息子の百田光雄を後継者にできたのに、しなかったのは偉い。
それだけの大金をガニアに支払ったのに
AWA王座の短期奪取すらできなかった吉原の交渉力の無さがどうしようもない
全日では、馬場のNWA王者奪取、鶴田のAWA王座奪取
新日では、猪木のWWF王座奪取や藤波にWWFジュニア王座を用意させた事に比べて
やっぱり吉原はそういう点はダメだね
吉原の功績は小林をスカウトしたこと
失敗は草津をブレーンにして小林に逃げられたこと
( ^ω^)つ 五輪選手当時のバーンガニア画像ですお
井上がエース時代の国際って井上がラッシャーより格上だったの?
コールもラッシャーが先?
表記も『井上、木村組』?
>>408 別におかしくはないだろ?井上なんかエース経験者でキャリアも上なのに、
ハイフライヤーズのIWAタッグ王者時代は浜口、井上組だったんだぞ?
>>408 ラッシャーは元力士で日プロにいたから、井上よりキャリアも格も上。
大昔の事だがこんなことも知らない人がこんなスレに書き込んでるのか。
>>410 「井上エース時代に、キャリアが上な木村より後にコールされたのか?」
って
>>408は聞いているんだろ?そういう質問じゃなかったの?
どんなに国際を語っても、結局、馬場、猪木に対抗できる者がいなかったのが全てじゃないの?
>>387 週二万ドルか。高いなぁ。ジプシー・ジョーはそんなに高くない
ギャラでも文句を言わずに来てくれたって聞いたけど、いくらぐ
らい貰ってたのかな。1シーズン五千ドルくらいかなぁ。
>>412 そりゃそうだよ。でも逆に、小林引き抜かれても、TBSに切られてもよく持ったとも思う。
>>408 国際のエースでIWA世界王者の井上は木村を抜いて格上になった。
その際のコール順はどうだったのか?
井上→木村だったら、IWA世界王者&国際のエースは何なのかということになる。
三銃士も時のIWGP王者が最後にコールされるためコール順が入れ替わった。
>>413 ジョーは継続参戦したいからギャラを下げてもいいって言ってた
営業力のある草津にマッチメークの権限まで与えた吉原の責任は重いが、誰にやらせれば
良かったのかな。12chの頃は茨城に言わせると井上が適任らしいが、TBSの頃だと杉山
辺りかな。
>>413 末期で週3000ドル
一番高い時で4000ドルくらいだったらしい
それでも1ドル250円として
米で実際に生活するうえでは1ドル100円くらいが実生活上の感覚とか
(あくまで大雑把にだけど)言われてた時代なこと考えれば
ジョーのようなレスラーにとっては相当にイイ稼ぎだと思われる
>>408>>411
申し訳ございません。レスは
>>409さんへの間違いで、更に内容を勘違いした上失礼な書き方になってしまいました。
井上が話してたけど、74年にガニアが来日した時提携の継続と、井上のAWA世界選手権取る事が話し合われたらしい
井上がIWAをバションに明け渡した後、井上はアメリカに渡ってガニアからAWAを奪取する話があったらしい
結局吉原社長はガニアより大剛を選んだけど、井上はハシゴを外された状態でIWAを取られただけだった
それが井上の吉原社長に対する不信の一つにもなったらしい
ガニアが強欲で吉原に高いブッキング料を要求していたのは
井上だって知っていたろうし、不信というほどの事かなぁ
>>421 75年に井上が3大タイトルの1つのAWA王者になっていたら凄かったな。
NWA馬場、 AWA井上、猪木だけが弱小団体NWF。
あくまで「そういうプランがあった」程度の話なんじゃないかね
「やる時はやる」「やられやらやり返せ」ができない吉原が
AWA王座奪取なんてセッティングできるとは思えん
実際に井上がAWA取ったら鶴田みたいにアメリカにサーキットに行かなければいけないから、
井上が王者のまま一週間位の短期で帰国させ、東京大阪の大会場でタイトルマッチやらせて
満員にするのを2〜3回繰り返し、その後ニックかロビンソンあたりに譲渡させる計画だったんだろね。
これだと井上に箔が付き、半年くらいは興業的にも潤う。
ガニア・ロビンソン・ニック・スチーブンスをまとめて呼んじゃって金庫の中が空っぽだっから
ガニアに払う金もないから大剛路線に一本化せざるを得ない状態だったから井上に取らせる
のは無理だろうけど、吉原さんもAWAとのつながりを立ち切るのは本意ではなかったのだろう
から79年にまた再提携したのだろう。
>>414 「経営者としては甘い!」と言われる吉原社長だけどその人望と人脈に助けられている。
TBSの放映には早大スポーツ閥から森P(柔道)が力になってくれた。
森Pは経営の大変さを説いて独立に反対するも国プロを設立すると「"力をなって上げたい!"
と思わせるヤツだったんです・・・・」と話し東京12chの放映では二人の早大時代の講師が
日経のトップになっていてTV放映を頼むと系列子会社の12chに業務命令が行きそこから
また早大スポーツ閥で白石氏が12chに運動部長としていてTV放映ができた。
新日の顧問就任も国プロ崩壊後に不遇だった吉原氏を見かねたまたも早大スポーツ閥の
テレ朝・永里氏(アマレス)が新日プロへ出向していて「顧問として迎えたい!」というと
猪木と坂口が二つ返事で了承してくれた。
森、永里両名は吉原社長の人柄を述べている・・・
ただGスピにあったデイリーの元記者インタビューは
「(プロレス界)あの時代は猪木みたいにワルじゃないと・・・」wwwと述べていた。
>>426 木村に王座移動したから、井上が1年位AWAに行っても国内的には問題なかったのでは?
井上はアメリカのファンには面白く見えると思う。
>>419 俺が読んだのでは、ジョーは週1500ドルぐらいだったと記載されていた。
だからジョーは末期の金がない時でも何度も呼ばれたとある。
スミルノフで週3000ドルだったとか。
国際が崩壊した時、新日と全日でスミルノフの争奪戦になったが
正直「そんな価値のある選手かよ?」と思っていた。
でも外国人選手の引き抜き合いをしていた両団体からみれば
週3000ドルというのは安く感じたのかな。
1980年頃だと新日、全日は週1500〜トップクラス7000ドルで、まだ1万ドルはいなかったかな。
国際だと下は週700ドルからかな? キッドの自伝に国際でのギャラが書いてあったような?
国際のレスラーってみんな目が細いね
例外の草津と剛が揃って鼻つまみ者
>>430 オレもその記事読んだ。ジョーと比較したらガニア、ニックの週給がいかにバカ高かったかが
よく判るわ。あれじゃ弱小団体の国際は売り上げの大半をAWAに貢いでいたようなもんだろ。
>>425 井上が拘ってるのは「あの話は駄目になった」とかを吉原が自分で言わなかったとかそういうんじゃないかな
そういう話はこの世界でかなり多いし
ジプシー・ジョーに代表されるんだけど、国際プロレスのヒールって
隠し切れない「いい人」感が出てるんだよな。
意外かもしれないがUWFの東京ドーム大会の高田の相手のカズラスキーって
ガニアのブッキングなんだよな。
Uブームの頃に本気でUとの提携模索していたから。
残念な事に面子がみんな年を食い過ぎていた。
>>436 井上譲治が仲介してガニアはシュートでもワークでもどっちでもいいと言い、
Uインターはワークを希望。シュートでやったら高田はカズラスキーに秒殺される。
確かギャラはAWAに5000ドル、カズラスキーに5000ドルと書いてあったと思う。
>>435 全日でいうと、ブロディ、シン、シークあたりはこれまで世に出てるプライベートショットでもカメラに笑いかけてる表情なんて見たことない。
国際はみんなニコニコしてるもんなぁ。
井上の話だと、ジ・エンフォーサーが日本人レスラーに俺の嫁と一晩どうだ?と金を取ろうとしてきたらしい
日本人レスラーも関係者も金が無い時だから誰も相手にしなかったって
あいつはとんでもない奴や、でもあんなばあさん金貰っても相手したぁ無いwww、と言っていた
当時子供だったのと、新日&全日目線でしか見られなかった私からすれば、
エース=団体の社長⇒ラッシャーみたいな構図になってしまった。
木村さんに経営の才覚があったか否かは知らぬが、気前の良い社長になったんじゃないの?
大相撲出身の社長(代表者)は印象良くないなあ。
力道山、豊登、芳の里と、ゴッチャン体質だから放漫になる。
>>438 そうそう。精一杯、怖い顔をしてるんだけどトーア・カマタ、オックス・ベーカー、アレックス・スミルノフ、
ジョー・ルダックみんないいひと丸出しだよな。凄味があったのは誰かな。マッドドック・バションとかセー
ラー・ホワイトとかビッグ・ジョン・クインかな。
>>442 ブッチャーやシークは、リング外ではスーツをばりっと着こなし
光りモノをジャラジャラ、葉巻を燻らすなど大物感が漂っていたな。
国際の外人は普段もチープな服装で、どことなく侘しかった。
ジプシージョーは試合始まる前、会場内でカツ丼食ったりしていたからな。
( ^ω^)つ 来日時のゴッチとロビンソンのプライベート写真だお
ジョーは馬場からも信頼されてた。
全日でもかなりタイトルマッチやらせてもらってたからなあ。
墓前にカツ丼捧げたいわ。
>>445 そのほのぼの感が国際の良いところでもあった。
新日、全日だと外人レスラーが試合開始前に
会場内に姿を見せることはまずなかった。
特にヒール系レスラーは。
国際だと普通に会場内に出歩ていて、気軽にサインも貰えた。
(インタビュアー)「ジプシー・ジョーさんの好物は何なんですか」
(ジプシー・ジョー)「カチドン」
>>449 最後は井上のインタージュニアへの挑戦だったか
国際のヒールは裏表がないと言うか、裏表があること隠そうとしなかったよね(笑)
ところで、国際ってバトルロイヤルたまに行ってたの?確か新日がやらなかったのは知っているけど…
井上「バトルロイヤルやって王者ストロング小林を狙いみんなで乗っかってフォールしたら、
下にいる小林が『う〜ん気持ちいい』って言いやがった。ワシらズッコケそうになったは」
アンドレ含むバトルロイヤル
http://www.queststation.com/w_kokupro/20100714.html >>450 良い点でもあるし悪い点でもあるな
シンは会場内ではカメラが無い場所でも客前ではあのキャラを
崩さなかかったって話だからね
(新日の指示でもあったらしい)
そうやってヒールの価値を高めていた
ブッチャーは陽気だったね。
選手バスから降りて会場入りする際、
子供が「ブッチャー!」と声かけると
「ハ〜イ」と笑顔で応えていたし。
来日時カマタとブッチャーのプライベート写真
おまいらスレタイから外れ過ぎ
国際本、POSデータでこれまで二百数十部しかうれてないみたいだから
役立たずなレトロプロレスネタは遂に二百人しか新刊買わないくらい冷え込んできたんだから、もう次ないぞ
既にブックオフに流されてヤフオクで叩き売りと
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/q197051180 >>322 ユニバ当時は素顔になってダミアン・エル・ゲレーロ
長身だけど痩せこけて全身タイツで長髪
顔は老人
ファイトスタイルは80年代後期のG馬場
来日しなくて正解だった
いまさらケーフェイ抜きの話なんて何の意味もない
アメリカのレスラーたちが平然と、ありのまま語ってる自伝本やインタビューが遥かに面白いから、それを翻訳した方が違う世代にも興味か持たれるし売れるよ
>>445 フランクフルトとかアメリカンドッグじゃなかった?
冬木が練習生の頃に腕立て30回出来たら浜松の巡業で鰻食わしてやるって
言われて必死に頑張ったって書いてた
社長は約束を守って喰わせてくれて美味かったって書いてたな
国プロの本はあれでよかったと思うよ。
ただ問題は国プロだけでは商業的にうまくいかない。
全日、新日でもケーフェイ抜きは、もはや過去の遺産で売れないよ
社会人になり東京に出てきてうん十年
箱根や伊豆や水上やいろんな温泉に行ったが
かぶら川鉱泉には行ったことない
と、いうか国際関係の記述以外でかぶら川鉱泉を見かけた記憶が無い
>>464 >>467-468 300回とか500回なら未しも30回で御褒美とかそんなレベルでよく入門を許されたよな・・・
知り合いが冬木と同級生だった
冬木は高校中退後、ほぼ毎日雀荘に入り浸ってたのは横浜市南区では有名
冬木は格闘技歴どころかまともなスポーツ歴も無かったからな
それでもアマレス出身の菅原より伸びるんだから分からんもんだ
>>472 国際が潰れなかったら菅原が一番プッシュされてた?
