家のあちこちに大量のプラモを飾ってる時点で色々と不便になってると思うんだけど
明日死ぬかもしれないと毎日考えるから
本能のまま積み続けるしかない
ゴーディアン方式で1/72の中に1/100を入れて1/100の中に1/144を入れていく
造りきれないかも知れないが
五個買って
二個造って販売して
一個飾りで造る
多分、プロの人はそんな感じなんじゃないかな
プロの人は無料でメーカーか雑誌から貰うんじゃないかな?
羨ましいよ
飾り棚に入りきらないのはある程度バラして箱にしまってる
いま、押し入れのアオシマケーニッヒポルシェを造ってる
少し片付けないとだから造っては売ってる
一応ある程度は良い出来だから
タミヤのフォルクスワーゲンのラリー仕様のがあるけど
これは造ろうかぁ
どうしようか悩んでる
定期的に捨ててる
後で後悔する事もあるけど場所がないから仕方がない
何百万も無駄にしているんだろうなと思う
まだ組んでない積んでるやつを捨ててるってことなんじゃない?
来客用部屋へ拡張
トイレへ拡張
普段あまり人が行かない仏間へ
他の家族の部屋へ
風呂のお湯の中に隠匿してるやつ wwwwwwwwww
模型の箱が家中にあふれて収まらなくなり、ついに倉庫借りた
【何もしない人=授業中寝るか遊び呆ける事しか能のない"自称芸大志望"(笑)の出来損ないwwwwwwwwww『大場雄太』ほど批評家になる】
自分がバカにされないことに意識を集中する。
これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。
なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。
演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。
何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