>>470 冬木「腕立てが3回しかできなかった。草津さん、浜口さんから我慢しろと言われた」
中学生以下の体力だからスパーしたら悲鳴だけだから我慢するしかないわな。
新日だったら入門は無理だな。
>>474 タダで使える雑用係として入門させたのがミエミエだな
最初にTPGでアポロがプロレスの手ほどきをしてあげた秋吉と高山が、
邪道外道としてWARで冬木と組むことになったのも変な巡り合わせだよな。
>>475 入ってからは若松と二人でリング屋やってたんだよね。
市っつぁん、アンちゃんと呼び合ってた
>>427 あれは前の欧州路線の時と同じにガニアが二者択一を迫ったので今度はガニアの方を切ったとか
>>478 切って正解。切っていなかったら、負債がますます増えてた。
最初からずっと欧州路線で興業してたら良かったんだよ。
掘り出し物がAWAの五分の一位で呼べれたはず。
このスレを読んでしばらく。
かなり国際について思い出したが、確かに当時の三団体の内では新日が最も体制が弱かったね。
シンとクラップ頼りだったし。アンドレが移籍したのも猪木議員には幸いだった。
国際で暴れてほしかったレスラーと言えば、アイアン・シークやホースト・ホフマンかな(真逆な2人)
欧州路線よりも米国を選んだのは、今と違い航空運賃が欧州からと米国からを較べると3倍近く違ったから
欧州の選手はギャラが安くても航空運賃が高くて割りに合わなかった
欧州路線の時、シリーズ終了後残留して次のシリーズにも参加した選手が多かったのは、高い航空運賃払うよりも試合が無くてもギャラ宿泊費の方が安く上がったから
>>481 なるほどねえ。そういう事情は全く思いつかなかったわ。
なにせ1ドル300円前後の時代だったからね。さらに一流どころはファースト・クラスだったろうし。
トニー・チャールズとかアルバート・ウォールとか、もっと見たかったわ。
ヨーロッパから往復4万円のシベリア特急でハバロフスクまで来て、船で新潟港に来たんだよ。
国際とAWAが切れた後にすかさず馬場が提携を引き継いだんだよな
ロビンソンのブッキングにも関わったらしい点も含めAWAが新日本と提携する可能性もあったらしいだけに
>>450 全日を見に行ったら毎回6時過ぎに客と同じ入り口から外人が会場入りしていたわけだがw
あと新日を始めて見に行った時に会場に入ったらグレッグ・バレンタインがうろついてたのを覚えてるw
>>487 それだと、日本の試合会場に到着するまで3週間近くかかるだろ。
ヘイスタック・カルホーンはアメリカから船で一か月かけて来てたそうだが。
ハンセンが最強タッグ優勝戦の蔵前でブロディ、スヌーカのセコンドに付いた試合。
入場がブロディ、スヌーカ、冬木、ハンセンになってる。
空気を読め冬木!!



@YouTube;t=62s
欧州出身レスラーで米国が主戦場…ロビンソン、アンドレ、ホフマン
欧州スタイル…ガニア、ゴッチ
欧州ギミック…バロン・フォン・ラシク、キラー・カール・クラップ
だが、欧州出身で欧州が主戦場の代表格にローラン・ボックがいるよね。
記憶が定かでないが、ボックはラッシャーを寄せ付けなかった。あんな頼りないラッシャー見たことない。
もしかして木村さんとは手が合わなかっただけ?
あと、プロレス雑誌を読んでいたらたまにアンドレも欧州のリングで暴れていたようだよ
>>489 当たり前だけどアメリカは移民国家だから
そこに書かれてるような欧州ギミックってのは
ことさらそこに並べなくてもいいんじゃないかな?
あれは欧州ギミックっていうより
あくまで第二次大戦の敵性国家、悪の象徴としてのナチギミックなわけでして
イタリア移民やポーランド移民なんかのギミックにしても
国や欧州という地域や文化というよりあれはあくまで民族〜エスニックギミックなわけで
>たまにアンドレも欧州のリングで暴れていたようだよ
アンドレ本人が語っていたが、1つのテリトリーに長く留まっていると
飽きられて新鮮味が無くなってしまうらしい
だからアメリカに限らず各国のテリトリーを転々として
「世界を股に駆ける大巨人」というギミックで売り出していたとか
今日で第二戦となる全日本・大木道場との全軍激突戦から四十年
確か途中から割り込んだんだったか
>>488 冬木は87年の最強タッグ開幕戦の時も、
龍原砲の入場の際、天龍と原の間になって
歩いてきて、参加メンバーばりにカメラに映ってたな。
>>489 >欧州出身レスラーで米国が主戦場…ロビンソン、アンドレ、ホフマン
>欧州スタイル…ガニア、ゴッチ
ゴッチはロビンソンやアンドレと同じたろ。というか同様のキャリアの大先輩
逆にホフマンは米国を主戦場としたといえるか微妙
それから例えばサンマルチノだって欧州生まれで米国を主戦場にしたレスラー
プロレス入りしたのが欧州か、米国に移住してからかがロビンソンらと違うが
あと、ガニアの欧州スタイルというのもよくわからんw
伝道師ビリー・グラハム死去。と言うわけでスーパースター・ビリー・グラハム。
技らしい技はカナディアン・バックブリーカーしかなくて、体もガチガチに固そう
だったけど、カッコよかったなぁ。テーマ曲のおかげかなぁ。
ビリー・グラハムはレスリングというより、肉体美を見せる印象だったなあ。
あのロングタイツもかっこよかったわ。
短命ではあったが間違いなく横綱だったレスラーなんだよね>グラハム
ジェシー・ベンチェラ、ホーガン、オースチン・アイドル、ランディ・サベージはグラハムのフォロワーだからな
グラハム好きなやつ多いね
コロフとのタッグ、猪木にやられた卍、バックランドに負けて王座転落、坂口にリングアウト勝ち防衛、そして木村との金網戦は、いまだに鮮明に覚えてる 筋肉美、ロングタイツが似合う本当にカッコいいレスラーだった
>>502 >>504 そうそう、あのサイケデリックなロングタイツがものすごくカッコよかった。
これに対抗できるのはジプシー・ジョーの花柄ツーショルダーだけだな。
花柄それなりにジョーらしさは出てたとは思う
あとグラハムの禿げた頭もなんか凄くマッチして、見映えありだった
ステロイド摂取の為若くして車椅子生活を余儀なくしたのは、ファンとして悲しかったな
グラハムが最後に国際に来た1979年のシリーズ
外人サイドには葉巻をふかすキラー・ティム・ブルックスがいて、
大の嫌煙家のグラハムと一触即発になるのではと思われたが、
ブルックスが燻らし始めると、グラハムは控室をそっと出ていく
大人の対応をとったと、当時のゴング誌に記事が載っていた。
やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい(現在スレが荒されてますので、テンプレと87の連絡先さえ確認して頂ければokです)
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
http://2chb.net/r/bouhan/1516500769/1-87 >>507 グラハムってリングでは、悪役だが普段は温厚な人柄だったと雑誌に書かれていた ブルックスとのその話は、知らなかったがなんかグラハムって人が分かる
IWA王座、ロビンソンからグラハムへ本当に試合が行われてベルトが移動した
のかは定かではないらしいけど、ロビンソンはマイティに負けるのを嫌がりそうで、
グラハムはそれを飲みそうなイメージはあるよね。そんなことを考えるだけでも、
グラハムはロビンソンよりもプロだと思える。
>>510 しかし、グラハムはその時が
日本初来日で、日本での実績もないし
井上とは知らなかっただろ?
逆にロビンソンにしたら、それまでの
日本での人気がある。
井上などはロビンソンからすれば
小僧だっただろう。
負けるのは抵抗があるよな。
グラハムはインタビューでロビンソンをボロクソに言っていた
「奴は卑劣な男だった」「何の理由もなくワーカーを傷つけることがしばしばあった」とか
>>511 それを言ったらプロレスが成り立たないよな。
少し前のNWA王者ブリスコが鶴田UN戴冠のジョブやった。
ファンクスがインタータッグでキャリア2年位の弟子の鶴田にピン負け、AWA王者ガニアが鶴田とドロー、
ルー・テーズが猪木NWFの防衛戦でピン負けでバックドロップで投げられるボーナスまでやった。
ビリー・グラハムはヒールだったけど、人柄の良さが試合にもよく表れていて、
あくどさを全く感じなかった。
木村との金網戦でも殺伐とした雰囲気がなく、ストロング・スタイル通していた。
>>514 グラハムはヒールだけど凶器を使ったり、流血させたりじゃなく
喋りと態度で観客をヒートアップさせるからかなぁ。英語が良く
通じないから、日本での評価が低いのかもしんない(もちろん、
俺もわかってグラハムが何言ってるが分からなかったんだけど)。
マスカラスがドロップキック22連発で話題になったから
井上もサマーソルトドロップ22連発やったら話題になったかもな
>>516 > マスカラスがドロップキック22連発で話題になったから
竹内の創作で事実じゃないから
>>497 その試合YOU TUBEでいくら探しても見つからないんですよね。
そもそも欧州の試合は映像が撮られていないためか、動画での確認が難しい。
>>518 昔の週刊ファイトのボック特集とファイトが井上譲二体勢に変わった90年代に
過去の復刻記事を載せた時のスチール写真しかないんだな
>>518 ドイツの試合だから変なスペルになってるかもな。
写真だと確かボックがアンドレのバックと取って投げようとしてる写真だったな
アンドレは怒って試合後にカチコミかけたみたいだけど
ジプシージョーは国際の外人のイメージが強いが
何故か昭和全日スレでジョー話が盛り上がってるw
ジョーやカマタは国際の顔で有り全日の顔でも有ったな
ボックとアンドレ、ボックと猪木戦は、昔、ドイツでVHSで売ってたよ
それとオットーワンツのビデオも売ってたな
買おうとしたらPALとかなんとか、日本じゃ見れないからと言われて買うのやめた
>>523 スミルノフやブルックスは全日の顔にはなれなかったな。
ジョーやカマタは吉原社長や馬場に気に入られるくらいにリング外でも立ち回りが上手かったものね
スミルノフは何故かスキンヘッド辞めてたな。あと大物が一杯いて萎縮したかも。
>>527 あの中途半端に伸ばした髪型について、全日本参戦中ずっと黒歴史的に批判され続けた気がする。
パーマあてるとかだったらイメチェンの失敗で済むけど、あの髪型はやる気を失ったように見えたからね。
>>515 ロデイ・パイパーとか、テレビでの喋りが漫談みたいに面白いんだよ。
フレアー、ローデス、レイスもうまい。
考えてみるとラッシャーは日本で最初のマイクパフォマーレスラーだなぁ
国際は全日本といい関係だったのに欲かいて新日本とも絡み出して失敗したな
怒った馬場に縁切りされて新日本から派遣されるのはヤマハブラザースとかの二流でアンドレキッド小林は盗られるは阿修羅は噛ませ犬にされるは
全日本といい関係続けてたら箔がついたカマタを全日本のシリーズ終わった後にそのまま貸してもらったり阿修羅原を貸し出す形で本場のレジェンド達に揉まれて鍛えてもらえたかもしれない
わざとじゃなくてガチで「は」と「わ」の使い方を理解してなさそうなレス乙
>>512 ビル・ロビンソンのことはケン・パテラやリック・フレアーも貶してたし、
ピーター・メイビアやセーラー・ホワイトとはストリートファイトになるし、
イメージとは異なる嫌な奴だったのかなぁ。よく全日でシークとトラブルを
起こさなかったもんだな。
>>533 シークはリング降りたらいつもビシッとスーツ着込んだ紳士だから
プロレススーパースター列伝ではリング外でも汚い嫌な奴にされてるけどw
>>534 最強タッグで対戦した時、シークに合気道みたいな動きで、
二回続けて投げ倒されたロビンソンが異常にエキサイトして
いたシーンを思い出す。
>>535 オープンタッグのとき?
あのときはシークがレスリングで張り合ってきたから目から鱗だったよ。
>>536 試合開始前、ロビンソンがシークをおちょくってシークと一緒にアラーの神に祈ってたなw
ホースト・ホフマンは、ヨーロッパじゃ凶器使用や場外乱闘はないから、
こんな試合やれるかって感じだったな。
>>538 ホフマンはオープンタッグ以前にAWAでラシクと組んでヒールをやってたんだよ。
欧州路線の時も地方大会では正統派の選手に椅子攻撃やらせたり悪党ファイトを強要してた
>>505 井上はサイケ調のタイツは履かなかったな。
サイケ調でショートタイツの井上&浜口のワンショルダーはチームとして良かったかも。
つか花柄自体が元々70年代の西海岸文化のサイケ(フラワー)ムーブメントだからな
「乙」とか言っている奴に
言葉の使い方を指摘されてもなぁ。
いや、俺は531ではないけれど。
>>531 新日本と組んだメリットってのは結局何だったんだろうか
>>544 グラハム・上田・斉藤・アンドレらをブッキングしてくれて集客には役だったが、新日本の所属となると落ち目のストロングさんを筆頭に2軍クラスしか派遣してくれなかった。しかもその2軍クラスにいいように翻弄されたから結局はデメリットだった。
IWA世界タッグが完全にアジアタッグ並になったしな
>>539 ホフマンとラシクがリング外でも親友だと知って驚いたw
しかし実はプライベートでバロン・フォン・ラシクを悪く言う人いなかったらしいね。
そんなに良い人だとベビー側も楽に戦えていいだろうな
>>547 日本に来た時は巡業中に分厚い哲学書を読んでたとか
全盛期のラシクはシンの本拠地でも売れっ子でシンより集客能力があった
シンはそれを負い目に感じていて、全日マットで再開した時は気まずかったなんて噂も
隠れたシュートだよなあ
アメプロの奥深さよ(流智美風
>>545 グラハムは大剛がテネシーにいたときに声を掛けた。
ラシクはレスリングの世界選手権で銅メダルを獲得したり、東京五輪代表(怪我の為不参加)に選ばれた猛者
ラシクとかバションとか言われるまでアマレスの実力者だって気づかなかったよ
改めて見るとそれっぽい動きはしてるんだけど
アマレステクニックを封印して悪役に徹してたのはすごいな
ワイルドアンガスもアマレス出身だっけ?
アマレス出身者なのに言われないと分からんと言えば
アイアン・シークもそうだな
ラシクとデビッド・フォン・エリックがお互いの顔面にクローかけ合って
譲らなかった試合があったが、カニ同士がハサミで攻撃し合ってるみたいで
面白かった。
日本でのラシクとフリッツ・フォン・エリックのタッグは結局幻で終わったんだっけ!
>>558 81年最強タッグでラシク&クラップが実現したけど、このコンビは国際で実現してほしかった
クラップはオランダ人なのにドイツギミックで売ってたよね
ハワイ出身のカマタが日系を装うようなもんかな
ハンス・シュミットはフランス系で
カール・ゴッチはベルギー人だし
よくあること
カマタとラッシャーはアメリカで日系ヒールコンビ組んでた過去が有るから、人のいいラッシャーは元相方との流血試合やりにくかったんじゃないかな
カマタが全日本に移籍した時、流血に血袋を使おうとしたら馬場が
「ウチはもう血袋は使ってないから、カミソリで切って本物の血を
出してくれ」と言ったという逸話がある。
国際時代のカマタは、血袋を使ってたんだろうか?
リックフレアーの日本初来日は国際だったけど、流血用に額にカミソリで傷を付けたら血が止まらなくなって他の来日メンバーが大笑いしたとか言う話しが有る
とすれば事前にカミソリを使う派と血袋派と2つの流派が有ったんだろうな
そういえば、国際の日本人レスラーはみんな額の傷痕が凄かったな。
木村は勿論、寺西や井上も深い筋が入ってたし、浜口や原や鶴見も
無数の傷痕が残っていた。
あれは何でだ?
@ カットの仕方が下手で、カミソリで深切りしていた
A 流血試合の頻度が多かった
B 金網マッチでは、カミソリを使わずに支柱に額をぶつけて本当に流血していた
誰か分かる人、教えてください。
菅原なんかも平成になってからもまだ口内流血演出に血袋使ってたね
いや532とか569のバカさ加減を
見ると、泣きはしないが
呆れかえって涙がでて来るよ。
>>554 IWAワールドシリーズのロシモフ戦を見たかったなぁ。
初戦は引き分けで、延長戦で負けてるんだけど、どんな
内容だったのかなぁ。ラシクがアマレスのテクニックで
ロシモフを翻弄したって聞いたことがあるけど。
>>570 @ カットの仕方が下手で、カミソリで深切りしていた
A 流血試合の頻度が多かった
だな。
フレアー自伝「初流血戦が国際でのR木村との金網だった。阿部修レフェリーが切ったが、
髪の生え際を端から端まで切られて大流血して控室に帰ったらローデスとマードックに大笑いされた。
あまりにも凄かったので写真を撮った」
木村や井上の流血戦を見ても、かなり深く切ってて皮がベロンとなってた。
ありがとう。ミスター高橋やジョー樋口は、切り方が上手かったんだな。
>>575 ジャパンの時に長州の額を寺西のカットが深過ぎて大流血してしまい
試合後寺西をボコったらしいな
国際レスラーは伝統的にカットは下手だったんだなw
それは何の関係も無い。
マサよりちょっと遅れてプロレス入りした先輩に暴力振るえるのか?
新日出身は国際崩れをバカにしてるって言いたいだけか
長州が粋がってるだけだろ煽るな
>>577 国際の場合、セコンドがマット叩いて、選手を激励する振りしながらカッターの刃を渡してたよな
カット後の始末も、マット叩きながら、カッターを引き取る手口
金網デスマッチだと渡すのが面倒だから、試合前の場外乱闘でカットして、金網の中に押し込まれるパターンがあったよ
基本的に国際の選手は自分でカット派だよな
新日では、星野が名カットマンだったな
知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
E25A0
>>585 これは切り過ぎ
カットを他人任せにするのがヤバイ典型例
>>588 読解力無いのか。どうしょもねえな。
ボスであるマサと大して変わらないキャリアの寺西を殴れるのかって言ってんだよ。
>>589 通常の社会通念上は殴らないけど、長州は殴っちゃた
それだけの事に読解力とか関係あるの?
寧ろお前の方が同じこと繰り返してて変だわ
>>590 バリバリの体育会系の長州が本当に先輩に暴力を振るったのか?
その話自体が怪しいって言ってんだよ。
お前、脳の代わりにうんこが詰まってんじゃねーの?
>>577 寺西とカットとなると大阪で猪木にハサミで髪を切られたのを思い出す
>>591 つまってねーよ
何が「先輩殴っていいの?」だよ
「長州はバリバリの体育会系なのに本当に先輩を殴ったの?そうは思えないけど」くらい書けよ
テメーの伝え方の下手くそぶりを反省した上で「付き合ってくれてありがとうございます」くらい言えよ
>>594 目的がレッテル張りに変わっちゃったんだね
>>588はともかく
>>590以降はお前の言いがかりにしか見えんが
>>597 そういえば忘れたわ
調べるのも面倒臭い
じゃあな
トランスワールドレスリングアソシエーションか
トランスの意味がわからん
>>597 トランス・ワールド・レスリング・アソシエーション
>>599 超世界レスリング協会、みたいな感じなのかな
>>601>>602
解釈の違いがあれどだいたいそんな感じですかね
ありがとー
TBSの森Pが記者会見で「TWWAのTはTBSのT(笑)」って冗談交じりにコメント
って当時のプロレスかゴングで読んだ
>>136 いいよなぁ。
剛は偉そうやったって
目に浮かぶわ。
両手組んでそう。
>>606 確か番組名は最後までTWWAプロレス中継だったとか
略称は難しいね
NがNationalは常識、プロレスなのでWがWrestlingであるのは容易だとしても、Aは色々ある
Association、Agency、Allianceか確認しないとわからない Tなど絶対想像不可
>>609 NはNationsもある。
セッド・ジニアスのUnited Nations Wrestling(国連プロレス)
Gスピリッツ。
高杉、木村息子、マッハ。
これらの文献に
剛竜馬の悪評が飛び交う。
息子=偉そう
マッハ=生意気な態度
高杉=バカ、ええカッコしぃ。
確かにユニバーサルの写真
偉そう(笑)
前田との関係が知りたい。
高田はラッパふかされたみたい初めの頃。
山ちゃんは合宿所で剛に靴下が片方無いって
言いがかりを付けられて殴られる
>>610 国連プロレスは知りませんでした(笑) ウィキペディアで調べて初めてわかりました。
ナチス・ギミックがいかにも見映えがしそう。
NはNorth Americanもある。
WはWrestling, World, Wide,もある。
IWGPは直訳すると国際レスリング大賞。
IもInternational, Intercontinentalもある。
藤波がグラップラーから取ったPNW王座や原がツルノから取ったWWU王座ってのもあったね。
最初はふたつとも何の頭文字か判らなかった。
国際ってタイトルのハク付けがテキトーすぎる感があったよね
全日のPWFはロード・ブレアースを会長にしてNWA傘下をアピールしたタイトルだったし
新日のNWFはジョニー・パワーズの活動歴があって
一流〜一流半位のレスラーが巻いているタイトルだったが
それに比べると
国際IWA最後の箔はAWA復帰直前のガニアが巻いた事かな
ジョーに一度も獲らせなかったのも、箔付けの一環だったのかな。
スミルノフに取らせたのはスミルノフへの箔付けみたいだが
PWF巻いたカマタにもIWAは取らせなかったな
逆に言えばPWFをカマタに取らせた馬場は有る意味偉い
>>615 WWUってローラン・ボックがシングル王者だったベルトだよな。
国際はボック呼ぼうとは思わなかったのかな?
>>621 WWUって興行団体や認定団体自体が実態あったわけじゃないから
先に原戴冠ありきでWWUって名称でベルト作ってツルノを王者認定
新日のブッキングでツルノ来日→原ベルト奪取
その際、じゃあWWUのヘビー級王者って誰なんだ?って話になった時
前年(78年)猪木が欧州遠征して苦戦したボックが実は王者だったってことにした
もちろんこれはその直後の夏にボック自身が新日に初来日する予定だったことの
箔付けと前宣伝兼ねた新日による“仕掛け”
ポイントはボックだけでなく
実はこの時のツルノの国際へのWWUジュニア王者としての来日自体が
前年の欧州遠征時にツルノを見て高評価だった新日によるブッキングだったこと
つまり前年からの提携先を全日から新日に変えた一連の流れの一環であり
WWUという「仮想団体」はその徒花のようなもの
なので当然「“WWUヘビー級王者のボック”を国際が独自にブッキングして国際のリングに登場」
というのは現実にはあり得ない話だった
鶴見五郎が回顧録を書いてくれないかな。
何回かインタビュー的なものは読んだんだけど、なかなか興味深かった。
写真や日記をつけてる記録魔だし、プロレス界の常識人から見た国際プロレスの内情や
新日参戦の内幕、SWSの真相等々、貴重な証言になると思うけどなぁ。
>>616 吉原がプロレスのそういう部分がわからない残念な人だった。
>>624 国プロ初期にIWA世界タッグ王座を設定した時、フランスのプロモーターだった
ロジャー・デラポルトの元で王座決定トーナメントをを行い、豊登・小林組が
初代王者チームになったという設定は、いかにも国際的で斬新だった。
日本とヨーロッパを又にかけてできたスケールの大きいタイトルといった感じでね。
実際はパリで1試合だけやったか、トーナメント試合などなかったという説もあるが。
大日本みたいに独自路線に徹すればもう少し存続できたかも
>>626 >実際はパリで1試合だけやったか、トーナメント試合などなかったという説もあるが。
IWGP予選みたいなもんだな。米国も欧州も予選行われたかすら定かじゃないし、
アジアも最終結果が発表されずに、どういう方式だったのか不明のままだった。
当時は、外国での出来事をでっち上げるなんてわけなかったからね。
スレチになるけど、メキシコに観戦ツアーに行った時に、アトランティスが
みちのくで獲った東北ジュニアヘビー級のベルトを巻いて登場したのを
見た時は、少し感動したな。
>>623 Kaminogeの前後編のインタビューでも興味深かった。
浜田より前にメキシコに行ったけど自炊をしたので他のレスラーのように体調を
崩さなかったとかファイトマネーをすぐにドルに換金していたとか全日時代はギャラも
カードも扱いは凄く良くレスラー生活で最高だったが長州一派が来て過剰人員になった
扱いも悪くなったとかそれでSWSに自ら売り込んだので支度金が出なかったとかこれに
関しては「北原でさえ出たのに!」と悔しそうだった。
ザ・マミーを非難した長州対鶴見五郎はあったの
レスリング勝負でかみ合いそう
>>630 コイツ褒めたいねんけど
後半カスやん(笑)
>>620 当時の国際ファンの反応も気になる
確か同日は武道館でバックランドと猪木のダブル戦だったか
たしか木村&草津組って、IWAタッグに挑戦したことなかったよね?
オープンタッグに出場したり、大木&ドクのインタータッグに挑戦も
したコンビだから、一度くらいはIWAタイトルに挑んでほしかったな。
浜口&井上組が王者だった時、マッチメイクのチャンスだったのにね。
>>630 そうそう。五郎ちゃんは引き出しが多いから、話が面白いんだよな。
個人的に好きなエピソードは、五郎ちゃんが練習生の時、電車賃が
無くて困ってたら、ラッシャーさんが2万円呉れたって話だな。
気になるのは、国際プロレス崩壊時の新日参戦なんだよな。定説は対
抗戦の予定だったのが、マイティの新日嫌い等の影響で、三人だけに
なったってことなんだけど、実録・国際プロレスを読むと「新間に
一本釣りされた」「裏切り者がいる」みたいなことが書いてあって、
そのあたりの話が聞きたいなぁ。
>>635 本人がG-スピリッツの誌面で浜口の事だって明かしてたよ
今は浜口との間に何も含む所がないから言えるって
>>634 バション&コロフからIWAタッグを奪還したのが草津&木村
木村がシングルを取って、シングルに専念と言う名目でタッグは返上した
>>634 木村&草津は73年〜75年にIWA世界タッグ王者として11回も防衛してるよw
>>634 オープンタッグの決着戦という感じだったがやはりインタータッグには木村・草津でないとという感じなんだよな
実際の所 一本気なイメージのアニマルと傲慢な年下の長州のコンビネーションってどうだったんだろう?
>>636 浜口もインタビューで「何で選手が分かれたのか、その辺の事情は自分自身
分からない」って歯切れが悪いし、まあ何かあったんだろうな。もちろん、
皆、食うため必死だから誰が悪いとかじゃないんだけど、なんか浜口の一本気
そうなイメージと違うなって思う。
>>641 浜口は崩壊前は肝炎で長期欠場してたから現場にいなかったから分からないとも言ってた。
それはあると思う。
>>637 >>638 タッグ王者歴あったんだ。全然知らなくてすみません、ありがとうございます。
その後も組む機会多かったし、タイトル戦あっても良かったような気がしますね。
>>639 当時は全日見ているファンも「木村がいないと」ってイメージだったんだろうね。
>>643 実は馬場は井上を重要視していて鶴田とドローもやらせてる。
オープン選手権は井上は鶴田、デストロイヤー、マツダらと6点で大木、レイス、オコーナーは5点。
力動山13回忌は大木vsブッチャーを差し置いてWメインでマツダのNWA世界Jr.に挑戦。
全日10周年蔵前のメインは馬場&発電所vsシン&上田で3大タイトル戦は
NWAフレアーvs鶴田、インター・ドリーvsブロディ、IWAマスカラスvs井上。
>>644 そうは言っても、オープンタッグの井上の扱いとかヒドかったじゃん。
逆に言えば、あんな形ででも無理に井上を出場させようとしたかもしれないが。
>>645 予定してたチームが参加できなくなって員数あわせの苦肉の策だったとか?
>>645 タッグマッチの場合は、急造のチームなので連携が
できなかつたとか、対外的な説明・言い訳ができる
からじゃないかな。
>>645 高千穂が寝る方が多かったはず。
木村、井上組だと井上が寝ざるを得なくなるから草津にした馬場の配慮。
>>648 草津が寝たのは馬場相手とファンクス相手だけだよ?
欧州組には勝ったし、凶悪組とは両リン引き分けだし。
馬場も国際コンビの扱いには気を使っていたと思う。
馬場は、グラハムに勝ってシングルのベルトを巻いたり、ガニアと
引き分けた井上の(国際プロレスでの)実績を考慮したんだろうね。
でも、国際が崩壊して移籍してからは、中堅に位置づけた。むしろ
その方が分相応だったと言える。
>>650 冬木は井上~全日に移ってから国際が潰れてなければ将来お前に
ベルト巻かせる位までは上げてやれたかもしれないけどこれからは
自分の事で精一杯だから面倒見れなくて悪いなって言われたんだって
>>651 なんとなく意味は理解できたが、句読点を入れた方が読みやすいと思うぞ。
冬木が邪道外道を可愛がってたのがよく分かるよ・・・
>>628 ちょっと話は外れるがIWGPは最初メキシコのUWAはちゃんと中南米予選やったらしい(カネックとベラ)
ただ第二回だったか"グアテマラの英雄"ホセ・アサリってレスラーが中南米代表になったと
雑誌等に載ったがうやむやで放置、結局未来日のまま終わる
>>654 マスカラスやラシクが控室や移動の乗り物の中で物静かに歴史書や哲学書を読みふけって
いたのと同じで、冬木も根は思慮深くて結構インテリだったんだろね。暗いのとはちょっと違うと思うわ。
>>656 冬木は中卒(高卒になってる資料もあるが1ヶ月程しか通ってない)で未成年の頃から雀荘に出入りしていた
特にスポーツはしてないけど、プヲタで無職の雀荘通いの喫煙者だった
インテリとはほど遠い人
>>656 マスカラス、ラシクは歴史書や哲学書を読みふけ、
木村は控室で新弟子の冬木を横に座らせて動物図鑑を読みふける。
国際の年間興行数って、100いくかいかなかったぐらいだったんだよね。
全日本や新日本が170〜180やってた時代だったから、そこでまず負けていた。
井上王者時代のタッグマッチだが、
ラッシャー木村、マイティ井上vsダニーリンチ、ブッチャーリンチと出てるから
IWA王者井上よりも木村がチームリーダーで後にコールされたということか?



@YouTube 吉原社長はアイディアマンだったらしいが、どうして経営についても
アイディアマン的な発想が無かったのだろう?
例えばヨーロッパ路線とAWAの両立が、対日プロの武器だったのに、
何時の間にかAWAだけになってしまった。これは、間違った結論だと思う。
>>661 ガニアがブッキングの独占を望んだのと、
当時欧州から日本への航空運賃が、米国からに較べて3倍近く高かった
ガニアのブッキングが高くても、欧州からの航空運賃の方が高くて二社選択でガニアを選ぶしか無かった
ロビンソンが英国から来日していた時に較べて、AWAから来日した時の方がギャラは上がったが、航空運賃等を合わせると国際の支払いは余り代わらなかった
>>661,
>>662 提供相手がどうなろうと、自分らが儲かればそれで良しと考え、吉原のケツの毛を平気で
むしり取るガニアと提供せずに、ヨーロッパの選手を数人航空運賃節約するために一時の
ロビンソンみたいに半年近く日本に長期滞在させて巡業に参加させれば良かったと思う。
そうすれば、半年で丁度日本列島を北から南までだいたい3シリーズで一巡して、二巡目に
入る前にヨーロッパ勢を総入れ替えして、マンネリも防げた。
それより国際プロレスの金網デスマッチベスト10を決めようよ
オレは大位山とジプシージョーと、木村がタイトル奪還したスーパーアサシン戦に一票づつ
中継されてない試合多過ぎて碌に知り様無いわ
後追いで資料や記事でみただけなのに幻想抱いてもしょうがないし
>>666 普通に国際のベストマッチ10を決めようぜ。
IWA世界戦・木村vs井上の3試合
IWA世界戦・小林vs木村
IWA,AWAダブルタイトル戦・井上vsガニア
IWAワールドシリーズ蔵前の井上(両者KO)ジョー
IWAタッグ戦・草津&浜口vsクイン&ヘス 浜口初戴冠
IWAタッグ戦・井上&浜口vs健吾&永源
ゴッチvsアンドレ
ゴッチvsロビンソン
井上vsアンドレ
テーズvs草津
>>668 日本リーグ争覇戦の準々決勝、鶴田対井上は絶対に外せないベストマッチだと思う。
中継は日テレで会場は蔵前国技館だが、れっきとした国際プロレスのリングだし。
寺西勇対リック・マーテル
小林対ローデス
シャチ横内対草津
は外せない
蔵前のガニアvsロビンソンのセミは井上vsニックのノンタイトル戦だったがタイトルマッチにして
ダブルメインで集客を図ろうとは思わなかったのだろうか。
>>669 中継は日テレと東京12chともにだよ。
日テレが土曜20時枠で生中継で先に放送。
東京12chは翌週月曜日に国際プロレスアワーで録画放送し、
番組内で蔵前国技館の控室に草津、木村らが
井上vs鶴田のモニターを見ながら解説していた。
確かカウント3が早すぎるといちゃもんつけていた。
>>671 井上がニックに勝つってねえ。ほとんどフォール負けのないニックに。
>>673 当時のニックはAWAタッグ王者スティーブンスのパートナーで健吾ポジョンだった。
>>673 後年の渕vs蝶野だって渕に勝たせるわけがないのに無理矢理盛り上げただろ
興行なんだから開き直ったハッタリも必要じゃないかな
>>674 健吾ポジはあんまりじゃないか。
ニック、スチーブンス組とは言われていたがその逆はなかったんだし。
北米タッグ王者の坂口小林で坂口の方、くらいで。
ニックはNWAタッグリーグでクインと組んで準優勝なったし、それ程格下ってイメージ無かった
ニックは日本プロレス参加時も猪木相手にも反則負けとか、フォール負けの少ない選手だった。タッグで馬場から決勝フォール取ったこともあるし。ノンタイトルで井上に負けるのはちょっと納得いかんかったなあ。
そう言われれば、鶴田以外にフォール取られたっての記憶にないわ。
週プロで鶴田がAWA取った時「ほとんどフォール負けのないニックからのピンフォール勝利だけに価値がある!」と書かれたんだよね。
その時ふと井上の顔が
フレアーと同じで綱渡り防衛スタイル。
86年に高野俊二がAWAに遠征してニックに何度も挑戦してフォールしてるが判定が覆えってる。
鶴田との試合は普段と全然違ったよな
ニックがグラウンドで攻め立てて、猪木みたいだったよ
>>682 防衛戦での戦い方と、しがらみなく自由に戦える時の違いだな。
フレアーが新日参戦時も防衛戦でないと攻めがあって面白かった。
>>682 いつもの試合が多かったけど、鶴田がAWAとる試合とリターンマッチは鶴田の底を確かめるような試合だったな
ニックは70年の猪木戦で、3本勝負の1本目を11秒で取ってる。
鶴田戦はニック本来の攻撃性を存分に発揮した試合なんだろうね
いつものように反則防衛をする場合は相手が強く見えるようナマクラにみせる
相手のホームでベルト落とすときは自分から攻め込んで一進一退の良い試合にみせる
どちらも試合作ってるのはニックの側ってことだな
健吾はヘタレのイメージだかJr.時代の藤波戦を見ると攻め中心でバックドロップはルー・テーズそっくり。
みんな、その時、その時で使い分けるんだな。
>>687 ユーチュブで見てきた、なかなかのバックドロップですな
あと、放送席を直撃した藤波のドラゴンロケットで、解説の桜井さんの眼鏡が飛んでたw
チャンピオン時代のニックはダーティチャンプで大嫌いだったんだけど、ベルト失ってからは見事なテクニシャン振りを発揮してくれて一気に好きになったなあ。
ニックは80年のロビンソン戦も凄かったよなあ。あのロビンソンが終盤ニックに完全に追い込まれてた。チャンピオンの時には木村にやられ放題だった男がだよ
>>678 >日本プロレス参加時も猪木相手にも反則負けとか
10.21仙台で行われた3本勝負、1−1から
Jクイン乱入で反則負け、これテレビ中継があったので
有名だが、そのまえ10.4本渡で行われた30本一本は
猪木(コブラ、14:43)二ックで勝っている。
ちなみに、このNWAタッグリーグで馬場対二ックは
行われていない。
やれば、100%馬場の価値だったろうが。
アメリカの関節技は絶滅したと思ってたから鶴田を攻めるニックにビックリした
80年代のAWAのビデオをネットでいろいろ見たけどレスリングの攻防があって
妙に新日本的なんだよな
>692
ニックが王者だった頃のAWAは科学的レスリングと書かれていた。
テーズからのNWAに似た感じのスタイルではあった。
ニックもNWAチャンピオンの候補だったそうだが、当時はドリーという王者に
ピッタリの対抗馬がいてなれなかった。
二ックは、テーズの’63〜’66王者時代の
次期NWA王者候補だった。
その時、争ったのがGキニスキー。
もう晩年のテーズの後は、キ二スキーの
ようにガンガン行くタイプが選ばれたんだろうな。
そしてドリーの後は、ブリスコというのは
もう規定路線だった。
若禿のドリーと金髪のニックで
ドリーにしておけ、となるのは当時のNWAもわからんよなあ。
>>696 シニアが当時NWAの有力プロモーターでアマリロもまだ優良テリトリーだったから
ニックって人は二世レスラーだけど基本職人肌の叩き上げで
AWAでもガニアに再三誘われたにもかかわらず
ランザのように出資して経営に参画したりしなかったから
リングを離れた団体内での序列的には最後まであくまでいちレスラーでしかなかった
もちろんレスラー間では人気実力人格と皆の尊敬を集める「いちレスラー」であったわけだが
>>655 もっと教えてくれよ。
パクチューの事とか。
>>666 >>668 マジで何歳ですか?
俺は40で天龍革命
三銃士、四天王、UWF、ライガーとか見てて国際とかは書籍だけだったんやけど、
今寝る時にYouTubeで国際プロレスの試合やチャボ・ゲレロとマイティとかの緩い試合が好きで見てる。
ただ国際の試合などは
今の視点で見てしまって
「そこはそうなるのわかるけど、嘘でもそこはこうしておこうよ!」的なツッコミも多い。
むしろ「見たいのに見られない国際プロレスマッチ」を挙げたいね。
テーズ対草津 テーズ対豊登 ホッジ対テーズ
ロビンソン対ゴーディエンコ ロビンソン対豊登
ロビンソン対メイビア ゴッチ対ロシモフ
ジョナサン対ロシモフ
>>699 力道山と同じ1924年(大正13年)生まれの94歳
>>700 ビッグ・ジョン・クイン、クルト・フォン・ヘス対ジプシー・ジョー、マッドドッグ・バション
ザ・サモアンズ対ケリー・ツインズ
ザ・サモアンズ対ザ・コンバッツ
ジ・エンフォサー、オックス・ベーカー対アレックス・スミルノフ、モンゴリアン・ストンパー
キューバンアサシン1号、2号対スコーピオンズ
ジャック・クレイボーン、稲妻二郎対ヤーン‣ヘルマルソン、黒潮太郎
40代後半で初観戦は小学の時に父親と行った国際の文体
アニメのタイガーマスクでプロレス好きになったのと、父親が東スポとゴングを買ってたからそれを見ていた
後年なんで国際に連れてってくれたか聞いたら、新日全日よりも安かったからだそう
このシリーズに出てた韓国人レスラー逹って大木金太郎の一党なのかな?
マイティ井上vs寺西勇。
45分3本勝負でフルタイムも10分延長、それでも決着がつかず、10分の再延長で
7分7秒に井上がジャックナイフで寺西を丸め込んだ。62分7秒
IWAミッド・ヘビー王者時代の寺西勇対ダニー・ホッジは見たかったなあ。
木村、井上vsリンチ兄弟。IWA王者井上より木村がチームリーダー。
1本目、ダニー(ボディスラム1発でフォール)IWA世界王者マイティ井上
世界王者をボディスラム1発で負けさせる草津のバカ!!
3:40



@YouTube;t=650s
木村の息子がソルボンヌ大学卒業と聞いて
失礼ながら「何で木村の息子が…」と長い間疑問だったけど
Gスピで実子ではなく妻の連れ子だったとわかって納得できた。
>>710 前田が木村が亡くなった時に養子を立派な大学に入れてってコメントしてたな
>>710 オレも1987年頃、木村の息子がソルボンヌ大学に行ってたというのを知って、
木村はそんなに若いうちから子持ちだったのか? それに木村とフランスとの
接点がどうにも見出せず、長く疑問だった。
長男はハーバード大学卒業してIBMだっけ?
最強タッグで義兄弟コンビを結成した時に、週プロで馬場と木村の
対談記事を掲載して、その中で木村が語っていたような気がする。
ちなみに、次男はせっかく外国の大学出したのに、勤めを辞めて日本食
レストランを開業したので、母ちゃん(=木村の奥さん)が怒った、
と語っていた記憶がある。
寺西と稲妻二郎のIWAミッドヘビー戦って見れるのかな? えらい乱戦で寺西が
木箱かなんかで稲妻の頭を思いっきりぶっ叩いてる試合。。w
もう冬木が死んで19日で15年経つのか。早いなあ。
>>713 そういえば、木村が新日参戦中に一時アメリカ遠征に行ったことがあったが
あれはアメリカ在住の息子に会えるようにという
新日の粋な計らいだったと聞いたことがある。
それにしても木村が連日のようにリング上で血を流しながら
一生懸命息子の学費を稼いでいたというのを知ると
何だか胸が熱くなるな。
YouTubeで国際の試合、アップしてくれてるの有り難い。
新日は著作権侵害で削除依頼してるみたいだけど、
さすがに国際は無いわな。
>>717 でもTBSかテレ東が著作権持ってるはずだから、アップされたらダウンロード保存したほうが良いのでは?
>>713 長男はハーバードだったのか。
言い方は悪いが、そんな優秀だろう子たちを持つ母親がよくプロレスラーと再婚
したもんだね。これも木村の人柄か。
木村がイカ天の審査員やってた頃、バラエティー番組に夫人も出てきたけど、
体格の良い普通のオバチャンだったけどな。
若い頃は東映ニューフェースで、フランスでアパレル勤めをしていた才女だった
とは、失礼ながら夢にも思わなかった。
子供の頃3か月だけ東京にいた
日プロは8時からだから見せてもらえず
国プロは確か7時からで隠れて見てた
ビルロビンソン・・・猪木より強いんじゃね?
モンスターロシモフ・・・馬場より強いんじゃな?
最後に見た回のラストで「ストロング小林凱旋帰国決定!」カッコいいかも!
数年後、3人とも新日本の中継で再会しましたw
TBS放送晩年の頃に技のオンパレード集とやらで大量の試合フィルムを台無しにしたのがな。その中にはロビンソンのパーフェストな人間風車が大量に含まれていた
流智美がベーマガの日本プロレス事件史に描いてたけど
コネでTBSのライブラリを調べさせて貰ったけど何も出てこなかったとか
テレビ東京は本社を移転させた時に、プロレスとボクシングのテープを大量に紛失したと聞いた
テープの保管はコネ入社の仕事出来ない奴に任せたら、この有様
ボクシングの世界戦をなくした責任は大きい
紛失ってのは体のいい言葉だな、どさくさ紛れに廃棄したに決まってる。
運ぶのが面倒くさくなって産廃業者のバケットに放り込んだんだろう。
ボクシングの世界戦はソフト化しようとしたらなくなってた
小熊とか、ロイヤル小林とか
アリとフレイジャー戦まで紛失されてスポーツ局は絶句してたよ
NHKの昔のジュブナイルSFドラマなんかもそうだけど
昔のテレビ局はフィルム管理が杜撰だよね
昔はテープが高価でテープに上書き録画してしまってるのも多い
それと昔の馬鹿デカいテープだから全てを保管する倉庫の確保も容易では無かった
フィルムで撮った番組は上書きできないのが幸いしてちゃんと残ってるんだよ
VTRで撮った番組が上書きされて消されている
大河ドラマやプリンプリン物語みたいな人形劇すら残ってなくて
一般人が撮ったビデオを提供してもらっている位だから
今になって思えば、全国放送のなかった国際の試合映像は貴重だったなあ。
廃棄や行方不明になってなかったら、DVDにしてかなり儲けることできただろうに。
>>720 なるほどね。
これで木村と息子のソルボンヌ大学通いとフランスとの接点が見えてきたわ。
テレ東は国際のVTR紛失じゃなく、廃棄したと国際の解説やってた人が言ってたけど。
>>720 体格の良い普通のオバチャンだったけどな。
木村が国際時代の頃、プロレス誌のインタビューで女性の好みのタイプを聞かれて、
「京塚昌子のような女性」って答えていたけど、奥さんがまさにそんな感じだったんだね。
ここ数日、国際の試合の動画が続けてあがってるな。。消されんうちに保存しようw
ホセアローヨをもう一度見たいんだけどUPされないかなあ
金網デスマッチのフォール後10カウントじゃなくて、フォール後30秒経ってから10カウントの43秒KOの試合が見たい。
>>734 おっホセアローヨかよ! ルーテーズ杯争奪戦で、スウィータンに攻められたが、逆転でフォール勝ちした試合は、忘れてないよ
小柄で確か青いタイツ履いていたんじゃなかったかな
>>736 そう、小柄な印象だけど資料見ると191pになってるんだよ
実際はわからないけどね
スウィータン戦、記憶では担ぎ上げられたところをロープをつかんで
浴びせ倒して逆転フォールだったと思うんだけど、どうだったんだろ
もう一度見たいなあ
>>735 >金網デスマッチのフォール後10カウントじゃなくて、フォール後30秒経ってから10カウントの43秒KOの試合が見たい
テレビでは、フォール→場内アナウンスで30秒経過の声→レフェリー10カウントが多かった。たぶん、編集の関係
なんだろうけれど。とにかくラッシャーの鬼気迫る戦い=金網デスマッチという感じがテレビから感じられた。
国際創立から前半〜半ばの外人って、怪我の功名というべきか、欧州そしてAWAに活路を見出したおかげで
日プロのNWA(アメリカ)偏重のルートでは決して見ることのできない顔ぶれが揃えられた。
欧州勢はロビンソン、ゴーディエンコ、ビリージョイス、アローヨ、極めつけのロシモフ、
AWAはガニアを筆頭にワフー、ローデス、ラシク、マリガン、バスチェン・・。
他にも、ギミックじゃなく本物の中東チームエルマンソー兄弟、南アのジャンウィルキンス、ウイリアムホールと、
まさに「国際」色豊かなメンツが時代を飾った。。
ブル・クラ、マードック、イワン・コロフといった日プロ来日の大物もいたしなあ。かなり豪華ですね。
欧州勢といえば、ダニー・リンチとかAWAではバションも忘れられない。あとフレアー・マーテルのような原石もいたしなあ。
YouTubeの友美プロレスという人、
国際プロレスの映像、市販のDVDにも入って無い映像も含まれているような気がするし、
映像も40年ぐらいの前の映像にしては綺麗に感じる。
プロレス関係に携わってた人かな?
友美ですか。
→トモミ→智美→という流れなのかな。
>>742 すべてクエストから出たDVDの違法アップロード
あまり話題にするなよ
新人時代から晩年のアンドレ画像
>>741 マッドドック・バションも
日プロが初来日(昭和43年)
でも、馬場や猪木とは合わなかったんだな。
>>749-750 バションは日本で売り出すには小さ過ぎるからね
特に当時の全日だと下手したら観客の目にはガタイの大きい馬場鶴田の方が悪玉っぽく見えてしまいかねないし
>>751 バションはアメリカ・カナダの一般人男性よりも背が低いから、馬場の持論である
「ヘビー級の大男同志の戦い」には向いてないから全日で一回も呼ばなかった。
新日もおそらくそういう考えで呼ばなかったんだろ。そこを国際が拾った感じがする。
体の厚みもあるのかな、でもコロフも呼んでいない(平成になったから来たけど)。
参戦回数は少ないけどブルクラ、スティーブンス、モラレスは別格?
>>754 モラレスは馬場の親友だったからね。スチーブンスはこれまた馬場の親友のニックの伝手で
全日に来てた。ブルクラはタッグで名を売ってたからそのネームバリューで得してた感じ。
>>719 それはそうだよ。
木村の人生そのものがすごいドラマチックやん。
>>741 バションは米国ではセミクラスのコックスをエースにした日プロに不満爆発させて、日プロからお呼びがかからなくなったんだよ。
イカ天審査員だったラッシャーのコメントは
頭の回転の速さあった
>>757 バションは昭和43年、日プロ、秋のダイヤモンドシリーズに
初来日、AWAやモントリオールでは世界王者になったのだから
馬場のインターにも挑戦してもオカシクないが
緒戦で、ノンタイトルで馬場と戦い、メチャクチャに暴れて
反則負け。日プロの首脳が「こんな奴と馬場をタイトルマッチで
闘わせるわけにはイカナイ」と判断したと聞く。
あと、体格的に見劣りする、そんな小さい選手に馬場が苦戦する
ところも見せられないし。
とにかく、バションはケンカをやらせたら、ブルーザーと同様、
横綱級だったらしいからね。
馬場は自著においてバションについて、小粒だがあきれるほどタフであり、基本がしっかりとしていて文句なく超一流のレスラーだったなどと記している[28]。
ブルクラが国プロ初参加したのは、
AWA経由で参加とはなっているが、
これまで常連の日プロが崩壊寸前で
とても呼べる状態ではなかったので、
国プロとしてはこの機を逃す手はなかった。
実質ブルクラがAWAテリトリーで活動していても、
それまでは日プロに参加していたわけだし。
>>759 体格的に見劣りする、そんな小さい選手に馬場が苦戦する
ところも見せられないし。
馬場は性格的にケンカができないから、小柄でもバションみたいな一線を越えた
ケンカファイトで向かってくる選手はかなり苦手なんだろね。馬場とバションなら
大人と子供のケンカで、そんなバションに馬場がやられっぱなしだったら馬場の
観客動員力が落ちて営業にも響くから、日プロ幹部の判断は正しかったと思うわ。
>>755 馬場にドロップキックを手ほどきしたのはモラレスと言われるね。
>>762 70年以降日プロに行ったAWA圏の主要レスラーはデストロイヤーだけじゃないかな
ガニアから国際行きの指令があったが断って日プロに来た、と男気エピソード的な記事を見た記憶がある
レイスの自叙伝に書いてあったけど、レイスもAWAに居た時にガニアから国際へのブッキングの話があったけど断ったと書いてた
>>765,
>>766 ギャラの面もあったんだろなあ。国際に行ったところで、
日プロや全日を上回るとは思えない。
馬場は小柄なデストロイヤーとは手があったけどね。
バションも小柄な実力者って意味ではデストに似てるが。
>>765 デストロイヤーがドクターXの名で
AWA圏でファイトした(一時AWA王者)のは
68年の一時期では?
その時は、国際はAWAと提携していなかったし。
デストロイヤーは71年に日プロに来襲した時、
ハワイあたりで試合をしていたと思うよ。
まぁ、彼は渡り鳥レスラーだよ。
>70年以降日プロに行ったAWA圏の主要レスラー
主要レスラーかとうどうかは微妙だが
71年夏に、一応元AWA王者のイゴール・ボディックが
来襲しているな。全くの一杯食わせ物だったが。
769だが、確かにデストロイヤーは
70年以降、またAWA圏でファイトしていたな。(^^:
そこで72年頃、ガニアから国際行きの話があっただろうな。
行ったら、S小林のIWA挑戦、草津との4の字対決か!?
もしかしたら木村と金網戦。
むしろ、M井上と良い試合をしたかも知れないが、
でも、やはり選んだのはG・馬場のいるリングということだな。
デストロイヤーはガニアについて「ワガママな奴だった」と良く言ってないね
まあガニアを良く言うレスラーは外人でも少ないが
>>771 AWAからWWFに転出して大成功したホーガンにやっかみ、アイアンシークに
試合でホーガンの足を骨折させたら高額報酬払うからと買収工作したくらいの
性根の悪さがガニア。晩年は自己破産してるから罰が当たったんだろ。行った
先の老人ホームではスリーパーで入居者を殺人か殺人未遂にしてる。
>>772 老人ホームの件はスリーパーでなくボディスラムで床に叩き付けて死亡事故だったと思う
まあどっちにしても既にアルツ状態でカッとなってってことらしいけどw
ホーガンの件はその件も酷いけど
その話自体はなんかプロレス的な悪のロマン(虎の穴の報復的)風なモノも少し感じさせるけどw
個人的にそれより酷いなと思うのはホーガンをAWAに縛り付けるため
自分の不細工な娘を無理やり押し付けようとしたって話
イイ歳して自分の娘の友達とやっちゃうようなホーガンが
まだ若い頃に手を出さずにとっととWWFに逃げ出したってどんだけ不細工でイヤだったんだろうってw
>>773 結局その娘はラリー・ズビスコに嫁がせ、ズビスコがAWA王者に。
もしホーガンがガニアの娘と結婚したら子供は男だったら将来的にさあ、
父親はもちろん、母方の祖父もだし。何の話かはまあww
ガニアの娘の写真、ゴングかプロレスで見た記憶ある
不細工ではないけど垢抜けない田舎娘って感じだった
>>775 ホーガンのアレは遺伝なの?ステの副作用で真っ先に言われる事だから懐疑的に見ちゃうな。
大谷はお父さん見た時「ああ、遺伝だ!」と分かったw
まだ前頭部に髪の毛有りし頃のガニア
>>777 ホーレス・ボウダー見ると遺伝というか家系なんだろうなって思う。
ホーガンの結婚式には猪木も出席しててワールドプロレスリングでも流れたな
>>780 ボウダーはホーガンの母親がおばあちゃんなんだよな
グラジエーターは従兄弟だけどホーガンの家系とは血の繋がりはないんだよな
YouTubeにアンドレのフランス時代の試合が上がってるけど、器用貧乏な感じの試合ぶり
相手に合わせすぎて怪物感が無い
今日は全日本との対抗戦の日
屈辱のアジアタッグとのダブル戦とはいえ草津と井上が蔵前のメインを張れたという意味は大きい
その意味では後の新日本での変則マッチでの浜口と寺西も思い出す
ガニアは同じスリーパーホールドの使い手のマークルーインと
ガニアと似たような禿げ具合いのキラーカールコックスはAWAに呼ばなかった
ある団体に呼ばれた選手は、
そこのトップレスラーの得意技は
封印するというのが仁義だからな。
猪木が日プロでコブラを切り札にしてから
Wスナイダー、デストロイヤー、Jバレンタインといった
コブラの名手が日本では、使わなくなった。
ブラジルは、日プロで、大木がいるのに
ヘッドバッドを使ったが、そりゃ仕方がない。
アンドレ、フランス時代はハンサムだったんだろうな…
あの顔立ちからしたら悪くはなかったと思う
>>776
ゴングがまだ月刊誌の時に、ガニアの家庭訪問でガニア夫婦、娘とグレッグが
4人で居間でトランプやってる写真が載ってたね。娘は美人と言えば美人だった。
>>791 ゴングが週刊になったのは国際プロレスが潰れた後だぞ
このスレに来ている時点で年寄りに決まってるのに何言ってんだ
バカじゃないの
>>791 1980年頃の「月刊ゴング」を
12〜3歳の時に見たとすれば
60歳代は確定しないだろ?
俺は790ではないし、
まぁどうでもいいが、
ガニア一家訪問グラビアは、別冊ゴングに出てた気がする
昭和49年頃だろ
もうとっくに捨てたから、うる覚えだが
79年デビリッシュファイトSでガニアが来たときに当時タッグチャンピオンのパートナーだった
バションも一緒に来日していたらグッと豪華なものになっただろうな。ほぼ常連だったバション、
77年Wシリーズ以降、ついに崩壊まで顔を見せなかったのは残念しきり。。
>>795 その頃だったね。丁度NWA、AWA、WWWFが世界3大プロレス組織と謳われ、
王者はブリスコ、ガニア、サンマルチノの時代だったかな。ガニアとしては一番良い
時代だったんだろね。当時はミネソタ州で5本の指に入る大金持ちで、時の大統領の
カーターも一目置いていた。
>>795 いい年して日本語もわからないのか「うろ覚え」だ
>>795 そんな年寄りなのに「うる覚え」とか平気で書けるんだ
頭の悪い老人って救いようがなくね?
>>801 お前みたいな馬鹿の一つ覚えってのもあるしな
>>798 ヤス・フジイは健在だったのか。
田中忠治や全日の伊藤正男のように(モントリオールでトラック運転手してるという
情報もあるが)、生死不明の元レスラーもいるが。
フジイはあのまま国際に残って、タッパはあるからも少し筋肉付けたら草津に匹敵する
看板レスラーになると思ったんだがなあ。
ヤス・フジイが健在なのは嬉しいが、フィリピンでプロレス団体を作った大磯武の消息も知りたい。
「昔俺が担任してた生徒に藤井って奴が居てな。
体はデカいけど気の弱いおとなしい男やった。
そいつが今ヤス・フジイと名乗ってプロレスラーやっとる。
人生ってわからんもんやで」
中学生の時の教師がこんなこと言ってたわ(1980年頃)
フジイは上田のパートナーとして来日して、国際のリングはそれっきりだったな。
むしろ新日のリングに上がっていた時期の方が長かった、素顔じゃないが。
フジイはアメリカで活躍後、「国際なんて倒産すればいいんだよ。」と暴言吐いてたからなあ。
この人も新人の時に草津や大剛あたりからかなりいびられた口なんだろ。
同期のマイティ井上にボロクソ言われてたな、その後レスラーとして活動していたから
練習がキツくて辞めたんじゃなくてイジメなのは間違いないんだろうけど
イジメられてない井上にしてみれば知ったこっちゃないか
フジイはコウモリ陰口を言うタイプで、「誰それが〇〇さんの事こんな風に言ってました」や「〇〇さんに言われたからやっただけ」等々
一番は口は達者で身体はデカいのに練習に付いていけないかったからでしょ
マティ鈴木も、フジイは産まれてからスポーツを一切やってなかったのでは?って位身体能力が無かったって位だし
IWAタッグ挑戦の試合も因縁の井上にギブアップ負けだから、もう呼ぶ気なかったんだろう。
どう見ても揉めて辞めたっぽいが
そんなフジイでも呼ぶほど当時の国際は駒が不足していたんだろうな
>>811 そんなフジイも、ロスではチャボ・ゲレロとのシングルメーンで数週間オリンピック
オーデトリアムを満員にしたっていうからなあ。わからんもんだね。
入門した日本の団体で続かなくて、海外でそこそこの実績を残した点は、
ポーゴと被るな。
平田は、マシーンズ時代の藤井を「あまり動かなかったけど、試合運びが
巧くて、色々なアイディアを出してくれた」と評価していた。
国際に逆上陸したシリーズの会場で、吉原社長とスミルノフと藤井の3人が
立ち話をしている写真が雑誌に掲載されていた覚えがある。
そこにわだかまりの様子は感じられながった。藤井が何を語ったのかは
分からないけど、吉原社長の事は悪く言わなかったと予想する。
>>815 ・体格が大きいが気が弱い
・小鉄とソリが合わなかった
・藤原が「(ポーゴは)「プロレスが上手いなあ」と思った」と評していた
共通項があるな
ストロングスタイルとか、努力の賜物、練習の虫といったものからはまるで正反対のベクトル、
いわば天才肌、センス先行に近い感覚でプロレスやってると小鉄みたいな連中はいぶかしげに思うんだろるな。
フジイの1979年の帰国時はそれなりに前宣伝されたので
上田のような日本人ヒールとして押していくのかと思ったが
テレビ初登場が同期の井上戦であっさりフォール負け
その後もパッとせず、これが最後の国際登場になってしまった
当時まだ30歳だったが、翌年くらいからアメリカでの試合は減っていき
西ドイツなどに遠征していたが、83年頃にはセミリタイア
そこに新日からまさかの形でオファーか
>819
小鉄みたいに70キロ未満で力道山から何回も入門断られた小柄なプロ志願者は、
もう身長は伸びないからウエイト・トレでからだにできるだけ厚みを持たせる
しかないから、必然と練習の虫になっちゃうね。
元々がタッパのあるフジイや体重のあったポーゴとは、考え方が全く合わない。
>>797 ガニアの年が圧倒的に上なんだよな
それもまたニックへの禅譲の一因かもだが
>>813 外人レスラー呼ぶより、
上田、フジイの日本人を外人サイドで
使った方が経済的だしね。
>>823 でもその二人が参加したシリーズはストンパー・スミルノフ・ジョーにガニアもシリーズ途中に特別
参加で結構なお金掛かってるな。
>>824 ガニアが急遽参加になったせいで、残りのIWAシングル挑戦権が1つになり、
ストンパーとスミルノフが対立するってギミックだったんだよね。
しかもその挑戦権を、6人タッグの勝敗で決めるというわけのわからない展開。
ストンパーが挑戦した試合では、スミルノフが乱入して木村を助けることに。
セミ ジェフ・ポーツ(エアプレンスピン→フォール)井上
メイン IWA世界戦・木村vs初来日のカマタ
試合前に今セミで負けた井上がリングインして勝者に挑戦宣言。
こらぁ草津!!
草津はなんで自分がIWA王者にならなかったんだろか?
引退後のインタビューでは「やる気がなかった」と言ってたが、
やられ役は小林、井上、木村にやらせて、自分は楽したかった気がする。
草津のようなどちらかというと天才肌タイプだと、形にはめられるより伸び伸びと
自分なりのポジションでいたいのかも。マードックなんかと似た感じ。
>>821 江本孟紀が「練習の虫とか言われていた選手は
一軍半レベルの選手ばかりだった」と書いていたが
才能が無いから練習の虫になるってのもあるからね
>>829 なるほど。
つまり、金田、王、長嶋、イチローは才能がないから練習の虫なわけだな。
確かにカール・ゴッチは
プロレスラーとしては
1流半レベルだな
>>830 一流・・・練習、努力を開花させられる
一流半・・・徒労に終わらせる
この違いは大きい。
>>828 日本ではAWA王座に一回も挑戦しなかったからね。
貧乏団体国際だったから、欲出しても給与が大して上がる訳でも無し、
「適当にやっとけ」てな気持ちになったんだろね。
>>834 >日本ではAWA王座に一回も挑戦しなかった
草津のこと?
昭和45年、ガニア初来日の時
2月9日盛岡で挑戦しているよ。
1本目、○ガニア(スリーパー)
2本目、両リン
>>817 頭の悪い老人が頭の悪い老人扱いされ続けられるのは当たり前だろ、馬鹿(笑)
>>835
これは知りませんでした。
草津はアメリカでは何回かガニアに挑戦したそうだけど、日本でもでしたか。
しかし草津が一本も取れなかったとは、初来日のガニアに華持たせたのか。
>>827 草津は一応ラクビーの日本代表だったからな。
ガチの世界で頂点を極めた経験があると
プロレスのチャンピオンがどうのこうのなんて
バカバカしいと思うじゃないかな。
坂口なんかもそんな感じがする。
2人とも大企業での社会人経験があったから、団体の2として
営業や渉外の仕事をしている方が面白かったんだろう。
顔だけじゃなくて、そういうところも草津と坂口は似ているな。
>>838 でも草津は坂口と間違えられると激怒するという
昔、週プロで猪木と村松友視のテーブルマッチを温泉でやった時、
宿泊客のおばちゃんに猪木が馬場と間違えられて絶句してた
>>836 頼むから国際プロレスの話題振ってみてくれよ
>>839 オールスター戦で坂口にドロップキックして欲しかった
やたら「やーい年寄り!」と揶揄したがる奴が常駐しているみたいだが
37年前に潰れたプロレス団体のスレに来るのは年寄りに決まってるんだが
>>838 カブキの自伝読んだら、草津と杉山は日プロ入団時から先輩に対して
態度が良くなかったとあったが、中卒の名もないカブキとか、あとは相撲
取り崩れとか小柄な星野、山本たちが多かったから、アマチュアで既に
名の通っていた二人は、ペコペコ頭下げる気にはなれなかったんだろね。
>>840 うる覚え()を指摘されたのが、そんなに恥ずかしいかったか?
まあ恥ずかしいよな「うる覚え」「る」と「ろ」の区別が付かないんだからな。
ああ、カタカナ教育の時代だから、平仮名苦手なのか。それなら「ウロ覚ヘ」って書けば良かったのに
カブキの自伝を真に受けると、杉山と草津はカブキにイジメられて国際に移籍したようなもんじゃないか
しかも木村とマサは良い奴で杉山と草津は礼儀がなってないみたいに
あの心優しいストロング小林が蛇蝎の如く嫌ってるのが草津だもんな
>>840 同じレスを連発してるのが自分かお前か、見りゃわかるだろ
能なしかよ(笑)
>>841 てめえが振れよ、使えない奴だな
俺は国際の話題も書く
馬鹿を煽るレスも書く
他人に期待するだけの使えない老人のお前と一緒にするな、カス
>>844 谷津の新日入団時と状況が似てるな。
谷津「年下の先輩になる前田、仲野、高田らがいて、みんなクソ生意気で。
特に高田が。アマチュアなんかに負けないぞって感じで、お前なんか野球少年じゃないか」
>>849 また馬鹿の一つ覚えかよxxx
二つ目はないんだな
>>851 同じレス三連発目か
他人には言うけど自分は出来ない
真性だな
こういう奴って知能指数いくつぐらいなんだろ
草津が創立間もない国際のエースに抜擢された頃のエピソードに空港か米国だかで
偶然馬場と出くわし「馬場君は日プロのエース、僕は国際のエース、お互い頑張りましょうw」と
日プロ時代に馬場の付き人だった草津のこのトンデモ発言で一気に馬場ら先達の怒り、ひんしゅくを買い
極めつけにテーズに叩きのめされた草津w
>>844 79年にヤマハにIWA世界タッグまんまと奪取された心境をうかがってみたいもんだよね。。w
>>852 二つ目がどうしても出てこないようだな
馬鹿の一つ覚え確定xxx
>>853 >79年にヤマハにIWA世界タッグまんまと奪取された心境をうかがってみたいもんだよね。。w
あの試合はアクシデントでも何でもなく、最初から負けブックでしょう?
一旦ヤマハに王座渡して、浜口と井上で奪還するという。IWAタッグ王座から
草津が外れるのも、草津自身のアイデアだと思っていたけど、違ったのか?
>>853 草津がテーズに負けたのもヤマハにIWAタッグ取られたのもブックに決まってんだろ
>>848 小林は誰彼かまわず恨みごとばかりじゃないか
むしろ人の悪口をまず言わないラッシャー木村が生涯憎んでいたのが小林
見せかけだおしで全然パワーがなくガチンコも弱いオカマを
エースとして担いでいたのにそのオカマに最低の裏切りをされたんだから怒るわな
小林だって能力無いのに自分なりに努力し頑張って見たのに、何の説明もなく格下げされそうになれば保身に走るわ。
格って物はレスラーの価値そのものだから一番大事にしなければいけないだろう。
国際の何も考えてないようなマッチメイクや無意味で不必要な格の上げ下げは見苦しい。
野球とボディビルの経験しかない小林は
草津をガチの実力で押さえつけることができなかった。
そうなるとどうしても舐められちゃうよな。
草津だけでなく、木村や井上も小林のことをよく言わないのは
「ガチで弱いにも関わらず、エースとして盛り立ててやったのに
最終的に裏切った」という思いが強いんだろう。
国際入団時にうちの省三は国鉄で五万貰ってますけど
プロレスでは幾ら頂けるんですか?と吉原社長に聞いた
小林の母親
>>861 裏切ったのも大きいけど、日頃の態度も悪かったんじゃないかなぁ。
付人をしていた大位山に1円の小遣いもやらない小林を見かねたマ
イティが注意したら、一万円札をわざとくしゃくしゃにして「これ、
あげる」って大位山に渡したってエピソードを聞くと、性格の悪い
オネエとしか思えない。
国際の本、例の分厚い本で、門馬さんが「小林と杉山は皆と一緒のバス移動ではなく、
自分のクルマで移動したりしたことも浮き上がる原因だった」と発言していた。
杉山はともかく、小林の自作した「スターとしての行動」も他のレスラーから見ると
『リングの上の虚像を控室でもやるんじゃねぇよ』と感じてしまったのではないだろか。
>>864 大位山も元幕内力士で、かつては付け人を従えていた身なのにな。
ガチでは絶対小林より強いだろうから、よくキレなかったと思う。
この辺りは吉原社長も気を遣ってやってほしかったな。
ただ、小林はアメリカでもそこそこいい扱いだったし、俳優業でも仕事は
それなりにあったから、やはり人を惹きつけるスター性は
(国際にしてはだが)あったんだと思う。
木村が小林を憎んでいたというのはGスピの義理の息子さんの記事で初めて知ったが
あそこまでとはちょっと衝撃的だった
考えてみれば当然なのだが
>>869 ところが、日本リーグ争奪戦に小林が出て、メイン前にリングインして木村と笑顔で握手してる。
国債が新日に来た時も小林が木村のセコンドに付いてて猪木髪切りでも小林が浜口にハサミ渡してる。
アングル、仕事として?
結局人は自分の命が一番大切だから、小林がタイタニック号ならぬ国際号から
脱出したのも判らんではないなあ。移籍前から草津が吉原に小林のあることないこと
吹聴もしてたそうだし。草津にもうちょっと大人気があったら状況も変わってただろ。
プロレスなんて格付けをしっかりやって見せ方次第でどうとでもなるのにね
吉原社長はレスラー上がりなのにその辺無頓着なように思える
選手にサンボ習わせたりは先進的だけど
小林、、全盛期だった72〜73年、IWAシリーズで明らかに実力差のあるジョナサンやロシモフに無理やり勝たせてもらい
タイトルマッチも大物クラスになるとブル&クラとの金網マッチも消化不良の顛末、コロフ&バション組にはとうとう陥落。
シングル王座でもローデスやマードック、ワフーあたりら気鋭の外人には押され気味。
まあ複数エース制を敷いたせいか、馬場&猪木のような絶対エースの不在は国際の宿命だったな。。
>>870 そりゃ仕事だからなw
猪木VS木村、浜口、寺西なんて屈辱的マッチメイクまで受けてるんだから
ストロング小林が居る頃にマークルーインが国際に来てたら姉さん喜んだろうね
>>875 ミスターヒトが控室でルーインとブロディがキスしてたの見たって言ってるから
ゲイなのかバイなのか?
ルーインのゲイ話はヒト以外も読んだ事あるけど、ブロディのゲイ話はヒトからの話しか読んだ事無いから嘘臭い
>>870 日本リーグ争覇戦の時の国際は新日との提携を決めたのだからエースとして握手くらいするし
新日では一時期、小林も国際軍団入りみたいな打ち出しをしたからそれに沿ってやってみせただけ
プロレスラーのビジネスとして当たり前だが、中でもそういったことを黙々とこなしてきたイメージのある木村が
あそこまでの怨念を持っていたということが驚き
>>859 ハンセンはおろかルスカやアレンにまで「仕掛ける」んだから
ガチ弱どころか命知らずのセクハラ…いやセメント野郎じゃないか>小林
よく知らんが下手すりゃ国際時代にはビルミラーやジョナサンにまで仕掛けてたんじゃないのか
仕掛けるって何を仕掛けるんだよ
イワンゴメスを「プロレスしらない」って言ってとっとと負けたやつが
動画だと小林が木村と握手の後、キムドクに冷たくされて真っ青っつーか顔面白っぽく固まってたけど一体何を言われたのだろうか
パターソンやパワーズとはいい感じにならなかったのかな、小林
小林はまだ生きてるんだなあ。彼30代の時結婚したはずなんだけど、
うまくいかなかったのかな。
確か駄目になって引退後にタレントやってる時に母親の面倒見て貰うんで
再婚した筈なんだけどそれも駄目になったんだっけ?
Gスピのフジイ外伝は、今までのフジイの足跡をさらっただけの内容で、
本人のインタビューは無かった。今まで知られているプロレス・マスコミ記事に
マイティとかラッシャーの補足があったけれど、本人の言葉が無いのが不満足だ。
大剛没インタビューのようなのを期待していたのに・・・・・
>>892 フジイは居場所(ハワイ)が明確なので、インタビュー拒否したんだろかね。
シャチ横内以下、もう故人が多いので悪口言うのもはばかれたのか。
大剛も最初のインタビューは相撲界の話題が多かったので懐かしそうに
しゃべっていたが、国際の話題になると急に口つぐんでしまったからなあ。
>>873 クラッシャーやコロフ、マードック、ローデスに小林がフォール勝ち防衛するのは本来、不自然なほどの厚遇だと思う。草津にメイン奪われたと言うが、元々の扱いの良さを噛み締めて欲しかったね
>>894 当時のマードック、ローデスはそんなに上ではなかったよ。
ただ、エースだから小林の勝ちにするのは当然。
俺は80kg台の藤波がイワン・コロフをドラゴン・スープレックスで秒殺したのには呆れた。
>>895 小林対ローデスは、小林のストレート勝ちだったような記憶がある。
日プロ以外にもこんな強い日本人選手がいたのかと思ったわ。
>>877 ブロディとスヌーカーがそうだと聞いたな。
しかも攻めはスヌーカーとか
アンダーテイカーの白目を剥くギミックはマークルーインからパクったらしいね
>>895 まあ実を言うと草津もローデスに勝ってるんだけどねw
この人マリガンに勝つわマクダニエルに勝つわの大暴れw
「小林のせいで国際は弱いと思われた」も良いが国際のやり方も首をかしげる事が多い
・旗揚げのテーズVS草津の無残な敗北
おまけにその後の杉山も敗北(テーズに勝った馬場は凄いと宣伝しているようなもん)
・ロシモフ、ロビンソン、ゴッチの優勝争い(外人レスラーだけの優勝争いなんて全日新日ではありえん)
・レスラーの格のピラミッドがグチャグチャ(全日新日ではピラミッドがはっきりしていた)
(元TBS森忠大)
「東郷は、草津をあまり買ってなかった」
「"練習しない奴はダメだ"と」
(元デイリー石川雅清)
「猪木もマツダもいない、杉山じゃ売れないから消去法で草津なんです」
「後に吉原が"草津がダメなのは歯を見せながら試合をするところだ"」
>国際に限った話ではないが、スター候補生を売り出そうと言う一体感が無いと末期だと言うのは、
>ストロング小林や阿修羅原を売り出そうとした時のギスギス感が複数の選手の証言から見えてきた。
小林はともかく、原をスターにするのが嫌だった選手もいたんだな
剛だけかと思ったが鶴見もかな?愚連隊はまったく相手にされなかったし
>>901,
>>902 馬場(あのタッパと筋肉質な身体で絵になる)、猪木(大きくてスタミナがあって技が
切れる)といったずば抜けたエースがいなかったのが致命的だった。
複数スター制とは、悪く言えばドングリの背比べだもんね。それだから序列がきれいな
ピラミッド型になっておらず、キャリア3年前後の野球とボデイビルしかやってなかった
小林がIWA王者になってしまう。
>>899 たぶんジュニアクラスまで落ちてたよな。
>>872 プロレスラーやってたのにガチ競技習わせたり、プロレスラーにはなりきれてなかったんだよ、きっと
>>894 >>895 >>896 ローデスの初来日(71年)の時は、リングアウト勝ち含みの
ストレート防衛だな。
確かに、この頃のローデスは、まだビッグネームでは
なかったにしろストレート勝ちというのは失礼だよな。
ストレート防衛するなら、相手に指名するな!と言いたい。
73年、アウトローズ参加の時(マードック初来日、ローデス再来日)
二人とそれぞれ防衛したが、共に反則勝ちを含む2−1勝ち。
クラッシャーとは金網戦でKO勝ちだが、もうさすがにクラッシャーも
ロートルだった。
そんな小林が新日本所属になるや、プロフェッショナル、シュミット、バーナード、ビクターリベラクラスにフォール負け連発。
国際時代に勝ってたプロンドスにも、坂口と組んで負けたな。決勝フォール取られて。
>>909 一本目は小林がロバーツから取っているけど残りの二本は流血させられた上での小林
フォール負けでの完敗だから衝撃も大きかった。北米タッグ王者末期もペーロ・アグアイヨと両リン
とか国際で草津や浜口にフォールされていたヘスにシングルでフォール負けとかあった。
ドクターヒロオオタ時代のヤスフジイ
小林が猪木戦前のロビンソンに完敗したのも印象に残る。
「国際時代の格付けとは違う」ことをはっきり刻印された試合でした
>>893 大剛のインタビューレスラー転向者含め大鵬以外の他の力士に
全て弱い弱い連呼でなあ、後の北の富士にまでだもんなあ
あれはやっぱり人格的にちょっと問題ある人感満点だったわ
ストロング小林はGスピで新日での酷い扱いに恨み言ばかり述べてたが
その扱いにおける国際への影響についてまったく考慮してない点がドン引き
草津が憎いのは判るが、会社のプッシュでエースにしてもらった自覚がまるでない
恐らく海外でチヤホヤされたので自分の力だけでメインイベンターになったと
思い込んでしまったんだろうなぁ
>>916 そもそも小林はデビュー2.3年目で大プッシュされてるからね。アマスポーツの実績ない選手が3年目でタッグチャンピオンなんて前例ない話で。
>3年目でタッグチャンピオン
どころは、3年目の昭和44年秋のシリーズで
USA王者になっている。
まぁフラグシップのIWA王者よりは下だろうが
草津の英国西部&南部より格上という感じだった。
>>916 >ストロング小林はGスピで新日での酷い扱いに恨み言ばかり述べてたが
そう考えると国際軍団の厚遇?は例外なんだろうか。。w 特に浜口なんかは国際時代より
俄然、光ってたもんなあ。
>>914 いい人の多い国際プロレスの中で、大剛は異質だったんだろうなぁ。
デビル紫は随分虐められたって言うし、稲妻二郎はいまだに大嫌いって言ってるし、 ミスター珍
にやめちまえって言ったって聞くし、やっぱり性格には難があったんだろうな。
鶴見五郎によると国際プロレスでタニマチから声のかからないのは大剛鉄之助、大磯武、ミ スタ
ー珍だったらしいから。
グレート小鹿は全日本入団直後の原について
「孤独というかなにかこう陰がある印象」と
言ってたな。
確かに顔は二枚目だけど、自然と人が群がってくるような明るさはなかったと思う。
TBSで放送が始まった頃のレスラーの格付け
・エース3人 → 豊登 草津 杉山
・中堅クラス → 小林 木村 田中忠治 マンモス鈴木
・若手レスラー → 井上 大磯 大剛 フジイ 佐野 寺西 デビル
>>923 小林のオープニングシリーズシングル主な成績
大磯 フォール勝ち
ハンスシュミット 時間切れ引き分け
ダニーホッジ ギブアップ負け
ワルドーフォンエリック 反則勝ち
クラッシャーコワルスキー フォール勝ち
デビュー2年目にこの格つけ。
ちなみにハンスシュミットには、新日本でリベンジされるw
>>924 前年夏デビューだからまだ一年目
当時ブッカー(マッチメイカー)の東郷は、草津よりも小林を期待してたらしいしね
デビュー2年目というより
デビューして半年だよな!ww
格闘技はおろか、スポーツも野球と
ボディビルをやっただけなのに。
クラッシャーコワルスキー フォール勝ち って!
>>926 シュミット、ワルドーも前年日本プロレスで、シングルフォール負けないレベルの活躍した強豪ですよ。
そんな相手にも負けない小林w
クラッシャー・コワルスキーは小林がAWAで武者修行していた時のマネージャービックK
>>930 1972年には小林にピン負けしてますけどね
IWAワールドシリーズ予選
寺西勇(逆さ押さえ込み)ストロング小林
※小林が予選敗退で決勝に進めず、木村が優勝
小林自身がインタビューでも言ってたが、ホーガン初来日の初戦で4分前後
で負けさせられたのが痛かったなあ。いかんせん元IWA王者なのに。あれは
健吾あたりを当てるべきだったわ。
>>932 何故同門の寺西に負けさせて予選落ちさせたのか疑問だったし、ワフーに負けてベルトベルトを獲られた後に木村か草津に取換えさせたら後の井上からバション経由で木村のパターンだけど何故か小林に戻した挙句に逃げられるとか余りにもお粗末なブックとしか。
ローデス初来日の当時のプロボク誌、
注目選手と言うことでインタビュー記事が掲載されていて、
その中で「馬場と坂口と戦うのも銭しだい」と述べていた。
(※猪木は日プロ追放時期のため触れていない)
銭しだいとと言う、いかにもアメリカンな考えだと思った。
>>933 ホーガン初来日は1980年5月、健吾がNWAインター世界Jr.獲得が7月2日だから
ちょうど健吾を売り出しにかかった時期だから木戸、永源、星野だな。
>>934 エース小林が寺西にピン負けは、新日だと猪木が小鉄にピン負けみたいなもので有りえない。
>>934 チャンピオンでもリーグ戦では予選落ちするとか、時々王座陥落するとか、今では当たり前の話だけどね。
馬場猪木みたいな絶対エースを小林は望んでいたのだろうか。勿論草津の意地悪も事実だろうけど
>>936 でもそのリーグ戦で木村には勝ってるので、バランスは取ってる。
今のG1ならその手の番狂わせはあるよね
>>938 昔からこの手の争覇シリーズには帳尻合わせの番狂わせはよくあるよ。
>>939だけど、考えたらシングルは多いけどタッグはほとんど無いような気がする。
>>936 うん、よくカーニバルで馬場がアサシンみたいな外人に足掬われるのはあるが、猪木はまあ当然としてw
日本人の中堅に負けるって団体内ヒエラルキーとしてありえないような。。
それを団体対抗戦でもやった国際
小鉄>井上=ガニア=ロビンソン=猪木>グラハム
馬場>ロビンソン=猪木=井上
>>941 中堅テクニシャンに丸め込み技で負けるって、秋山がG1で西村に負けるとか、後の手法じゃよくあるけどね。
国際はある意味早かった
ストロング小林って、71年と72年はシングル無敗で、厚遇が当たり前である意味甘やかされてたんだよね。
だからリーグ戦で負けが組み込まれた、予選落ちしたはショックだったんだろうけど
>>936 小林は寺西とのタッグでいつも負け役をしてもらっていたから
恩返しの部分もあったんじゃない?
草津や木村に寝るのはプライドが許さないだろうが
寺西ならハプニングということで済まされるだろうし。
>>939 昔の日プロのワールドリーグ戦で、山本小鉄がゴリラ・モンスーンに勝ったのには
心底びっくりした。それもリングアウトではなく体固めだったからねえ。
正直大人と子供で、試合前は勝負にならないと思ってたんだが。
まあ草津が井上に引き分け判定負けで、自分は寺西にフォール負けかよ!てのはあったかもね
本人が「情けなくて涙が出た」のは上にあるホーガンへの負け 藤波への負け 長州への負けだっけか
藤波はジュニアチャンピオンだからまだしも当時の長州は中堅でパッとしない頃だったからな
ここまで落差があったレスラーも珍しいかもしれん
木戸(回転エビ固め)長州
永源、星野(回転エビ固め)元NWA世界ライトヘビー級王者健吾もあった。
>>949 なんで急にタッグリーグで組むのか謎だったよな、北米タッグ王者も陥落してたのに。
そう言えばあの練習にやかましい小鉄は 自分の引退試合の相手に五郎ちゃんを指名したんだよね
>>952 井上、浜口の指名だったが、2人を小鉄のジョブにはできないから鶴見、大位山になった。
ただ、鶴見もヒール軍のボスだったから吉原の判断は・・・。
>>953 ボスって言っても、メインで木村や井上と絡むわけでもなく、寺西や稲妻に悪さするだけだろw
木村 浜口 鶴見 原 冬木の五人は国際が解散してからの方がレスラー人生的は幸せだったんじゃないのかな
>>955 全員そうだろ、多かれ少なかれちゃんとギャラの出るところに行ったんだから。
>>952 試合後に小鉄が「いい仕事をしてくれた」と
ギャラとは別で個人的に10万円くれたって言っていたな。
鶴見は馬場にも評価されていたし、国際じゃなかったら
それなりのプロレス人生を歩めていたかもしれない。
肉体労働の現場で働いてたら分かるけど 会社を移って小煩い現場監督が仕事を認めてくれるってのは大したもんなんだよね
>>916-917 >>924-926 >>933 >>944 >>948 こう云う自力でポジションアップを試みたりチャンスを掴み取ろうという意識が希薄な一方で
被害者意識ばかりが前面に出ていて己の集客力や商品価値への客観的な視点が欠けている点は鶴田戸口谷津なんかと被る印象があるな小林には
勿論平成以降の蝶野中邑内藤等の様に自己主張を興行的な成功に繋げる方策の有無や会社に対する自由度の高い環境に恵まれた立場と比較するのはアンフェアなんだろうけど
その辺りの事情を差し引いてもに自分の側に都合の良い言い分に耽溺している感さえ窺えてて印象が良くないな
これだけの長文で、句読点を一度も使わないって凄いな。
吉原社長からスカウトされてプロレス入りした事
国際で絶対エースとして活躍した事
AWAでトップグループで活躍した事
新日本から引き抜かれて、猪木と歴史に残る闘いをした事
WWFでもトップグループで活躍した事
これだけの実績を残しながら、ホーガンや藤波や長州の踏み台にされ、
中堅にランクダウンされたのだから、不満を持つのも仕方ないと思う。
国際内でのトラブルについて社長である吉原自身が仲裁すべきだったのにしなかった事が大きかったんだよな
あるいは草津あたりに遠慮したのかもだったが
エースの座から降ろすとき何の説明もされなかったら
不安になって、新日本の誘いに乗っても仕方ないだろうと思うな。
草津はなぜか攻撃されると、ゲボゲボ激しく咳き込むが、小林はそれが苦痛で新日本に逃げたらしい
>>943 久しぶりに開催した第6回IWAワールドシリーズBブロックは井上、バション、ジョー、浜口がいた。
バション(リングアウト)井上でIWA王座移動のリベンジはなし。
バション=ジョー、井上=ジョー、井上>浜口だが、なぜか浜口(体固め)バション
ここは井上(リングアウト)バションでリベンジのはずで、なぜ浜口がバションに勝ちなのか?
>>965 行き当たりばったりのブックだったんだろ、草津がマッチメイカーなんだからw
井上とバションを別ブロックにして決勝が井上>バションで
優勝者井上がIWA王者木村に挑戦という流れでもいい。
同時にタッグリーグを開催しているにもかかわらず個人リーグのブロックでパートナー同士を戦わせるというシステムは全く解せなかった。
>>957 その10万円を剛竜馬が自分のものにしたっていう
話を聞いたけど、本当かなぁ。さすがにやりすぎ
なような気がする反面、剛ならやりかねないとも
思ってしまう。
小学生の時、漢字の「尾」って文字のイメージだけで
マイティ井上の奥さんは若尾文子だと思ってた
>>953 試合後に車で帰宅中にキャデラックが猛追してきてパッシングまでしてきた。
車を端に寄せて停車させて「どこの893か?」と身構えていると小鉄が走り降りて
きて「今日はどうもありがとう!」と何度も感謝された。
>>957 ギャラやカード編成も含めてプロレス人生で一番良かったらしい。しかし長州一派が
乗り込んできて待遇が悪くなりSWSには自ら売り込み行った。
SWS行くときボクシング特訓してたっけ鶴見五郎
格闘色強めるのはいいことだと思ったけど
>>929 クラッシャーコワルスキー(ビッグK)は、60年にタニーミルズとのタッグというか、ユニット(マーダーINC.)で
ガニアやウォリーカルボ主宰になってからのAWA世界タッグ初代王者として記録されてるな。。
クラッシャー・コワルスキーは、クラッシャー・リソワスキーとクラッシャー争奪戦の大抗争を繰り広げて負けてビックKに
ディック・ザ・ブルーザーとブルーザー・ブロディのブルーザー対決はクラッシャー争奪戦の焼き回し
門茂男はジャパン・プロレスリング・ユニオンで渡米するポーゴから50万払わせたんだっけ?
渡米後にもシャチ横内にパスポートと金を没収されたり散々だな
シャチ横内って、なんか謎のレスラーだな。
新弟子で日本の団体に所属してないのにアマリロでは上田とファンクス相手に戦ってる。
最後はフランスで車ごと川に落ちて死亡したそうだが、これだってその筋の組織に
報復されたっていう物騒な噂まである。親分格の清美川も波瀾万丈の人生だったし。
>>976 実の息子が自身の遠征中にとんでもない事件の被害者になってたり
清美川はビューティーペアの師匠ってことで後に少し注目を浴びたけど
山っ気だしてワールド女子プロレスの旗揚げが頓挫して、仕切り直して
ニューワールド女子プロレスを旗揚げして1シリーズで潰したね
ギャラが出ないんで巡業中に選手が抜けていったって女子キックの
仁あきらが語ってたな
【おかまエース】国際プロレスpart14【動物図鑑】がいいな
既に次スレ立ってたか・・・
【横内】国際プロレスpart14【清美川】
http://2chb.net/r/wres/1523273131/ どうでもいい話だけどビューティーペアの二人も清美川の事は先生って読んでたな
師匠の事は先生と呼ぶっての言うのが如何にも昭和だな
ヒロ・マツダが殿堂入りしたけどミスター珍が週プロの連載で
マツダの事をボロクソに貶してたよね?夜逃げした癖にとか
何が日本の虎だとか
姉さんが表舞台から消えるきっかけになった、北米タッグから陥落した試合。
フォール取られた相手はマツダだったな、なんか国際プロの因縁を感じる。
横内にしても上田にしてもクロスチョップ使うけど
当時の日系ヒールはこの技が代名詞だったの?
木村も使ってたけどさ
>>987 あの試合はでもマツダがまだ猪木と並ぶ日本人大物設定が活きてた頃なんで
個人的にはそこまで意外って程でも無かった記憶がある
坂口小林が負けたっていうよりプレ日本選手権からの
マツダ強者設定がまだ続いてたってイメージで
やっぱり本格的に小林凋落感じたのはその後の健悟と組んだ奪回戦で
決勝の3本目を小林自らが長州に取られたのとMSGシリーズでシングルでも長州に負けたあたりかな
日系ヒールの得意技といえば十字チョップとかスリーパーとかあと流石にラッシャーはやらないが
上田とかがよくやる口を歪める顔芸付きのショルダークロー(一応頚動脈絞めというが肩や首のマッサージにしか見えないアレ)とか
口を歪めるのは剛が試合中に良くやってた
そんな所もセンスが無かった
>>990 ショルダークローも両肩式を自分の手首を補助的につかむ片手式が有りましたね
試合を壊す時はパウダーとか塩とか使ってたような
>>988 みな得意技はクロスチョップと
ショルダークローサフォーケーションクローストマッククローといったクロ―攻撃、
あとはアームブリーカーに地獄(手刀)突きくらいだよね
当時の日系レスラーの紹介みると
恐らく当時の向こうでいう「カラテ&ジュードー」(空手と柔道ではなくカタカナ)のイメージ、
あと喉元や頸動脈とかの急所をネチネチいやらしく攻めるスキニーな悪役のイメージじゃないかと
クロ―攻撃なんてドイツ系と日系という敵性国ギミックの定番だし
悪役の卑劣で陰湿な攻撃の技で本来ベビ-フェイスの使う技じゃないということでしょ
ドリルアホールパイルドライバーなんかもだけど
>>986 ミスター珍にそんな事言う資格あるのか
珍はどう見ても練習してる体じゃなかったのに
普段から読点、句読点を使う機会がまったくないんだね。
>>989 MSGシリーズでは小林は長州に負けてない
>>995 当時FAXがなかったから毎週バイトが、珍の横浜の自宅に原稿取りに行くと
必ずこれで飯食えって千円札をネジ込んで来るんだってさ
>>986 晩年になっても松永に
「あいつ(マツダ)は道場の練習がキツくて逃げたんや
わしらは逃げんかったよ」と罵倒していたそうだ
このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 86日 9時間 53分 34秒
5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/ ▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php
lud20250216004152caこのスレへの固定リンク: http://5chb.net/r/wres/1515845040/
ヒント:5chスレのurlに http://xxxx.5chb.net/xxxx のようにbを入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。
TOPへ TOPへ
全掲示板一覧 この掲示板へ 人気スレ |
Youtube 動画
>50
>100
>200
>300
>500
>1000枚
新着画像
↓「【ガラパン】国際プロレスpart13【ワンショルダー】 YouTube動画>15本 ->画像>15枚 」を見た人も見ています:
・北朝鮮ミサイルと怒る国際社会はプロレス
・【リップタイラー】国際プロレスpart20【エディサリバン】
・【門馬忠雄】国際プロレスpart19【菊池孝】
・【森忠大】国際プロレスpart23【田中元和】
・【杉浦滋男】国際プロレスpart10【磯辺建臣】
・【勇猛シリーズ】国際プロレスpart22【日本リーグ争覇戦】
・【アサシンズ】国際プロレスpart17【サモアンズ】
・【ロビンソン&ロシモフ】国際プロレス34【小林&木村】
・【贈り物のデパートです♪】国際プロレスpart28【ハリカです♪】
・【国際】エボラウイルス 最高の警戒レベルに★4
・【国際】エボラウイルス 最高の警戒レベルに★16
・【国際/米国】米国の子ども、30人に1人がホームレス経験 [11/18]
・【国際】米ワシントンD.C.でパレスチナ支持デモ [ブギー★]
・【国際】エベレスト登頂成功の米国人死亡、頂上で写真撮影中倒れる
・ワールドカップとか国際試合に興味ないとストレスないし気楽でええわ
・【国際】許可なく1人でエベレスト登頂目指した男、取り調べで悪態つき逮捕
・【国際】 中国、反韓の炎広がる・・・レストラン 「韓国人出入り禁止」
・【国際】スウェーデン、5年以内に完全キャッシュレス社会へ=中銀副総裁
・【国際】英マンチェスター爆発事件で「英雄」のホームレスに禁錮4年3月
・【国際】エベレスト、ガイドが登山拒否へ 政府の事故補償1人42000円に不満 [4/21]
・【国際】トップレス日光浴、フランス内相が擁護 家族連れから苦情が出たが [ブギー★]
・【国際】パレスチナ イスラエルとUAEの国交正常化に反発 「裏切り行為だ」 [ブギー★]
・【国際】「アラファト博物館」オープン=パレスチナ問題の歴史網羅[11/19] [無断転載禁止]
・日本の技術レベル、最先端から10-20年遅れ…半導体大国の復権へ官民協力と国際連携 ★2 [ばーど★]
・【国際】トルコ、エルドアン氏に権限集中 大統領制に完全移行 経済問題、強権統治のアキレスけん
・【国際】 北朝鮮による日本核攻撃の場合の被害をシミュレート・・・米外交専門誌ナショナル・インタレスト
・【レスリング】伊調馨、2年ぶりの国際大会で黒星 昨年アジア大会優勝のチョン・ミョンスク(北朝鮮)に破れる
・お前ら「西成はヤバイ!危険地帯!」←海外在住経験のある国際人の俺が外国だとどれくらいの治安レベルか教えてやるわ
・【国際】朝鮮学校無償化排除 日本は政府レベルで朝鮮学校を差別しても構わないという社会的な烙印を押した [動物園φ★]
・Twitter「下関国際決勝進出は安倍のご加護」VS「安倍のために戦ってる訳じゃない」がそこら中でレスバを開始していて阿鼻叫喚
・【医学賞】遠藤章氏にガードナー国際賞 コレステロールの血中濃度下げる「スタチン」発見、ノーベル賞登竜門[03/28]
・【国際】日韓戦に負けどんよりの韓国少年野球チーム、米国少年の言葉で笑顔取り戻す=韓国ネット「子供までが韓日戦にストレス感じてる」
・【国際】イギリス政府 テロ警戒レベル10年ぶり最高度に引き上げ 軍兵士や武装警官が街中で警備へ 在英日本大使館「外出、十分注意を」
・【国際】英国の原発建設に逆風 東芝や日立のプロジェクトに影響も
・【国際】大虐殺を消し去る中国 無から有を創り出す中国のプロパガンダ戦略[1/17]
・[プログラミングが強い大学]ICPC 国際大学対抗プログラミングコンテスト
・【国際】教育支援プログラムでドイツの子どもたちを「奴隷」扱いか、5人逮捕 ルーマニア
・【韓国NSC】韓国が制裁違反疑惑で国際機関の調査を提案「シロなら日本が謝罪せよ」[7/12] ★4
・【サッカー】選手から不安の声…国際プロ選手会がコロナ感染拡大を懸念、五輪やW杯の予選も延期か
・【国際】高周波活性オーロラ調査プログラム「HAARP」が“地震兵器”疑惑払拭の為に一般公開実施=米国
・【国際】プーチンは侵略者だとしても、日本人はウクライナのプロパガンダを丸呑みにしてもいいのか?★8 [あずささん★]
・【国際】米露の駐日大使 SNS投稿で非難合戦 米大使「血まみれのナイフを手に」、露大使「欧米のプロパガンダは偽物」 [ぐれ★]
・【国際】台湾のスシローキャンペーンで名前を「サケ(鮭魚)」に改名した人々は今どうしているのか? [朝一から閉店までφ★]
・imgur(アイムジャグラーEX)って日本最大の掲示板が無断で便利な画像アップローダーとして利用してるけど国際問題にならないの?
・【証言】表現の不自由展の実行委員・永田浩三がプロデュースした女性国際戦犯法廷は昭和天皇の処刑が目的だった[08/17]
・【国際】ドイツの小学生、学校でオーガズム、サドマゾ、アナルセックス、オナニーの劇を演じる…「多様性の学校」教育プログラム★2
・【国際】ウクライナ侵略戦争において米国ジャーナリストが射殺され、ドニプロルドネ南部の市長が新たに拉致される [アルカリ性寝屋川市民★]
・【国際】アメリカ大使館、日本警察の「レイシャル・プロファイリングの疑い」で異例の警告ツイート。「拘束されたら連絡を」 [朝一から閉店までφ★]
・国際郵便
・金沢国際空港
・京都国際
・東京国際大学
・ 平成国際大学
・男国際大戦争
・DMMと国際情勢
・国際情勢中立4
・国際恋愛の悩み
・オマーン国際空港
・九州国際大付part34
・新世界国際地下
・あぽやん〜走る国際空港
・九州国際大付part33
・備後国際大学 part3
・九州国際大学ってF欄?
・関空は国際空港といえるのか?